クリスマスには幸福を。

ナカタサキ

クリスマスには幸福を。

 


 深夜三時をまわった頃。俺はようやく頭に被ったサンタ帽子を脱ぐことが出来た。

 今日は十二月二十四日、クリスマスイブ。幼い頃は早く寝てサンタクロースからのプレゼントを心待ちにしていたことが、遥か昔に感じてしまうのは、この一年が荒ぶる大海のように激動したものだったからなのかもしれない。

 

 十九才の俺は今や天涯孤独の身だ。両親は十五才の時に揃って交通事故で亡くなり、それから祖母の家に転がり込んだ。それから祖母の家で高校生活を送っていたが、その祖母も俺が高校を卒業してから認知機能がおかしくなり今や老人ホームで生活をしている。祖母を老人ホームに入れるのに抵抗がなかったわけがないが、認知症になった祖母を未成年の俺ひとりで面倒を見るのは難しいと行政が判断してくれたおかげで順番を待たずにホームに入れることになったのだ。

 

 当時の俺はまだ十八歳。父に兄弟がいなかった為に俺が面倒を見るのが当たり前だと思っていた。それに両親をいっぺんに亡くしてしまった俺に優しく接してくれた祖母が大好きだったので、高校を卒業したら働きながら祖母と暮らそうと決めていたのだが、まさか祖母の認知症がこんなに早く進行してしまうとは思わなかった。

 

 それから祖母は俺のことを死んだ父の名前で呼ぶ。孫の俺が忘れられたのは悲しかったが、父と間違われるのは少しだけ嬉しかった。俺は知らず知らずのうちに父に似てきているのが、ひとりになってしまった俺に『両親がいた』という事実を思い出させてくれるからだ。それを一度だけ友人に話したら、同情されてしまったのでそれからは誰にも話したことはない。


 俺は高卒で就職した会社で働きながら祖母のいる老人ホームに顔を出す。祖母と住んでいた家にひとりきりで過ごすのは寂しくてたまらなかったが、その寂しさを打ち消すようにその分仕事を頑張った。


 それなのに。なんと、俺の働いていた会社は倒産してしまったのだ。


 この時は流石に自分の運命を恨んだ。なんてことだ、俺は前世で徳を一切詰まなかったのか? と誰にも分からないようなことを自問自答するくらいに落ち込み絶望した。


 倒産と同時に就職活動を始めたが、高卒で資格もない俺を雇ってくれる職場はなかなか見つからなかった。


 友人らは皆、大学や専門学校に進学している。過ごす場所が違うからか、たまに会って話すと何かズレが生じてしまい、以前と違い少しだけ居心地が悪かった。それは俺の僻み妬みから生じているのかもしれないと分かったのはつい最近だ。勉強やサークルや合コンや彼女など俺には無縁だった。ただ毎日生きる為にお金を稼ぎ楽しいことが何なのかも何故生きているかも分からない。


 そんな俺にも奇跡は起きるらしい。


 クリスマスイブの深夜のコンビニでアルバイトをしていたら、サンタクロースと出会った。

「メリークリスマス! 坊や、駐車場にトナカイとソリを停めても大丈夫かの」

 赤い服に白い口髭、恰幅のよいお腹に白い袋。俺は見た瞬間に悟った。これは、新手の強盗だ。

「店長! 警察呼んでください! 不審者です!」

 俺は大声で叫び裏方にいる店長を呼んだ。

「坊や、わしはサンタクロースじゃ。不審者ではないぞ」

「店長、早く来て! やばい奴です。助けて!」


 俺は焦っていた。クリスマスイブの深夜にこの恰好で出歩いている人間はろくな奴ではない。それに、フォッフォッフォって笑い声もやばい。絶対に危険人物だ。

 売上金を取られたら俺のバイト代が危うい。俺はこのバイト代で婆ちゃんにヒートテックの暖かいマフラーをプレゼントするんだ。クリスマスイブはバイトで老人ホームに行けなかったけど、クリスマスが過ぎれば学生アルバイトがシフトに入ってくれるから! 俺は背後に置いてある防犯ペイントボールに手を伸ばす。……これを投げればこの変質者もひるむか? 俺が防犯ペイントボールを握り、振りかぶった瞬間。


「あれ、サンタさんじゃないっすか! 今年も来てくれたんすね!」

 店長が親し気に変質者に近づいている。

「おお、店長さん! 今年も働いていたのじゃな。貴方は働き者で偉いのう」

「サンタさんこそ! 今年はもう配送は終わったんすか?」

「いや、まだじゃ。トナカイがちっと疲れてしまったようでの、休憩に寄らせてもらったのじゃ」

 トナカイ、停めても大丈夫かのう、全然大丈夫ですよ。この時間は誰も来やしないので~と話している店長と変質者を見て、防犯ペイントボールは元の場所に戻した。……この変質者、店長と知り合いならいいや。俺はガラス越しの入口を見て、駐車スペースに止まっているトナカイを見た。昔動物園で見たトナカイと同じだった。

 まさか、本物のサンタクロースなのか……? 現実とは思えない事態に混乱していると変質者はこちらを向いた。


「そうじゃ店長さん、この坊やは今年から働いているのかい?」

「そうっす。斎藤君です。若いのに今どき珍しいくらい真面目な奴で俺も助かってるんすよ。サボりもないし人一倍働きもんで、おかげで俺も今年は随分と楽に出来てます」

 チャラい店長からそんな風に見られていたなんて知らなくて俺は嬉しかった。だが、『坊や』と呼ばれるのには抵抗がある。

「すみません、俺は坊やじゃありませんよ。もう大人なので」

「いやいや、斎藤君は未成年じゃろ? それにわしからみればみんな坊やじゃ」

 変質者はまたフォッフォフォと笑い出す。俺はその発言が少し頭にくる。

 たった一人で老人ホームに居る婆ちゃんの面倒も見て、自分の稼ぎで生活しているのに『坊や扱い』はおかしいではないか。俺は今まで一生懸命、ひとりで折れずに頑張ってきたのに、今更子ども扱いされる筋合いはない。

「……何も知らない癖にそんなこと言わないでくださいよ。店長、ちょっと休憩貰います」

 俺はこの変質者と一緒に居るのが耐えられなくて、休憩にした。そろそろ休憩時間だから問題はないだろう。

「おー、斎藤君いってらっしゃい」


 コンビニの裏で俺は廃棄されるパンを食べながら、ああ、やってしまったと落ち込んでいた。あの変質者が誰であれ、失礼な態度を取ってしまったことには変わりない。店長の知り合いになんてことをしてしまったのか、こんな態度を取ってしまうなんて、俺は坊やに変わりないではないか。

 ひとり自己嫌悪に陥りながら、少し昔の家族と過ごしたクリスマスを思い出していた。

 あの時は、自分がこんな未来を辿るなんて思ってもいなかった。クリスマスを家族で祝うのに照れくさかった時もあったが、こんな未来がくるなら両親と過ごす時間を大切にすればよかった、婆ちゃんを旅行に行けばよかったと、意味のない後悔が押し寄せる。


 何がクリスマスだ。家に帰っても誰もいない、家族も恋人もいない天涯孤独な俺が惨めに思えるこの日が嫌いだ。明日もこのコンビニに出勤したらようやく休みだ。明後日はまた職探しにハローワークに行って、帰りに婆ちゃんへのプレゼントを買う位しか予定のない、寂しい冬だ。

 フェイスブックで繋がっている友人が豪華絢爛の楽しそうなクリスマスを過ごしているが、俺には全く関係のない世界線で起きていることだ。目の前のことに集中しろ。大学に進学する夢だって諦めた訳ではない。まだ、これから挽回出来るはずだ。そうでなくちゃ、……俺の人生は悲しいだけではないか。

「斎藤君」

「うわぁ!」

 俺の隣にはさっきの変質者がいた。声をかけられて驚いてしまい、大きな声が出てしまった。

「先ほどはすまんかった、店長さんから君のことを聞いた。わしは君に無神経なことを言ってしまった」

「いえ、……俺こそ失礼な態度を取ってしまってすいませんでした」

 それから、変質者は白い大きな袋からプレゼントボックスを俺に差し出した。

「メリークリスマス、斎藤はじめ君。いつも頑張っている君へのクリスマスプレゼントじゃ」


 俺は目の前に差し出された金色のリボンが掛かっている緑色の箱を、ただ見ていた。

「どうしたんじゃ、これは君宛のプレゼントじゃよ」

「……受け取れません」

「どうしてじゃ?」

 変質者は不思議そうに俺の顔を見ている。

「……俺にはもうサンタクロースはいないからです」

 受け取れないに決まっている。サンタクロースの正体は、自分の両親だということをとっくの昔に気づいているし、俺にはもう両親がいないから誰からもプレゼントが送られて来ることはない。

「フォッフォ。なんじゃ、そんなことを気にしていたのかい」

「そんなことって!」


 俺にとってはそんなことで済まされる問題ではないのだ。死人は蘇らない。壊れていく脳は修復されない、俺の幸福を願ってくれる人なんてもうこの世にはいない。俺の悲しみや寂しさや、我慢していたこと全て簡単にそんなことって言って欲しくなかった。

「落ち着くんじゃ、斎藤はじめ君。……君は亡くなった人は何処に行ってしまうのか考えたことはあるかい?」

「……何を言っているんですか」

「疑わずに、考えるのじゃ。君の亡くなったご両親が今何処に居るのかを」

 この変質者は何を言っているのだろうか。

「……天国、とかですか?」

「そうじゃ、天国でどうしているかも考えるのじゃ」

「どうしているかって……」

 俺は天国にいる両親が今どうしているかを考えた。きっと、温かい所で幸せに過ごしていて、たまに俺や婆ちゃんのことを心配している……かもしれない。

「考えたかの?」

「はい、でも、これに何の意味があるんですか?」


 この世にいない人間のことを考える意味があるのだろうか。天国の有無なんて生きている人間のただの想像に過ぎない。死んでしまった人間とは二度と会えることはないのだから、悲しみに浸っていても意味なんてないと俺は思っている。

 変質者はそんな俺の考えを見透かすように、優しく微笑んだ。

「意味はある。君が亡くなったご両親のことを考えて思いだすことは何も悪いことではないのじゃ。思い出すからって歩みが止まることも戻ることもない。君の幸せを亡くなったご両親は望んでいる。わしはそれを手助け出来るものを君にプレゼントしたいのじゃ」


 俺は黙ってプレゼントを受け取った。こんなことをわざわざ話してまで、俺にプレゼントを受け取らせたいなんてお人よしもいい所だ。


「いくら周りの環境が過酷であり子どもでいられない子どもに、幸福をプレゼントするのがわしの仕事じゃ。ただわしはもうこの年での、後継ぎが居れば引退できるのじゃが」

 サンタクロースはチラリと俺を見る。

 プレゼントボックスを開いたらそこには、赤いカシミヤのマフラーが二つと、一枚の求人票が入っていた。

「あはははは、貴方って変質者じゃなくて本物サンタクロースだったんですね」

「フォッフォフォ、近年は変質者に間違われることが多いからのう、条件はいいのじゃがなかなか若人が集まらなくてのう」


 俺は笑った。求人票には『職種:日本支部サンタクロース』と書かれている。給与も良く待遇も悪くない。高卒でも大丈夫らしい。

「優しい君にならきっと務まると思うのじゃが、どうかね」

「あははは、考えときます」

「前向きな検討を頼むのう。さて、わしはそろそろ行かねば」

「見送ります」


 俺はサンタクロースと店を出た。間近で見るソリはとても大きくて、赤い鼻のトナカイがいるのが童謡通りだと言ったら、近年のサンタクロースのイメージに寄せたのだと言っていた。赤い鼻は取り外し可能らしい。


「メリークリスマス!」


 俺と店長はサンタクロースを見送った。後から話を聞いたら、店長も十代の頃からここで働いていて、サンタクロースにプレゼントを貰ったことがあったらしい。

「で、斎藤君は何を貰ったの?」

 店長は俺のプレゼントの中身が気になるらしい。

「……秘密です」

 俺はニヤリと笑うと、店長は俺が笑ったのを初めて見たと言う。俺はそんなにも笑っていなかったのだろうか。店長は俺に「よかったな、サンタさんが来て」と言ってくれた。チャラいが店長はとても良い人で、サンタクロースが毎年このコンビニに拠りたくなるのも分かる気がする。


 そして明後日の十二月二十六日、遅くなったがサンタクロースから貰った赤いカシミヤのマフラーを手に祖母の居る老人ホームへ向かった。婆ちゃんにクリスマスに起きた不思議な話とサンタクロースになるかもしれないということを早く話したい。


 メリークリスマス! 全ての子供たちに幸福が降り注ぎますように、

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