第23話 止まらなかった神隠し
……あと、少し。
息を切らせ、石畳の最後の一段を飛び越し、アスファルトの道路に出る。
既に横目には彼女が待つ家が見える。あともう数メートルで到着だ。そう思うと自然と足が速まる。
……急ごう。多分首を長くして待ってる。
曲がり角を曲がる。そして。
「……あれ?」
ゆらが異変に気づいたのは、宮白山を下りてすぐの事だった。急ぎ足で参道を下り、夜刀上家の前まで戻ってきたとき、彼は見慣れないものを見てはたと足を止めた。
……家の前に救急車が止まっていたのだ。
(あれ、もしかして一歩遅かった?もうユウは病院に移動しちゃうのかな?)
長女が十五年の昏睡から目覚めたのだ。驚いた家族が救急車を呼んだのだろう。
そう考えている内に救急車はさっさと出発してしまった。門のところには前に会ったお婆さんだけが残りそれを見送っている。
残念だけど、こればかりは仕方がない。
少し落胆しながらもそちらに向かった。
しかし、反対方向に走っていった救急車を見送ったお婆さんが振り向いてこちらに気付いたとき、ゆらは違和感に眉をひそめた。
……あれ? 孫が目覚めたにしては、表情が険しすぎないかな。
とまあ、そんな感想が出てくるほどの、眉尻の下がった明らかに喜色とは程遠い表情。
立ち止まったまま首を傾げていると、お婆さんの方からゆらの方に歩いて来てくれた。
「おお、あんたは前に来てくださった……」
「あ、はい。こんにちは。……えっと、葛葉悠一、です」
声をかけてくれたお婆さんに頭を下げ、詰まりながらも名前を言う。
ユウ以外の人と話すのはこれが初めてだったが、割としっかりと、本人が思っていた以上に落ち着いて話せていた。
が、しかし。
「あの、今救急車が出ていったみたいですが、あれって……」
「ああ、それですか。いやあ、それがですねぇ。はぁ、まさか、なんですけども……」
モゴモゴと口を動かすお婆さんに、妙に不安を掻き立てられる。
残念ながら、落ち着いていられるのも次までだった。お婆さんが言わんとしていることは、ゆらを狼狽えさせるのに十分過ぎた。
「愛梨がねぇ、上の神社の境内で倒れてたんですよ。ああ、それに友達も一緒にねぇ」
「……えっ!?」
完全に予想外だったそれに、ビクリと肩を震わす。聞き間違いかと思った。そう思いたかった。
しかしそんな都合のいい幻聴など存在せず、お婆さんは話を続ける。
聞いてる内にショックで顔面蒼白になり、足がカタカタと震え出す。
「とんと目をさまさんで……この前も似たような事があってねぇ。まぁ本当に心配で心配で……」
「な……んで……?」
ゆらは途中から聞いていなかった。
何で。どうして。そんな言葉が次から次へと溢れてくる。
愛梨ちゃんが神隠しをするのは明日のはずだ。確かにユウと一緒に確認した。
じゃあ何で愛梨ちゃんは今、意識を失って救急車で運ばれて行ったのか。
……いや、理由なんて今はいい。
首を振って思考を切り替え、自分を落ち着かせる。理由は知らないがとにかく、愛梨ちゃんは神隠しに遭った。
このままだと愛梨ちゃんは隠し狐に、姉を目覚めさせることを願ってしまう。それはもう、必要のない願いだ。ユウは確かに、自分の元から去った。彼女の姉は既に目を覚ましている。それを知らずに願えば、果たしてどうなるのだろうか。
何も起こらないという可能性もあるが。
しかし。
…………ダメだ。
…………止めないと、ダメだ。
決断は素早かった。
相手はあの隠し狐だ。そんな甘い判断をすれば、きっと後悔する事になる。
「す、すいません、ボク、行かないと……」
半ば上の空で断ってから踵を返し、返事を聞く間もなく走り出す。
止めないといけない。彼女が分社に到着して、隠し狐に願う前に追いつき、教えてあげないといけない。もうその願いは必要ないのだと。
彼女はユウの妹だ。
ユウは妹を守るために先延ばしにせず、今まで通りの生活と言う選択肢を捨てた。一緒にいられる時間を捨てた。
それを無駄にさせて堪るものか。
ついさっきまで神隠しの中にいたからだろうか。ゆらは怖いなどということはあまり感じなかった。
ただただ急いで宮白神社に向かう。
親友の妹を、助けるために。
声が聞こえる。
ドタバタと誰かが廊下を走っている。
ーー愛梨!愛梨!目を覚まして!
ーー救急車だ!救急車を呼べ!
ーー子供が二人、意識がなくて……
「……ハァ」
俺の意識が覚醒して暫くした後、突如として巻き起こった喧騒はしっかりと俺の耳にも届いていた。
壁が薄いのか部屋の位置が近いのか、声がよく響いてくる。何があったのか察するのに、そう時間はかからなかった。
……また、やってしまった。大誤算だ。まさか愛梨ちゃんと篠原さんが一日早く神隠しに挑むとは。
体は全く動かせないが、せめてもの意志表現にギリ、と歯噛みする。
愛梨ちゃんが予定を早めた理由は想像がつく。単なる気まぐれという線もなくはないが、大方俺が信用されていなかったと言うことだろう。
確かに、止めようとしていたこと自体は事実だ。俺に止められないよう、一日先を教えていたと言うことか。ゆらと一緒にいられるのはこれが最後だと思ってギリギリまでお礼参りを先延ばしにしていたことが、完全に仇になってしまった。
無力感に苛まれる。今の俺は文字通りの意味で力が無い。何とか追いかけて止めさせたいところだが、体が全く動けない現状、出来ることが何もない。もどかしい思いを抱えてやきもきしている間に、愛梨ちゃんは救急車に乗ってさっさと行ってしまった。
俺には為す術がない。何もせず、ただ虚空を見つめていることしか出来ない。それがひたすらにもどかしく、悔しかった。
暗い感情が沸き上がるも、発散する事すら出来ず、行き場を無くして霧散する。
体を動かせない事はこうも不便で、悲しいことなのか。何を思っても形にすることが出来ない。
思いを持て余すだけの、無為な時間が過ぎていく。
……ああ、そういえばゆらは、どうしたかな。もうそろそろ着いてもいい頃だけど。
ふとそんなことを思いつき、しかし今は家に誰も居ないことを思い出して嘆息する。
思えば、こう言うとき慰めてくれて、一緒に重荷を背負ってくれるゆらは、とてもありがたい存在だった。
そんなことを考え、無性に彼に会いたくなったときだった。
……え、誰か来た!?
ズズ、と木を擦るような音。
唐突に部屋のドアが開いた。
まさか、と思いつつ、咄嗟に目を閉じる。
ゆっくりと、静かな足音が中に入ってきた。心臓が期待に高まる。もしかして、来てくれたのか。
そして、その誰かが口を開いた。
聞こえて来たのはーーしわがれた声。
「入りますよ、ゆら」
……おばーちゃん…………。
せっかく来てくれたところ申し訳ないが、内心で落胆する。紛らわしいなもう。
どうやら病院には着いていかず、家に残ったらしい。軋むような音から察するに、イスに座ったのか。多分、この前来たとき愛梨ちゃんが座っていたあれだ。
「ふぅ、よいしょ。……愛梨まで倒れてしまったんですよ……もしかして、あんたとおんなじ所に行ってるのかねぇ」
「…………」
俺の狸寝入りに気づく様子もなく、お婆さんはポツポツと話し始めた。
少し薄暗い部屋が幸いしたのか、涙のあとにも目が向いていない。
「まさか、本当に神隠しなのかねぇ。そんなことを神様がするとは思えんけど。ゆら、あんた……もしかして隠し狐様のところに行ってるのかい」
「(そんな事をする神様、ね。居るんだよなぁ………………あれ?)」
ほぼ独り言と変わらない、返答を期待しない問い。
しかしその一言に引っかかるものがあった。いや、というか思い出す事があった。
何だろうか。
何か大事なことを見過ごしているような。
光の当たらない灯台の根元の、見落としてはいけない何かを素通りしていた気がする。
………………ああ、そうだ。
その言葉で思い出したが、このお婆さん曰く隠し狐は悪い神様じゃないんだっけか。
そうだ。確かにそう言ってた。そのすぐ後に神隠しに遭遇して、更にその後には前野くんと木山くんの件があってすっかり忘れていたが、お婆さんが言うには子供好きのいい神様なんだとか。
……あれ、これは、もしかして。
背中に、冷や汗が滲む。
愛梨ちゃんは間違ってると言っていた。
実際そうだ。こんな事をする神様がいい神様なはずがない。
しかし、本当にそうか?宮白神社の管理人をしているというお婆さんの情報が間違っているなんてことがあるのだろうか。
いや、ない。というか、愛梨ちゃんも間違っているとは一度も言っていない。
彼女が言ったのは、確かーー
ーーーーおばあちゃんの話は古いんだよ。
そう。古い。
それはつまり、昔は合っていて。
最近変わったと言うこと。
隠し狐は恐らく、昔は本当に普通の神様で、何かのきっかけで神隠しに遭わせるような神様になった。変わったのはそれほど前のことではない。
じゃあ、なぜ変わった?
何が原因だ?
「智惠さんも心配だねぇ。本当、愛梨が何ともなければ良いんだけどーー」
もう、お婆さんの話は全く耳に入らない。
原因として一番に思いつくのはやはり本社が下にできたことか。あれがいつできたのかは知らないが、それ位しか切っ掛けになりそうな事柄はない。
新しい神社を建てられるというのは、神様をして喜ばしい事だとは思うのだが、そこで何かトラブルでもあったのだろうか。例えば御神体が移動させられていない、みたいな。
それが原因で神様が怒り、天罰として記憶を奪う神様になってしまった、とか?
「この前も愛梨のお友達が神社で倒れていたらしくって。何でも記憶喪失なんだと。まさかとは思うけど愛梨もーー」
いやしかし、本当にそうだろうか。
なんかしっくり来ない。神様というのはそんなに狭量か?そんな手違いで子供を神隠しに遭わせるのか?
というかそもそも、子供好きの神様が何で子供にそんな非道いことを出来る?
話が合わない。隠し狐がお婆さんの言ったとおりの神様なら、子供には優しいはずだ。大人が行った事を理由に子供を神隠しに遭わせる何てことするはずがない。
……ならば何故。
「いやぁでも……もしなーんにも覚えとらんでも、目が覚めてさえくれればそれでーー」
いやまて、落ち着いて考えろ。
単なる可能性で、ぶっちゃけ突拍子も無いことだが、もし隠し狐以外の原因があるとすれば?
そう考えると幾つか、思い浮かぶものがあるような気がする。
……何故か二つあった本殿。今から思えば前の建物が後ろを覆い隠していたようにも見える。
……散々歩いた曲がりくねった道と、出口へ続く鳥居の道。ちなみに千本鳥居と言えば稲荷、つまり狐の神様だ。
……二つの種類の神隠し。そのまま生身で迷い込んだものと、夢の中で迷い込むものの二種類が存在していた。
……そして何より、その所業。
俺が何度も祟り神なのか荒御霊なのかと訝しんだ、酷すぎる願いの叶えかた。あの狂った在り方は正にその通りではないか。
「愛梨もゆらのことは本当に気にしとったからね。みんな心配しとったんよーー」
やはり隠し狐が元凶なのか。
……それとも、まさか。
別の……それこそ祟り神かなにか、得体の知れないものが宮白神社に潜んでいるのか。
…………。
…………。
……いや。
考えても、答えは出ないか。
なら、聞いてみよう。幸いにして、ここには今、おあつらえ向きに色々知ってそうな人が来ているのだから。
……お婆さんに、聞いてみよう。
「…………ん」
そっと、目を開ける。
お婆さんはうつむいて話しているようで、まだ気づいていない。
驚くだろうなと思いながら、口を開く。
「…………オバあ、ちゃン」
「だからねぇ、ゆらもどうか早く…………え?」
「キキたいコト、あル、の」
回らない口を必死で動かし、声をかけた。
お婆さんは当然の事ながら相当に驚いたらしく、驚愕の表情のまま固まる。
その様子を無視して、俺は聞きたかったことを質問した。
「コノ辺りデ……祟り神ニ、心当たリ、なイ、かナ?」
掠れた俺の言葉を聞いて、お婆さんが目を大きく見開いた。
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