第26話 宮白神社に潜むもの


 愛梨は呆然と、本殿の裏にあったもう一つの本殿を見つめていた。


 神隠しのお兄ちゃんは自分に声をかけた後、真っ直ぐにこちらに歩いてきた。二つ目の建物は前の本殿に隠れて確認することは出来なかったはずだ。

 だというのにこの存在を知っていたと言うことは、恐らく本当に、自分達より先にこの場所を訪れていたのだろう。

 

 ……だとすれば、その理由はなんだ? 何をしにここへ来た?


 ……まさか。


 「お姉ちゃんを見つけたの、ここで?」


 震える声で、そう聞いた。 

 自分も考えていたことだ。隠し狐に囚われているかも知れない姉を見つけ、連れ帰る。そうすれば隠し狐に願わずに姉を取り戻せるかも知れない。

 自分は諦めてしまったが、この青年はまさか本当に、出来てしまったのか。夜刀上ゆらを見つけて連れ帰ってしまったのだろうか。


 ゆらは認識にすれ違いがあることを察したが、敢えて言及はしなかった。  

 曖昧な表現で肯定する。


 「まあ、そんなところ。とにかくキミのお姉さんは無事にキミの家に帰ったよ。もう、目覚めてると思う」

 「そう……本当に……?」

 「うん、本当だよ。もしまだ目覚めてなかったら、もう一度ボクが一緒に隠れんぼをやって、ここに連れて来てあげてもいい」

 「う、ん。それなら……」


 ゆらの追撃に、愛梨の気持ちが揺れる。


 確かに、この場所はもう二度と来られないような場所って訳じゃない。

 それなら一度戻って、神隠しのお兄ちゃんの話が本当かどうか、確かめてみてもいいのではないか。もし嘘だったとしても、また来ればいい話だ。


 「うーん……そう、しようかなぁ」


 青年の話が本当かどうかは分からない。

 でも、本当の可能性もある。  

 それなら……

 


 ……とりあえず今は、見送ろうかな。






 ーーーー愛梨がそう思った直後だった。

 




 “願わないのか”




 「え?」

 「え……由美、ちゃん?」


 突然、第三者の声が聞こえた。

 驚いて振り返れば由美の体がゆっくりと起き上がろうとしている。

 彼女がしゃべったようだ。

 

 ……いや。

 しかし、様子がおかしい。


 何故か手を使わず、体全体を使ってのたうつように体を起こす。あまり言いたくないが、気味の悪い動き。

 そして今の声は、本当に彼女のものか?

 何かが重なって聞こえた、ような……


 「由美ちゃん!気がついたの!?」

 「待って愛梨ちゃん!様子が……」


 駆け出す愛梨を、ゆらが制止する。

 何かおかしい。

 ゆらのその懸念は、すぐに現実のものとなった。



 “いや……願え”



 やはり、篠原さんの声じゃない。

 ゆらはそう確信した。彼女らしくない口調は元より、別の声が重なっている。耳には少女の声しか聞こえなくても、脳が他の、威厳ある声を認識している。


 強くなった語調に、空気が張り詰めた。

 不気味さはあっても、ある種の穏やかさがあった先程までと違い、氷のように冷たく、身を刺すようなプレッシャーが場を支配する。鳥肌が立つのを止められない。


 その元凶はやはり、そこにいた。

 起き上がる由美に駆け寄った愛梨が、甲高い悲鳴を上げる。


 「え……ひっ、キャアアアッ!?」

 「あ、愛梨ちゃ……なっ!?」

 

 愛梨が仰け反るように後ずさり、遅れてそれを見たゆらも絶句する。



 ーーそこにいたのは、蛇だった。



 ぬらぬらと蠢く、細長い体躯。

 てらてらと光る、白色の鱗で覆われた体。

 その白の中で目立つ、血のような赤い目。


 かつては神様の遣いとも言われた、非常に珍しい、色素の抜けた蛇。

 どこからともなく数匹が現れ、チロチロと舌を出し入れしながらしなやかに這いずり、由美の足元に集う。



 ーー白蛇だ。



 「これ、動物園で見た……白蛇?何でこんな所に……!?」

 「お、お兄ちゃん、あれ、あれ……」

 「え、うわ!……増えてる!?」

 

 愛梨の指さす方を見たゆらが、顔を青く染める。

 蛇は一匹や二匹ではなかった。十匹二十匹と、後から後から這い出してくる。

 それも、いたるところから。



 ……酸鼻極まる光景だった。



 由美の体の影から、本殿の奥から、賽銭箱の中から、屋根の上から、建物の下から、柱の裏から、梁の上から、柵の影から、部屋の中から、壁の向こうから、物陰から、隙間から、死角から、裏側から、暗がりから、右から、左から、上から、下から、奥から、隅から、果ては何もないところにいつの間にか。



 ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。



 場所を選ばず、次から次へと蛇が現れ、目の前が白で覆われていく。全身が総毛立つようだった。

 無数の蛇が、神社も地面も覆っていく。


 「ヒッ、いやっ、いやぁっ!」

 「ひぅ……あ、愛梨ちゃん、下がって!」


 恐怖と嫌悪に吞まれかけながらも、ゆらは愛梨の手を取り、後ろに引き戻した。縋りつくように手を握った少女を庇うように背後に回し、おぞましい光景に必死で向き合う。


 「何なの、これぇ!?来ないでよぉ!!」

 「どうして!?何で、蛇が……!?」


 何で、蛇?

 突然の襲来に麻痺しそうになる頭で考えるが、どうして突然に蛇が現れたのか分からない。ここの神様は狐だったはずーーーー



 ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。



 「だ、駄目だ。逃げよう、愛梨ちゃん!あいつら、こっちに来る!!」

 「そんなっ!待ってぇ、お兄ちゃん!!」


 落ち着いた思考なんて出来なかった。

 蛇がこちらへ這いずってくる。身の毛のよだつような動きで、自分たちとの距離を詰めてくる。

 まるで白い絨毯だった。ここにいてはいけないと理性と本能の両方が警鐘を鳴らす。


 「うわぁぁっ!」

 「うわああぁん!」


 もう、耐えられなかった。

 たまらず踵を返し、全力で後ろへ駆けだした。愛梨の手を引き、白蛇の大群から逃れようと、出口に向かって走りだす。

 蛇が移動する速さなんてたかが知れている。逃げられないはずがない。そのはずなのに、何故かすぐ後ろに迫られているような悪寒に襲われた。


 後ろを振り向かず、走る。さっき入ってきた鳥居の方に逃げようとして……

 


 ーーしかし。



 ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。ずる。



 「えっ、あ、あれって……!」

 「そんな、前からも!?」


 二人はすぐに立ち止まらざるをえなかった。蛇の群れに背を向けた二人が見たのは、これまた蛇の群れ。

 境内の出口となる鳥居の方からも、夥しい数の蛇が顔を向けていた。境内の外から次々と登ってくる。みるみるうちに地面が蛇で埋め尽くされてゆく。


 ……いや、それだけではない。


 「うそっ……囲まれてる……!」

 「あ、ああ……」


 前後を挟まれただけではなかった。


 右を見ても、左を見ても、白。



 悪夢のようだった。そこかしこに白い線が伸びている。境内の端から夥しい数の蛇が湧き出し、白い包囲網を形作っていた。逃げ出す事が出来ず、じりじりと境内の真ん中に追いつめられる。



 囲まれて、出られない。

 もはや白以外の色を探すのが難しい。

 愛梨がギュッとゆらの手を強く握った。

 数歩後ずさりし、本殿の方を振り返る。



 振り返り、そしてーーーー

 


 「あ……」

 「え……」



 ……そして、二人は凍り付いたように身を固めた。



 見た瞬間、動けなくなった。

 白い巨体に、目を奪われる。

 そこに、有り得ざるものがいた。


 それは古来より信仰を集めるも、本来は人の前に姿を現さぬ超越的存在。

 人に豊かな恵みを与え、時には荒ぶる試練を与え、敬われ恐れられる自然の化身。


 神道ではどんなものにも宿るとされていながら、同時に遠い存在とも言えるそれ。

 その遠いはずの存在がそこにいた。


 つまり、神様。



 ーーゆらと愛梨は、神の姿を見た。



 “願え”


 

 「な……大きい……」

 「なに、あれ……」




 ……それは、白い大蛇だった。


 数十メートルありそうな体と、由美の背丈と変わらないほどの胴を持った巨大な白蛇。

 

 真っ赤な目を爛々と光らせ、彼女の回りでとぐろを巻き、首を揺らす。


 それは幽霊のように不確かで、しかし同時に圧倒的とも言える存在感を放っていた。



 これこそが宮白神社に潜むもの。

 神隠しの元凶にして、祟り神。

 祟りをもたらす、荒御魂。


 その正体は、蛇神だった。

 蛇の姿を持った、神様。

 白蛇を従えた神は動けない二人を睥睨し、命を告げる。


 ーーーー願え、と。













 動けない体で、ゆらは呆然と神の姿を見つめる。

 それは泰然と、ただそこに存在していた。


 姿こそ、大きさ以外は他の蛇たちと変わらない。だが、透明感のある体はまるで亡霊のように朧気で、ゆらゆらと揺れる体は儚さすら感じさせる。


 しかし真正面に立たされて加わる重圧は、神に相応しいものだった。這い上がるような寒気に身を震わせる。目を合わせているだけなのに、麻痺したかのように手も足も動かせない。


 正しく、蛇に睨まれた哀れな蛙。

 動けない二人は、ただ神の沙汰を待つことしか出来なかった。


 ……そして、神は繰り返す。


 

 “願え”

 


 「うぅっ」

 「あぅ……」


 言霊。

 力ある存在が発した言の葉は、ただそれだけで力を持つ。


 何か言わなければ。否応なしにそんな焦燥に駆られた。

 それだけじゃない。蛇神の元から白蛇たちがずるずるとこちらへ向かっている。音から察するに、後ろからも来ているのだろう。



 刻一刻と、蛇の群れが迫り来る。

 体は金縛りにあったように動かない。

 なにより、前には蛇神が鎮座している。


 ーーーー絶体絶命だった。




 「う、あ……」


 そんな絶望的な状況の中で、ゆらの体から力が抜けていく。


 ……ああ、これは、逃れられない。

 …………詰んだ、かも。


 窮地に追いつめられたゆらは、逆にそんな諦めの境地に入っていた。蛇神という圧倒的な存在は抵抗する気力すら奪ってしまう。


 ……もう、何か願わないと駄目なのかな。

 ……何で、こんなことになったんだろ。


 蛇の群れを、諦念を滲ませて見つめる。

 最後に、それが疑問だった。

 ここの神様は、隠し狐。そう、狐のはずだ。何故自分たちは突然、蛇の大群に襲われたのか。


 ぼんやりと迫る蛇を見つめるゆらの視界の端に、白ではない、狐色がちらりと写った。


 ……あ、もしかしてあれ、隠し狐……?


 蛇神の尻尾付近に、巻き付かれてぐったりしている小動物が見えた。蛇神のように規格外の大きさをしているわけではないが、よく見ると尻尾が一本ではなく複数ある。

 どうやら、蛇神に捕まっているようだ。 

 いや、取り憑かれたと言うべきか。


 ……なんだ。隠し狐は悪くなかったんだ。最初から、この蛇が元凶だったんだね。


 なんだか笑えてすらくる。せっかく全部上手く行ったと思ったのに、これからもユウと生きて行けるって思ったのに。こんな、理不尽な結末を迎えるなんて。

 蛇の神様が、憎かった。

 

 「……ごめん、ユウ」


 すぐ目の前にまで、蛇が迫っていた。

 ゆらは最後にそう呟いて、ゆっくりと目を閉じる。せめてもの足掻きで願いを口にすることはしないが、蛇を最後まで見ていたくはなかった。





 ーーその瞬間だった。



 視界が黒で暗闇に覆われる、その直前。

 ゆらの視界に、まったく別の『白』が飛び込んで来た。



 「ーーーーったく。まさか、こんな直接的な手段に訴えるとはな」



 「え……?」


 目に飛び込んで来た『白』と聞こえた声に閉じかけていた目をめいっぱいに見開く。

 

 ……白いワンピースに、白い肌。そして白一面の中で目立つ、黒髪。

 華奢で、痩せて、儚くて、今にも折れてしまいそうな少女の背中がそこにあった。



 「ーーずいぶんと大盤振る舞いじゃないか。神だかなんだか知らないが、俺の親友と妹に、何してくれてんだよ、お前」



 彼女は不安定なガラス細工のように危なっかしく、本来なら保護欲を掻き立てられそうな弱々しさを持ち、それでも気丈に神と向き合う。

 ゆらには、その華奢な背中が、何よりも頼もしく思えた。


 ーーキミも、来てくれたんだ。

 


 「……ユウ!!」

 「お姉ちゃん!!?」



 ほぼ同時だった二人の叫びに、白い少女は肩越しに振り返る。


 「ゆら、今度はお前の方が早かったんだな。で、愛梨ちゃ……愛梨は向かえに来てくれたのか。ありがとうな」


 「う、うん……ってそれどころじゃ!?」

 「ユウ、前!前!蛇が!!」


 「ああ、分かってる」


 蛇の大群が、少女に殺到する。

 生理的嫌悪感極まる光景を前に、それでも彼女は落ち着いていた。

 背後に親友と妹を庇いながら、あくまで冷静に蛇神と向き合い、恐ろしい朱い目を睨み返す。

 神と人の対峙。抗いようのない力の差があるはずなのに、少女は決して退かなかった。


 まるで牽制するように蛇神と向き合いながら、場違いなほど冷静に口を開く。

 

 「ゆら……よく聞け」 

 「え?」


 祖母から聞いた、この蛇の正体。

 それは。


 「こいつは……『忘れ蛇』。人の記憶を喰らう、祟り神だ」

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