第百九回 漢将は渭城と茂陵を取る

 姜飛きょうひ劉曜りゅうようの命を受け、邢延けいえん王震おうしんとともに一万の軍勢を率いて渭城いじょうの近郊に到った。渭城の守将を務める皇甫陽こうほようは刀筆の吏に過ぎず、甥の皇甫勤こうほきんは武勇に秀でてはいても指麾には長じていない。

 皇甫陽は漢軍が境を侵したと聞くと、皇甫勤を召して方策を諮った。

「こちらから軍勢を出して険要の地を占めれば戦いにはならず、不利と分かっていれば漢賊どもも攻めようとはしますまい」

 皇甫勤の言葉に従い、皇甫陽は軍勢を発して城から三十里(約16.8km)ほど離れた山間の隘路に拠った。姜飛たちが攻め寄せたものの、晋兵は狭隘な地形に拠って動かない。

 漢兵たちは戦おうにも術なく、二日が過ぎると姜飛は一計を案じた。邢延と王震に命じて間道より迂回し、渭城に向かわせる。皇甫陽はそれを知ると城を落とされるかと恐れ、隘路を捨てて軍勢を返した。

 姜飛は易々と隘路を越えてその後を追う。皇甫勤が馬頭を返して迎え撃つも、ただの一合で刺し殺される。

 皇甫陽は逃げ延びて城に向かい、ようやく城門に近づいたところ、先回りしていた邢延と王震の軍勢が現れて前を阻む。皇甫陽は前後を漢兵に挟まれ、城を巡って逃げんと図る。そこに王震が馬を駆って突きかかり、一鎗で馬下に突き落とした。主帥を失った兵は散り散りになって逃げ奔る。

 姜飛が勝勢に乗じて馬を駆り、漢兵が城門に責めかかると城民は畏れて門を開く。入城する漢兵は城民の香火に迎えられ、渭城は漢兵の拠るところとなった。


 ※


 その頃、前軍の先鋒を務める関心かんしんの軍勢は茂陵ぼりょうに向かっていた。境を越えたところで晋の斥候に把捉され、一報が城に伝えられる。

 茂陵の守将の辺謹へんきん参軍さんぐん平安へいあんを召して言う。

「漢賊どもが吾が境界を越えたという。扶風ふふう涇陽けいよう、渭城の三鎮に救援を求めて退けるよりない」

「将軍はご存知ないやも知れませぬが、この三郡も漢賊に攻められて防戦に手一杯、こちらに援軍を送る暇はございません。城門を閉ざして堅守し、三郡の勝敗を窺って進退を決するのが上策です」

「この城の兵糧は限られており、長くは持たぬ。囲まれてしまえば兵糧が尽きるのを待つばかりだ。むしろ、出戦して漢賊の強弱を測るのがよい。一戦して打ち破れば自ずから退こう。敵わぬほどに強ければ、城を捨てて扶風の軍勢と合流する。そうすれば、府庫の兵糧を奪われることなく、かつ、兵民の無駄死にもない」

 そう言うと、辺謹は軍勢を率いて城外四十里(約22.4km)の地点に軍営を置いた。関心の軍勢が到って布陣し、晋兵を挑発する。

 辺謹も整斉とした軍勢を率いて軍営を出ると、叫んで言う。

「吾らが守るこの地は、先の和平で左国城を含む五部の地と取り替え、再び侵攻せぬと誓ったところである。吾ら大晋はお前たちが拠る五部の地を侵してはおらぬ。それにも関わらず、お前たちは何ゆえにこの地を侵そうとするのか」

「太行山脈の東西も黄河の南北もすでに吾ら大漢の地、天下統一の日は近い。それゆえ、まだ吾らに属さぬ関中を併呑しに参った。多言は無用であろう」

 関心の言葉を聞き、辺謹が罵る。

「吾がこの地に拠る限り、お前たち賊徒どもの好きにはさせぬ。すみやかに退けば追ってまで殺すまい。無知蒙昧にも退かぬというならば、お前たちの首級を挙げて他の者たちの戒めとしてくれよう」

 関心は大いに怒って大刀を振るい、晋の軍勢に斬り込んでいく。辺謹は迎え撃って架け止め、三十合を戦っても勝敗を決さない。平安は関心の剛勇を見ると、力を比べては分が悪いと軍勢を分けて漢の中軍に攻めかかる。

 不意を突かれた漢兵は晋兵にかき乱され、軍列が乱れて崩れかかった。

 そこに黄瑞龍こうずいりゅうが駆けつけると、兵士を叱咤して立て直す。両軍入り乱れての混戦は日暮れにあって水入りとなった。

 関心は軍営に戻ると黄瑞龍に言う。

「辺謹と平安の二人は智勇に優れており、にわかには破れるまい。しかし、吾は前軍の先鋒を預かる身、余人の人後に落ちるわけにはいかぬ。呼延季淳こえんきじゅん呼延顥こえんこう、季淳は字)はすでに涇陽を陥れたと聞く。どのような計略で茂陵を落としたものであろうか」

「平安には戦機を見る眼がありますが、本日の戦は痛み分けに終わりました。そのため、吾らが疲弊してにわかには攻め寄せて来ぬと思い込んでおりましょう。夜襲をかければ必ずや不意をつけます」

 関心もその言に同じて将兵を慰労すると、衆人は勇躍して鎧兜を脱がずに夜を待った。


 ※


 晋将の辺謹は平安に言う。

「参軍が奇襲により漢賊の中軍を乱したがゆえ、漢賊は多くの死傷者を出した。士気は失われていよう。夜陰に乗じてふたたび奇襲をかければ、退けられよう」

「今日の戦は緒戦に過ぎません。それに、対峙のはじめは警戒して夜襲に備えるものです。漢賊が遠路の行軍に疲弊しているのに対し、吾らは城を四十里ほど出たに過ぎず、疲れてはおりません。ここは哨戒を厳しくして漢賊どもの奇策を阻むのがよいでしょう。それまでは兵を休めるのです。漢賊の夜襲がなければ人馬ともに休息を得て、明日もまた善戦できましょう」

 辺謹はその言をれ、将兵を賞して翌日の力戦を命じ、衆人はいずれもそれを諾う。その夜は酒も振舞われたが、休むにあたって鎧兜を解くことは許さなかった。

 軍営を出た漢兵は、声を挙げないよう枚を含んで進み、二更(午後十時)になる頃には晋の軍営に近づいていた。軍営の将兵は寝静まっている。関心、黄龍瑞、傅武ふぶの三将が鬨の声を挙げて攻めかかる。

 鬨の声を聞いた平安が飛び起きると、すでに漢兵が軍営に踏み込んでいた。辺謹は槊を執って関心に向かい、戦おうとすると黄龍瑞が駆けつけて前後を挟まれる。怯んだところを関心が一刀の下に斬り殺す。

 平安が傅武と戦う最中、部下が報せて言う。

「辺将軍が大刀を遣う漢将に討ち取られました」

 平安はそれを聞くと、傅武を捨てて逃げ奔る。その行く手には黄龍瑞があり、瞬く間に生きながら擒とする。


 ※


 漢軍は晋の軍営を蹂躙すると、勝勢を駆って茂陵の城に向かう。手薄な城門は一鼓のうちに攻め破られ、城民は道端に伏して漢軍を向かえた。関心は城内での殺戮を厳に禁じ、百姓は大いに喜んだ。

 翌日、擒とされた平安が関心の前に引き出された。縛を緩めて投降を勧めたものの、平安は胸を張って言う。

「大国の臣たるものが賊徒の首魁に降るはずもあるまい」

「このように縛られては翼があっても飛んで逃げるわけにもいかぬ。何ゆえにそれほど尊大に振舞うのか。吾がお前を降らせようとするのは、惻隠の情によるものだ。それを拒むつもりか」

 平安はその言葉を聞くと、頭をきざはしに叩きつけて自ら命を絶った。関心はその忠義を憐れみ、手厚く葬るとともにその家人を保護したことであった。

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