第百十回 劉曜は関西の諸郡を掠む

 関河かんかは一軍を率いて安陵あんりょうの包囲に向かっていた。

 安陵を守将はそれを知ると、茂陵ぼりょう渭城いじょう扶風ふふうに人を遣わした。それらの者が帰って言う。

「漢賊どもはすでに三城に攻め寄せ、いずれも今にも破られそうです。救援を発する余裕はございません」

 報に接して郡丞ぐんじょう閻慶えんけいが言う。

「漢賊の向かうところに敵はなく、力で争っては勝てません。庫蔵の銭穀を収めて城を捨て、兵民の生命を救うのが先決です」

 その言葉に抗う者はなく、兵民ともに城を捨てて関中に逃れ去る。そのため、関河は刃に血塗らずして安陵に入った。

 これにより、安陵、茂陵、渭城、涇陽はすべて漢の拠るところとなった。


 ※


 劉曜りゅうようは自ら扶風の城を落とすべく、五万の軍勢を率いて先を急ぐ。境を越える前に郡守はそれを知り、秦州しんしゅう涼州りょうしゅうに人を遣わして救援を求めた。

 秦州に鎮守するのは、晋の大司馬だいしば右丞相ゆうじょうしょう司馬保しばほである。

 扶風からの書状を一読したものの、司馬保は自らの爵位を誇って動こうとしない。ようやく麾下にある胡崧こすうに二万の軍勢を与えて先発させ、日ならず境に到った。

 劉曜はそれを知っても軍勢を止めず、境を越えたところに軍営を置く。そこに間諜が駆け戻って言う。

「涼州より王駭おうがい王該おうがいの兄弟が率いる三万の軍勢が扶風の救援に遣わされました」

 それを聞くと、劉曜は軍勢の進路を転じて北の霊武れいぶに向かった。


 ※


 霊武の守将の杜曼とまんは劉曜の接近を知ると、人を長安に遣わして救援を求めた。長安に向かう道すがら、使者は新豊しんほうから返す索綝さくしん鞠允きくいんの軍勢に行き合った。

 使者は索綝に見えて書状を呈し、書状を読んだ索綝は鞠允に二万の軍勢とともに霊武に向かうよう命じる。

 鞠允の軍勢が救援に向かっていると知り、劉曜は姜發きょうはつに方策を問うた。

「鞠允は新豊で呼延顥を破り、必ずや吾らを軽んじておりましょう。新豊から霊武までは遠路の行軍となります。到着した初めには将兵は疲れ、十分な備えもありますまい。幸い、今日は新月です。夜陰に乗じてその不意を突けば、一戦で退けられましょう」

 劉曜はその策に従い、楊継勲ようけいくんとともに二万の軍勢を率いて先発する。黄命こうめいと関山は兵士に飽食させると、二万の軍勢を率いてそれに続いた。

 三更(午前零時)を過ぎた頃、漢兵は鞠允の軍営に迫った。すぐさま砲声を轟かせて軍営に斬り込み、鬨の声が天を震わせる。晋兵たちには備えもなく、何事かと起き出せば夜陰に乗じた漢兵たちが斬りかかる。

 慌てて武器を探そうにもあたり一面は闇の中、混乱してまともな軍列も組み上げられない。散々に斬り散らされた晋兵たちは、ついに潰走をはじめる。梁綜りょうそうは混乱する中で劉曜の馬前に飛び出し、銅鞭の一打を浴びて討ち取られた。

 鞠允は漢兵を防ぐ術もなく、馬に跳び乗ると兵士を捨てて逃げ出した。

 この一戦で二万の軍勢のうちの一万二千ほどが討ち取られ、逃げ延びた者たちに無傷の者はほとんどいなかった。

 劉曜は夜明けまで戦ったものの鞠允の姿を見ず、勝勢を駆って霊武の城を抜くと、杜曼を斬った。その軍勢は霊武を発して雍州ようしゅうに向かう。建興けんこう三年(三一五)七月のことであった。


 ※


 雍州の守将は麴持きくじの弟の麴撫きくぶが務めている。漢兵が侵攻してくると知るや、長安に人を遣わして援軍を求めた。この時、兄の麴持は新豊にあり、霊武から逃げ戻った鞠允に出遭った上に弟からの書状を得ると、索綝に言う。

「秦州と雍州は長安の藩屏、いずれかを失えば長安は孤立する。救わぬわけにはいかぬ」

 索綝は韓豹かんひょうに一万の軍勢を与えて急行させ、さらに後詰の軍勢を送ることとした。韓豹が雍州に到って二日の後、劉曜の軍勢が雍州城下に入って城を包囲する。

 韓豹は漢兵を退けるべく勇を恃んで出戦し、先鋒を務める楊継勲が迎え撃つ。二将は陣前に勇を競って戦うこと四、五十合、それでも勝負を決さない。

 その間に劉曜は城東から、黄命が城西から攻めかかり、三方から晋軍を攻めたてる。麴撫は乱戦の中で討ち取られ、旗色悪しと見た韓豹は城に引き籠もる。その間に人が新豊の麴持に遣わされ、救援の軍勢を送って仇に報いて欲しいと言い送った。

 兄弟を殺された麴持は故郷を陥れられて家眷が害されることを怖れ、魯充ろじゅう梁緯りょういに一万の軍勢を与え、韓豹を助けて漢兵を退けるよう命じた。


 ※


 二将は雍州の州境を越えると、劉曜の軍営から七十里(約40km)ほど離れたところに軍営を置く。そこから間諜を放って城に向かわせ、書状を城内に届けようと図った。その書状には次のように記されていた。

「期日を約して内外より劉曜を攻めるよりない。さもなくば、跳梁する漢賊を退けられるまい」

 間諜は城下に向かったものの、漢兵の哨戒は厳しく、捕らえられて劉曜の前に突き出された。書状を読んだ劉曜が笑って言う。

「これは天佑というものであろう。そうでなくては腹背に敵を受けるところであったわ」

 姜發に問うて言う。

「猛将の韓豹は城内にあり、背後に迫る魯充と梁緯も英勇の士、存忠そんちゅう(姜發、存忠は字)にはこれらを退けて殊勲を建てる計略があるか」

「城の包囲を解くのがよいでしょう。魯充と梁緯の大軍が迫っていると噂を流し、それより軍営に退くのです。城内の者たちに報せる一方で吾らは戦に備え、計略を行うのが上策です」

 劉曜はその言をれて軍営に退き、計略を問う。

「魯充と梁緯はいまだ州境にあって軍勢を進めておりません。必ずや間諜を放って吾らの動静を探っているでしょう。包囲を解いたことを知れば、吾らに備えがあると思い込んで軽々しく軍勢を進めますまい。黄良卿こうりょうけい黄臣こうしん、良卿は字)に梁緯の軍旗を掲げさせて晋兵のように偽り、城下で楊承祖ようしょうそ(楊継勲、承祖は字)と戦わせます。韓豹は必ずや加勢に駆けつけるでしょう。その時に伏兵を発して城から切り離せば、雍州を陥れられます」

 すぐさま黄臣と劉景りゅうけいに命じて晋兵に偽装させ、城下に向かわせる。

「城内の者たちよ、韓先鋒に知らせよ。吾は新豊より加勢に参った大将軍、梁汝紋りょうじょぶん(梁緯、汝紋は字)である。魯将軍は軍勢とともに州境にあって外援を務める。漢賊どもを前後より挟撃する。すみやかに城門を開け。漢賊どもが吾らの合流を阻もうとしているぞ」

「すでに日が暮れて真偽が分かりません。韓将軍に報告して御許しを得ねば城門は開けられません」

 城上の兵士がそう言うと、城下の軍勢より叫ぶ。

「この軍旗は梁将軍のものに他ならぬ。急いで城門を開いても誤りはない」

 城内の兵士は韓豹に報せ、城壁に上がれば眼下では梁緯と漢将が一騎打ちを繰り広げていた。韓豹はすぐさま刀を執ると馬に跳び乗り、大開した城門から飛び出した。

 一騎打ちの場に向かう途上、左右より砲声が挙がる。

 それを合図に劉曜と関山が城門に攻めかかり、城内の兵を蹴散らす。韓豹はそれを見ると、馬頭を返して救いに向かおうと図った。そこに黄臣と楊継勲が追いすがる。

「韓豹よ、逃げるな。吾は梁緯ではない。漢の大将軍の黄臣である。すでに城は陥った。すみやかに投降せよ」

 怒って斬りかかると、黄臣と楊継勲が迎え撃つ。軍営にある姜發が将兵に命じる。

「韓豹を逃がした者は軍律により処断する」

 計略に陥ったと覚り、韓豹は包囲を逃れるべく城に向かう。城内からは劉曜と関山が攻めかかり、その背後には黄臣と楊継勲が迫る。韓豹は四将に囲まれて楊継勲の大刀に左腿を斬られ、それでも逃げようとしたところ、劉曜の銅鞭に肩を打たれ、ついに馬から転落した。

 そこに関山が馬を飛ばし、大刀を振るって首級を刎ね飛ばす。晋兵たちは総崩れになり、降る者が半ばを超えた。

 姜發は城に入ると高札を掲げて殺戮を禁じ、民物を秋毫も犯すことを許さない。雍州の城民たちは安堵して喜んだことであった。

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