第6話 妹の計画
部屋に入ってきた愛梨ちゃんは、ベッドの傍のイスに腰を下ろした。そして目ざとく俺の持ってきた果物に目を付ける。
「あ、お見舞いに果物?バナナもらっていい?」
「どうぞ。でも、どうしてここに?さっき智惠さんが君を探しに行ったみたいだったけど」
「今はおばあちゃんに捕まってる」
「ふうん」
愛梨ちゃんはさっきとは違う可愛らしい服を着ていた。髪も整えてある。名家というだけあってか小学生でもその辺はしっかりしているようだ。イスに座って足をパタパタさせてる辺り、教育が厳しいという訳でもなさそうではあるが。
「お見舞いねー。とりあえず来てくれてありがとうだけど、どうして突然?神隠しのお兄ちゃんは、今日がお見舞い初めてだよね?」
バナナの皮を剥きながらそう聞いてくる。
さっきの反省の手前、少しばつの悪くなる質問だ。
「ふとしたことで昔を思い出してね。それでお見舞いに来ようと思ったんだよ」
「ほほー?それって、もしかして神隠しに遭ったときのこと?」
「あー、多分そうなのかな?」
流れでそう答えてしまった。
それを聞いて、愛梨ちゃんの目がキラリと光る。
「うおう、これはいい手がかりになりそうかも!?ねえねえ神隠しのお兄ちゃん、ちょっとその話、聞かせてくれない?」
「構わないけど……手がかりって?」
「あー、それは……」
彼女は少し逡巡したあと、にやりと笑った。そして少し声を落として、「お母さんには秘密にしてくれる?」と聞いてくる。
とりあえず頷いておいた。
「それなら教えてあげる。実はね、わたし今、宮白山の神隠しについて調べてるの。夏休みの自由研究にしようと思ってるんだ!」
「へえ、それはまた。面白そうなテーマだね」
「ふふん、そうでしょ?内緒だよ、これ。お母さんは反対するかも知れないし」
人差し指を口元にあて、しーっ、というジェスチャーをする。
……神隠しを調べると。なるほど、小学生の自由研究にするなら、そんなテーマもありなのか。噂やら言い伝えなどを調べていくなら、学習にもなり得るかも知れない。それにまあ、当事者の妹な訳だし。智惠さんからすれば複雑かも知れないが。
「で、どうかな、神隠しのお兄ちゃん?どんなことを思い出したか聞きたいんだけど」
「そうだね、確か君のお姉さんと手を繋いで神社の参道を歩いてた」
「おお、仲良しですねー。で、他は?」
「それくらいかな」
「はえ?」
愛梨ちゃんは一瞬ポカンとして、すぐにムスッとした顔になった。
いや、そんな期待外れみたいな顔をしないで欲しい。本当にそれだけなんだから、そう口を尖らせないで。
『え、それだけ?』
『お前もか。実際それだけだろ』
『だとしても、もー少し詳しく言ってあげようよ』
『詳しくったってなあ……』
他に何があったっけか。
「んー、もう少し詳しく言うと、二人で石畳の階段を降りてたな。あと霧が出てたかも知れない。君のお姉さんは木の棒みたいなのを持ってて……あ、そうだ鳥居が幾つかあったな」
「……鳥居?」
愛梨ちゃんが不満そうな顔から難しい顔に変わった。眉根を寄せ、何かを思い出すように目線を泳がせる。
「んー?そんなの、あったっけ?」
「えっ、ないの?」
「少なくとも本社までの道にはないよ。うーん、分社の方に行く道はわたしも全部は知らないし、そっちかな。あそこやたら道が多いし」
「分社?」
「うん、宮白神社は少し登ったところにあるんだけど、山のてっぺん辺りに分社があるの。多分、そっちへ行く途中の道で迷ったんじゃないかな。それが分かっただけでも収穫だよ」
愛梨ちゃんは何時の間にかメモを取り出し、書き込んでいた。元々俺に話を聞くためにこの部屋に来たらしく、準備がいい。
彼女は書き込んでいる途中でペンを止め、また首を傾げた。
「……霧?夏の昼間に?」
「……悪いけど思い違いの可能性もあるよ。俺が三歳のときの話だからな」
「ううん、神隠しに遭ったんだから、霧が出てもおかしくないと思う。お母さんはあの日に霧が出たなんて言ってなかったし……。うん、むしろこれはお姉ちゃんが神隠しに遭ったっていう証拠になるかも!」
さすがに夢の内容そのままは不自然過ぎたかと思ったが、愛梨ちゃんは研究の信憑性が上がったと喜んでいた。ユミちゃんたちにも教えてあげなきゃ、と口走る。もしかしてこれ、友だちとの共同研究なのだろうか。
「よしっと。あの、鳥居と霧以外に何かあったりは……?」
「ごめん、もうない」
「そっかー。でもいいや。ありがとう、神隠しのお兄ちゃん。参考になった」
「それはよかった」
大したことは言えていないが、それでも当事者の一人の証言として価値があったようだ。満足してくれたようで、メモを仕舞って食べかけだったバナナをパクついている。
「あ、そうだ。お兄ちゃん、よければ、連絡先交換してくれない?後で何か聞きたいことができるかも知れないし、もしまた何か思い出したことがあったら教えて欲しいんだけど」
「構わないよ。と言っても、それ以上のことはあまり期待しないで欲しいかな」
「そっかー。うーん、わたしも後で鳥居を探してみるつもりだし、見つけたら写真送ってみるね。そしたら何か思い出したりしないかなあ」
「さあ、分からないけど……」
しかし、それを聞いて少し心配になった。彼女は鳥居を探すつもりなのか。神隠しの噂が立つような山で。山での神隠しなんてたいていは山岳事故かなにかだろうに。
俺がきっかけを与えておいて何だが、それは大丈夫なのか。危険はないのだろうか。
「……愛梨ちゃんは、てっぺんの分社へ続く道を探すつもりなんだよね。一応聞いとくけど、その道って危険な場所があったりはしないかな?出来れば誰か大人を連れて行った方が……」
「ないない!大丈夫だよ!もう、大人はすぐ心配するんだから。神隠しの噂も言い伝えが元だし。……道が多くて迷いやすいのは確かだけど、事故があったなんて話は聞いたことないもん」
「それならいいんだが……」
納得しかけた俺だったが、次の一言にピタリと動きを止めた。
「それに、神隠しに遭うことを心配してくれてるならそれこそ余計なお世話だよ。この研究テーマを決めたときから、神隠しに遭う覚悟くらい決めたもん」
「え?」
……神隠しに、遭う?
「ちょっと待って。何でそうなった」
一瞬聞き間違えたかと思った。神隠しに遭うなんて、そんな覚悟はどこから出て来たというのか。
険しい顔になる俺を見て一瞬だけ軽率だったかな、という素振りを見せたが、彼女は強い目で先を続けた。
「お姉ちゃんが神隠しに遭ったせいでこうなったんでしょ。なら、連れ戻す方法もあるかも知れないじゃない」
「……神隠しを調べて、お姉ちゃんを取り戻そうとしているのかい?」
「うん」
こくり、と頷きを返してくる。
本気のようだ。
俺が何かを言う前に、頭の中でゆらの焦った声が響く。
『そ、それはダメだよ!気持ちは嬉しいけど、でも……でも、キミまで神隠しに遭ったらどうするの!?ちょ、ユウ、止めて止めて!それはやっちゃダメだよ!』
『まてまて落ち着け。大丈夫だ。神隠しなんてそうそうあるもんじゃないだろ。あくまで単なる噂だ』
『ほ、本当に?でも、実際にボクが神隠しに遭ってるんだよ!?』
『それはそうだが……』
……そもそも神隠しなんて存在するのかって話だ。
ゆらには悪いが、俺はそこまで深刻とは思えなかった。
智惠さんも言っていたことだが、俺も神隠しは眉唾ものだと思っている。確かに、夜刀上ゆらの昏睡に関しては原因が不明な辺り無気味なものを感じるが、少なくとも愛梨ちゃんが神隠しの自由研究をして神隠しに遭うなんてことがあるとは思えない。
その自己犠牲的な部分もある覚悟はどうかと思うが、俺としては正直、姉を助けるための行動は好感が持てる。
宮白山の参道が小学生が散策することに危険が無いような場所なら応援してやりたい。後で誰か宮白山に詳しい人に確認を取っておこう、と心に決める。
「そうか、お姉さんを助けたいんだね。それは立派なことだと思うよ」
「ふふん、そう?」
満更でもないらしく、得意げに胸を張る愛梨ちゃん。
俺の中では、ゆらがそれに同意してこくこくと頷いていた。
『そうだよ!助けようとしてくれるのはとっても嬉しい!』
「……ああ、きっとお姉さんも嬉しいだろうと思う」
ちら、とベッドに目を向けて最後にそう言った。
ゆらの意を汲んで付け加えてみたのだが、しかし愛梨ちゃんにとっては不服だったらしい。得意げな顔が一転、複雑そうに歪む。
「別に、お姉ちゃんのためじゃないし。どう思われようがどうでもいいよ」
「あれ?」
『ええーっ!?何で!?』
ゆらが半ば悲鳴のような疑問の声を上げた。愛梨ちゃんは頬を膨らませてベッドの姉を見る。
「それは……どうしてなのか、聞いてもいいかな」
「どうしてって……そもそもわたし、お姉ちゃんが起きてるところとか見たことないし。好きとか嫌いとか以前に、単に寝て世話されてるだけの人としか……」
「……ごもっとも」
『うう……』
確かに、十五年前など愛梨ちゃんは生まれてもいない。物心ついてからこれまで、ひたすら眠り続ける姿しか見てこなかった。そんな話したこともない姉に情が湧かないのも宜なるかな、である。
「うーん、でもやっぱり、好きか嫌いかで言えば嫌いかな-。何もしないし、そのくせわたしたちに迷惑かけてばかりだし」
『う、うううううう……』
「いやまあ、可哀相な人だなってのは分かるんだけどさあーー……」
ゆらに追い打ちをかけつつ、愛梨ちゃんはおもむろに立ち上がり、夜刀上ゆらの顔に手を伸ばした。そしてそのままギュッと彼女の頬を抓む。
そして、
「でも、そろそろいい加減起きろって思う」
抓んだ手をそのままグイッと引っ張った。
「お父さんもお母さんも、一日一回はお姉ちゃんに話しかけたりしてるんだけど、見てられないんだよ。悲しそうな顔してさあ。お母さんなんか、今だに泣いてるの見るし。特にお姉ちゃんの誕生日とか、めっちゃ雰囲気悪いんだよ?
ーーーー家族を悲しませるだけなら、何で家にいるのさ」
少女の頬がぐに、と伸びる。
一言を言うたびに、また強く。
ぐい。
ぐい。
ぐい。
ぐい。
見ていて痛そうなほどだが、当然の如く無反応。愛梨ちゃんは語気を強めると同時に、更に強く引っ張った。止めるべきだったのだろうが、彼女の様子に押されていた。
「ウチにとってのお姉ちゃんは重荷なんだよ。お荷物なの。普段の生活でも、それから感情的な方でも、両方でわたしたちにのしかかってる。昔っから嫌だったの。お姉ちゃんのためじゃなくても、何とかしたいって思うでしょ」
少女は難しい顔でとうとうと語る。
姉のことを。
家のことを。
昔のことを。
今のことを。
そして、彼女自身から見たそれらを。
重荷と言われて、お荷物と言われて、ゆらが言葉もなく消沈しているのが分かる。しかし、正論でもあった。
まるで光景が目に浮かぶようだった。彼女は生まれてからずっと眠ったままの姉と、それを悲しむ家族に囲まれていた。いたずらに親を悲しませるだけの存在だと感じても無理はない。
愛梨ちゃんは聡い子だ。姉の状態を正しく認識して、姉が悪い訳では無いと理解しているのだろう。恨みつらみを姉のせいする様子もない。
……しかしそれでも、向ける感情は複雑なようだ。
「……愛梨ちゃんがお姉さんを起こそうとするのは、家族のためってことか」
「うん、そう。お姉ちゃんに会わせてあげて、お姉ちゃんから解放してあげたい。そのために、わたしはこの筋金入りの超寝ぼすけを起こしたいの」
抓っていた手を離す。
夜刀上ゆらの白い頬は、一部が赤くなっていた。それなりに力を入れていたようだ。
愛梨ちゃんは自分を落ち着かせるようにふう、と息を吐いた。
……しかし、解放、ときたか。
『負担かけちゃってたんだね、ボクって』
『無理もないとは思うよ。そりゃ年の離れた妹から見ればそんなものだよなあ』
当然と言えば当然かも知れないが、長女の昏睡は夜刀上家に深い影を落としているようだった。智惠さんが娘に向ける目は非常に分かりやすかったのに対し、愛梨ちゃんの姉に向けた目は言い様がないほど複雑で、複数の感情が混ざり合い、混沌としていた。
「……ま、そう言うわけなの。分かった?」
「ああ、よく分かったよ。話してくれてありがとう。……家族のために頑張るんだから、とてもいい研究になると思う。お姉さんが目を覚ませるといいね。応援してるよ」
「ありがとー。って、そうだった、連絡先連絡先。交換してくれる?」
「ああ、少し待って」
スマホを取り出し、連絡先を交換する。
終わったときには、彼女はすでに機嫌を直していた。
「これでよし、と。ありがとうねーお兄ちゃん。それじゃあ、わたしはそろそろ部屋に戻るね。今はお母さんと鉢合わせたくないし。あ、何か分かったら、連絡お願いね」
「ああ、分かったよ」
軽く手を振って愛梨ちゃんが出て行くのを見送る。
……と、そこで、ゆらが焦った声で待ったをかけた。
『わわ、ちょっと待って!あの、愛梨ちゃんにどんなこと研究してるのか聞いてくれないかな?ほら、さっき神隠しの噂って言い伝えが元って言ってたじゃない?すっごい気になるんだけど。お願い!』
『……言い伝えか。確かに気にはなるかもな。研究になるくらいには、神隠しに関する根拠か何かがあるのかも知れないし』
自由研究にするからには何かしら調べる対象が存在しているのだろう。それがさっき言った言い伝えなのかも知れない。神隠し否定派の俺は軽く聞き流していたが、肯定派のゆらはずっと気になっていたようだ。
一応聞いておいてもいいか、と考え、愛梨ちゃんを呼び止めた。
「ごめん、少し待ってくれないかな。最後に一つ聞きたいんだけど」
「え、なに?」
ドアに手をかけていた愛梨ちゃんが振り返る。
「君の研究について、少し聞きたいんだ。……さっき神隠しの噂は言い伝えが元だって言っていたよね。もしかしてこの辺りには神隠しの言い伝えがあるのかな?」
「あ、『隠し狐』のこと知らないんだ?」
「隠し狐?」
「うん。宮白神社にいる神様なの。隠し狐はね、宮白神社で神隠しにあった子どものお願いを一つだけ聞いてくれるんだ。でもその代わりに、その子の大事なものを一つ持って行っちゃうの」
「へえ……」
子どもの大事なものを持っていく神様。
中々に気になるワードだ。
「つまり、愛梨ちゃんはお姉さんが隠し狐に意識を持っていかれたって思ってのかな」
「うん、まあそんな感じ。詳しく知りたいなら、後はおばあちゃんに聞いてみたらどうかな。わたしよりよく知ってそうだし。……おばあちゃんは宮白神社の管理をしてるんだ」
「そうなんだ。知らなかった」
「管理って言っても、ときどき掃除とかするくらいだけどね。でも、こういう話には詳しかったはず。喜んで教えてくれると思うよ」
そう言い残し、愛梨ちゃんはするりと部屋から出て行った。
「隠し狐、か」
再び静かになった部屋で俺はポツリとそう呟いた。
『怪しいよね?どう思う?』
『もしその神様が犯人だとすれば、つまりお前は何かを願って、その代償に体を奪われたってことになるのか』
『そうそう!多分そうなんだよ!真実に近づいた気がしない?』
『いや、あんまり……。でも一応、愛梨ちゃんが言ってたおばあさんに話を聞かせてもらおうか。俺も少し気になるし』
宮白神社の管理者なら、参道にも詳しいだろう。参道が安全かどうか聞くついでに、隠し狐についても話を聞いてみようか。
そう考えつつ、再度眠る夜刀上ゆらに視線を下ろす。愛梨ちゃんに引っ張られた頬からは既に赤みが消えていて、元の白い肌に戻っていた。
『…………』
『あれ、どうかした?』
『いや……』
日に焼けていない病的なまでに白い肌に、さっきまで落ちていた赤い点。そして細すぎる手足。
ーーーー何故だか、一昨日に動物園で見た白蛇を幻視した。
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