070

「僕、行かないと――」

 ベッドを降りようとして、僕は床に膝をついてしまった。足に力が入らない。

「ちょっと待って。君、まる二日も寝てたんだよ。無茶しないで」

 二日。あれから二日も経っているのか。

「まずは少し何か食べないと」

 サキに手を借りて、僕はベッドに腰かけた。

「君、名前は」

「レナード・マーシュ、レンでいいです」

「オーケイ、レン。少し待ってて」


 サキはジャガイモを荒くつぶしたものに牛乳を加えて煮たスープを作ってくれた。新鮮な牛乳が手に入るということは、近くに農場があるということだ。

「ここはどこなんですか」

 MAに必死でしがみついていたから、どこまで移動したのかよく分からなかった。

「アナサインド・テリトリーの中よ」

 ダイニング・キッチンのテーブルの席についた僕に、サキは器を渡した。

「ゆっくり飲んで」

 僕は少しずつスープをすすった。

「このジャガイモ、おいしいです」

「ありがとう。私はここで土壌改良と作物の品種改良の研究をしているの」

 これ、キャットが食べたら喜ぶだろうな。みんな大丈夫だろうか。彼らのことだから、無事に脱出できたとは思うけど。

「やっぱり、人が住んでたんですね。アナサインド・テリトリーの中にも」

「ええ。物好きな人が数人ね。ところで、ヨミは元気にしてた?」

 突然ヨミの名前が出てきて、僕は驚いて顔を上げた。

「どうして……」

「君、うわごとでヨミの事を何度も呼んでたわよ」

 そういえばヨミの夢を見ていたんだった。

「あの子、相変わらず偉そうだった?」

 僕は苦笑した。

「偉そうでした」

「困った子ね」

「あなたは、ヨミの、ええと、その……」

 なんだろう。お母さんというには外見が若すぎるし、お姉さんというには実年齢が離れすぎている。困った。 

 僕の器にスープのおかわりを注ぎながら、サキが笑い出した。

「ヨミと私は血縁関係じゃないわ。あの子、自分のことを話してないのね」

「ええ。『アーム』の中の、あるグループにいるということぐらいしか」

 サキが僕の向かいに座った。

「この星に三つの大陸があるのは知っている?」

「西部地区と東部地区、それに南部地区」

「そう。東部地区の東の端に小さな国家がある」

「国家って何ですか」

「そこだけが独立した行政単位で成り立っている地域のこと。地球人(テラン)は火星での国家の存在を認めていないけどね。人々からはイースト・オブ・エデンと呼ばれているわ。彼女はそこの第七皇女なの」

 国という概念を知らなかった僕に、サキは国の成り立ちを説明してくれた。

「じゃあ、ヨミはその国で一番偉い人になるかもしれないってこと?」

「それはたぶんないわね。皇帝または女帝になるのは生まれた順番で、ヨミは七番目の子供だから。身分が高いことは確かだけど」

「なんだかちょっと意外だな」

 言葉遣いは偉そうだったけど、彼女からは身分の高い者が持つ不遜さのようなものは感じられなかった。

「あの子は自分の出自を嫌っていたところがあったから。それにあの子の母親が変わり者でね、その影響もあるわね。ちなみに、あの子の兄弟姉妹は全員違う母親よ」

「複雑ですね」

「同感。お代わりは?」

「いえ。ありがとう、おいしかったです」

「体はどう?」

「ちょっとふらふらしますけど、かなりましになりました」

 サキは僕のそばに立つと腕を取って脈を測り、目の下の内側を見た。

「まだ少し貧血気味ね。食欲は?」

「大丈夫、戻ってます」

「じゃあ、あとで鶏を絞めてくるわね」

 この人は医者なのか。僕の視線に気付いて、サキはうなずいた。

「君と同じ、医者の卵だったの。ヨミの母親は優秀な医者であり化学者、私は彼女の助手だった。結局医者にはならなかったけどね。――それで?」

 椅子を僕のすぐそばまで持ってきて反対向きにまたがると、サキは椅子の背に両手とあごを乗せた。

「いったい何があったの」

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