第百七回 索綝は謀って呼延顥を破る

 晋の司馬業しばぎょうの即位より三年が過ぎた。劉曜りゅうようが索綝と長安を争って退けられ、漢主の劉聰りゅうそうは三度の長安侵攻を決断した。

 姜發きょうはつ呼延顥こえんこうに十五万の軍勢を発し、劉曜の加勢に向かわせる。劉曜は安定あんていより崤池こうちに軍勢を返って進取の策を諮った。加勢を加えた軍容は戟鎗が林立して刃に日の光が輝く。

 晋の間諜はそれを知ると長安城に向かって告げ報せる。

「漢賊は三十万を超える軍勢を崤池に集めております。日ならず新豊しんほうから皇城に攻め寄せて参りましょう」

 司馬業は報告を聞くと怖れて震えるばかり、文武の百官が集って方策を議した。左衛さえい将軍の韓豹かんひょうが言う。

「劉曜めは匹夫の勇を恃んで智を欠き、猪突猛進するばかりです。先に二度の戦でいずれも軍勢を損ない、将を喪っております。今や長安をはじめとする関中は以前に比して倍ほども堅固になり、糧秣も十分に貯えられております。攻め寄せてきたところで、臣が軍勢を率いて要衝の地を塞げば、漢兵を殲滅するのも難しくございません。大晋の将帥の威風を知らしめるのみであります」

 大司馬だいしば賈疋かひつが駁して言う。

「侮ってはならぬ。劉曜は当世の猛将であり、関山かんざん兄弟や黄臣こうしん呼延勝こえんしょうらも英勇と称してよいでしょう。さらに、姜發きょうはつ兄弟が大軍とともに加わりました。姜發の知略は百変して止まず、姜飛きょうひの武勇は当世に冠絶してます。さらに、劉曜は先の敗戦を怨んで内に計略を企てておりましょう。戦をなすにも慎重を期さねばなりません。まず守戦の策を定めてからのことです」

 鞠允きくいんが賈疋に言う。

「そうは言っても、後手を踏んではならぬ。すみやかに軍勢を発して要衝を押さえるとともに、人を各地に遣わして援軍を募るのだ。援軍とともに侵攻を阻めば、劉曜めが長安に迫って民が震撼することも避けられよう」

 索綝さくしんと賈疋は鞠允の議に同じ、韓豹を先鋒に魯充ろじゅう梁緯りょういを副えた三万の軍勢を先行させることとした。この軍勢は新豊に止まって漢軍を阻む任を負う。

 次いで麴持きくじ華勍かけい梁綜りょうそう宋哲そうてつ王毗おうびの諸将が五万の軍勢とともに後詰となるべく長安を発した。


 ※


 元帥の劉曜が軍師の姜發に言う。

「崤池より長安に向かうには新豊を抜けるのが最短であろう。まずはこの地を確保せねばならぬ」

 関心かんしんが幕舎に呼ばれて先発を拝命し、退いたところに年若い一将が歩み寄る。

「前軍の先鋒は軍旗を担う重任ですが、長安には大敵が待ち構えております。大敵には歴戦の宿将を労するのもやむを得ませんが、先行の任はすみやかに進んで要地を奪うものです。小将しょうしょうが二万の軍勢を率いて新豊を奪いたく存じます」

 諸将が誰かと見れば、後軍の先鋒に任じられている楊継勲ようけいくんであった。呼延顥は自信満々の若者を見ると、諭して言う。

承祖しょうそ(楊継勲、承祖は字)は勇猛であるが、実戦で大敵にあたるのは初めてであろう。しばらく大人しくしておれ」

 ついで、関心に向き直って言う。

「吾は平陽へいように閑居して久しい。承祖とともに関継忠かんけいちゅう(関心、継忠は字)と任を代わろう」

 楊継勲は不貞腐れて物も言わず、関心はそれを見遣って言う。

「元帥の軍令は下された。吾が一存では覆らぬ」

「卿は久しく平陽に還っておらず、身を労することが多かろう。吾が元帥に申し上げよう」

 そう言うと、呼延顥は幕舎にある劉曜に見えて関心との交替を申し出て、それを認められた。


 ※


 呼延顥は甥の呼延勝こえんしょうとともに楊継勲、王震おうしん李春華りしゅんかを従え、四万の軍勢を率いて新豊に向かった。新豊に近づけば、すでに麴持と韓豹らが軍営を置いているという。

 呼延顥はすぐさま攻めかけて蹴散らそうとしたが、参謀を務める魯徽ろきが諌めた。

「晋の君臣は三度に渡る長安攻めを経験しております。必ずや新豊に大軍を置いておりましょう。さらに、索綝と賈疋は謀画を善くし、韓豹と華勍は当代の猛将です。始安王しあんおう(劉曜)さえその勇を称えておられます。ここは吾らも軍営を固めて対峙し、その間に人を遣わして軍師のご指示を仰ぐのが上策です。軽々しく軍勢を進めては、詭計に陥りかねません」

「大敵を前にして士気に水を指す物言いは控えよ。先の洛陽攻めでは、張驥ちょうきの如き猛将であっても十合を過ぎずして吾に討ち取られた。麴持や韓豹など無名の小僧に過ぎぬ。吾が馬蹄を汚すにも足りぬ」

 呼延顥はそう言うと、諫言を聞かず軍勢を進めた。魯徽は諦めずに語を継ぐ。

「韓豹は勇猛です。侮ってはなりません」

「吾は軍陣の間に往来して三十年を超える。お前の指図は受けぬ」

 そう言うと、呼延顥は陣頭に出て叫んだ。

「吾らの進路を阻むというならば、隠れておらず出てくるがよい」

 それを聞いた韓豹が陣頭に馬を出して言う。

「無礼者めが。これより吾がお前を擒としてくれよう」

 勇みたつ韓豹の軍袍を掴み、麴持が止める。

「まずは落ち着かれよ。ただ敵と鋭鋒を競ってはならぬ。吾が観るところ、漢将は意気軒昂であるが兵の士気は低い。思うに、ここまでの進軍を急いだのであろう。飢えているか、吾らを怖れているかのいずれかである。ここは計略により破るのがよい」

 麴持が怖気づいたかと韓豹が疑うところ、索綝と焦嵩しょうすうが三百の護衛とともに到着した。麴持が見解を述べると、索綝が言う。

「卿の観るところは正しい。これは天が与えた好機というものであろう」

 魯充と梁緯を呼んで言う。

「お前たちは二万の軍勢を率いて間道より西北の山中に伏せ、未申ひつじさるの頃合を待て。砲声を聞けば一斉に攻めかけよ」

◆「未申」は時刻を指し、未は午後二時、申は午後四時、その間を指すと考えるのがよい。

 魯充と梁緯が諾って駆け出すと、今度は華勍を召して命じる。

「お前は一万の軍勢を率いて軍門を固めよ。漢将が韓先鋒(韓豹)を追えば、打って出て退路を断つとともに救援の軍勢を防げ」

 華勍が頷くと手勢を率いて軍門に向かうと、最後に梁綜りょうそうに言う。

「漢陣の目前に布陣し、厳戒して容易く崩されるな。対峙するように見せかけて漢将を誘い出し、搦めとって退かせるな」

 手配りを終えると、索綝は将台に立って戦場を見渡し、麴持は軍中にあって鉦鼓を手にした。


 ※


 午の刻(正午頃)になると、呼延顥をはじめとする漢の将兵はいよいよ飢えが甚だしくなる。軍勢を返そうにも、隙を見せれば晋兵に食いつかれるかと怖れて動けない。将台上から漢兵を睨んでいた索綝は、漢兵の足元が落ち着かないのを見届けて台を下りた。

「漢兵の飢えは極まった。将軍は出戦して敵を引き出されよ。漢将が誘い出されれば、敗れたように見せかけて後を追わせ、西北の山中に向かえ。伏所に到れば伏兵が発する。梁綜が救援の軍勢を支えられれば、漢将を擒とできよう。先鋒を挫かれれば軍勢の士気は損なわれる。劉曜も胆を冷やしてすぐさま攻め寄せては来るまい」

 索綝がそう言うと、韓豹は盛大に砲声を挙げて布陣し、陣頭に馬を出した。

「怖れて出戦せぬならば、投降せよ。いつまで遅疑すれば気が済むのか」

 呼延顥が罵ると、韓豹が言い返す。

「吾が一刻遅れれば、お前は一刻長く生きられる。吾に早く出ろと急かすとは、自ら早く死にたがっているようなものだぞ」

 怒った呼延顥が馬を拍って斬り込めば、韓豹は刀を振るって斬りとめる。両軍の鉦鼓が鳴り響き、鬨の声が地を震わせる。二人は刃を交わして陣前に戦うこと三十合、韓豹は刀に空を斬らせると、馬を返して西に走った。

 呼延顥はそれが偽りであると見抜けず、後を追って馬を駆る。王震が背後から叫ぶ。

「追ってはなりません。おそらくは埋伏の計が仕掛けられておりましょう」

 呼延顥はその言葉も聞き捨てて後を追い、ただちに西北の谷に入り込む。王震もその後を追い、馬を馳せつつ重ねて叫ぶ。呼延顥はようやく危険に思い至り、慌しく馬頭を転じようとする。

 そこに砲声が鳴り響き、魯充と梁緯の伏兵が発する。王毗と焦嵩が左右より、逃げていたはずの韓豹が正面から攻め寄せてきた。背後は梁緯の軍勢に塞がれて逃げようもない。

 四方を囲まれた漢兵たちは混乱し、呼延顥と呼延勝が力の限りに晋兵を衝くも、包囲を抜けては出られない。楊継勲が叫ぶ。

「吾が殿後を務める。すみやかに包囲を破って逃げ遅れるな」

 呼延顥と呼延勝はその言葉に従って後を阻む晋兵を蹴散らした。そこに華勍の軍勢が追いついて穴を塞ぐ。李華春が馬を寄せて叫んだ。

「吾とともに来て下さい。何があっても馬を停めてはなりません」

 李華春と呼延顥、呼延勝の三人は、一斉に包囲を衝く。晋の偏将軍へんしょうぐん葛華かつかが前を阻むも、李華春が鎗を振るって突き殺す。その先を抜けるとようやく谷口が見えてきた。

 それを見た王毗が先頭に立って攻め寄せてくる。

「谷口を塞げ。漢将を逃がせばいずれも打ち首にされるものと思え」

 その時、楊継勲が横ざまに駆けつけて物も言わず王毗の首級を刎ね飛ばす。晋兵たちは王毗の戦死に怯んで漢将を遠巻きにした。


 ※


 王震は三千の軍勢とともに谷口の外にあったが、麴持が前を阻んで救いに向かうを許さない。そこに谷中から鬨の声が激しく挙がり、王震は命を捨てて麴持の軍中に斬り込んだ。

 晋兵の軍列を突き抜ければ、その奥から李華春たちが駆け抜けてくる。王震も合流すると、馬蹄に晋兵を蹴散らして駆け抜けた。麴持の軍勢はついに支えきれず潰走する。

 呼延顥たちはついに虎口を脱したものの、漢兵のうち谷中にまで踏み込んだ者は誰も生きて帰らなかった。

 谷口を去ること二、三里ほど、背後から韓豹、梁緯、魯充、華勍が追撃してくる。前方からは梁綜と竺恢じくかいの軍勢が迫る。漢の将兵は疲労の極みにあり、抵抗する力もない。

 そこに姜飛と黄龍瑞こうりゅうずいが軍勢を率いて駆けつけ、晋の副将の麻経まけい毛冀もうきを討ち取った。索綝はそれを見ると、鉦を鳴らして軍勢を引き上げさせる。

 呼延顥が兵馬を点検すれば、生き残った軍勢は二万を超えるほどであった。

「吾が魯徽の諫言を聞かなかったばかりに三万もの軍勢を喪って士気を挫いた。何の面目があって軍営で魯徽と顔を合わせられよう」

 呻吟すること半刻ばかりすると、腹心の兵を召して命じる。

「魯徽が軍の士気を損なう発言を行ったことは死罪に値する。刑吏に命じて斬首させよ。その後に吾は軍営に帰る」

 姜飛や黄龍瑞たちが知らぬ間に兵は軍営に向かい、魯徽を捕らえて刑戮しようとする。

「吾は晋将が計略を企てていると知っておった。それゆえに諫言したのだ。国家のために勲功を建てたと言ってもよい。今、軍勢が敗れて帰ってくるのがその証拠ではないか。これよりは吾が諫言を容れて勲功を建てようとするのが正しい道であろうに、どうして吾を殺そうとするのか。吾は復讐できぬかも知れぬが、天は必ずや見逃しはせぬ。恨むところは、軍師に見えず死ぬことである。吾は袁紹えんしょうに遣えた田豊でんほうと同じく、黄泉に遊ぶこととなろう。呼延顥は賢人を嫉んで過ちを飾った罪から逃れられまい」

 刑場に牽かれた魯徽はそう嘆くと、頸を伸ばして刀を受けた。それを見た者はいずれも涙を流して哀しんだことであった。

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