第1話 砲撃戦

Chapter1 海賊の冒険

 A belief is not merely an idea the mind possesses; it is an idea that possesses the mind.


 信念とは心の中にただ宿るだけでなく、心を支配する思いのことだ。(ロバート・オクストン・ボルト)

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 とうとうガーネット号は海賊旗ジョリー・ロジャーを掲げた。


 海賊旗ジョリー・ロジャーが上がる──それはつまり、ガーネット号がわたしたちの船を襲撃する合図をよこしたってこと。

 当然船内は大混乱。船長の指示に従いきびきびと働く船員がいる反面、ひたすら同じところを歩き回っている船員もいる。この調子だと、海に身投げするやつがいてもおかしくない。


 それほど、ガーネット号は恐れられている。



「キリル! お前は武器の用意をしろ!」


 痛い! ルドが思いっ切りわたしの背中を叩いた。一瞬ぐらりと身体が傾いたけど、なんとか持ち直す。


いてえだろ!」

「悪りい! とにかく早くしろ!」


 ルド・アネルは、この船、オパール号で一番親しい男だ。焦げ茶の髪と瞳を持っている。顔には全然特徴がないせいで、なかなか覚えられなかった。特に重要な役職についているわけでもないから、わたしと同じように小汚い格好をしている。

 

 ルドは、なるべくわたしに力仕事をさせないようにする。力仕事っていうのは、例えば砲弾の準備だとか、酒樽の運搬だとか、そういう仕事だ。

 何度も「別に男なんだから大丈夫だ」と言ったんだけど、一向に聞いてくれない。彼に言わせれば、わたしの体型は男のうちに入らないんだとか。


 これでも二年弱は海賊業をやっているし、体もきたえた。戦闘でそこらの男に負けるつもりはないんだけどな。今までただ男の格好をしてきただけじゃないのよ?


「砂は誰かいたのか?!」


 わたしが遠ざかるルドに呼びかけると、ルドはぐっと拳を上げた。



 甲板かんぱんで慌ただしく走る船員の波をり抜けながら、わたしは武器庫へと急ぐ。こういう時小柄だと楽ちんだ。

 ハッチカバーを開けて、階段をダダダっと降りる。地下の船倉に来た。船倉はちょっと薄暗い。あちこちから光は漏れているんだけどね。


「うわっ、ゴホッゴホッ。けむたっ!」


 勢いよく降りてきたせいで埃が舞ったみたい。急がなきゃ。

 わたしは武器の入っている木箱を開けた。持てるだけ武器を持つと、また甲板へ上がる。とそこで、他の船員に声をかけられた。周りがうるさいから声は大きい。


「手伝い、いるかっ?!」

「いらん!」

「武器多めに出しとけよ! そっちは頼んだっ!」

「あいよ!」


 返事をしてから、残りの武器を取りに再度船倉へ戻る。


 砲撃戦はもうじき始まるけど、そのあとは移乗戦いじょうせんになる。

 移乗戦──互いの船に乗り移って戦うのだ。

 海賊同士の戦いのときは大抵そう。お互い宝を奪われるわけにもいかないし、何より、負ければ負けるほど船の評判が落ちる。身体を張ってまで、宝や誇りを守ろうってわけ。


 海賊界で評判は大事なのだ。団や船の強さはすぐに噂になる。海の戦いは意外とシビアだ。噂が物を言う、なんて言葉がしっくりする。

 敗者の烙印を押されれば格好の餌食えじきになるし

(ちなみにあまりにも弱いと無視される。だって弱いなら宝を持っているわけないもの)、

勝ち組に入れば恐れられる。

 それはもう、そばを通れば黙って宝を差し出されるってくらいに。


 というか、今回がその船のはずなんだけど。

 本当に戦う気?

 逃げるって選択肢はなし?




 両手いっぱいに抱えていたカトラスや斧を、大きな樽の上に並べていく。

 刀身が短いカトラスは船上のような狭い所で戦うのに最適だ。刃が曲がっているのが使いづらいって、斧なんかを使う奴もいるけどね。


 いくつかの樽の上が武器で埋まったところで、わたしは海の方へ目を向けた。真っ青な大海原の真ん中に、赤い船がその存在を主張している。


 ──ガーネット号。


 目が合った船員が、わたしに向かって口を開いた。


「帆が赤いなんてさぁ、本当、変だよなぁー」

「目立ちすぎるだろ、あんなの。どっかの悪趣味な貴族が作った自家用船って感じ」

「ははっ。その例え、なかなかいいな!」


 急に声をかけてきた船員は、ククッとまた笑って仕事に戻った。まだ船体の木に赤い塗装をしていないだけ、マシよね。


 ……あのガーネット船を沈められたら、さぞ気持ちいいだろうなあ。だってシャーク海賊団よ! あの有名なシャーク海賊団を負かしたとなったら、このオパール号の評判はうなぎ登りだ

(まあオパール号の評判なんてどうでもいいけどね。ここに仲間入りしたのはつい1ヵ月前だし)。



 少しでもこのオパール号の勝利に貢献しようということで

(本当はもちろん、ただシャーク海賊団の鼻を明かしてやりたくて)、

船の下に広がる海へ意識を集中させた。すっと目を閉じる。


 もう、船内の騒音は聞こえない。耳に入るのは、波の音と海中の生物の声だけ────。


 ぞくぞくと体中に水が回っていく。この感覚がたまらない。

 海水でわたしの身体が潤う。

 海が見える。

 ただいでいるだけの海。

 海面は絶対に同じ色を見せない。

 ゆらゆらと揺れるたびに、波は様々な模様を見せてくれる──。


 来た!


 意識の繋がった海に、わたしは静かに語りかける。

 ──そう。そういうことよ。あの船の下。少しの波でいいの。操舵手そうだしゅが船を操るのに苦労するぐらい。

 うん、きっとそうしたら、こっちに大砲を撃つのが大変になる。命中率が半分に下がるくらいよ。あんまりやるとおかしいと思われるもの。いいわ、その調子────。


「おいキリル!」


 わたしははっとして目を開けた。


「また海は俺たちの味方をしてくれてるみたいだ。見ろよ、あのガーネット号があんなに揺れてるぞ」


 そうルドに促されて、わたしはガーネット号の方に顔を向けた

(建前上ね。わたしがやったんだから見なくても分かるわよ?)。

 隣で顔を輝かせるルドを見て、つい唇をゆがめそうになる。


「ああ。本当にツイてんな。けど、これでも諦めはしないか」

「ほんと、調子に乗りやがって」


 ルドは焦げ茶の髪をくしゃっといた。





てえええええええ!」


 突然耳元でどら声が聞こえたかと思うと、轟音ごうおんが船を包んだ。時間差で大砲が飛んでいく。大砲が発射されるたびに、船はぐらぐらと揺れる。二発は海に落ちたけど、一発はガーネット号の方に届いたみたいだ。

 それにしても、船長はいつから隣にいたんだろう。わたしは船長のすそを掴み、声を荒げる。


「おい! 大砲は当たったのかよ!」

「さっき一つ当たった! 今も一つかすったみたいだ!」


 ガーネット号には二発も当たったのに、こっちには一発も当たってないなんて。なかなかいい調子ね。あっちは自分の船を操るのに相当苦労しているみたい。

 わたしは船長に向かって再び叫ぶ。


「やっぱり移乗戦にはなるのか!?」

「わからん! だがシャーク海賊団がこれくらいで怯ひるむはずがない! あの宝石狂いの王子様プリンスめ。ただの小童こわっぱのくせに」

「あっちの船長、そんな狂ってんのか?」

「宝石が海に落ちたから、そのまま飛び込んだって聞いたぞ!? もちろん服の宝飾は全部外してな!」


 ハッハッと大きな口を開けて、船長は笑った。でもあながち嘘でもなさそう。

 ガーネット号に乗るシャーク海賊団は、ラムズ・シャークという若い男が率いている。彼は『海賊の王子様プリンス』という異名いみょう通り、まるで王子様のような格好をしているらしい。大抵の海賊は宝石や金に目がないけど、ラムズ・シャークのその執着は並々ではないとか。

 でもシャーク海賊団が有名なのは、なにもそんな船長の格好のせいだけじゃない。


 ──乗っている船員が問題なのだ。




 赤い帆船はどんどん近づいてくる。二発もガーネット号に砲弾が当たったわけだけど、当たり前に彼らが諦めることなんてなかった。

 だって、ガーネット号が得意なのは移乗戦なんだから。


「やっぱり移乗戦になるな」


 船長は大きな声で呟いた

(大きな声で呟くなんておかしな言い方だけど、本当にそんな感じなの。独り言みたいに言ってるけど、実は誰かに聞いてほしいと思ってるって感じよ。あなたの周りにもそういう人いるでしょ?)。

 たしかに、敵船のガーネット号は舵も上手く取り直していた。あんまり激しい波にしたわけでもないし、仕方ないわね。


 でも面白くないからもうちょっと悪戯しちゃえ。わたしは船をじっと見据えたまま、密かに拳を握りしめた。

 ぞわりと水が身体を巡る。


 ──今よ!


 その途端、ガーネット号を大きな波が襲った。ふふん、船員はびしょ濡れになったに違いない。


「……いい気味」

「なんか言ったか?」


 おっと危ない。つい地の声で呟いちゃった。船長は確か耳があんまりよくないし、聞こえてないはず。

 わたしは小さく咳払いをして、声を整えた。普段の声、つまりで返事をする。


「なんでもねえ」

「そうか」


 ガタイの良い船長は身長も高くて、かなり見上げないといけない。わたしは船長のそでを強く引っ張り、文句を言った。


「それより船長、なんでガーネット号とり合うんだよ。あの船に出会ったら最後、黙って降伏ってのが暗黙のルールだろ」

「そりゃ知ってるけどよ、やっぱり黙ってってのは海賊としてはどうかと思うわけだ。戦うのが俺ら海賊だろ。キリルもそう思わんか?」

「思わねえよ。むしろオレら船員のことも考えてくれ。あいつらは降伏して宝さえ渡せば、命は助けてくれるはずだろ」


 シャーク海賊団とは戦わずに宝を差し出せ──そう言われるのは、彼らが強すぎるだけが理由じゃない。彼らは無駄な戦を絶対にしないのだ

(中には宝だけじゃなく船員全員を殺したり奴隷にしたりする船もあるの。ちなみに船長は処刑されるわ)。

 それに負けると分かっている戦に飛び込むなんて、評判も何もあったもんじゃない。船長もってところね。やっぱりわたしには人間の考えることは理解できない。

 


 船長は前を見据えながら、また口を開いた。


「戦うのが嫌なら、早々にあっちの船長様んとこへ挨拶に行けばいい。俺は誰のことも止めねえぞ」

「あいよ。じゃっ、オレは向こうにつくとすっかな」


 冗談半分でそう呟くと、船長はぎょっとした顔でわたしを見下ろした。

 わたしは体は小さいし男より力は弱いけど、カトラスの腕はそこそこいいのだ。オパール号で過ごして1ヶ月、この腕で船員と関係を築いたと言っても過言じゃない。


「好きにしろ」


 船長は前を向いた。きっと精一杯の強がりだ。




 どこかで仕事をしていたらしいルドが、いつの間にか横に立っていた。ルドはそっとわたしに耳打ちする。


「なぁキリル。ガーネット号を負かしたりとか、できると思うか?」 

「そんな馬鹿なことがあるわけないだろ。確実に負けるよ」

「だよな……。戦いが始まってすぐラムズ・シャークのとこに降伏しにいったら、俺は戦わなくてすむかな?」


 わたしは少し驚いてルドを見た。たしかに生きる術としては懸命な判断だけど、一人でそんなこすい真似をするつもりなの?

 でもルドがどうしようがわたしの知るところじゃない。だからとりあえずは正直な意見を述べた。


「まぁ、あの船長は変わってるらしいし、仲間に入れてもらえるんじゃねえの」

「うーん。キリルは入るのか?」

「入るわけねえだろ」


 宝石のために命まで捨てるなんていう無謀むぼうな船長の下で戦いたくないわ。絶対に変な船長に決まってるんだから。

 うんうん、ダメダメ。わたしはあんな船乗らない。


「もう来るぞ。お前も準備しろよ」

「あいよ」


 わたしは懐のカトラスに触れた。もうとっくに準備はできている。



 船長が船尾楼せんびろうに立っている。帽子を被り直した(格好つけてるのよ)。

 ──戦いが始まるわ。


 わたしは二角帽子を素早く取った(格好つけてたら戦えないでしょ?)。帽子の影に隠れていた顔が露わになる。

 赤い髪の毛をもう一度、きつく縛った。

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