第12話 神隠しの実験

 神隠しが起こるか実験ををする。

 宮白神社で。

 俺たちが昔やったのと同じ方法で。


 ……それは、絶対に駄目だ。冗談じゃ済まない。


 宮白山の神隠しは存在する。さっき俺たちが体験してきた。

 わざわざ自ら、それも俺たちが神隠しに遭った可能性の高い方法で神隠しに遭おうとするなんて、自殺行為だ。ゆらと同じように、帰れなくなってもおかしくはない。


 『ユ、ユウ、これ、不味くない!?』

 『不味い。本当に神隠しに遭っても何もおかしくないぞこれは……』

 『止めないと!』

 『ああ、もちろん!……いや、でもどうやって止めれば……?』


 とっさに制止の言葉を口にしようとして、はたと動きを止める。


 ……止める、と一口に言っても、どう言えば従ってくれるだろうか。

 残念ながら、俺が何を言っても止めてくれる気がしないのだが。


 動きを止めたまま、しかし脳は高速回転させて何を言うか考えてみる。

 疑われるのを承知の上で全部話してしまうべきだろうか。いや、まず信じないだろう。むしろ変に反抗して興味を持たれるかも知れない。

 適当な作り話で脅してみようか。……これ以上余計なことを教えたくはないな。まずどんな作り話なら通じると言うのか。

 いっそのこと親に……相談なんて出来るわけない。お子さんが神隠しに遭いますとでも言うつもりか。

 小学生だけだと危険……なわけないな。本社までだし。


 『やばい、止める理由が見つからん』

 『ええっ!?』


 頭を抱えたくなった。

 そもそも神隠しを信じていない相手に神隠しを信じさせるのはかなり難しい。しかし信じて貰えなければ宮白山での隠れんぼを止める理由がない。ただ神社の境内で隠れんぼをするだけだ。それだけなら何も問題は無い。


 ……ど、どうするよ、これ……。


 手詰まりだ。

 何も思い付かず、黙ったままだった俺だが、幸いなことに彼の提案には全員が賛成というわけではなかった。

 俺と同じように少し考え、愛梨ちゃんが眉をひそめて口を開く。


 「大ちゃん、それは……止めとこう」

 「は?何でだよ?」

 「だって、それで神隠しに遭ったらどうするの?わたしのお姉ちゃんと同じように、眠ったままになっちゃうかも知れないんだよ!そんなの嫌でしょ!?」

 「はぁ?びびってんのかよ」

 「そうじゃない!」


 愛梨ちゃんはバンッとテーブルを叩いた。

 彼女は本気で姉が神隠しに遭ったと信じている。それ故に友人が危険を冒すのは当然止めたいに違いない。良い流れだと、彼女の援護射撃に内心でガッツポーズをする。


 しかも、篠原さんも後に続いてくれた。


 「だ、大ちゃん。その、わたしも止めといた方がいいと思う。もし本当に神隠しに遭ったりしたら怖いし……」

 「ああ!?んなもん大丈夫に決まってるだろ!びびってんじゃねーよ。もし何か出てきたら俺がぶっ飛ばしてやる!」

 「ひうっ……」

 「出来るわけないじゃん!わたしのお姉ちゃんは本当に神隠しに遭ったんだ。同じことなんてしたら隠し狐に連れて行かれるよ!」

 「怖ぇんなら別にお前ら来なくてもいいよ。俺と木山で行くから。むしろ二人だけでやった方が成功しそうだし」

 「だーかーらー!危ないって言ってるの、この分からず屋!」


 前野くんと愛梨ちゃんが睨み合い、場の雰囲気が悪くなる。篠原さんは前野くんを怖がっている様子で、さっきはストップをかけた木山くんも何か考えている様子で動く気配がない。

 ……口を出すならこのタイミングか。ここは年長者として、俺が場を収めておくべきだろう。


 「はいはい、二人とも落ち着いて。ここは一応図書館なわけだし、あまり大声出すのは控えような」

 「でも大ちゃんが……」

 「ふん。ビビりが」


 不満げな顔ながら、一応二人は矛を収めてくれた。

 しかし、どうしたものか。俺としても出来れば愛梨ちゃんの説得に応じて欲しかった。しかし彼も意固地になっている。この分だと自分たちだけで行ってしまいそうだ。別に宮白神社に行くだけなら問題は無いが、例の神隠し空間にまで迷い込むと取り返しがつかないかもしれない。何とか諫められないかと言葉を探す。


 「……まあ、二人とも思うところあるんだろうけど、ケンカはしないように。愛梨ちゃん、お姉さんの事があって心配なのは分かるけど、少し熱くなりすぎだよ。前野くんも、あまり危ないことはしないで欲しいな」

 「お前には関係ねぇだろ。っていうか、危なくねえよ。まさか神隠しに遭うって言いてぇのか?」

 「遭ったらどーすんの!」

 「まあまあ二人とも……」

 

 ……聞いてくれないか。

 まあ、客観的に考えたら何が危ないのかという前野くんの主張は正しい。と言って引き下がれる訳も無し。


 ……別のアプローチに変えてみるか?


 「うーん。しかし、前野くんは宮白神社で神隠しが起こるかの実験をしたいわけだよね?……そもそもの話をするけど、それってやる意味がないんじゃないかな?」

 「は?何言ってんだ?」


 出来るだけ『素朴な疑問』とでもいうように首をかしげる。


 「いやだって、前野くんは神隠しなんて起こらないと思ってるんだよね?それなら、わざわざ実験しなくても、結果は分かってるじゃないか。何も起こらないんだろ?」

 「い、いや。俺だってこの自由研究やってるんだし、絶対にないとは……」

 「うん?それはつまり神隠しに遭う危険があるってことかい?」

 「え、ええっと……」


 言いよどむ前野くんに質問をたたみかけていく。

 深く考えていた訳ではないだろうが、彼とて心のどこかには、ひょっとすると神隠しがあるかも知れないという期待くらいはあるのだろう。でなければ実験しようなどと思うまい。しかし同時に、自分が神隠しに遭うはずがないと高をくくっている。二つは矛盾しているが彼自身は気づいていない。だからこそ狙い目。その矛盾を一気に突き崩す!


 『大人気ないね』


 やかましい。


 「そもそも、この隠れんぼの実験は絶対に成功しないよ。きみの思ってる通り神隠しがなかったら当然何も起こらないし、あったらあったできみは意識を失って戻って来れなくなる。……これって、どっちにせよ失敗だよね?」

 「そ、そうなのか?」

 「うん。神隠しが起こるか起こらないかの実験なんて、そもそも起こったら拙い訳で。失敗することが前提なんだから実験にすらなってないよ。やるだけ時間の無駄かな」

 「ふーん……?」

 

 とりあえず小難しいことを言って煙に巻いておく。大人がよく使うせこい手は、単純そうな前野くんには効果てきめんのようだ。彼は「うーん、ならいいかなぁ」とか言いながら頭を掻いている。

 何とか止められたかと胸を撫で下ろす。



 ……が、それも束の間。



 「そうでしょうか?」


 喧騒を余所に沈黙を守ってきた彼が口を開いた。クイッと眼鏡を押し上げる。


 「絶対に成功しないと言うことはないでしょう。神隠しに関する何かが起こり、かつ僕たちが帰ってこられれば成功です」

 「木山くん……」


 そう言って俺を見たのは木山くんだった。

 彼は俺が敢えて言わなかった部分をきっちりと指摘してきた。眼鏡がキラーンと輝いた気がする。まさかここで木山くんが前野くんに加勢するとは。頭の回転が早そうな彼が向こう側に付いたのは痛い。


 しかし、木山くんの反論には穴がある。彼が言ったのは、もし神隠しがあった場合の話だ。例え偶然に帰れたところで、その時点で彼は神隠しで帰れなくなる危険を犯していることになる。それを認める訳にはいかない。


 俺はそのことを指摘しようと口を開きかける。しかし、木山くんが先んじた。


 「まあそれはもし神隠しがあった場合の話ですけどね。だとしたらもちろんそんな怖いこと出来ませんけど、僕も正直、神隠しに遭うなんてことはないと思います。でも別に何も起こらなかったところで、失敗じゃないですよ。『何も起こらなかった』という実験結果が出るだけですから」

 「あれ、それでいいの?」

 「はい。というかこの自由研究、四人でやってる割に書くこと少なくて困ってるんですよねー。だから、実験してどうだったかは是非とも書きたいんですよ」

 「ああ……なるほどね」

 「はい。だからむしろ、何か変なことが起こったときの方が書くのに困ります」

 「だろうね」

 

 ……宿題を引き合いに出されたら、もう引き下がるしかない。しかも彼の意見を聞いて、前野くんも再びやる気を出してしまったようだ。よく分かってなさそうな顔で頷いている。


 光る眼鏡が少しイラつく。ああもう、余計なことを言ってくれたな木山くん。


 「よし、じゃあ木山、二人で行こうぜ!そいつと愛梨のねーちゃんも二人で神隠しに遭ったんだよな?ならむしろ二人の方がいいじゃねえか!」

 「だから止めなって!お姉ちゃんみたいになったらどうすんのさ。木山くんも本気で行くつもり!?」

 「……実際のところ神社で隠れんぼをやってみるだけだしね。大丈夫、もし何か変なことが起こったらすぐに止めるよ」

 「それじゃ遅いって!」 


 愛梨ちゃんが叫ぶも、二人は完全に乗り気の様子だった。このままでは恐らく、彼らは二人で宮白神社での隠れんぼを試すだろう。


 ……非常にまずい。


 『ユウ、止められてないよ!?』

 『分かってるよ。……なあ、他にどうすりゃ止められると思う?』

 『分かんない。正直に話せば?』

 『即答かい』


 考える気あるのかと言いたくなる答え。

 できるか、と言いそうになったが寸前ではたと止まる。


 ……ある程度まで話すのは悪くないかも知れない。いや、と言うよりはある程度仄めかして伝える。

 何も全部信じて貰う必要はない。あるかも知れない、と言う危機感を煽れれば……


 『……いや、でも確かに、後は真摯に説得するしかないのかもな』

 『えーっと、つまり?』

 『それは……』


 答えかけたところで、愛梨ちゃんが俺に話を振った。


 「ねぇ、神隠しのお兄ちゃんも何か言ってよ!」

 「え、ああ……」


 切羽詰まった様子だった。

 少し不意を突かれながらも、考えかけていたことを頭の中で再生する。もう観念して、ある程度正直に話すしかない。


 ……よし。


 「そうだね。……俺も一応、下手に実験するのは止した方がいいと思うよ」

 「はあ?何だよ、お前までそんなの信じてるのか?」

 「さすがにないと思うんですけど……」


 自制を求めるも、二人が難色を示す。

 それが普通だ。しかしそれでは困る。


 「信じてる、か。うん、そうだね。半分くらい、信じてるかな。……ねえ、前野くん、それから、木山くんも」

 「何だよ?」

 「はい?」

 

 身を前に乗り出し、前野くんと目線を合わせた。浮かべていた愛想笑いを消し、自分が真剣だということを相手に伝える。


 「与太話だと思わないで、しっかり聞いて欲しい」


 前野くんの勢いが少し削がれた。

 出来るだけ感情を込める。

 彼らが身の危険を感じ取ってくれるよう、言葉を選ぶ。


 「……俺は神隠しがあってもおかしくないと思う。いや、分かってるよ。普通に考えればおかしいことなんだ。でもほら、俺は神隠しを実際に体験してるからね。だから、ないとは思えない」


 思い起こすのはついさっき体験した神隠し、ではない。

 そんなはっきりしたものではなく、不確かな、しかしだからこそより現実から離れていたあの夢だ。


 「愛梨ちゃんに、俺が話した神隠しのことは聞いたらしいね。宮白山に霧が出ていたよ。これ、普通は有り得ないことだけど、事実なんだ。いや、それだけじゃない。これは具体的に言い表せるものじゃあないんだけど……神秘的とでも言えばいいのかな。空気が違った。現実から離れて、遠いところまで来てしまったみたいな……そんな心細さを感じたんだ」


 「え、それ聞いてないよ?」


 「まあこれは、結局のところ俺の主観でしかないからね。敢えて言わなかったんだ。まあとにかく、神隠しのことは割とはっきり覚えてるよ。十五年も前、三歳のときのことだとは思えないくらい。だからこそ、俺は宮白山の神隠しを否定しない」

 

 嘘をついてしまっている。

 といっても、些細な嘘だ。

 夢を記憶だと偽っただけ。

 あの夢は、夢だとすぐに分かってしまうほど現実から離れていた。


 「正直、この歳になると幽霊とかUFOとか、そういうのは馬鹿らしくなってくるんだけど、これだけは別なんだ。俺は神隠しだとしか思えない体験をして、それを覚えている。だから否定しない。自分の記憶を否定することは出来ないからね」


 いったん息を吐き、姿勢を戻す。

 二人とも真剣に聞いてくれている。後一押しだろうか。頼むぞ本当に。


 「……ま、いくらはっきり覚えてるとは言っても、三歳のときの話だ。記憶違いだと言われれば、違うと言い切ることは難しいよ。……でも、宮白山では現実に一人、神隠しに遭っている。君たちはこのことをもっと真剣に受け止めるべきだ」


 ちらりと愛梨ちゃんの方を見る。

 つられて二人もそちらに向いた。

 彼女がちょっと居心地悪そうに身じろぎをする。


 「俺は午前中に愛梨ちゃんの家にお邪魔させて貰って、お姉さんの話も聞かせて貰ったんだよ。原因不明の昏睡状態だってさ。どこのお医者さんも何で眠ったままなのか分からないって言ってたよ。まあつまり、何が言いたいのかって言うと、……宮白山で、少なくとも現代の医学では解明できない『何か』が起こったのは、紛れもない事実なんだ」


 視線を前に戻す。

 じっと、問い詰めるように見つめる。

 二人が少し怯んだ。


 「君たちの隠れんぼの仮説は面白いと思う。正直、合ってる可能性も高いんじゃないかな。でも、だからこそ神隠しに遭う危険もそれなりに高いと思うんだよ。だから、止めて欲しい。……ここまで聞いても、単なる実験のために危険を犯したいと思うかい?」

 

 思わないだろう?

 頼むからそう言ってくれ。

 そう願って反応を待つ。


 ……残念ながら、二人とも納得いかないという表情だった。しかし同時に、その顔には迷いも生まれていた。


 「……そりゃ神隠しに遭いたいとは思いませんけど。……でも、宮白神社は今までもときどき行ってたんですよ?あの場所は皆よく知ってますし、隠れんぼをしたくらいで何か起こるとは思えません。そもそも非科学的です。多分そんなことは起こらないと思います」

 「もう、危ないって言われてるのに何でそんなこと言うの?本当に眠ったままになっても知らないよ!?」


 木山くんも意地になってしまっているのか、狼狽しながらもそう言って、愛梨ちゃんが頭を抱えた。俺も顔に苦い感情が浮き出そうになる。

 非科学的。一番厄介なのはこの、科学で証明できないものを否定する固定観念かも知れない。かく言う俺も今日の昼までは、非科学的を理由に神隠しを否定していた。


 ……しかし、彼の反論には迷いが如実に表れている。


 「多分、ね。じゃあ少しは神隠しに遭う可能性もあるって考えるわけだ」

 「それは……」

 「まあ俺も、起こるか起こらないかで言えば、何も起こらない可能性の方が高いと思うよ。でも、そういう問題じゃないんだ。例え1%でも危険があるなら、絶対に避けるべきだと思う」


 この場合の危険とは、昏睡状態に陥り目覚めなくなることだ。原因も対処法も不明なこの症状。彼らは甘く見過ぎではないだろうか。

 十五年経っても意識が回復しない例がある。愛梨ちゃんがいる手前、口には出さないが、これはもはや死と同義に考えてもいいレベルの『危険』である。


 「……さっきから愛梨ちゃんが何度も、もし神隠しに遭ったらどうするのかって聞いてるけど、本当にどうするつもりなんだい。眠ったまま、目が覚めなくなるんだぞ?治療法は見つかっていないんだ。もしかしたら、そのままずっと眠ったままかも知れない」

 「それは……もしもの話でしょう?」


 言い淀む木山くんに、ここぞとばかりに愛梨ちゃんが声を張り上げる。


 「だから、もしも遭ったら取り返しがつかないって話でしょ!ウチではお姉ちゃんが眠りこんじゃって大変なんだから!」

 「愛梨ちゃんの言うとおりだよ。俺はさっき彼女の家で話を聞いてきた。俺なんかが理解出来るはずもないけど、大変と言うのはよく分かったよ。愛梨ちゃんの家族はお姉さんのことでーーーー」

 「そう!いちいち世話しなくちゃなんないし!お父さんもお母さんも悲しい顔で家の空気重くするし!それがずーっとだよ?もーなんなのってーー」

 「ーーーーだそうだ。加えて、当のお姉さんは既に十五年も眠ったまま過ごしている。例え意識が回復したとしても、昏睡で失った時間は、もう二度と返ってこない」


 自分で口に出して、その重さを実感する。

 そう。十五年だ。

 子供でいられる時間を、十五年。

 言いようのない憤りすら湧いてくる。

 

 ……ゆらは黄金に輝く子供時代も、甘酸っぱい青春も経験出来なかった。例え俺の記憶を得たところで、釣り合いが取れるはずもない。失った時間はあまりに大きすぎる。


 ーーーー本当に、取り返しがつかない。

 

 「……例え可能性が低くても、非科学的でも、前例が存在する以上有り得ないことじゃない。一時の好奇心で試すにはリスクが大きすぎる。無事だったところで何も起きないし、もしも遭ったら、家族に多大な迷惑をかけ、自分はこれからの時間を失ってしまう。そんなのは嫌だろう?……どう考えても割に合わないよ、絶対に止しておくべきだ」


 抱いた感情を昇華し、言葉に乗せる。冷静な口調のまま、しかし強く言い聞かせる。俺には彼らの行動を制限することは出来ない。結局のところ、出来るのは自制するよう促すことだけだ。

 

 「そう、そうだよ!無理に行く必要もないじゃん!行かないって約束してよ!」

 「わ、わたしも、そう思う……。なんか、ダメそう……」


 俺に押されるように、愛梨ちゃんと篠原さんも同調してくれた。男子二人は黙ったまま。木山くんは腑に落ちないながらも理解してくれたような、前野くんは納得はしたけど面白くなさそうな、そんな顔をしている。

 そして、


 「そう……ですね。分かりました。触らぬ神に祟りなしと言いますし、下手なことは止めておきます」

 「チェッ」


 木山くんは、了承。

 前野くんは舌打ちしてそっぽを向いてしまった。


 「前野くん、ここは意地張るところじゃないよ」

 「…………」



 暫しの沈黙。

 憮然とした顔の前野くん。

 固唾を飲んで彼の目を見る。


 一拍おいて、


 彼は嫌そうな顔をしながらも「分かったっての」と小さな声で呟いた。


 その一言で、張り詰めていた空気が緩む。


 「っはあ!よかったー、一時はどーなることかと思ったよー!」

 「言っとくけど、ビビった訳じゃねーからな!」

 「はいはい、分かってるって。いやー、でも神隠しのお兄ちゃんもありがとうね本当に!」

 「あはは、どういたしまして」


 気が緩んだのか愛梨ちゃんはテーブルに突っ伏した。手が当たって倒れかけたコップ篠原さんが慌てて手を添えている。

 正直俺も、一安心と言うことで一息つきたいところだ。


 ……しかし、気にかかる点が一つ。


 『さっすがユウ!よかった、これで二人が神隠しに遭うのは防げるね!』

 『ああ、分かってくれてよかった。……なあ、あの二人、止してくれるかな?』

 『……多分?』

 『多分、か』


 ここまで言っとけば多分、大丈夫だと思うのだが。


 ……納得いってなさそうな木山くんの表情と、前野くんの面白くなさそうな顔が、妙に不安を煽った。












 話すことは話したということで、そのあとはすぐにお開きになった。元から俺に意見を聞くという話であり、期せずして説得するなかで神隠しの体験談を語ってしまったので、別に不自然なことはない。ただし、実際のところそれ以上続けられるような雰囲気でもなかったのだ。


 『なんか……カフェで休憩したはずなのに、余計疲れた気がするね』

 『まったくだよな。さっさと帰ろうぜ』

 『うん!』


 図書館を出て、バス停に向けて歩く。ちなみに、彼らの自由研究については俺も見せて貰ったのだが、大体俺が愛梨ちゃんに聞いてきたことや俺が語ったことのまとめであり、真新しいものはあまりなかった。内容としてはまだ薄く、木山くんが実験結果を載せたがったのも分かるというものだ。


 「はあーあ、やっぱ大げさに考え過ぎじゃねーかぁ?」

 「またすぐそう言う!いい加減諦めなって」

 「そ、そうだよ……。葛葉さんのお話、聞いてて怖くなっちゃったもん。やっぱり神隠しはあるんだよ……」

 「はあ?んなのにビビったんかよ!?ったく、度胸のねえやつだな!」

 「ひうっ!」

 「はいはい、そこまで。篠原さんを虐めないの」


 一緒に歩きながら、小学生たちの会話に耳を傾ける。微妙にギスギスした空気を残しながらも、当初見せていたようなやり取りが発生していた。

 こう言うのを見せられると安心する。多分二人の性格上、愛梨ちゃんと前野くんのケンカはしょっちゅうなのだろう。あまり長く引き摺る心配はなさそうだ。


 四人の後ろを歩きながら、ふと空を見上げる。少し日が落ちかけてきた空。これを見たのは本日二度目だ。

 感覚的にも時間的にも非常に長い一日だったが、ようやく帰れる。宮白山はもちろん、この白木町自体俺にとっては遠い場所だ。神隠しを引き摺っているのか、さっさと見慣れた町、住み慣れた家に戻りたいと思った。


 ……戻った先の日常を思い浮かべ、その中にごく自然にゆらが居ることに苦笑する。彼女の存在はあっという間に、俺の日常になってしまった。

 

 「あっ、バス来てるよ!」

 「あ、マジだ」


 聞こえてきた声に、高めに浮いていた視線を前に戻す。そのまま右に目をやると、確かにバスが近づいていた。

 駅ではなく宮白山行き。

 彼らが乗るバスだ。


 「やべ、急げ!」

 「急ごう!」

 「うん、……それじゃあね、神隠しのお兄ちゃん!今日はありがとー!」

 「うん、俺も楽しかったよ。じゃあね、愛梨ちゃん」


 急なお別れになってしまったが、愛梨ちゃんは爽やかにそう言って走って行った。他の子達も「ありがとうございました」や、「じゃあな!」と言って軽く手を振ってくれる。約一名、声が小さくて聞こえなかったが。

 俺も右手を上げ、軽く左右に振った。

 


 『何というか……いいね、友達って』


 子供たちが走り去った後、ポツリと呟かれたゆらの声には、紛れもない羨望と……僅かな、悲痛の色があった。

 今の光景は、ゆらが失ったものだ。


 『そうだな。……でも、別に幾つになっても友達はいいもんだろ?』

 

 慰めるように、そう言う。

 失った時間は取り戻せないとしても、これからの時間を使って埋め合わせて行くことは出来るのだ。これから先、楽しんで貰いたいと思う。


 そうなると体を共有している俺の存在が邪魔になってしまうのだが……


 「まあ、仕方ないよな……」

 『何が?』

 「いや、何でも」


 現状、ゆらを元の体に帰す方法はない。悪いがそこは我慢してもらうしかない。そのうち、体の主導権についてはしっかり話し合う必要があるだろう。気が重い事だが。



 「……じゃ、帰るか」


 駅に向かうバス停は道路の向かい側だ。車が来ていないのを確認し、道路を横断しようとする。

 そこで、


 『あ』

 「どうした?」

 『いや、図書館……郷土資料コーナーに行くんじゃなかったっけ?』

 「あ」


 ……そうだ。そっちに行こうとして愛梨ちゃんに声をかけられたんだった。つい彼らにつられて図書館を出てしまった。


 「あー……どうするかなぁ」

 『うーん……』


 その場で振り返る。

 図書館はすぐ近くだし、まだ時間は十分にある。しかし、どうにも足を戻す気にはなれない。

 別に急いでる訳でもない、が……


 「まぁいっか。疲れたし……」

 『うん。帰ろう……』


 再び踵を返す。

 正直、面倒くさかった。

 二人とも完全に帰宅ムードだったし、何より疲労と空腹がそれを助長する。

 もう結論は出たようなもんだし、わざわざ戻ることもないだろう。というか疲れた。

 

 少し気にしながらも、そのまま道路を横断しバス停へ歩く。


 「はぁ、しっかし濃い一日だったな。主に神隠しのせいだけど」

 『ホントにねー。長かったし、怖かったし、疲れたし、お腹も空いたよ……』

 「駅についたらおやつでも買うか……。あ、そういやお饅頭持ってたの忘れてたな」

 『食べる?』

 「どうするかなー」


 

 バス停のベンチに腰掛け、ゆらと今日の感想を言い合う。神隠しに関しては愚痴が多くなってしまうのはご愛嬌だ。隠し狐もそれぐらいは目こぼしして欲しい。



 しばらく待ち、バスが到着した。

 俺の前で止まり、ぷしゅーという音と共にドアが開く。降りる人はいないようだ。

 俺は小銭を確認し、バスに乗り込もうとして、


 「…………」

 『どうかした?』

 『いや』


 そのまま乗り込み運賃箱に小銭を落とす。

 一瞬、乗るのを躊躇してしまった。何となく、後ろ髪を引かれるのだ。


 図書館で調べ忘れたこともそうだが、ゆらを元の体に帰すこと、愛梨ちゃんやさっきの子供たちの心配など、気になっていることは多い。


 『今更だけど、大丈夫だよね?あの子達……』

 『多分、なんだろ?』

 『う、うん。そうだったね……』

 

 一番不安なのはやはりあの二人だ。出来るだけの説得はしたが、どれだけ言い募っても多分大丈夫、でしかない。


 『でも逆に、あれ以上は言えなかったと思うしなぁ』


 止してくれると思いたい。よしんば隠れんぼを行ってしまったとしても、何も起こらない可能性も高い。だから多分、大丈夫だろう。まったく、何でこう胸騒ぎがするのか。


 ……下手な可能性は考えないようにしよう。そう思ったが、このことは中々頭から離れてくれなかった。 













 いやな予感は当たりやすいらしい。


 前野大地

 木山英治


 この二人が神隠しに遭ったのは、この三日後の事だった。

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