071
あの日――ヨミのMAがうちに落ちてきて、TBに初めて会った日から、今日までのことを僕はサキに話し始めた。
ヨミたちが父さんを連れ去ったところで、
「あの馬鹿……」
と、頭を抱えた以外、サキは黙って僕の話に耳を傾けていた。
途中で休憩を入れて、僕たちは料理を作った。サキは慣れた手つきで鶏をさばき、まずレバーを炒めて僕に食べさせた。グレイビーソースに使う以外に鶏の内臓を食べたことはなかったけど、スタミナがつくからと無理やり食べさせられた。思ったより悪くない。肉は香草で焼いて食べた。体力は徐々に回復している気がする。
コーヒーを飲み始める頃、僕はほぼ話し終えていた。
「お父さんのこと、残念だったわね」
そういって、サキはテーブルの上の僕の手を握った。
「正直なことをいうと、なんとなくこうなってしまうような気がしていました。だから今はあまり悲しいという気持ちが起きません。変ですよね」
「いいえ。変じゃないわ」
首を振ってぎゅっと手を握ると、サキはコーヒーカップに手を戻した。僕たちはしばらく黙り込んだ。
陽はすでに暮れている。遠くのほうから風の鳴る音がかすかに聴こえてくる。サキが静かに口を開いた。
「ハリーはあれを完成させていたのね」
「あなたも父の研究に関わっていたんですか」
「まあ、そういっても間違いではないわね。『先祖返り』の研究はずっと以前から各地で行われてきた。研究結果はファントムに報告するという約束で彼らの施設を使わせてもらったりしてね。ヨミの母親も独自に研究を進めていたわ。ハリーとエレナはコーディネーター同士の技術交換の目的で二年間東部地区に来ていたの。でも、そのときには特に目新しい成果は得られなかった」
「じゃあ、父さんたちがこっちに戻ってきてから研究が完成したのか」
「たぶんね。人為的に『先祖返り』を発現させるという研究テーマは昔からあったの。もちろんファントムには知られないよう極秘で。今、君の体は元の状態に戻っているのよね」
「はい。あれは一時的なものだったんでしょうか」
コーヒーカップを顔の前に掲げて、サキは目を閉じた。
「違うと思う。分かりやすくいうと、君の体は以前とは違うものに作り変えられてしまっているの。元に戻っているのは、急激な体の変化についていけなかったから。でもそれは一時的なもので、きっかけがあれば、またTB化するはず」
僕はじっと自分の手のひらを見つめた。
「次にTB化したら、もう元には戻れないんでしょうか」
「分からない。データがないから何ともいえないけど、いずれはそうなると思ったほうがいい」
やっぱりそうか。でも、あまり実感がわかない。TBとして生きるってどんな感じなんだろう。
「君はこれからどうするつもり?」
「バーニィたちのところへ戻ります」
深い溜息をついて、サキは首を振った。
「私が訊いたのはそういうことじゃないんだけどね」
それから、テーブルにぐっと身を乗り出すと、僕の顔を正面から見つめた。
「彼らのところに戻るのはもう少し待ちなさい。君はもう以前の君じゃないのよ。君の存在は『アーム』にとってもファントムにとっても重要なものになってる。たぶんこれから君はとても大きな決断をしなけらばならなくなる。そのためには、いろんなことを知らなくちゃならない。でも君にはまだ決断するための材料が揃ってない。これも同じ」
テーブルの上に置いてある籠から玉ねぎを取り出して、手の中で転がす。
「いい作物を育てるために必要なのは、肥えた土地とたっぷりの水、そして辛抱強く待つこと。今の君に必要なのも、栄養――つまり知識と時間。悪いことはいわない。おばさんのアドバイスをお聴きなさい」
目の前に、真剣な表情でこちらを見つめるサキの真っ黒な瞳があった。僕の知っているもうひとつの黒い瞳が重なる。
――カカオ、この名前は私だけのものだからな。
そういって、じっとこちらを見つめていた黒い瞳。
「ヨミが心配してます」
「明日、『アーム』に連絡をつけるわ。あの子には私が直接話す」
ヨミに会いたかった。たぶん彼女は父さんの死に対して責任を感じている。会って何といえばいいのかは分からない。何もいえないかもしれないけど、会わなくちゃ。
でも一方で、サキのいっていることは正しいのだということも分かっていた。これまで僕は何も知らないまま、バーニィたちにくっついていただけだった。でもこれからはそうはいかないだろう。父さんは僕に何かを託したんだ。それをどうするか、自分自身で決めなければならない。まだそれは、今の僕の手には負えない。
「分かりました。お願いします」
僕の肩にそっと手が置かれて、ゆっくりと力が込められていった。
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