第25話 姉の行方

 ゆら、ユウの両名は、最短の距離を選び出来るだけの早さで山頂を目指し始めた。

 幼い少年と少女に先導され、息つく間すら惜しんで先を急ぐ。走っても疲れない夢の中は、ほぼ全力での追跡を彼らに許し、結果として先に迷い込んだ二人との差を大きく縮めたと言える。


 しかし神隠しの空間に入った時間の差はいかんともしがたかった。そもそも、歩いたところで上の神社まで、そう長くはかからないのだ。

 先に宮白神社に到着するという目的は叶わなかった。







 ーーーー宮白山の山頂付近。


 神隠しの中心とも言える場所に、また一人訪れる少女がいた。


 誰かと言えば夜刀上愛梨である。 

 頼りない足取りでゆっくりと、周りを気にしながら階段を上っていた。

 足を動かしながら、彼女は胡乱げな目で階段の先を見る。

 すぐそこに、朱い鳥居があった。


 ……もうすぐ、着いちゃうなぁ。


 後数段上がれば、目的の場所。

 自然と足取りが重くなる。

 それでも覚悟を決め、何かの違和感を感じながら鳥居を潜る。


 「え……」


 そこに広がる光景に、愛梨は息をのんだ。

 視界に収まったのは何度か来たことのある宮白神社の分社のようで、しかし明確に違っている。


 「うそ……きれいになってる……」


 やっと絞り出した言葉がそれだった。

 朽ちた本殿はそこにはない。

 神社が、全体的に新しくなっている。


 彼女は隠れ歌を歌い、いつの間にか友達とはぐれて一人で参道を歩いてきた。

 その時点で自分が神隠しに遭ったのは分かっていたが、こうして様変わりした神社を見ると驚きを隠せない。

 

 「……あれ?」


 しかし、それも数秒のこと。再起動した愛梨は別の違和感に眉をひそめた。

 これは本当に宮白神社だろうか。きれいになってるのはまだ良いのだが、本殿の形に見覚えがない。


 宮白神社の分社はそう何度も訪れた事は無く、しかもボロボロで、はっきり覚えているとは言い難い。しかしだいたいのところは本社と変わりなかったはずだ。

 宮白神社の本社ならば昔からよく遊んだ馴染みのある場所で、外観もよく覚えている。そして今見ている神社と比べると、大きさこそ同じくらいだが、よく見ると屋根の形などに差違がある。


 ……というか本殿の位置からして、もう建物一つ分くらい後ろではなかっただろうか。


 「ま、いいか。新しくなってる時点で今更だし。それよりお願いごとだよね。やっぱりあの前でお参りすればいいのかな」


 今の彼女にとっては、些細な事だった。

 抱いた疑問を切って捨て、お願いごとをどうしようか考える。

 とりあえず社に近づいてみて、そこで願うのかと歩きだし……賽銭箱の方に目を向け、そこでアッと小さく声を上げた。



 ーーーー賽銭箱のすぐ下の地面に、誰かが倒れている。


 うつ伏せで動かない誰か。

 顔こそ見えないが、纏っているのは見慣れた色合いの洋服。


 神社に気をとられて気付かなかった。

 地面に倒れ伏し、ピクリとも動かないでいるのはーーーー



 「由美ちゃん!!?」


 悲鳴のような声で彼女の名前を叫び、倒れている彼女の元に駆けよった。

 助け起こし肩を揺するも、ぐったりと動かない友人に顔を青くする。


 まさか、と最悪の事態を想像した。

 姉と同じ、昏睡状態になったのか。


 「ゆ、由美ちゃん!しっかりして!由美ちゃん!!」


 さっきより強く、肩を揺する。

 大きく前後に揺れる彼女は、意識を戻さないながらも、「う……」と呻いた。


 体にどっと安堵が満ちる。単に意識を失っているだけだ。この様子ならその内、目が覚めてくれるだろうと胸をなで下ろす。

 ……もっとも、現実では二人共が眠ったままであり、彼女の心配は的外れであるが。夢の中で目を覚ますというのもおかしな話であろう。


 「良かったぁ……もう、驚いたよ。でも、倒れてるって事は由美ちゃん、もうお願いごとしちゃったのかな……」


 願いの代償に記憶を失って、そのショックで気絶してしまったのだろうか。


 待っててくれたら良かったのにと思う。

 はぐれることを想定していなかったので、文句を言うことは出来ないのだが、出来れば同時にしたかったと思うのだ。もし、彼女がお願いごとを済ませたなら、もう何も覚えてはいないだろう。

 それはとても、寂しいことだ。


 ……わたしのことも忘れちゃったのかな。


 無意識に唇を噛んでいた。

 一緒に遊んだことも、たくさん話したことも、ときにはケンカしたことも。全部全部、友達の中から無くなってしまった。


 分かってはいたはずなのに、喪失感が心を蝕んでくる。大切なものが失われたのだと実感する。心にぽっかりと穴があいたようだ。


 本当に、本当に残酷な代償と思った。


 「はぁ……わたしも、なんだよね……」


 喪失から逃れるかのように、愛梨は友人の体をそっと仰向けに横たえ立ち上がった。


 こんな気持ちもどうせすぐに忘れる。そう思えば気が楽になる。

 由美ちゃんに「誰?」なんて言われたら平静を保つ自信がないが、そんな未来はやってこない。自分も同じ道を辿るのだから。


 「お姉ちゃん……いない、よね?」


 賽銭箱の前に立つ。

 すると何故か本殿の中から何か飛び出してきそうな気にさせられる。

 実際はそんなことはなく、愛梨は所在なさげにキョロキョロと辺りを見回した。


 隠し狐に願ってでも姉を取り戻したいというのは本当だが、愛梨とて出来ることなら記憶をなくさずに姉を連れて帰りたい。 

 あの青年の予想通りなら神隠しで向かった先に姉もいるのではないかと思っていた。もし見つけられたら説得して、隠し狐に頼らず連れて帰れないかと、僅かな希望を抱いていたのだ。

 実際のところは、神隠しに遭ってからここまで、今見つけた由美ちゃん以外には誰にも会っていない。


 「お姉ちゃーん!いるーー!?」


 声を上げて本殿の中に呼びかけてみる。

 しかし、大声と言うには少し控えめだった。


 ここに来る前は、大声で姉を捜し回ってやろう、などと息巻いていたのだが、雰囲気に吞まれて出来なかった。

 由美ちゃんが先に願いごとをして倒れたことがダメ押しとなり、姉を見つけて二人で帰るのは既に諦めた。

 

 「ふう……誰もいない、かぁ……」


 分かっていた。そんな甘い考えが通るはずがない。


 大して落胆することもなく、愛梨はゆっくりと回りを見渡した後、ため息を吐いた。

 大丈夫。元から覚悟は決めていた。

 今の自分が無くなることは、残念ではあるけど、怖くはない。例え全てを忘れても、自分は自分なのだから。



 ーーああ、でも。



 ……お姉ちゃんには、一度会ってみたかったなぁ。会って、文句でも言ってやって。


 ……それで、話してみたかった。どんな人、だったんだろ。

 


 もう叶わないことだ。

 こんな気持ちも、もうすぐ消えて無くなるだろう。


 「……お参りなら、お賽銭いるよね」

 

 緩慢な動作でお気に入りの小さな財布を取り出し、五円玉を選んで手に取る。


 これで、自分は何もかも忘れるのか。

 そう思うと無駄な力がこもる。


 ……今ならまだギリギリ、引き返せる。

 ……でも、引き返せる訳がない。由美ちゃんにやらせておいて、自分だけ帰るなんて。


 息を吸い、硬貨を握り込んだ手を少し後ろに引く。


 ーーこれで、最後。


 振り子のように手を腕を振り、その手から五円玉が宙を舞う……その直前。


 「……愛梨ちゃん!!」


 「えっ!?」


 突然後ろから聞こえた自身の名に硬貨を手放すタイミングを失った。

 とっさにそちらを振り向く。 


 そこに立っていたのは、


 「神隠しの、お兄ちゃん……?」

 

 「そう、だよ。良かった、間に合って。キミを止めに来たんだ」


 そこにいた青年はそう言って、こちらに歩み寄ってきた。

 

 








 宮白神社に先に到着したのはゆらだった。


 幾ら意識だけでここに来ているとは言え、十五年も動いていない少女と陸上部所属だった青年では、まともに走るとさすがにゆらに軍配が上がったようだ。


 神社に足を踏み入れると、今まさにお参りをしようとしている愛梨ちゃんがいて、それを慌てて止めた。

 この場所にはゆらと愛梨ちゃんの二人だけ。あの幼い少年はいつの間にかどこかへ消えてしまった。

 ……いや、

 

 「愛梨ちゃん、そこに倒れてるのは……」

 「……由美ちゃんだよ。わたしより先に来てたみたい」

 「そっかぁ……間に合わなかったんだね」


 少女のすぐ脇に見覚えのある姿を見つけ、ゆらが悲しげな顔をする。愛梨と違い、止められる明確な理由はなかったが、それでも間に合わなかったことに違いは無い。

 

 その言葉に、愛梨は警戒するようにゆらを睨んだ。


 「こんなところまで、何しに来たの?言ったでしょ、止めても無駄だって」

 「無駄なんかじゃないよ。話を聞いて欲しい」

 「聞きたくない」

 「そう言わないでよ。大事なことなんだ。ねぇ愛梨ちゃん、キミのお姉さんは、もう目を醒ましてるんだ」

 「え……?」

 

 唐突なその言葉に、愛梨は目を見開いた。

 しかしすぐに疑惑の目を青年に向ける。 

 そんな簡単に目覚めさせられてたまるものか。どうせ自分を思い留まらせるための方便に決まっている。


 「嘘、なんでしょ?さすがに信じられないよ、そんなの」

 「い、いや、嘘じゃないよ!本当だって!」

 「やっぱり怪しい……証拠でもあんの?」

 「そ、それは……」


 証拠なんて有るわけがない。タジタジになるゆらだが、それでも引かなかった。


 ユウならどうするか。

 それを必死に考え、思考をトレースする。


 「そ、そうだよね。信じられない気持ちも分かるよ。でも、誓って本当なんだ。キミのお姉さんはついさっき、元の体へ戻っていったんだよ」

 「……どういうこと?」

 「キミのお姉さんは、ずっとボクと一緒にいたんだ。ボクたちは彼女を元に戻す方法を探してた。それで、ついさっきボクたちはここへ来て、それでキミのお姉さんはもう帰れたんだよ!」

 「何を、言ってるの?」


 必死に説明するも、愛梨には伝わらない。

 これでは駄目だ。落ち着かないと。

 焦っていたと自覚したゆらはいったん深呼吸し、気持ちを仕切り直して少女と目を合わせた。


 ユウに、成りきるんだ。

 自分がユウなら、どう言うだろう。

 ……うん、分かってきた。


 「まぁ、要するにボクは少し前にキミのお姉さんとここへ来て、結果として彼女は元の体に戻れたんだ。だからもう、キミは隠し狐に願う必要はない」

 「それが本当ならそりゃ嬉しいけどさぁ、本当なの、それ?」

 「本当だって。信じられないかなぁ……」


 ……しょ、証拠!何か説得材料、ない!?


 次はちゃんと分かって貰えたものの、そう簡単に信じては貰えない。

 正直、愛梨ちゃんの疑念もよく分かる。だからこそゆらは必死で頭を動かし、信じて貰える方法を探す。


 ……あ!


 「そ、そうだ。証拠って言うならボクがここに来たこと自体、ここに来れるって証拠になるよね?」

 「えー?……確かにここまで来たのは驚いたけどさ。でも、単に追いかけてきただけじゃないの?」

 「ボクが前に来たことがあるってのが信じられないなら、一つ教えてあげるよ。……この本殿の裏には、もう一つ似たような建物があるんだ」

 「……えぇ?本当に?」


 愛梨は分かり易く眉をひそめた。

 宮白神社にそんな建物はない。しかし青年は自信満々な様子で断言した。その顔はどう見ても嘘をついているような顔ではない。というか嘘ならすぐバレる。


 まあ、一応確かめて見ようか。

 そう思い、愛梨は神社に向かって右の方に移動する。横から本殿を見れば、すぐにはっきりするだろう。

 青年も後についてきた。


 そして、結果はまさかの、


 「うそっ、ホントにある!?」

 「ね?」


 確かにもう一つの建物がそこにあった。

 前の本殿に隠されるように建っているもう一つの本殿のような建物。こちらは宮白神社本社の本殿とよく似ている。

 

 建物の話は本当だった。

 正面からは見えない建物が、隠れていた。


 ならば。



 ……あれ?もしかして、お姉ちゃんのことも本当なの?



 ここでようやく、愛梨の胸に迷いが生まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る