第22話 離れ離れ

 「さーてっと、じゃあさっさとこの山下りないとな。って言うか無事に下りないと勝ちとか言えないし」

 「家に帰るまでが遠足です、だよね。うーん、でも重荷が下りた気がして、なんか肩が軽いや」

 「つってもまだ、あの二人と篠原さんの件があるんだよなぁ。ホントにどうしようかアレ。愛梨ちゃんは止まってくれるとしても、篠原さんがな……」


 再度歩き出しながら、また頭を悩ませる。


 残念ながら先に記憶喪失になった二人のことは何も解決出来ていない。

 愛梨ちゃんは姉が目を覚ませば止まるだろうが、篠原さんはどうだろうか。最悪、愛梨ちゃんの代わりに誰かを巻き込んで神隠しに挑戦する、なんてことにならなければいいのだが。


 「……まあそれは後にするか。それよりゆらは大丈夫か?葛葉悠一になる上で、今のうちに聞いときたいこととか、ないか?」

 「んー、イマイチ思いつかないなぁ」

 「そっか、ならいい。……プレッシャーかけるようで悪いけど、出来るだけ母さんと父さんのこと、頼むな。やっぱそこだけはちょっと心残りでさ」

 「あ、やっぱり寂しい?」

 「あー、それ以上にこう、申し訳ないんだよなぁ。息子の体乗っ取って散々世話になったあげく大人になったらバイバイとか、カッコウの托卵かっての」

 「言い方……」

 

 間違ってはいないかも知れないが。

 でも、もう少し他に、こう……


 「……ま、いいや。それよりボクは、ユウも心配だけどね」

 「俺?」

 「うん。その、しばらくは動けないだろうし、色々と生活が変わるだろうから……」

 「確かに予想はしづらいよな。これから先どうなっていくか……」


 智惠さんと会ったときのことを思えばそう悪いことにはなるまい。しかし、三歳から十五年続いた昏睡は夜刀上ゆらから筋力というものをことごとく奪い去っており、それなりの期間は寝たきり生活だろう。

 今までは元気に走り回れていただけ、それは中々のストレスだ。ユウもその辺を考え出すと憂鬱になる。


 でも、仕方ない。

 ユウが葛葉悠一だったことも、今となってはベッドで寝ながら見ていた、長い夢のようなもの。長くて、楽しい夢だった。

 でも、夢はいつかは醒めるもの。そして、今が目を覚ます時なのだ。


 現実に、戻らないといけない。例えどれほど残酷なことがあっても、現実から逃げる訳には行かない。


 「でも……うん、そうだな。心配なら、さっき聞いてたみたいに会いに来てくれよ」

 「……会いに?」

 「ああ、会いに行っていいか聞いてきただろ?俺の方からは当分会いに行けないだろうから、そっちから来てくれると嬉しい」


 少し考え、ユウは伏し目からの上目遣いでそんなことを頼んだ。容姿に合った可憐な仕草は、無自覚だろうがちょっとあざとい。


 割と切実な頼みでもあった。

 元々ゆらを失いたくないと思い、この結末を望んだのだ。ゆらの好きなように生きてくれれば良いと思ってはいるが、しかし出来ればまた会って話したいとも思う。本来の自分を曝け出せる相手は彼しかいない。

 自分は昏睡の弊害で動けないのだから、会おうと思えば向こうからお見舞いに来て貰うしかない。

 

 もっとも、これは意味の無い頼みだった。

 頼んだ相手はユウよりずっと繋がりを必要としていたのだ。そんなこと、頼まれるまでもない。


 「うん、絶対行くよ!むしろ頼まれなくても行くよ!ボクだってユウに会いたいって思うもん!」

 「そっか、良かった」

 「うん、安心してよ、毎日だって会いに行くから!」

 「無理だろ。ここまで何時間かかると思ってんだ」

 「じゃ、毎日電話をかける!」

 「おう……ま、それなら……」

 

 力説するゆらを見て、つき合い始めたばかりのカップルみたいだとズレだことを考えつつ、ユウもそんな未来を考えてみる。要らぬ誤解を生みそうな気がしないでもないが、彼との会話は間違いなく自身の、一日で一番の楽しみとなることだろう。

 それはとても嬉しいことで、また、ありがたいことだ。気が滅入るリハビリ生活の清涼剤になってくれる。葛葉悠一の生活の状況が聞けるのもポイントが高い。


 「ふふ、これは早く智惠さんに……ああいや、母さんって呼んだ方が良いのかな?まあ、頼んで自分用の携帯を持たないとだな」

 「そうだね、そうしてよ。うーん、でも、やっぱり直接会って話したいかも」

 「おいおい、俺達が顔を合わせたのって今日が初めてじゃなかったか?」

 「そうだけど!……でも、距離は近かったじゃない。電話とは違うでしょ?」

 「まあ、そのまんまの意味でゼロ距離だったからなあ……」


 ユウとしてもゆらの意見に否はない。

 しかし、如何せん彼の家と白木町には距離がある。一日潰す覚悟でないと来られず、それなりに電車代もかかる。ゆらの葛葉悠一としての生活を邪魔したいとは思わないので、負担にならない程度に、時々訪ねて来てくれたらそれでいい。


 「……うん、そうだよね。分かった」


 そんなことを伝えられたゆらは、残念そうな顔をしながらも素直に頷いた。彼もあまり頻繁には来れないことを分かっている。心情的には毎日でも訪れたいところであるが、そんなワガママで譲って貰った葛葉悠一としての生活を壊すわけには行かない。

 ……しかし、


 「……でも、今はこっちに来てる訳だし、ここから出たら真っ先に会いに行くよ」

 「そうか。それは……」


 今日は白木町の、夜刀上家のすぐ傍に来ている。外に戻ったらすぐに様子を見に行く事が出来る。

 ゆらにも智惠さんや愛梨ちゃんに遠慮する気持ちはあったが、せめて一目会うくらいはしたいと思う。



 ユウは目を細め、少し間を置いて、

 照れたように自分の髪を弄びながら、


 「……うん、ありがとう。頼むよ」


 嬉しそうに笑って、そう言った。








 ーーーそれが最後だった。


 その後も何かを話しながら歩いたのか、はたまたその辺りで脱出出来たのか。分からないけれど少なくとも、ゆらが覚えているのはその場面までだった。


 宮白山の神隠しは、入ったときと同じく、いつの間にか、気が付いたときには終わっていた。


 夢が終わる。

 知らぬ間に現実が戻ってくる。







 「………………うん……?」


 うっすらと目を開ける。

 自分は寝ていたのか、とぼんやりした頭で認識して、


 「……はっ、あれ?……いつの間に……?」


 さっきまであったはずのことを思い出し、がばりと体を起こす。


 「あれ、ここって……。あ、そっか。神隠しの外に出られたのかな」


 立ち上がりつつ確認する。

 場所は最初、ユウが手を置いて数を数えたあの木の根元だった。その木にもたれかかるようにして眠っていたらしい。体の節々が少し痛かった。


 「んっ、うう……はあ。ユウの言ったとおり、体はここに残して意識だけ向こうに行ってたんだね。でも、良かった。無事に戻って来れたんだ……」


 ぐっと伸びをして、少し辺りを見回して、そんな独り言を呟く。朝に訪れた時と何も変わりはない。唯一変化したとすれば太陽の位置ぐらいか。既に空が赤みを帯び始めていた。思ったより長く眠っていたらしい。もうそろそろ夕方だった。

 

 「……戻って来れたんだよね?」


 夕方、という時間帯に嫌な事を思い出し、一応ほっぺたを引っ張ってみる。

 ちょっと痛い。その痛さが現実に戻ってきたことを教えてくれる。


 「……いたた。うん、夢じゃない夢じゃない。にしても、もう夕方かぁ。けっこう長く眠ってたんだなぁ」


 目が覚めてしまえば、さっきまでのことが夢だったようにも思えてくる。改めて思い返せば、この前の神隠しと比べると現実味がない。まさしく夢か幻のような出来事だった。


 ……しかし、夢ではなかったという確固たる変化が一つある。


 「ユウ……居ないんだよね?」


 自分の体に目を落として、ゆらはまた、

独り言を呟いた。


 返事は無い。

 有るはずが無い。


 そう、これはもう既に独り言だ。すぐに返事を返してくれていた母親のような親友は、もうここには居ない。

 自分の体へと、帰ってしまった。

 ゆらはもう、一人なのだ。


 「一人、かぁ……。これが一人なんだね、ユウ……」


 それが分かっていてなお、ゆらは誰かに語りかけるような独り言を続ける。


 「やっぱり、寂しいよ。うん、でも……」


 また目頭が熱くなった。

 しかし、もうポケットのハンカチに手を伸ばす事は無い。


 「もう、大丈夫だよ」


 自分に言い聞かせるように、静かにそう言った。

 その顔には控えめな笑みが浮かんでいた。


 くよくよと沈んでいる場合ではない。

 ユウに会いに行くと約束したのだ。さっさと山を降りて、会いに行かないといけない。


 リュックサックを背負い直し、ゆらは境内の方に歩き始めた。

 

 ……早く町に下りて、そこでまた、いっぱい話そう。


 ……もう、起きてるのかな、ユウは。


 










 「…………」


 やたらと重い瞼を、ゆっくりと開ける。

 光が網膜に当たるも、ぼやけて何があるのかさっぱり分からない。


 パチパチと瞬きをする。

 ようやくピントが合い、光が像を結ぶ。


 ……天井。


 仰向けに寝転がっているらしく、それが目に入る。

 見覚えのない天井だ。少なくとも俺の家のものではない。


 ……いや。見たこと自体はあるのだろう。気にしなかっただけで。

 そして認めないといけない。

 今はもう、ここが俺の家だ。俺の家になった。


 「…………っ」


 体を起こす……否、起こそうと試みる。

 しかし、全く動かない。想像はしていたが案の定、身動きが取れなかった。体全体が鉛というのも生温い位に重く、ピクピクと各部の筋肉を動かすくらいしか出来ない。指もロクに動かせず、寝返りも打てない。

 関節も凝り固まっていて、これが十代の少女の体かと思うと悲しくなってくる。


 「……ぇカ」


 ダメか、と言おうとして、そんな掠れた声が口から出てきた。口の中もカラカラに乾いている。舌も動きが悪い。

 全体的に衰えきった体。これと付き合っていくのは、骨が折れそうだ。


 「ハァ……ゥ」


 そろそろ、遅れてやってきた実感が湧いてくる。鏡なんて見れはしないけど、動かない体と掠れてはいても高い声から明確に分かってしまう。


 ……俺はもう、葛葉悠一ではない。

 ……夜刀上ゆらになったのだ。


 「…………ァ」


 認識したらもう、ダメだった。

 ジワリと目元に涙が滲み、止めるまもなく溢れ出る。

 すぐに手で拭おうとするも、意に反して腕は全く動かない。止めることも拭うことも出来ないまま、涙が零れていく。


 ゆらの前では強がっていられたが、限界だった。悲しくてどうにかなってしまいそうだった。


 家の事を思い出す。家族の事を思い出す。

 もう会えないわけではない。体が動くようになれば会いに行けるし、母さんはお見舞いに来てくれる可能性も高い。


 しかし、家族としてではなく、友人の娘さんとして、だ。

 もう家族ではなくなった。もう、他人になったのだ。そこには明確な線引きがある。もう二度と彼らを父さん、母さんと呼ぶことはない。


 ……もう、あの生活には戻れない。


 「ウ、あ。あぁッ、うウ、ァァァ……」


 涙が止まらない。後から後から溢れてくる。失って初めて気づくのだ。何気なかった日常の素晴らしさに。


 ……明日からは夜刀上ゆらとして頑張っていこう。だから今は少しだけ、泣くことを許して欲しい。


 「う、アァ……」


 ああ、どうかせめて、今だけは。

 誰も、来ないでくれ。


 そんなことを願いながら、俺は涙が枯れるまで泣いた。



 













 そして、少しだけ時間は遡る。


 ゆらとユウが目覚める、少しだけ前の話だ。宮白神社の本社に、二人の少女の姿があった。

 二人は緊張した面持ちで境内を歩き、品定めするように辺りを見回しながら何かを話していた。


 「うーん、この辺かな。じゃあわたし、ここで隠れ歌、歌ってみる。良いよね?」


 そう言ったのは夜刀上愛梨。彼女は賽銭箱の隣に立ち、本殿を囲む朱色の柵を指で示した。


 「う、うん。良いと思う。じゃあわたし、隠れる、ね」


 もう一人は篠原由美だった。友人の言葉に頷き、どこが良いかな、と辺りに目を走らせる。


 二人共、どこか落ち着きがなく、何かに怯えるようにキョロキョロと世話しなく視線を動かしている。


 それもそのはず、二人は神隠しに遭うことを目的にこの神社にやって来たのだ。



 「じゃあ、始めよっか。……最後に確認するけど、本当にいいの、由美ちゃん?無理にわたしにつき合ってくれることはないんだよ?」


 友人が隠れ場所を定めたのを見計らい、愛梨がそう声をかけた。

 無理には頼まないと言う気遣いに、由美は首を横に振る。


 「ううん、いいの。わたしも叶えたい望みがあるもん。わたし、絶対に、大ちゃんの記憶喪失を治してみせる」

 「……そう」


 愛梨と同じく、強い口調。しかし、その目には熱に浮かされたような危うさがあった。


 愛梨は少し後ろめたそうに目をそらす。

 願ったら記憶を失うことも含め、神隠しのお兄ちゃんから聞いたことは全部話した。その上で彼女は一緒にやると言ってくれた。


 しかしそれは本当に彼女の意志なのか。隠し狐に操られているのではないか。 

 そんな疑念を持ちながらも、愛梨はその言葉に甘えてしまった。


 そんな友人の様子に首を傾げながら、次は由美が質問を口にする。


 「でも、愛梨ちゃんこそ、よかったの?あのお兄さんには明日やるって言ったんだよね?」

 「いいの。出来るなら止めたそうな様子だったし、一応ね。お母さん辺りにバラされると面倒だし」


 また少し申し訳なさそうに言うも、別に大丈夫だと頷く。


 ユウにとって誤算だったのは、彼女が自分を止めることを画策していると怪しんでいたことだ。実際、手段はともかく間違ってはいない。

 いつ神隠しを決行するか聞かれたとき、敢えて一日先を教えておいた。

 万が一にも、邪魔をさせないために。

 

 「うん、よし……じゃあ、数えるからね」


 そして、隠れ歌が歌われる。



 ーーかくれませ。


 ーーかくれませ…………



 ……そして、


 歌が終わったとき、既に二人の意識はその場所から消えていた。

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