第24話 止めるための神隠し

 鳥居を勢いよく潜る。


 足から力を抜き、余裕を持って加速を殺し立ち止まる。


 そこに広がるのは静謐な雰囲気漂う境内。

 顔を真っ直ぐ前方に向ければ、まだ新しめの本殿が視界の真ん中に収まる。荒い息を整えながら、少しそちらに歩く。


 ここはつい半時ほど前に後にした宮白神社。とんぼ返りで引き返し、ようやく戻ってきた。


 「ハア、ハア……やっと着いた……」


 肩で息をしながら、ゆらは辺りを見渡す。

 

 誰も居らず、何も変わったようには見えない。しかし、自身が目覚める少し前に、少女二人がこの場で神隠しに遭った事を知った。

 その事を考えると、まるで騙し絵でも見せられたかのように目に映る風景が薄気味悪いものに変わる。つい、見えないはずの何かを探してしまう。

 まあ、この山に嫌なものを感じるのは今更な話だ。しかしそれ以上に、よりによって同じタイミングで神隠しに挑んだところに、噛み合わない運の悪さを感じて憂鬱になる。


 もし、もうちょっとだけ自分が早く起きていれば、愛梨ちゃんたちが神隠しに遭うのが遅ければ、止められたかも知れない。そんな事が頭をよぎった。

 まだ救急車が止まっていたことを考えれば、割とタッチの差だった可能性もある。これが運命の悪戯とか言うものならば、天の神様を恨みたいところだ。地元の神様なら既に恨んでいるが。


 もっとも、倒れてから発見されるまでどれくらいの間が空いたのかは不明だ。もし時間が空いていたのなら、あるいはもう愛梨ちゃんたちは隠し狐に願った後で、その場合は既に手遅れということに……


 「…………急がないと、だよね。こっちらへんだったっけ……」

 

 不吉な思考を首を軽く振って追い出し、ついさっき目覚めた場所を目指して境内の端に歩いて行く。愛梨ちゃんたちが境内で見つかったという話からわざわざ雑木林に入る必要は無さそうだが、一応は同じ場所を使うつもりだった。


 「んー、でも考えて見ればこれ、必要なかったのかなぁ。境内で良かったなら……」


 雑木林に足を踏み出すときに、ついそんな考えを口走る。

 一つの体を共有していたユウとゆらは、隠れやすそうだからという理由で雑木林に入った。そこに大した意味は無く、取り敢えず試してみて、駄目なら他の場所に行こうと考えていた。イフの話でしかないが、もし境内の中で隠れんぼを行っていたならば、どうなっていただろうか。

 多分、眠り込んだ自分をやって来た愛梨ちゃんと篠原さんが見つけただろう。そうなれば彼女達の性格的にすぐに大人を呼び、神隠しの方はうやむやになった可能性が高いのではないか。今更考えても虚しいだけだが、どこで隠れんぼをするかが明暗を分けていたのかも知れない。そう思うと口惜しい。


 もっとも、これらの偶然が運命の悪戯ではなく正しく神の采配で、サイコロを振ったのが隠し狐なら、順当な結果なのかも知れない。考えたくもないことだが、もし自分たちが神の手のひらで転がされていたのならば、二人を追いかけたところで結果は見え透いているような気も……


 「ううん、考えても仕方ないよね」


 嫌な仮定だ。あまり想像したくない。


 なんにせよ追いかけない訳には行かないと、ゆらは思考を切り替え、目の前に立つ青々と茂る木々を見詰める。

 この場所はつい数十分前に自分が目を覚ましたところ……で合っていると思う。合わせ鏡すら連想させる似たり寄ったりな木々のせいで全く同じ位置かは自信の無いところだが、だいたいこの辺りだったはずだ。


 「これで良いかな……うん、なんかこれだったような気がするし」

 

 見覚えがあるような、ないような気のする一本の木を選び、幹に手を当てる。

 後は目を瞑り、あの歌を唱えるだけ。


 「…………っ」


 ごくり、と生唾を飲み込む。

 ほぼ勢いでこの場所まで来てしまったが、ゆらは今からまた、神隠しに遭おうとしている。さすがにここまで来てしまうと、焦りで表に出て来なかった恐怖心が心の中で鎌首をもたげる始める。

 この先で待つのはさっきの神隠しと同じ状況。パニック状態に陥り、泣きながら山頂を目指したことは忘れたくても忘れられない。また一人であの空間に迷い込むことになる。


 ……しかし、ゆらの心が波打つことは無かった。至って冷静。神隠しに二の足を踏むこともない。


 自身の落ち着きように自分で首を傾げた彼は、すっかり癖になってしまった独り言で誰かに語りかける。


 「うーん、あれー?もっとこう、勇気を振り絞る感じになるかなって思ってたけど、そうでもない、かなあ?良かった、一回帰ってこられた事で慣れちゃったのかも」


 それもある。それも大きい。

 しかしゆらはまだ言葉を止めない。まだ他にあると、分かっている。


 ……一番大きいのはそれではなく、心情の変化だ。


 「うん。それだけじゃない、よね。慣れたって言ってもやっぱり、あそこ行くの怖いし、出切れば止めたいなぁって思ってるよ。でも、出来ないなんて思わない。もっと、大事なことがあるもんね」


 不思議がる声は本物だが、同時に納得ずくの顔だった。

 単なる答え合わせのようなものだ。口に出して確かめているだけで、その実、答えは想像がついている。


 「……これが大人なのかなぁ。ユウ、キミが言ったとおり、ボクは一人でもぜんぜん大丈夫みたい。キミにいて欲しいけど……うん、でも一人でやらないとって分かったら、ちゃんと動ける」


 ゆらはもう、ユウが居ないことを受け入れた。一人で暮らしてゆく覚悟を持った。


 ……たったそれだけの、意識の違い。

 しかし、ゆらはその僅かな変化だけで、大きく成長した。


 別におかしな事ではない。元から今のように振る舞えるだけの能力を持っていて、ユウと腹を割って話したことで、そう振る舞う覚悟と機会を得た。それだけのことだ。


 ユウの記憶をそのまま受け継いだゆらは、彼女が出来ていたことをほぼそのまま受け継いでいる。

 やろうと思えば彼女との差はあまりない。

 彼女の行動をなぞることが出来る。


 「……やっぱりボクは、キミに甘えていただけの、子供のままでいたくて逃げてた、大人だったんだろうね……」

 

 木の幹に両手をつき、そこに額を当て、目を閉じる。


 本人にその気が無くとも、その姿はまるで懺悔しているようにも見えた。

 









 そして、それは奇しくも、ゆらが宮白神社に到着したのとほぼ同時刻だった。


 「……そっ、か。わカった」


 事態を察して動き出す者が山のふもとにもう一人。

 祖母に神隠しに関する話をせがみ、新たな事実を知った少女が、妹とその友達を助けるために動き出す。



 「そレ、本当、だよね?オバあちゃん」

 「あ、ああ本当じゃあ。でも何でそんな事を……」

 「気に、シナいで……」


 ……くそ、それがマジならかなり拙いな。俺たちはよりによって、祟り神に助けを求めたってことになる。


 愕然だった。

 衝撃的な話に内心は大荒れだ。自分たちはかなり、愚かな事をしていたようなのだ。



 ベッドから動けないまま、良くない情報に焦りを見せるのは夜刀上ゆらの姿になったユウ。彼女は祖母から得た情報に忸怩たる思いを抱えながらも頭を高速回転させていた。


 ……愛梨ちゃんはこのことを知らなかったのか?……知らなかったんだろうなあ、多分。確かお婆さんには話を聞いてないって言ってたし。


 いや、今はそれどころではない。まあ、どうせ知ってたところで同じ道を辿ったことだろう。それは置いておく。


 ……問題は今更どうするかって話だ。体が動かない訳で、宮白山に登って隠れんぼは不可能。誰かに連れて行って貰うにしても家にお婆さんしかいない……というか他にいても連れてって貰えるとは思えないし。


 せっかく目覚めた娘を再び曰く付きの場所に連れて行くのは嫌だろう。智惠さんは多分、渋りそうだ。


 ……ゆらは……どうしたんだろうな。俺と同じタイミングで目覚めたなら、そろそろ来そうだけど……。まだ眠りから覚めてないのか、もしかして事態を知ってまた宮白山に行ったのか。


 まだ来ていないことを見ると、そのどちらかだろう。まさかこの部屋だけインターホンが聞こえずらいなんて事はあるまい。


 ……もし後者なら、なおさら俺も向かわないといけない。しかし、そのための手段がない。



 ……だが。

 ……そもそも登らないと駄目なのか?

 ……宮白神社でしか、神隠しに遭うことはないのだろうか。

 


 宮白山に登るのは確かに無理だ。

 しかし、思い出して欲しい。前に遭った神隠し。そこから抜け出したときの事を。


 長時間さまよい歩き、やっとの事で抜け出したその場所は宮白山ではなく、白木町ですらなく、なんと隣の町だった。あの時は他の事に気をとられて深く考えなかったが、あのワープは一つの大きな意味を持っている。


 ……詰まるところ、神隠しに距離なんてものが関係あるのだろうか。


 その一言に尽きる。

 あの場所から出られたなら、あの場所から入ることも可能なのではないか。もっと言えば、入りたいと願うなら宮白山から離れた所からでも入れるのではないか。


 もしこの考えが正しいなら、今この場所からでも入ることが可能なはずだ。何しろこの家は宮白山のふもとにある。前の出口になった場所よりも断然近い。


 「…………」


 「ゆら、大丈夫なのかい?」

 

 考えはまとまった。

 心配して声をかける祖母に申し訳ないとは思うが、説明する時間も惜しいので無視させて貰う。


 ここで隠れ歌を唱えても、上手く行けばあの空間に入れるかも知れない。そう思いながら目を閉じる。


 本人からすれば不服だろうが、その姿はまるで生を諦めたかのようにも見え、彼女の祖母を慌てさせた。







 ーーーーそして。



 ーーーー異なる二つの場所で、ほぼ同時に隠れ歌が歌われる。



 


 ーーかくれませ。かくれませ。

 ーーここはどこの細道だ。

 ーーゆら様の細道だ。



 ゆらは間違えないように朗々とした声で、

 ユウは声を張るのを諦め心の中で、

 思いを込めて歌い上げる。


 奇しくも、二人共が自分の名をゆらと言った。



 ーーどうか助けてくだしゃんせ。

 ーー姿のないもの救われぬ。

 ーーあなたの助けのお返しに

 ーーわたしのおもいをささげます。



 二人共、隠れんぼの‘’鬼‘’だ。

 宮白神社にも夜刀上家にも逃げる者がおらず、一見隠れんぼが成立していないようにも見える。


 しかし何も問題はない。

 何故なら探す相手は、既に隠れている。

 夜刀上愛梨。篠原由美。この二人が遊び相手になってくれる。


 隠された彼女達を探すために、鬼が神のもとへと向かう。



 ーーいきはよいよい。

 ーーかえりはまよい。

 ーーまよいながらもかくれませ。




 それは口にする者を隠す、呪われた歌。

 狂った神がもたらした、救われぬ怨念。

 意図せず祓わんとする二人が、歌う。



 ーーかくして道は開かれた。


 

 「……あれ、ボクいつの間に歩いて……?って、はっ!?成功した!!?」


 「……あ、良かった、入れたか……ふぅ、体が軽いな。動けるってこんな有難いことだったんだ」


 

 いつの間にか参道を歩いていることに気づいた二人が、思い思いの声を上げる。

 そして、



 「あれ、目の錯覚じゃないよね……キミはどうして……あ、迎えに来てくれたの?」


 「へえ、今度ははっきり見えるんだな……もしかして、案内してくれるのか?」



 誰もいないはずのその場所で、待っていた子達がいた。


 ゆらの前には幼い少年。

 ユウの前には幼い少女。


 微笑む二人はもはや朧気な影などではなく、明瞭な姿を持って、待ち人を誘う。


 夢の中で会ったときと、同じように。

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