第16話 グルメ

 シャッ、シャッ、シャリ、と刃物を研ぐ音がする。


「ん~……」


 四十歳位の男性が光り輝く包丁の刃を眺め、笑みを浮かべていた。

 彼がいるのは古びたタイル張りの部屋だった。

 どこかの施設を買い取り、共同で使用するシャワールームか何かを改修したのだろう。


「ふむ」


 金属製のラックに包丁を置くと、男性がにこりと微笑んだ。

 白髪を染めているのだろう、不自然な程に真っ黒な髪をオールバックにしていた。

 口の周りに生やした髭はカットして整えてあるので不潔感は無い。

 体型も気にしているのだろう、同年代の中年男性によくあるようなだらしない体つきはしておらず、筋肉で引き締まっている。

 上品に微笑む容貌はとても優しそうに見えるが、格好が全裸に防水のエプロンという時点で彼がまともな人間ではないのが一目でわかった。


「私はね、食べるのが大好きなんだ」


 男性が自分語りを始めた。


「今までに色々な物を食べた。世の美食家達が絶賛するような質の高い料理も、ネットでアイディアレシピとして紹介されるような家庭的な料理も、見る人によっては嫌悪感を示すようなゲテモノと呼ばれる料理も。何でも、本当に色々な物を食べた」


 今までに食べた料理の味を思い出すように目を瞑りながら、髭を左手で撫でる。


「お金はあるからね。世の中お金さえあれば大抵の物は口に入れられるんだよ」


 思い出すだけで口の中に唾液が溜まったのか、ごくりと喉を鳴らす。


「世に存在する全ての料理とまでは言わないが、自分が知っている範囲での美食はほぼ味わい尽くした。…………うん。そう、思っていたんだ。だがね? 私は思い出してしまったんだよ。昔見た映画で聞いた、とても魅力的な料理の話を。それは私の人生の中で一度も味わっていない」


 男性が先ほど手に持っていた物とは別の包丁をラックから取る。


「古い映画だから君のような若い子は知らないかもしれないね。いい映画なんだよ。食べる事をテーマとした、見ているだけでお腹がすく映画だ。それでね? その映画内で、ある登場人物が語る山芋の腸詰の話がとても美味しそうなんだ。その話の内容を君にも教えてあげよう。冬になるとね、猪は毎日山芋だけを食べるらしいんだ。だからその猪を撃って腸を取り出すと、その中には山芋だけがぎっしりと詰まっていて、天然の山芋の腸詰になっている。そうしたら取り出したその腸詰を輪切りにして焼いて食べるというんだが……どうだい? 美味しそうだと思わないかい?」


 包丁を持って宙吊りになっている食材の元へと歩み寄る。


「思うだろう?」

「んーーーー! んんんんーーーーーーーー!!!!!!」


 猿ぐつわを噛まされて逆さ吊りにされた少年が、涙を流しながら全身を必死に揺らす。

 六歳か、七歳か、それ位の年齢だろう。

 

「毎日君に山芋を食べさせていたのはね、そういう事なんだ。すまないね。私の言う事を聞いていれば家に帰らせてあげるという話だが、あれは言葉が足りていなかった。私は君が家に帰る時の生死について何も言っていなかっただろう? そうだ。残念ながら君が家に帰れるのは、君が死んでからなんだよ。大人はズルいね。こうやって子供を騙して言う事を聞かせるんだ」


 少年が目を大きく見開き、首を振る。


「ふふ……私だって馬鹿じゃない。あれが作り話だっていうのはわかっているさ。実際に季節を選んで猪の腸を裂いてみたところで、中に山芋だけという事は無いだろう。だからこうして人工的に作ってみたんだ。……え? 何故実際に猪でやらないのかって? そりゃ、動物でやったら臭いからだよ。動物の腸を洗いもしないで食べるなんてまず無理だ。衛生的にもね。だから、清潔な環境で管理して育てた人間の腸でやるんだよ。君のような子供を選んだのは肉の臭みが大人よりも少ないからだ。そして女の子ではなく男の子を選んだのは、男の子の方が食べ応えのある太い腸を持っているからだよ」


 男性は少年の頭の下にバケツを置くと、包丁を首に当てる。


「私はサディストじゃない。ただ美味しい物が食べたいだけなんだ」


 スッ、と刃を横に引くと少年の首がパカッと開き、そこから赤い鮮血が勢いよく噴き出した。

 血液が頭の下にあるバケツの中に流れ落ちる。

 体内から命が抜けていく事への恐怖に怯え、少年が目を限界まで開き救いを求める目で男性の事を見るが、男性は少年の頬を撫でるだけで助けてはくれない。


「だから安心したまえ、君の事を必要以上に苦しめるつもりは無いよ。君の事は上等な食材として丁重に扱わせてもらう。さぁ、ゆっくりと眠りたまえ」


 指先でそっと瞳を閉じさせると、ダラダラと流れ落ちる血液を眺めながらワインを開ける。


「楽しみで待ちきれないな」


 それをグラスに移さずボトルのままぐびりと飲み、手の甲で口を拭う。

 

「それがいいんだ……」







 男性は椅子に座ってお気に入りのUKロックを流しながらワインを飲んでいたが、少年の首から流れ落ちる血の量が少なくなってきた事に気付くと、包丁を持って立ち上がった。


「そろそろいいだろう」


 包丁を少年の下腹に突き刺し、みぞおちまで刃を下ろす。

 切り開いた穴から彼が食べたがっていた腸が圧に押されて、ぶわっと溢れ出した。


「お~っ、ほっほっほっほ」


 それを受け止めようとして慌てて手を伸ばすが失敗し、両腕に腸を絡ませて血みどろになるが、彼は嬉しそうに笑っていた。


「ほほ、ほ、どれ…………んー?」


 だが、床に落ちた腸を手に取ると、片眉を少し上げる。


「…………」


 掴んだ腸を軽く水洗いし、床に置いたまな板に乗せ、切る。


「…………ん、む」


 今度ははっきりと両眉を歪ませた。


「やはり駄目か……」


 どろりと腸の切れ目から流れてきた物は、鼻にツンと来る悪臭を放っていた。

 生前の体温でムッと蒸れた、嫌な臭いが辺りに広がる。

 焼いてみるまでも無い。

 これは食べられない。

 口の中で咀嚼され、腸に流れていくまでに様々な消化液にまみれた山芋は、食物というより吐瀉物に近かった。


「仕方ない」


 立ち上がって死体を軽く揺らす。


「君の事は普通の肉として頂こう。安心していいよ。残った物は腐らせてから海に沈めて、警察には事故で死んだものとして処理してもらうからね。家族には事故死として伝わるんだ。君は私に殺されたのではなく、事故で死んだ事になる。遺族も死んだ理由が殺人だと思うと犯人が捕まるまで気持ちが落ち着かないからね。それでは可哀想だ。そういうところも私は気を遣うんだよ。君は運がいい。優しい人に殺してもらえてよかったね。相手が私だったおかげで、君の死が家族を必要以上に悲しませる事は無いんだ」


 皮肉ではなく、本心でそれを言っている顔だった。


「さぁ、皮を剥ぐとしようか」

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Fears Salad Bowl ~殺戮の島~ 草田章 @kusada

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