第21話 思いでの重さ

 ギュッと手の中の五円玉を握り締める。


 神社でのお参りに五円玉を使うのが良いとされるのは、ご縁がありますように、という願掛けだという。五円とご縁が掛かっていて縁起の良い硬貨なのだそうだ。


 そんな験担ぎも、この場合は複雑な気持ちだった。

 正直、隠し狐とのご縁など御免被る。

 むしろ遠縁とも読めることから忌避される十円玉を使ってやりたい気分だ。もっとも、前回のお参りで既に使ってしまったような気もするが。


 「……よし、じゃあやるか」

 「頑張って、ユウ!」

 「はは、単にお参りするだけだけどな」


 とは言え今回は隠し狐と縁を結べなければ話にならない。変に意地を張るようなことをするわけもなく、少女の姿となったユウは五円玉を手にして賽銭箱の前に立った。ゆらは一歩下がったところで待機している。


 「…………」


 本殿と共に真新しくなった賽銭箱に向き合い、ユウは静かに息を整える。

 今からするのはお願いではない。

 単なる報告だ。


 しかしそれでも、重苦しい重圧を感じた。元々夏にしては涼しい場所だが、更に気温が下がったような錯覚に襲われる。

 今の生活全てを投げ出そうとしているのだから、それも当然かも知れないが。


 ……何故だろうか。同時に、まるで誰かに取り囲まれているかのような、言いようのない息苦しさを覚えていた。

 


 ーーーーこれで、俺は葛葉悠一じゃなくなる、かも知れない。

 ーーーー後悔するかもなぁ。だけど、

 ーーーー間違っては、いないはずだ。



 最後に、自分の意思を確認し、

 鈍く光る硬貨を、軽く放り投げる。

 それは弧を描いて賽銭箱の格子の隙間に吸い込まれていき、


 ーーーーカラン


 ーーーーパン、パン



 前と同じように、軽く手を合わせて。

 心の中で、まるで神社に語りかけるようにゆっくりと言葉を伝える。



 ーーーーお願いを聞いて下さってありがとうございます、隠し狐様。


 ーーーーわたしは友達と一緒に過ごせて満足です。 


 ーーーーだから、そろそろ……家に帰りたいと、思いますーーーー





 ゾワリ



 「…………あ」


 最後まで言ったとき、どこかで何か、蠢いた気がした。

 同時に、体の奥で何かが変わったのを感じる。何かが切り替わったような、出て行ったかのような、気持ちの悪い感覚があり、体に怖気が走る。


 しかし同時に理解した。

 確証はないけど、感覚で分かる。

 多分、上手く行った。

 隠し狐は、願いを終わらせた。

 お礼参りは、成功してしまったらしい。



 ぐらり、と体が揺れた。



 ああ。


 覚悟はしてたけど、名残惜しいな。



 ーーーーさよならだ、葛葉悠一。



 もう二度と、自分がそう呼ばれることはないのだろう。


 


 「う。は、あ……」

 「ユウっ!?」


 体を何かが走り抜けた後、脱力して膝から崩れ落ちそうになった。驚いたゆらが咄嗟に駆けよって肩を支えた。


 「わ、軽い……じゃなかった。ユウ、どうしたの!?大丈夫!?」

 「だ、大丈夫……ちょっと力が抜けちまってな……すまん、ありがとうな」


 膝に力を入れ直し、ゆらの手を借りながら立ち上がる。彼女の……否、彼の手を取ったとき、その温かさが伝わった。

 人肌のぬくもりに安心感が生まれるも、同時に涙腺が緩む。体が変わって涙もろくなったのか、失ったものを思うと涙が溢れそうになるが、今泣けばゆらは、何を思うだろう。


 今は泣けないと、歯を食いしばって無理矢理な笑顔を作る。


 「ユウ……上手く、いったんだよね?」

 「ああ……多分、成功したよ。これで元に戻ったはずだ。はは、たちの悪いお伽話も、これで完結じゃないか?」

 「そう、かぁ……そうなんだ……」


 喜ばしい事のはずだ。少なくとも、二人共が望んだ結果ではある。

 しかし残せたモノの代わりに諦めたモノを思えば、単純に喜ぶ事は出来ず、むしろ受け入れる事が先だった。

 特に、ユウにとっては。


 「……ねぇ、ユウ。……大丈夫?」

 「え?」


 貼り付けた笑顔にヒビが入る。もとより、そんな薄っぺらいもので誤魔化せるほど、ゆらは甘くない。傷だらけの仮面に隠した泣き顔を、彼女でなくなった彼は見抜いている。


 しかしそれでも、意地を張る。

 泣くのは、帰ってからだと。

 

 「……ああ、大丈夫だ。さ、戻ろうぜ。ここはあんまり長く居たくないしな」


 前を向いて涙を誤魔化し、歩き出す。

 ゆらもそれに続き、二人は少し足早に境内をあとにする。


 鳥居を潜り、一度だけ振り返り、礼儀として一礼して。

 最後に神社を一瞥してから、帰り道へと歩みを進めた。



 ……さあ、戻ろう。


 ……帰る場所はもう、同じ場所ではないだろうけど。


 




 ーー嗚呼。


 ーーああ。

 

 胸が、痛い。

 抉れたように、痛い。

 穴でも空いたかのようだ。


 ーーでも、


 安心した。

 何故ならこの結末を、自分は良かったと思えているから。








 




 カツカツと音を立て、二人並んで参道を下りる。

 相も変わらぬ、林の中を進む単調な道。何も変わらず、何も出て来ず、果ては体の状態すら変わらない。

 疲れすら感じない、無気味ではあれど慣れてくれば退屈な道。最初は双方発言が減っていた二人だが、段々と口数が多くなるのは自然な事だった。

 そしてその内容は必然的に、神隠しのことに限られてくる。

 

 「……ねぇ、本当に成功したのかな?」


 そう聞くのは二人の内青年の方。つまりゆら。彼からしてみれば相方が賽銭を入れて手を合わせるところしか見ていないのだから、当然の疑問だ。


 「感覚でしかないけど、多分な。どっちにせよ一旦戻って確かめないと、お前が願うのは無理だぞ?下手したら次は夜刀上ゆらの体に俺と記憶が無くなったお前の両方が入るっつーシャレにならない事態になる」

 「あはは、それは大変だ。……にしてもこれ、ちゃんと帰れるかなぁ」

 「んー、どうだろな。でも俺達の他は皆帰って来れてるし、大丈夫じゃないかな。前の神隠しとはまた違うんだしさ」


 いや、帰れないと困るわけだが。

 しかしこの前と違い夢の中で来ているからか、はたまた時間が余り過ぎていないからか、二人にはまだ余裕があった。


 そんなことを話す内に、ふと。


 「……ねえ、本当によかったの、ユウ?」


 ゆらが、そんなことを聞いた。



 「……唐突だな。何がだ?」

 「その……お礼参りをやっちゃって。あんなに嫌がってたのに……」

 「今更だな。何度でも言わせて貰うけど、気にするな。俺が自分で決めたことなんだから。二人共が記憶喪失を回避できて良かったじゃないか」

 「でも……ボクがいたのって十日やそこらだよね。本当にそんな、ちっぽけな思い出のために、良かったのかなって……」


 尚ももじもじと罪悪感を見せるゆらに、ユウは呆れた目を向け……そして、それを吹き飛ばすような事をサラリと宣った。


 「だから今更言ってどうするよ……。これが本来の形なんだ。良いに決まってる。それにさ、今だから言うんだけど……この結果は、俺も望んでいたことだ」

 「え?」


 ……待ってほしい。


 ゆらは訝しげに隣を歩く少女を見た。

 それは違う。

 ユウは葛葉悠一のままでいたくて、でもそれを我慢して自分に譲ってくれたのではなかったか。


 「それは、どう言う……?」

 「そのまんまの意味さ。俺は、こうなることを望んでた」


 一瞬固まったゆらに柔らかく笑いかける。その顔に悲しみはあれど後悔はなく、花が咲いたような魅力的な笑顔だった。

 雨上がりの花に、思わず見とれそうになるゆらを見てまた少し微笑み、顔を前に戻す。


 「お前だってさ、俺がこうなるよう誘導してたのは分かってるだろ?そうでなけりゃ、お前の勘違いを訂正する意味、ないもんな」

 「それはそうだけど……」


 実際、入れ替わりを解消する方向に持っていこうとする意志は節々で感じられた。しかし最初の、自らの夜刀上ゆらとしての運命を嘆く姿は心からのもので、それを望んでいたと言われてもハイそうですかと信じることは出来ない。


 それを聞いたユウは敵わないな、と苦笑した。実際、人間観察はゆらに分がありそうではある。

 彼女はどこか遠くの方を見ながら、口を開いた。

 

 「まあ、それなんだけどな。正直言って俺、最初は自分でも自分のことがよく分かって無かったんだ。いや、実際に俺はこの体を見て腰を抜かして、カラクリを察したあとは捨て鉢になってたぞ?でもさ、お前が葛葉悠一になりたくないって言って、俺がそのままの体でいられる可能性が出て来ても……何でだろうな。不思議と嬉しくなかったんだ」


 本当に分からなかった。

 何故自分はこうもモヤモヤした感情を抱え、素直に喜べないのか。無理に嬉しいと思い込もうとしても、失敗する。


 一体何が原因なのか。

 その答えは、隣にいる友人が教えてくれた。


 「ほんっとに分かんなくってさ。嬉しいのが普通のはずなのに、素直に良いと頷けない。外面だけ歓迎してるように振る舞って、内心首を傾げてた。俺は何を気にしてるんだろうってな。……でも、お前が言った一言で氷解した」

 「ボクの?」

 「ああ。ホントにバカだよなー、自分ではそんなことにすら気づけなかったなんてさ。……さっき俺が、お前は記憶を失うのが恐くないのかって聞いたときだ。お前はこう、言ったよな?」


 ーーーー寂しい気持ちはあるけど、恐いって感じはしないかな。何を思っても全部忘れちゃう訳だし。


 ……むしろーーーー


 「『忘れられてしまう、取り残された人の方がずっと悲しいんじゃないかな』」


 

 ゆらがあっと声を上げた。

 確かにそれを聞いたあと、何やら考え込んではいたが、まさか。


 「いつからなんだろうな……お前と離れる方法を探していたってのに、気づけばお前を失いたくないって思ってたんだ」


 あっけにとられるゆらを余所に、ユウはむしろ誇るように語る。


 「ああ、それこそ今の自分を失ってでも離したくないって思うくらいには、な。俺はお前に、記憶を失って欲しくなかったんだ。お前に忘れられることが、お前との関係が無くなることが、もうこんな風に話せなくなることが、堪らなく嫌だった」


 感情を読むことに長けたゆらも、気づかなかった思い。

 ゆらどころか、自分ですら気づけなかったけれど、知らない内にそれ程までユウの中で膨れあがっていた。


 「だからあんな風に、お前を説得したんだよ。わざわざ自分からお前が葛葉悠一になる事を促すような真似をした。例え今の体を手放すような結果になったとしても、それ以上にお前に記憶を失って欲しくなかったから。もちろん葛藤はあったけど、自分の心に素直に従った」


 そう、それは心からの望みだった。

 お礼参りの前に語った、ゆらを裏切るような事をしたくないというのも、嘘ではない。

 しかし、一番の理由はこれだった。


 「お前はちっぽけな思いでって言ったけどな、思い出に大小があったとしても、きっと重い軽いなんてものは無いんだよ。例えちっぽけな日々でも、さ……」


 計れるようなモノではないのだと。

 足を止め、ゆらに向き直る。

 そして、



 「ーーーー場合によってはそれが何より重くなる、なんて事があるんだから」



 人の感情とは、必ずしも時間や距離に比例するとは限らない。一途に相手を慕っていたゆらは、ある種当然のことながら相手からも強く慕われていた。

 それこそ、自分の全てを投げ打ってでも失いたくないと思われるくらいに。

 

 愛を求め、それを失うことを恐れ続けたゆらにとってそれは何より嬉しい事で。


 「ユウ……う、うう……」


 次はゆらが泣きそうになる番だった。

 いや、実際少し泣いていた。やれやれという風にユウがゆらのポケットを探り、ハンカチを取り出す。


 「あ、ありがとう……とっても嬉しいよ」

 「別に礼はいらないって。むしろ悪かったな、言わなくて。俺のためじゃなくて、自分で選んで欲しかったんだ」


 ユウはハンカチを渡し、優しく背中を擦る。


 自分が胸の内を明かせば、ゆらは喜び、葛葉悠一のままでいることを選んだかも知れない。自分で決めてしまうと言う手もあっただろう。

 しかしそれでは駄目だった。その結果もしゆらが覚悟もなしに葛葉悠一となり、それを後悔したならユウは自分を許せない。


 だからこそあくまで道を提示するに留め、後はゆらの選択に任せた。そしてゆらは、見事にそれを選んでくれた。


 ……つまりこの選択は、ユウとゆらの両方が希望した事なのだ。どちらかが譲った訳では無い、二人にとっての最良だ。



 「紆余曲折あったけどさ、俺達は二人共が望むところに辿り着けたんだ。色々あって素直に万歳って訳には行かないけど……ま、収まるところに収まったんじゃないか?」

 「うん……うん……!」

 「悪くない結果だよ。いや、むしろ賭けに勝ったって言っても良い。こんな言い方は変かも知れないけど……ああ、結末だけみればこの挑戦、俺達の勝利だよ」



 悩み、苦しみ、葛藤し、大きなものを諦めた。多くを失い、それを嘆き、涙をのんで切り捨てることを決めた。

 その姿はおそらく傷だらけで、無様で、悲嘆に暮れるのがお似合いかも知れない。


 でも、現実なんて元からそんなものだ。ままならないことが当然で、皆何かを選び、何かを捨てて前に進んでいる。


 真実は想像を超えて残酷だった。選びたくないものを選ばされ、失いたくないものを捨て去った。しかし、そんな中でも最良最善を選べたならば、


 ……それはきっと、勝利と言っても差し支えないものだろう。



 ぐい、とユウが握り拳を突きだしてきた。

 顔を上げるとそこには、ニヤリと笑う悪戯っぽい不適な笑み。



 「うん!ボク達の……勝ちだよね!」



 ゆらもクスリと笑い、同じく拳を出す。



 コツリと二人の拳が合わさり、



 二人はまた、どちらともなく笑い合った。

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