第百八回 呼延顥は涇陽を奪い取る

 呼延顥こえんこうは忠言を呈した魯徽ろきを殺した後、軍営に帰って姜飛きょうひと進退を諮った。姜飛が言う。

「将軍の軍勢が少しく挫かれたとはいえ、吾が一万の軍勢は無傷でいる。晋将どもも侮るには至るまい。しかし、しばらくは出戦を控えて膠着させ、人を崤池こうちに遣わして増援を待つのがよかろう。それから出戦しても遅くはない」

 それより、崤池にある劉曜りゅうように人を遣わして進退を伺った。劉曜は呼延顥が一敗を喫したと聞くと、怒って言う。

「索綝めが詭計を弄したか。必ずや生きながら擒としてこれまでの怨みを晴らしてくれよう」

 姜發きょうはつを召して言う。

「またも索綝と韓豹かんひょうめに吾が先鋒を挫かれた。すみやかに軍勢を進めて合流し、力を合わせて打ち破るべきであろう。それでこそ、新豊しんほうを抜いて長安への道が開ける」

「そうではありません。緒戦に敗れれば士気は損なわれておりましょう。さらに晋将たちは要地に拠って堅固に守っています。すぐに軍勢を差し向けたところで戦果は得られますまい。しばらく新豊は捨て置き、近隣の郡縣を陥れてその羽翼を破るのです。枝葉を奪えば根本も損なわれるもの、長安を孤立させるのが上策です」

 劉曜はその言をれて新豊の軍勢を呼び戻すこととした。


 ※


 呼延顥は崤池に戻ると劉曜の前で罪を請うた。劉曜は呼延顥の副将たちを呼んで叱る。

「主将は新豊に到っても戦うべきではなかった。お前たちはその傍らにあるからには、機を観て進退を薦めるべきである。それにも関わらず、何ゆえに先鋒を挫くに至ったのか」

 副将たちが口を揃えて言う。

「魯徽が強くお諌めしたものの、主将(呼延顥)は出戦を強く主張されました。吾らはただ主将に従い、敵の計略に陥ったのです」

 それを聞いた劉曜が言う。

「魯徽を呼べ。吾が参謀として用いよう」

「主将は魯徽が士気を損なったといわれ、すでに誅殺されました」

 副将の言葉を聞くと、劉曜は烈火の如く怒る。

「呼延顥は国事を誤った上に主将の立場を恃んで智者を害した。その罪は決して許されぬ。捕らえて斬刑に処して軍法を正せ」

 怒る劉曜を姜發が止める。

「呼延顥は皇親にして歴戦の宿将、聖上の許しを得なくてはなりません。しばらくは事を休ませられよ。さらに、大軍が出征して自ら大将を斬っては士気にも関わります。今は人を使わねばならぬ時です。軍功により罪を贖わせるのがよろしいでしょう」

 劉曜は呼延顥の刑戮を思い止まったものの、怒りが収まらない。呼び出すと目の当たりに責めて言う。

「将軍は歴戦の将帥であるにも関わらず、軍機を見誤って忠諫の士を殺した。どのような道理によるのか。法によれば斬刑にあたるが、皇親であるがゆえに斬刑は行わぬ。一軍を率いて涇陽けいようを抜き、罪を贖え」

 呼延顥は言葉もなく、その命を諾って退いた。


 ※


 この時、姜飛は渭城いじょうを攻めて関河かんか安陵あんりょうを囲み、関心の軍勢は茂陵もりょうに向かっていた。劉曜自らも諸将を率いて扶風ふふうを落とすべく軍勢を発した。

 呼延顥は新豊の敗戦を劉曜に詰られ、憤りながら涇陽を目指す。

 涇陽はかつて齊萬年せいばんねんの侵攻さらされ、守将の夏侯騄かこうろくがそれに対した。今はその麾下にあった狄猛てきもうの子の狄鴻てきこうが守将を務め、その武勇は父を凌ぐとされた。

 漢兵が侵攻してきたと聞くと、軍勢を率いて城を発し、布陣してその到着を待ち受ける。漢軍が姿を現すと、陣頭に馬を立てて言う。

「賊徒めが境界を侵すとは、吾が名を知らぬのか」

「吾は中原を往来して名のある将帥で知らぬ者はないが、お前のような兵卒など見も知りもせぬわ」

 呼延顥が罵る。狄鴻は呼延顥の白い髪と鬚から老人と見て侮った。鎗を捻って馬を飛ばすと、漢陣の前を駆け抜ける。呼延顥も馬を拍って後を追い、十余合も打ち合うと馬頭を転じて逃げ奔る。

 狄鴻はその後を追って丘陵に差しかかる。砲声が響いたかと思えば、呼延勝こえんしょう李華春りかしゅんが左右から攻め寄せて退路を断つ。狄鴻は馬を責めて呼延勝と李華春の間を切り抜け、さらに先に進む。

 一里(約560m)も行かぬところで前方から呼延顥が引き返して攻め寄せてきた。狄鴻が叫ぶ。

「老人には棺桶がお似合いだ。わざわざ姿を現して吾が前を阻むつもりか」

「小童めが、早く馬から下りて草露のような命を永らえるがよい。少しでも遅疑するならば、吾が鞭で粉砕してくれよう」

 狄鴻は怒って鎗を突き、呼延顥の胸板を狙う。呼延顥は体を開いて鎗先を交わし、鞭をあてて鎗を止める。それより二人は鎗と鞭を振るって勝負を争い、十合を過ぎぬうちに呼延顥の鞭が狄鴻の肩を打ち据える。狄鴻は鎗を捨てると陣を指して逃げ奔る。

「老翁の腕前を思い知ったか。何処に逃げるつもりだ」

 呼延顥はそう言うと、馬を拍って後を追い、一鞭を脳天に振り下ろす。狄鴻は馬から転げ落ち、呼延顥は兵士に命じて首級を挙げる。晋兵たちは狄鴻の戦死を知ると、大いに畏れて投降する者が相次ぎ、七千人にまで上った。

 漢兵が勝勢に乗じて涇陽の城下に迫れば、狄鴻の副将を務める管模かんぼが城門を開いて投降する。呼延顥は城に入って民を安撫すると、人を扶風に遣わして捷報を報せたことであった。

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