第13話 止められなかった神隠し

 宮白山で神隠しに遭ってから三日後。


 今のところ、もう一度白木町を訪れはしていないし、その予定もなかった。気にはなるものの、再び行ったところで出来ることがないのだ。宮白山には近づきたくないし、あまり頻繁に夜刀上家を訪れようとも思わない。


 結局、あの夢もあの日以来見ていない。残念なような、ホッとしたような、複雑な心情だ。あの夢については確かめたいこともあったのだが、同時にもう関わりたくないという気持ちも強い。


 部活に顔を出したり、予備校に通うか検討したり、神隠しとは関係のない日常が戻っていた。もちろんゆらは俺と共にいて、時折交代してやっている。しかし彼女が居ることは、既に普通のこと。とっくに慣れた。

 そんな風に過ごしていると、まだ三日だというのに、だんだんと宮白山での出来事が随分前のように思えてくる。非日常な出来事が日常に上塗りされていくようだった。


 ……まあ、それでも。

 白木町に行った日のことを忘れたわけでも忘れようとしているわけでもない。むしろ手持ち無沙汰になったとき、考えるのは神隠しのことだ。頭の片隅にはいつもそれがある。


 結局のところ、俺はゆらを元の体に戻してやることを、まだ諦め切れていないのだ。考えていれば何か思いつかないかと、無駄な思考を繰り返す。


 今日も、空いた時間を使って図書館に来てしまっていた。この前行った白木町の図書館ではなく、俺の地元の市立図書館だ。

 その一角で、文字を目で追っている。



 『……狐は稲荷神の使い。で、この信仰が始まったのは平安時代。大きく広がったのは商売の神様だと公認されたらしい江戸時代、と。この辺の記述はネットで調べたときにも見たな』

 『それなら、あの湖は江戸時代かな?』

 『かもな』


 パタリと開いていた本を閉じる。

 神道についての本だ。日本古来の神様や歴史について書いてある。最近、そんな本を読み始めた。神様や神隠し、あとはとおりゃんせの歌について少し詳しくなった気がする。

 

 『いやー、難しい本を読むと頭が痛くなってくるね』

 『じゃあ一旦休憩するか。……いや、もう帰ろうか。本だけ借りて』

 『あ、そうする?ボクはどっちでもいいよ!』

 『俺もどっちでも……。まあ、それなら帰ろうかな。どうせそろそろ閉館時間だし』


 今読んでいた本を小脇に抱え、どうせならもう一冊本を選ぼうと並ぶ本の背表紙に目を走らせる。

 目を引くタイトルを見つけ、手を伸ばしたところで、


 『ん?』


 右ポケットが震えた。ブルブルと一定間隔で振動している。


 『あれ、着信?』

 『だな。誰だ?』


 ポケットからスマホを取り出し、相手を確認する。


 ーーーーああ、愛梨ちゃんか。


 少し前に連絡先を交換しておいた愛梨ちゃんだった。連絡してきたのは初めてだ。また何か聞きたいことでもできたのだろうか。

 ……それとも、まさかとは思うが何かあったか?


 さっさと要件を聞きたいが図書館での通話はマナー違反である。持っていた本を急いで元あった本棚に突っ込み、足早に図書館の入り口に戻る。

 愛梨ちゃんは辛抱強く呼び出しを続けてくれた。入り口近くまで戻っても震え続けていたスマホを操作し、外に出るか出ないかと言った辺りで通話ボタンを押す。それとほぼ同時に自動ドアを潜る。

 耳に当てると、開口一番、


 『遅いよ!神隠しのお兄ちゃん!』


 愛梨ちゃんの大声が耳に響いた。


 「いや、ごめんね。さっきまで図書館にいたんだよ」

 『そーゆーこと言ってる場合じゃないよ!大変なんだから!ねえ、聞いてよ!……はあ、本当にどうすれば……ああもう、だから言ったのにっ!』

 「……なに」


 焦り、切羽詰まり、話すことを整理できないでいる。そんなただならない愛梨ちゃんの様子に、自ずと低い声が出た。


 ……大変なこと?

 ……だから言ったのに、だって?


 一つの可能性が頭に浮かぶ。


 ーー神隠し。


 いや、まさか。

 本当にそんなことがあるのか?


 次の言葉を聞くのが恐かった。

 しかし時は待ってはくれず。


 『ーーーー大ちゃんと木山くんが、神隠しに遭っちゃったんだ!』

  「な……」


 その言葉が大きく耳に響き、頭の中で何度も反響した。


 ……神隠しに、遭った。あの二人が。


 「……まさか」

 『本当なんだよ!信じて!あいつら、きっとわたしに黙って隠れんぼを試したんだ!神社に行った人が偶然気を失っているのを見つけて、病院に運ばれたんだよ!』


 叩きつけるような愛梨ちゃんの言葉が頭の中でぐるぐると回る。


 ……そんな。

 ちょっと待ってくれ。

 そんな、馬鹿なこと、

 あっていいはずがーーーー


 ……まあ、ここで。 

 ないと思えたら、まだ楽だったのだが。


 「マジかよ……」


 ぐるぐると脳を駆け巡った否定の言葉は、一瞬で消え去った。

 その言葉が本当であることは、愛梨ちゃんの焦燥した声が、如実に表していた。


 『そんな……』

 『…………クソッ』


 ぐぐっと手に力がこもる。

 つい、持っていたスマホを地面に叩きつけそうになった。




 








 喉元過ぎれば熱さを忘れるという。

 翌日ではなく三日後だった辺り、俺と愛梨ちゃんの説得は一応効いていたのだろう。

 しかし時間が経つにつれて俺がきっちり刺したつもりでいた釘も緩み、やがては抜け落ちた。結局は不安や警戒心と言った物を、好奇心が上回ってしまった。

 

 その結果。


 白木町の図書館で会った、隠れんぼをして神隠しに遭うか試してみたいと言っていたあの二人は、神隠しに遭った。


 びゅわり、と冷たい風が吹いた気がした。背筋に冷たさを感じ、冷や汗をかいていたことを知る。思わず抜けそうになった腰に力を入れ、落ち着こうと頭を左右に振った。


 「愛梨ちゃん……それは、本当かい。二人とも昏睡状態になったのか?」

 『ううん。二人とも目は醒めたみたい。でも、様子がおかしくて……』

 「様子が?」

 『うん。記憶喪失だって。二人とも何も覚えてないんだよ』

 「記憶喪失……?」


 意外な状況に目を瞬かせた。

 昏睡ではなかった。とりあえず意識はあることに、少しだけホッとする。

 いや、これはこれで一大事だが。


 「昏睡じゃなかったのか。意識ではなく、記憶を取られたと」

 『うん。隠し狐が持っていく大事な物って、一つだけじゃなかったんだ。二人は思い出が大切だったのかな』

 「そう言うことか……?」   


 人によって、大切なものが違う?

 いや、単に隠し狐のきまぐれなのか。


 ……うん? 


 心の中で首をかしげる。

 愛梨ちゃんの言ったことは、何か、腑に落ちないと言うか。

 いや、大変なことなのはよく分かる。

 しかし何だ。何か引っかかるような。

 何かつっかえてるような、気持ち悪さを感じるのだが。


 『どうかしたの?』

 『いや、ちょっと……』


 無意識に口元に手をやり、眉根を寄せて思考の海に落ちていく。記憶の中の何かが引っかかっている。何か見落としがあるような漠然とした感覚がある。何とかそれを引っ張り出そうと、ここ最近を思い返していく。それと同時にキーワードと言えそうなものが脳内を巡る。


 ……闇雲に考えるな。始めから整理していくんだ。



 記憶喪失。昏睡。神隠し。隠し狐。

 宮白山での隠れんぼ。

 俺は無事で。

 ゆらは意識を。……もしくは体を。

 あの二人は記憶を奪われた。

 願いを叶える代償として。


 ……本当に?

 そうだ。ここが何か……

 落ち着け。思い出せ……

 俺は無事で、ゆらが……

 いやまて、記憶喪失……?



 ーーーーあの時、あんたしばらくは落ち着きがなくて……


 ーーーーわたしのおもいをささげます……



 「……あっ」


 思わず、声をもらした。

 何がつっかえていたのか、ようやく分かった。スッキリしたと同時に、ドキリと胸が高鳴る。全身を静かな興奮が駆け巡った。

 まさか、そう言うことか。いや、可能性は決して低くはない。辻褄は合いそうな気がする。これが合っているならば、それなら、さっきの仮説は始めから間違っていたのか。



 ……だとすれば。

 まだ、少しは希望があるか……?

 


 『ユウ?どうしたの?』


 わなわなと震え出した俺を、ゆらが不審がったようだ。努めて冷静に返そうとするが、心の中の声まで少し震え気味だった。


 『ゆら……もしかしたら、俺たちは大きな勘違いをしていたのかもしれない』

 『ホントに!?ど、どういうこと!?』

 『それは……』


 すぐにゆらにも教えてやろうとしたが、それは叶わなかった。

 なぜなら答えようとした瞬間、

 

 『ちょっと!黙り込んじゃってどーしたのさ?……ねえ、聞こえてる?神隠しのお兄ちゃん!』


 スマホから響く余裕のない大声。

 愛梨ちゃんが痺れを切らしていた。

 慌てて意識をスマホに向け、確認をとる。


 「ごめん、少し考え事してて。……とにかく、前野くんと木山くんが宮白山で隠れんぼを試した結果、記憶喪失になったんだね?」

 『そう。そうだけど、それだけじゃないんだよ!由美ちゃんもなんかおかしいの』

 「えっ、篠原さんが?」


 ……あの大人しそうな子が?

 それは完全に予想外だった。不意を突かれ、間抜けな声を出してしまう。


 「……彼女は隠れんぼに参加しそうにはなかったけど……」  

 『別に記憶を失ったわけじゃないんだよ?隠れんぼにも参加してないし。でも病院で大ちゃんに会った途端に大泣きして……』

 「いや、それは普通じゃ?あの子なら泣いてもおかしくなさそうだけど……」

 

 少し怒鳴られただけで涙ぐんでいた子だ。泣いても別におかしくはないだろう。

 しかし、


 『おかしいの!なんだよ!』

 「は?」


 愛梨ちゃんの悲鳴にも似た大声が耳をつんざく。


 『木山くんを無視して大ちゃんだけに縋りつくし!』

 「え」

 『わたしが代わりになってあげられたらよかったのに、とかわめき出すし!』

 「ええ?」

 『最後には自分が隠し狐に願ってでも大ちゃんの記憶を取り戻す、とか言っちゃってるし!』

 「なぜっ!?」


 ……いつからそんなアグレッシブな子になったんだ!?自分まで神隠しに遭ったら意味ないだろう!?


 危うく声を荒げそうになった。何より、あまりにも篠原さんのイメージからかけ離れた行動だ。


 『……ここだけの話なんだけどさあ』


 愛梨ちゃんが内緒話でもするように声のトーンを下げた。


 『大ちゃんって、由美ちゃんのこと好きだったみたいなんだよね』

 「えっ」


 え、何その突然の暴露。

 へえ、前野くんが、篠原さんを?

 何とびっくり。 


 『ええー?そんな風には見えなかったけどなあ。怒鳴って怖がらせてたし』

 『俺にもそう見えたけど……。あれかな、つい好きな子にちょっかいかける小学生男子的な?』


 場違いにも面白いと思ってしまった。 

 そういや前野くんは思いっ切り小学生男子である。なるほど、初々しい、か?

 とりあえずあっさりと思い人をバラされた前野少年には心の中で合掌を送っておく。お気の毒さまである。


 閑話休題。


 ……しかし、まあ、なるほど。愛梨ちゃんの言わんとすることは分かった。

 つまり、

 

 「篠原さんがそうなったのは、願いの方が原因だってことか」

 『そう!』


 記憶喪失が願いを叶えた代償だとすれば、当然叶えた願いが存在する。愛梨ちゃんの言ったことから推測するに、前野くんの場合、それが『篠原さんに好かれたい』だったのだろう。その結果が篠原さんの異変ということか。願い自体は微笑ましいが、何とも笑えない事態になってしまった。


 「なるほどね……」



 ……はぁ。それはやっぱり。


 ……俺の責任、かなぁ。


 じわり、と。

 罪悪感が胸に広がった。

 どうしても、そう考えてしまう。

 一応阻止しようとしたのは確かだが、それでもこうなる危険を知っていながら防げなかったのだ。後悔も申し訳なさも大きい。


 彼らがもう少し大きければ、自己責任の一言で片づけてしまっていたかも知れない。しかしこれはまだ小学生の子供が好奇心から試したこと。責める気にはなれなかった。特に篠原さんは完全なるとばっちりだ。

 いやもちろん、あのときは最善を尽くしたつもりだったのだが、しかし。


 「…………」

 『ユウ?』


 ……今思えば。他にも確実な方法があったのではと思えてくる。

 例えば彼らの親に相談する、とか。もちろん信じて貰えるとは思わないが、しかし全く相手にされないということもなかったのではないか。一応夜刀上ゆらの昏睡や神隠しの噂話は割と広まっているようだった。そんな場所に子供を向かわせたいと思う親もいるまいし、とりあえずでも止めて貰える可能性はあったかも知れない。

 ……まあそれを子供が、特に前野くん辺りが大人しく聞くかどうかは別問題だが。


 じゃあ何故しなかったか?

 自問自答するまでなく答えは既に、何となくだが分かっている。

 あの時はやれるだけの説得はしたつもりだったが、当の俺も甘く見ていたのかも知れない。あれだけの体験をしたあとながら、心のどこかでは多分ないと高をくくっていた。恐らく大丈夫、俺がそこまでして動く必要はない、と。

 ……甘い考えで、自分の労力を厭った。


 『ユウ、大丈夫?』

 『大丈夫。……ただちょっと、自分に腹が立っただけだ』


 ぎり、と歯を噛む。

 やり切れない感情が湧き上がるが、その思いとは逆に、頭は冷静だった。

 二人の少年が記憶を奪われたのだ。起きてしまったことは仕方がないなどとは、とてもではないが言えない。が、ここで俺がくよくよ悩んでも仕方がない。

 軽く首を振り、思考を切り替える。そっちを考えるのは今じゃない。さっき気づいたことを確かめないと。


 「前野くんが願ったのがそれとして……。木山くんは何を願ったのか分かるかな。何か他に、変わったことは起きてない?」

 『うーん、ごめん。それはまだ分からないよ……』

 「そうか。……ねえ、一旦電話を切って、後でかけ直してもいいかな?一つ確かめたいことができたんだ」

 『え?まぁいいけど』

 「ありがとう。すぐかけ直すね」


 スマホを耳から離し、通話を切る。騒がしさが一転、図書館の前は静かになった。


 すっきりとした空とは裏腹に、いたたまれない空気が漂う。出来ることなら、全部忘れて帰ってしまいたい。そんな現実逃避を考えかけ、二人の記憶喪失を思い出し、さらに気持ちが凹んだ。


 『ねえ、確かめたいことって、さっき言いかけた……?』

 「あ、ああ」


 そんな雰囲気を壊してくれたのは、ゆらの好奇心と不安をない交ぜにしたような声だった。その声で我に返る。

 そうだ、途中でさえぎられたんだったか。先に彼女に説明しておくか。

 

 「……よし」


 出来れば落ち着いて話したい。俺は座れるところがないか探し始めた。同時にコホンと咳払いを入れ、まわりに人がいないことを確認して小声で話し出す。


 さて、何から話すべきか。


 「これは、さっき愛梨ちゃんと話しているときに気づいたんだけどさ」


 まあ、焦ることもない。

 始めから話していこう。

 ゆらはどう思うかな。

 まだ確証はない。

 だが、それでも。

 

 「……もしかしたら、俺たちも記憶を奪われたのかも知れない」



 これが合っていれば。

 一つの可能性が浮かび上がってくる。

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