第6話

ウサギは、自分の住処にビデオカメラを持ち帰った。

爺さんにはまだ見せていない。


その夜、何度も何度も同じ映像を見続けた。


何度見ても飽きない。

いくらでも苦しむ姿を見ていたい。


そのうち、復讐とか、怒りとか、

そんなものがどうでも良くなってきた。


とにかく、タヌキを苦しみぬきたい。

壊れるくらいに苦しめたい。


ウサギに残ったのはただそれだけだった。


そして、何かを思いついたように爺さんの家へ向かった。





翌日。


ウサギが起きた時、もう既に夕日が出ていた。


そして再び、タヌキの住む洞穴へ向かった。


ウサギの足取りが妙にフラフラしている。

昨日から朝まで、ビデオカメラの映像をリピートしていたのだ。


なにやら映像はもう一つ追加されたようだが。


手には、ボール大の袋。

何がはいっているのだろうか。


その顔は、寝不足で「くま」だらけだった。

だが、何かを企むように二タニタと笑っているのだ。

より一層恐ろしく見える。


「いるか、タヌキ」


「……ンだよ、タヌキ「さん」はねーのかよ?」


タヌキは、明らかに憔悴していた。

今までの迫力が微塵も無い。

弱々しくも抵抗したが、なんの意味もなかったようだ。


ウサギの顔から、笑いが消えた。


ウサギは弱りきったタヌキを見て、

「つまらない」

そう思った。


もっと苦しめたい。

もっと痛めつけたい。


その為には、元気でなくてはいけないのだ。

生きる希望を持ってもらわなければいけないのだ。


そして、それを私が壊すのだ。


傍から見れば、むしろウサギの方が悪者に見えるかもしれない。


先に壊れていたのはウサギの方だ。

何がウサギをここまで壊してしまったのか。

もはや元には戻れない。


不意に、ウサギが地面に膝をついた。

タヌキが、何事かと振り向く。


「タヌキ」


「……なに」


「……許してくれ!」


ウサギは、地に手をついて謝った。

何が起こっているのか分からないタヌキ。

それを悟ったように、ウサギは話し始めた。


「私は……私はお爺様に命令されてやっていたんだ!お前の背に火をつけたのも、あの薬と称した刺激物を塗ったのも、すべてお爺様……いや、お前の言う通りクソジジィのせいだ!!本当にすまなかった!!」


「……そ、そうやってまた俺を油断させるつもりなんだろ。わかってらァ」


「そのつもりは無い。証拠を持ってきた、これを見ろ」


そう言われるのが分かっていたかのようにウサギは答えた。


そして、持っていた袋から何かを取り出した。例のボール大の袋だ。


まず見えてきたのは、白と黒が混じった薄い毛の束。


次に、何度も何度も見た、シワだらけで、情けない顔の男。

今や白目を剥き、口をだらしなく開けたまま。


最後に、首。

首からは血が滴っている。


……爺さんの頭だ。


どこからどうみても、作り物には到底見えない。


グロテスクなものは見慣れているタヌキ。

驚きはせずとも、さすがに顔をしかめた。


「なんだ、これ」


「見ればわかるだろう?」


「俺は何をすりゃあいいんだよ?」


「命令する者のいない私は、もうお前に手を出したりはしない。だから、仲直りの印とでも言うか……魚釣りでも行かないか?」


魚釣り。

この場で言うことにしては、ひどく場違いな単語だ。





タヌキは湖に連れてこられた。


大きい石の船か、小さい木の船かと聞かれたので、

なんとなく大きい方を選んだ。


だが、嫌な予感がした。

どうも何か企みがある気がする。

ウサギはずっとこちらをニヤニヤしながら見ているのだ。


大きな方の船に乗り、

しばらく魚を釣っていた。


だが、やはりどうもおかしい。


……足場が妙に冷たい。

何事だ?


そう思い、タヌキは自分の船を見た。


「……!!ふ、船が割れ……ッ?!」


そう、タヌキの乗っている船。

これは泥でできた船だったのだ。


完璧に作られていたので、普通の人間なら石で出来たものだと思うほどだ。


泥の船は割れ、水に溶けて消えた。

タヌキは湖に飛び込んだ。


タヌキは冷や汗が止まらない。


いや、溺れる心配は無いだろう。

水が怖い訳ではないのだ。


この、ウサギが……



……ウサギは、船を漕ぐ手を止めた。


そして船を進めていた櫓を、湖から引き抜いた。

そして、天高く振り上げた。


振り上げられた櫓は、夕日を受けて白く輝いた。


タヌキはもう自分がどうなるか分かっていた。

今からこのウサギに、この櫓で、叩き殺されるのだ。


「もっともっと苦しむ顔を見せてくれよぉぉぉっ!!!!」


タヌキの頭蓋骨から、何かが砕ける音がした。

暴力に支配されたウサギの筋肉は、容赦なくタヌキを死に追いやる。


湖に落ちても、まだ生きている。

ウサギの連撃は止まらない。


「さすがタヌキ!!フンっ!!!丈夫さだけは凄いじゃないか!!!痛めつける甲斐が有るよ!!オラぁッ!!」


森の中で絶対的な力を持っていたタヌキ。

これからも、ずっとずっと先まで、

自分は森の主だと思っていた。

動物の王だと思っていた。


すべての動物は俺の奴隷だ。


すべての動物は俺の駒だ。


すべての動物は俺の玩具だ。



「あーっはっはっはっはっはっぁーーっ!!!!楽しいなぁ!!楽しいなぁぁぁーーっ!!!!」


タヌキのいる場所だけが、

赤い絵の具を零したように染まった。


その俺は、喜びに満ち満ちた顔の動物に今叩き殺されるところだ。


ウサギ。


こいつが憎い。

憎い。憎くてたまらない。


俺の全てを奪い、壊したのだ。

地球上に存在するすべての生物を屠り殺しても、

この憤怒と憎悪は消えない。


今ならタヌキは爺さんの気持ちが理解できるだろう。

追い詰められた者の心を。

時計の針を押さえたように、少しずつ、少しずつ狂っていくのだ。


「ジジイに謝れ!!お前がこうなったのは自分のせいだ!!自分を呪え!!!そして死ね!!!」


ウサギは笑いながら言った。

……タヌキは謝った。


ウサギの言う通り、爺さんに謝った。


自分が間違っていたと。


こんな運命が待っているとは思いもしなかった。

自分がすべて悪かった。だから許してくれと。


爺さんの、恨みという名の呪いは、確実にタヌキを蝕んでいた。

過ぎ行く時のように、それはもう治らない、不治の病だ。


もちろん、その波紋はウサギにも影響した。


「沈め!!沈め!!溺れろ!!苦しんで、苦しんで、苦しみながら溺れ死ね!!」


タヌキは、最後の微かな希望を込め、

夕焼けに向け、手を伸ばした。


「助け……」


「早く!!早くしろ!!早く死んでみせろよ!!ふざけるな!!死ね!!死ね!!死ねっ死ねっ死ねぇぇぇぇっ!!!!」


天は、報いとばかりに、タヌキの願いを聞き入れなかった。


タヌキの上半身は、剥き出た骨、吹き出す鮮血、真紅の痣だらけ。


なぜ生きているのか不思議な程だ。

まるで呪いのように、限界まで苦しみを受け続けた。



……タヌキは手放してしまった。


魂の糸を。


タヌキの肉体は沈んでゆく。

暗い、暗い、水の底へ。

光すらも届かない、地下世界。


ウサギは、達成感に包まれていた。


タヌキを殺した。


殺した。


殺したのだ。


最後の最後まで、苦しむ顔を見てやった。


楽しかった。


とても楽しかった。


ジジイとババアの仇討ち?


そんなもの知らない。


私は、誰かの苦しむ顔を見たいんだ。



誰かの苦しむ顔を見ていたいんだ!!



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


ウサギは、自ら湖へ落ちた。


船に残されたビデオカメラ。


それは、泣き叫ぶ爺さんの首を、

笑いながらノコギリで切り刻むウサギが、

いつまでも再生され続けていた。


沈みゆくウサギ。


狂気的な顔は張り付いたまま、

彫像のように、

水の底で生命活動を停止した。





太陽は照らす。


この世界を、平等に。


だが、それは平等すぎたのだ。


怒り、

悲しみ、

恨み。


生。


狂気。


死。


太陽は、全てを明るく染め上げるのだ。


暗い世界に光が刺せば、

それは眩しすぎるものだ。




君も知ることになるだろう!





明るい世界を!





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憤怒 〜かちかち山より〜 木枯らしと灰の魔術 @Riku131122

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