第15話 錆びた笑顔

 薄暗いゲームセンターの店内に、沢山の人間が避難していた。

 入口はシャッターを下ろしてあり、裏口も鍵をかけてある。

 この店は店内の雰囲気作りの為に窓が無かったので、その二ヶ所を塞ぐだけで簡単に安全を確保出来た。

 店内にいる人々は年齢も性別も様々で、共通するのは不安そうな怯えた表情だけだ。


「おい、警察はいつ来るんだ? 誰か連絡したのか? おい、誰か。おい」


 うろうろと同じ場所を歩き回り、返事をする者がいない事も気にせず、ぶつぶつと独り言を呟いている中年男性。


「元はと言えばあんたがくだらない事言うからさぁ」

「うるっせぇな、人のせいにすんじゃねーよ」


 不安のせいで無意味に苛立ち、喧嘩をする若い男女。


「………………」


 体育座りをして澱んだ目で周りの人間を観察しているサラリーマン。

 異様な雰囲気だった。

 皆平常時とは違う表情を浮かべ、平常時とは違う態度を取りながら、この異常な状況の恐怖に耐えていた。


「皆さん、こちらを見て下さい。少しだけ僕の話を聞いて下さい」


 そんな暗い雰囲気の中、このゲームセンターに勤める男性店員が明るい声で皆に向かって呼びかける。


「皆さんの不安な気持ちはわかります。僕だって不安ですし、怖いです。ですが、落ち着きましょう。落ち着いて救助を待つんです。待っていればきっと、救助隊が来てくれます。この島には警察がいますし、島の外には自衛隊だっているんです。すぐに助けに来てくれますよ。ですからそれまで待つんです。幸いここには飲食物の自動販売機やゲームの景品のお菓子などがあります。救助を待つ間位なら食料も持つ筈です」


 男性店員は若い青年だった。

 アルバイトだろう。

 こんな想定外の緊急事態にどうするかなんてマニュアル、ある筈が無い。

 彼が必死なのは見ているだけでわかる。

 緊張の汗でわきの下がぐっしょりと濡れ、上げた指先がぷるぷると震えていた。

 不慣れな事を、ただただ精一杯頑張っているのだ。

 そんな彼の姿を見て、他の者達が少しだけ落ち着きを取り戻した。

 彼の必死な姿に感化されたのだ。

 突然こんな異常な出来事に巻き込まれたせいで混乱しているだけで、ここにいる者達の心根は悪人では無かった。


「そうだ。皆さんお腹すいてませんか? 喉も乾きましたよね。何か少しお腹に入れましょう。そしたらきっと気持ちも落ち着きますよ」


 皆の顔がほころんだ。

 確かに彼の言う通り、何か少し口に入れたいところだった。

 

「じゃあ、ちょっと待ってて下さいね。今鍵を持って来るので」


 反対の声が上がらなかったので皆同意してくれたものとし、男性店員が後ろを振り向く。


「うわぁ!」


 そこで、大きな驚きの声を上げた。


「だ、誰ですか!?」


 店の奥の暗がりに、人影があった。

 いつ中に入ったのか。

 それとも最初から建物内に隠れていた者が今出てきたのか。

 長身で、大柄な人物だった。

 身長は二メートルを優に超えている。

 そのがっちりとした体格は、まるでプロレスラーやアメフト選手のようだった。

 着ているのは薄汚れたカーキ色の作業服で、手には分厚いオレンジ色の手袋を付けていた。

 そして、彼はとても奇妙な顔をしていた。

 いや、正確に言うと顔は見えない。

 顔に被っているある物が、奇妙というか、異様なのだ。

 被っている物、それは鉄板だった。

 顔にフィットするように曲げた鉄板を、面のように貼りつけていた。

 鉄板は目の位置と口の位置に穴が空けてあった。

 ただ一つ穴を開けているのではなく、ぶつぶつと開けた穴を繋げて線にしていた。

 目の部分は縦に、口の部分は弧を描くように。

 それはまるで、下手くそなスマイルマークのようだった。

 鉄板は古い物なのか全体的に錆びて色が変わっており、目や口の穴の下には水が流れたような濃い錆びの跡が付いていた。

 それはまるで、目や口から血を流しているように見えた。

 頭髪はそのほとんどが抜け落ちており、死人のような血色の悪い頭皮が露出していた。


「あ、あの……ちょ、ちょっと」


 鉄板男が近寄ってくる。

 身長が高い分歩幅も大きい。

 踏み出す一歩に恐怖を感じさせる威圧感がある。


「ちょっと、待って……」


 怯えながら発する店員の声は小さい。

 一歩、一歩、と鉄板男が接近してきて姿がよく見えるようになると、皆がゾッとした顔で背筋を震わせた。

 そもそも彼は、鉄板をどうやって顔に貼りつけていたのか。

 なんと、釘を直接皮膚に打ち付けて固定していたのだ。

 それを見て皆が確信する。

 これは、外にいる奴らと同じ、化け物だ。


「待て、止まれ! おい!」


 近寄ってくるにつれ恐怖が増し、やっと店員が大きな声を出す。

 口調も変わっていた。


「おい! 来るな!」


 だが、もう遅かった。

 鉄板男は彼のすぐ目の前だった。

 恐怖に逃げ出さず、他の避難者達を背に鉄板男の前に立ち続けたのは、彼に強い責任感と勇気があったからだろう。

 だが、それは無意味であり、無謀が過ぎた。


「ま、ままま待って、来ないで、下さい……ひぃっ」


 眼前に立たれ、また口調が変わる。

 カタカタと足を震わせる彼の顔を、鉄板男がわし掴みにした。


「ぎゃあああああああああああああああああ!!!!!!!!」


「おい、貴様! 何をしている! 彼を離すんだ!」

「きゃああああああああ! 誰か! 誰か!」


 怒鳴る者、悲鳴を上げる者。

 だが、声を出すだけで誰一人として助けに駆け寄る者はいない。


「おい! 貴様! 離せ! 今すぐ離すんだ! おい! おい! …………お?」


 願いを聞き入れたのか。

 鉄板男はあっさりと店員を開放した。


「君、大丈夫か!? 怪我は無いか!?」

「早く! こっちに来て!」


 皆の呼びかけに、解放された店員がゆっくりと振り向く。

 その顔を見た者達が、大きな悲鳴を上げた。


「ぁ……あぁ……助け、て……」


 店員の顔の皮膚が、ズタズタに引き裂かれていた。

 元の顔つきはもうわからない。

 見ると、鉄板男の手の平から小さな釘の先端が体毛のようにみっしりと生えていた。

 鉄板男は店員の顔を掴んだ時に、その手の平で顔の肉を縦にこすったのだ。

 その結果顔の皮膚が釘の先端で千切りキャベツのように裂けた。

 深く切られた傷口から黄色い脂肪と真っ赤な肉が姿を現し、そこからあふれ出した血液が顎の下を滴り落ちる。

 目蓋の肉も細かく刻まれ、目蓋を閉じているのに眼球がその隙間から皆の事を助けを求める目で見ていた。

 唇や頬の肉も裂けているので、血で赤く染まった彼の歯や歯茎も肉の裂け目から露出している。

 もし彼の顔を手術で元に戻すのならば、傷口を塞ぐよりいっそ皮膚を全て剥がして新しく作り直した方が早そうに見えた。


「たす……」


 よろよろと歩く彼の後ろで、鉄板男が自分の顔に刺さっていた釘を一本引き抜く。

 錆びた釘は抜く時に皮膚を傷付けたらしく、刺さっていた穴から腐ったような黒に近い濃い赤色の血が流れた。

 だが、彼には痛覚が無いのかそれを気にする様子は無い。

 鉄板男は抜かれた釘の先端を店員の頭に添えると、親指でずぶりと深くまで突き刺さした。


「あぇええええええええぇぇぇぇっ?」


 刺された瞬間、店員は妙な声を出すと、黒目をぐりんと左右逆の方向に向け、舌をでろんと垂らしながらふらふらと千鳥足をするように歩き出した。


「あー……えぇ? ……へえぇ~……えぇ……?」


 だが、数歩あるいたところで足を絡ませ、転んでしまう。

 倒れた後もぐねぐねとタコのように手足を動かしていた。


「あぁー……うぅ、えぇ……あー……」


 脳を傷付けられてしまったのだろう。

 まともに意識を保てていない。

 よだれで床と頬をびしょびしょに汚しながら半笑い顔で呻いている。

 そんな彼の頭を、鉄板男が何の躊躇もなく踏み潰した。

 本当に言葉そのままの意味で、柔らかな果物を潰すように、グシャリと足で頭を踏み、潰した。


『きゃああああああああああああああああああ!!!!!!』


 恐怖に満ちた悲鳴が店内に響き渡る。

 鉄板男が血と脳漿まみれの足で踏み出した時に鳴ったビチャリという音を合図に、その場にいた者達が一斉に逃げ出した。

 とは言え、店内はそう広くない。

 捕まるのは時間の問題だろう。







「ひぃ、ひぃ、ひぃ…………」


 中年男性が裏口に走る。

 ゲームセンターから出て違う場所に逃げる事にしたのだ。 


「殺される……殺される……」


 鉄板男に襲われている者達の悲鳴を聞きながら、その中の一人にはなりたくないと裏口の鍵を開けて、ドアノブに手をかける。


「逃げて、他の建物に……」


 ドアを開けて外に出ると、霧で視界が悪かった。

 そして裏口なのでとても暗い。


「う、うぅ……」


 その中に飛び込むのには抵抗があるが、だからと言って今更中に戻れない。


「クソ!」


 勇気を出して霧の中に一歩踏み出し、裏口のドアを閉める。


「どっちに行けば……」


 次に隠れる場所を探して移動しようとすると、音が聞こえた。


「何だ?」


 ガチャッ、ガチャッ、ガチャッ、という硬い物が地面に当たる音。


「………………」


 嫌な予感にもう一度ゲームセンター内に戻ろうかと考えると、彼の存在が相手に気付かれたのか、ガチャガチャという音が素早く接近してきた。


「んなっ!?」


 霧の中から音の主が姿を現した。

 ガチャガチャという音は、大きな足の爪が道路のアスファルトに当たっていた音だった。


「きょ、きょきょ、きょ……」

「クロロロロロ……」


 音の主が鳥の鳴き声のような高い声で鳴く。

 その姿は、二足歩行するトカゲというのが一番近い表現だろうか。


「恐竜!?」


 中年男性が驚いた瞬間。


「シャアアアアアアアア!」


 体高が彼と同じ位あるその生物が、口を大きく開けて飛び掛かってきた。


「ぎゃああああああああああああああ!!!!」


 彼を押さえつける為に突き刺さった足の爪は、肉どころか骨まで容易く貫いた。

 それを振りほどく事は不可能だ。


「いだ、痛い! 止めろ、止めろぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 どうせ逃げる事は出来ないのだ、焦る必要は無いと、彼はゆっくりと生きたまま食い殺された。

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