072

 次の日の朝、僕たちはオートモービルでサキの家を出発した。

 そのオートモービルは彼女が自分で組み立てたそうだ。そういえば、レッドフィールドの女給たちが乗っていたものよりも機械がむき出しでごつごつしている。サキがひものようなものを思いきり引っぱると、ボン、と音がして機械が振動した。

「これも水素と空気で動いているの?」

「ああ、燃料電池のこと? これは違う。そんな高級なものじゃないわ。最も原始的な内燃機関よ。燃料は菜種油」

 菜種油で動くオートモービルは僕たちを乗せてアナサインド・テリトリーの中を走った。サキの家の周りには広い畑が広がっている。その向こうには牛が放牧されている。それを過ぎると小規模な森が点在していた。ところどころに、何に使うのか分からない、古い機械が打ち捨てられていた。

 僕たちが向っているのはライブラリだった。

「私は君を降ろしてから、デッドウッドに向う。そこで『アーム』と渡りをつけられる。できれば君をひとりにはしたくないけど、しょうがない。ライブラリのことは知ってるわよね」

 ライブラリ。そういえば、ヨミが連れて行ってやるっていってたっけ。初めて海を見た日だ。サーカスのピエロに会った。あのとき、ヨミは何かいいかけてたな。何をいおうとしてたんだろう。

「ちょっと」

 すぐ目の前に、サキの顔があった。

「わっ、ちゃんと前見てください!」

「だーいじょーぶよー」

 サキはこっちを向いたまま器用に操作して、大きな岩を直前で避けた。

「ねぇ。今、誰のこと考えてたの」

「え。べ、別に誰も――」

「ふうん」

 にやにやしながら、サキは視線を前に戻した。なんで分かるんだろう。不思議だ。僕の心臓はまだどきどきしている。

「ひとつ訊いていいかしら。ヨミは君の事を何て呼んでたの?」

「最初の頃は、少年って呼んでました」

 サキは吹き出した。

「あの子らしいわ」

「しばらくしてからは、あだ名で呼ぶようになりました。ふたりきりのときだけですけど」

「あだ名かぁ。なるほどね」

 と、サキはしきりにうなずいている。でも、そのあだ名が何なのかは尋ねなかった。

「僕も訊いていいですか」

「どうぞ」

「ヨミのあの能力は生まれつきなんですか」

 ちらっとこちらを見て、ちょっと迷ってからサキは口を開いた。

「生まれつきじゃないわ」

「もしかして、ヨミの母親が?」

 サキが前を向いたままうなずいた。

「自分の娘を実験台にしたんですか」

「彼女は東部地区の『アーム』の中でも急進的な一派のリーダーだった。実験台になったのは自分の娘だけじゃない。自分自身もよ」

「今、どこに」

「イースト・オブ・エデンに幽閉されているはず。彼女の活動があまりにも過激になってきたから、彼女の一族はファントムの介入を恐れたの。私はヨミを連れて西部地区に逃れてきた。ヨミには違った人生を歩ませたかったけど、小さいときから母親の活動を間近で見てきたからね。大喧嘩の揚げ句、ここを飛び出していったわ」

「あなたもその実験の被験者なんですね」

 サキはうなずいた。やっぱり。ヨミは十五歳から外見は歳をとっていないといってた。彼女もそうなんだ。

「じゃあ、あの能力を持っているんですか」

 僕の体に触れても何もおきなかったから、サキが能力を持っているとしたら、あの黒い霧の力だ。

「昔はあった。でも今はもうなくなってしまった。だから私はこうやってせっせと作物を育てているというわけ」

「じゃあ、ヨミの能力もいつかなくなるかもしれないんですね」

「可能性がないわけじゃない。分からないのよ。でも、ヨミはそれを望まないでしょう」

 苦虫を噛み潰したような表情でサキは僕を見た。

「ヨミの希望なのよ、被験者になったのは――それで? 君は、ヨミのことどう思ってるの」

 ちょっと迷ったけど、僕は正直に答えた。

「分かりません。まだ」

 なぜかサキはその答えに満足したようにうなずいた。

「君がこれからどういう道を選ぶにしても、後悔のないようにね。もちろん先のことは誰にも分からないわ。その選択が正しいかどうかなんて時間が経ってみないと判断できない。でも、本当は分かっているはず。じっと目を閉じて心の声を聴けばいい。心に嘘はつけないわ。その声に従えばいいだけなのよ」

「あなたもそうやってきたんですか」

 サキは笑い出した。

「なにいっているの。自分にできなかったから君にアドバイスしてあげてるんじゃない。ま、私は後悔ばかりの繰り返しだったからね」

「なんだか無責任な気がします」

 僕の言葉には答えず、それきりサキはずっと笑っていた。

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