第27話 祟り神
ーーずいぶんと遠回りをした気分だった。
お婆さんは、あまりにもあっさりと、答えを教えてくれた。
『……忘レ、蛇?』
『ええ、そう呼ばれる神様がいるんですよ。祟り神とは違いますけどね。でも、この辺りで知られている神様と言えば、隠し狐様以外では忘れ蛇様くらいしかねぇ……』
この時点でビンゴだと思った。
『忘れ』蛇。記憶喪失に関わる神様を探していた俺にとって、ここまで直球なネーミングもない。
『そレ、どん、な……?』
『えぇとねぇ。昔っから信じられてる神様ですよ。破邪の力を持ち、災いから人々を守ってくださる、守り神様と言われていてねぇ。昔々、恐ろしい鬼を追い払って、人々を救ったという伝説がありまして……。ありがたい神様ですよ』
『伝、説……?』
『ええ、そうですよ。古い伝説です。え、聞きますか? はぁ、そうですか。……昔々の話ですよ。恐ろしい鬼が人里を襲い、あちらこちらを荒らし回ったそうで。困り果てた人々は、忘れ蛇様に助けを求めました。それを聞き届けた忘れ蛇様は自らの力を分け与え、人々の姿を鬼から隠したそうです。そして鬼と闘い、見事それを討ち果たした……』
『へぇ……』
『しかし、人々は退治された後も鬼に怯え、預かった忘れ蛇様の力を返したがりませんでした。困った忘れ蛇様は人々の思いを食べ、鬼が来たことを忘れさせたそうです。鬼を恐れなくなった人々は忘れ蛇様に力を返しましたが、同時に忘れ蛇様に助けていただいた事も忘れてしまい、感謝することはなかったと……そんな、少し悲しい伝説ですよ』
『…………』
……何で忘れられたはずの伝説が伝わっているのかとか、そう言う野暮なツッコミは止めておいた。伝説とかお伽噺とかには、よくあることだ。
それよりも、伝説についてだ。
人を隠して、忘れさせた?
それなら、隠れ歌って言うのは……
『じゃあ、隠れ歌ハ……』
『ええ、今はほとんど隠し狐様の歌のようになっていますが、元はと言えばこの伝説が元ですよ』
『うわァ……』
……それ、早く言ってよ……
『その神様、今、ハ……?』
『今はって言っても……。最近は知らない人も多くなってきたねぇ。昔はこの近くに湖があって、そのほとりに神社が建ってたんだけど、それが無くなったから……』
『うげェ……』
あの湖か。そういえばゆらが何か見えたと言ってたっけか。
ーーこれで話が繋がった。
恐らく、忘れ蛇の神社が取り潰されたのが元々の原因だ。
湖が埋め立てられる前は、隠し狐も忘れ蛇も、まともな神様だったのだろう。しかし、埋め立てと同時に神社が潰されたことがきっかけで忘れ蛇が祟り神となり、宮白神社に取り憑いた。
神隠しを引き起こしたのは、忘れ蛇だ。
『……そっ、か。わカった』
だとすれば、自分たちはかなり愚かな事をしたと、そう思った。
「ーーとまあ、そう言う話だった。つまりこいつが、神隠しの元凶って訳だ」
「忘れ、蛇……!あれ?ってことはボクたち、この忘れ蛇に助けを求めてここに来たって事になってない!?」
「……まぁ、そう言うことになるな」
すぐそこまで迫ってきた蛇の群れを見下ろしつつ、苦々しい思いで首肯する。
だいぶ端折って急いで要点だけ伝えたが、ゆらは理解してくれたらしい。
アイツの言う通りだ。
隠れ歌。紛らわしい事に、『隠れ』と言いながら本当は忘れ蛇に願う歌だった。
これを歌った時点で、俺たちは自らを隠して欲しいと頼んでいた事になる。
隠して欲しい。隠して欲しい。思いを捧げてもいいから、助けて欲しいと。
よりによって、既に祟り神と化した忘れ蛇に向かって。
……その結果が、この状況。
蛇に囲まれ、神に睨まれ、記憶を奪われかけている。
「ははっ、ほんっとに笑えねぇよな……」
山をつついたら鬼より怖い蛇が出て来た。
状況は控えめに言って最悪だ。
まさか、こうも直接的に襲ってくるとは思わなかった。
ーーもう、下の蛇など気にしない。
忘れ蛇と向き合う。
外からは睨み合っているように見えるかも知れないが、その実、体が動かないだけだ。忘れ蛇はただの一睨みで、俺の体の自由を奪ってしまった。
理不尽な力だと思う。取り巻きの蛇たちなら、どうせ毒のない種だ。無理矢理に踏んづけて突破する事も出来た。しかしこれにはまったく抗えない。
そんな状況を前にして、俺は冷静だった。
いや単に、自力ではどうすることも出来ないと割り切っているだけだ。
蛇に囲まれるゆらと愛梨ちゃんを見て、思わず飛び出してしまった時点で、とれる手段など一つしか残されていない。
ーーーー隠し狐に願う。
博打のようなものだ。でも、こんな状況で出来ることなど、もう神頼みくらいしかないじゃないか。
「ゆら! 今言ったこと、分かったな!?こいつは破邪の力を持ってる神様でーー」
“願え”
「つっ、やばっ……!」
……もう、持たないか。
足元にまで、蛇が到達していた。何匹かが足に体を巻き付かせて上ってくる。文字通り這い上がってくるおぞましい感覚。もう時間が残されていない。
「ユウ、蛇が……!」
「お姉ちゃん!」
「……大丈夫、だ。あとのこと、ちょっと頼むぞ……」
……ここまで、か。
俺の心に、諦念が広がる。
しかし。
同時にもう一つ。湧き上がってくる熱い感情がある。
それは戦意とか挑戦心とか、その類の激しいもの。
……ああ、もしくは、怒りか。
あとのことは、ゆらに任せよう。
アイツならもう、大丈夫なはずだ。
だから俺は、今出来る最善を尽くす。
ーーああ、今に吠え面をかかせてやろう。
ーー見ていやがれ、忘れ蛇!
“願え!”
「ぐっ…………さっきから……願え願えとうるさいんだよ、お前。バカの一つ覚えみたいに繰り返しやがって……」
腹をくくれば、挑戦的な言葉もすらすらと出て来た。
忘れ蛇の様子は変わらないが、後ろから二人分の、息をのむ気配が伝わってくる。
「はは、まあいいさ。そうまで言うんなら願ってやるよ。だが、勘違いするな。願いを叶えるのはお前じゃねえよな、忘れ蛇?」
そう、願いを叶えるのは隠し狐のはずだ。お前じゃない。
……忘れ蛇は災いを祓う守り神であって、願いを叶えたという話は聞かなかった。願いを叶える神様と災いをもたらす神様は違う。そこに一筋の光明がある。
「お前にそんな力はないもんな。お前は隠し狐に取り憑いて、勝手な代償を奪ってるだけだ。だから俺が願うべき相手は、そっちのお狐様だろうが」
俺の言葉に、巻き付かれてぐったりしていた隠し狐がピクリと反応する。うっすらと目を開けた。
「お前が何をしたいのかはイマイチ分からん。子供を呼び込んで、隠し狐に願いを叶えさせて、代わりに記憶を奪う。……記憶を奪うには願わせなくちゃ駄目なのか?それなら、邪魔をするなよ、忘れ蛇」
祟り神に憑かれた状態でも、歪な形ではありながら願いは確かに叶っている。ならば、隠し狐が願いを叶えることは、忘れ蛇にとって必要か、忘れ蛇をしても止められないという可能性がある。
「さてと……あー、隠し狐……様?多分、その様子だと聞こえてたよな?とまあ、そう言うわけだ。変なのに絡まれて大変なところ悪いんだが、一つ叶えたい願いがある。どうか、聞いて欲しい」
露骨に忘れ蛇から目を外し、隠し狐の方を見てやった。小さな狐のつぶらな瞳と目が合う。
願いが叶っているとは言え、願いの方向性が滅茶苦茶だったり、忘れ蛇が願うことを強制してきている辺り、忘れ蛇が願いに干渉出来る可能性も十分に高い。だとすれば、俺の願いが叶うことは無いだろう。
「それじゃあ……隠し狐様、お願いしますーーーー」
だからこれは、賭けだ。
忘れ蛇が願いを弾けないのなら俺の勝ち。
弾けるのならば俺の負け。
「どうか、わたしの願いを叶えてください」
これが俺の願い。
記憶を代償にした、精一杯の抵抗。
どうか、叶ってくれ。
「わたしの、願いはーーーー」
ああ、最後に。
あともう一つだけ。
ーーーーくたばりやがれ、蛇野郎。
「わたしは忘れ蛇の力のすべてが欲しい。だから……『そこの蛇の神様の力、まるっとわたしに下さいな!』」
そう、願った。
欲したのは、神の力。
強欲に過ぎるその願いを、せめてとびっきりの笑顔で言ってやった。
別に、構わないだろう?
別の神に頼って祟り神を退けるなんて、神話では良くあることじゃないか。
見つめていた隠し狐の目が妖しく光る。
小さな子狐の姿だというのに、隠し狐が笑ったような気がして、
ーーーーそれを最後に、意識が途絶えた。
“まるっとわたしに下さいな”
ユウが願いを口にした瞬間、空気が凍ったようだった。神も蛇も動きを止め、息を殺すような張り詰めた静寂が神社を包む。
しかしその静寂も一瞬だった。
次にあった変化は劇的で、ゆらは生涯その光景を忘れないだろう。
最初に、蛇が消えた。
境内を埋め尽くすほどにいた白蛇が、掻き消すようにその一切が消失した。
次は、風が辺りに吹き荒れた。
忘れ蛇とユウの体の回りで風が巻き起こり、渦を成す。忘れ蛇から、何か見えないものと共に吹き出した風が境内を巡り、そしてユウの中に引き込まれてゆく。
“ーーーーーーッ!!”
ごうごうと風がうなる中で、ゆらは悲鳴を聞いた。
なんとあの忘れ蛇が仰け反るようにして悶え、おぞましくも痛々しい声を上げていた。
空気の振動ではない、声にならない声。忘れ蛇の中からユウの体に、何か見えないものが流れ込んでいた。
“ーーーーーーー!!!!”
忘れ蛇の巨体が戦慄く。
由美の体が連動するように揺れる。
ユウの体の回りで何かが渦を巻く。
呪うような声は段々弱まっていった。
少しの時間、それが続いて。
ーーーーそして。
最後は、唐突だった。
流れていた何かがすべてユウに収まり、のたうっていた大蛇が動きを止める。巨体を地面に横たえ、ぴくりとも動かなくなる。
同時に、由美とユウの体が、糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。
……そしてまた、辺りに静寂が満ちる。
立っているのはゆらと愛梨の二人だけ。
受けた衝撃が大きすぎて、両名ともしばらくは動けなかった。
「……はっ!ユウ、大丈夫!?」
「……あ、そうだ、由美ちゃん!!」
静寂を裂き、最初に動いたのはゆらだった。急いで倒れた友人の元へ向かう。
一拍遅れて愛梨も後に続き、こちらも友人の元へ駆け寄った。姉を気にする素振りを見せたが、青年に任せて横を通り過ぎる。
「ユウ!ユウ!しっかりして!!」
ゆらはユウの傍に駆け寄ると、助け起こして肩を揺すった。
少女は端整な顔を少しだけ歪め、小さな声で呻く。
「うぅ……」
「ユウ!気がついた!?」
少女が目を開けた。泣きそうな顔で肩を抱くゆらの顔を、不思議そうに見つめ返す。
ゆらはほっと力を緩めた。
「だ、大丈夫?」
「えっと、はい……」
ゆらの手を借りて少女は体を起こす。
そして戸惑ったように辺りを見回すと、こてりと、純真な目で首を傾げた。
その姿はまるで、何も知らない赤子のようで。その瞳はまるで、漂白されたように色がなくて。
……見たことのない、表情だった。
そして、決定的な一言。
「あの、えっと……あなたは……?」
ゆらを見て、そう言った。
その目にあったのは、純粋な疑問。
「…………っ」
ギシリ、と。
ゆらの心が軋みをあげた。
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