二十六章 五胡の時代へ

第百六回 陳元達は賢才を選んで挙ぐ

 晋の司馬業しばぎょうは先に索綝さくしん鞠允きくいん賈疋かひつなど諸臣と涼州兵の援軍を得て長安を恢復し、劉曜りゅうようの軍勢を退けた。その論功により涼州りょうしゅう刺史しし張軌ちょうき西平公せいへいこうに封じられた。

 即位の翌年、劉曜が再び長安に軍勢を進めると、人がそのことを張軌に報せて言う。

「漢賊どもはすでに嶢関ぎょうかん藍田関らんでんかんを抜いて逍遥園しょうようえんに迫っております」

 張軌はそれを聞くと地団駄を踏んで叫んだ。

「漢賊どもは何と神出鬼没であることか。この一戦に長安が覆っては先の勲功も水泡に帰する。すぐさま軍勢を発するにも、手元に精鋭がおらぬ」

 その憂えは病に転じてたちまち重態に陥った。涼州の文武の官は、長安への派兵を控えて間諜を放ち、関中の情勢を探らせる。

「劉曜は索綝らに破られて先鋒の軍勢は覆り、関中から軍勢を退いて東の崤池こうちに拠っています」

 報告を聞いた張軌は安心して療養に専念し、病がいささか癒えれば官衙に出て政事を執った。武官の北宮純ほくきゅうじゅん宋配そうはいには常々こう言っていた。

「劉曜は軍勢を崤池に退いたという。先の長安失陥より一年を経ておらず、長安が破られでもすれば、吾が病はついに快癒するまい。どうしたものであろうか」

 司馬業の建興けんこう三年(三一五)、劉曜が関中を乱したと聞くと、憂憤の中で世を去った。子の張寔ちょうしょくは長安に父の死を報告するとともに、刺史の印綬いんじゅを返還した。

 司馬業は張軌の勲功を嘉して張寔が西平公の爵位を襲うことを許すだけでなく、さらに五郡八州の軍事を統べることを命じる。州民に玉印を献上する者があり、それを朝廷に献じれば司馬業はその返礼として鉄鉞てつえつを下賜した。

 詔が下されて瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえい左丞相さじょうしょう都督ととく江東こうとう江南こうなん江西こうせい諸軍事しょぐんじに任じられ、南陽王なんようおう司馬模しばぼの嫡子の司馬保しばほを右丞相、都督ととく陝西せんせい隴右ろうゆう諸軍事しょぐんじに任じ、索綝を太尉たいいに任じ、宋哲そうてつ平東へいとう将軍に任じ、胡菘こすう奉忠ほうちゅう將軍に任じ、陳安ちんあん奉義ほうぎ將軍に任じた。それ以外の者たちはこれまでの官爵により秩禄を与えられる。

 韓豹かんひょうをはじめとする二十余人の部将たちは、それぞれ勲功により爵一級または三級が授けられた。


 ※


 この頃、梁州りょうしゅう従事じゅうじ崔曠さいこうという者があり、上奏して言う。

梁州りょうしゅう刺史しし張光ちょうこうは勅命に応じて長安に向かおうとしたところ、土司どし楊武ようぶにより殺害されました。征伐の軍勢を送って忠義を明らかにして逆賊を誅殺せねばなりません」

 司馬業がその言をれて軍勢を発しようとしたところ、斥候が報じて言う。

「漢賊の劉聰りゅうそうめが崤池にある劉曜に糧秣を送り、劉曜は兵勢を増して安定あんてい太守たいしゅ趙班ちょうはんを殺害し、さらに上郡じょうぐんまで侵しました。太守の韋籍いせきは敗れて南鄭なんていに逃れ、属縣はいずれも掠奪に晒され、人民は塗炭の苦しみに喘いでおります」

◆「安定」は『晋書しんじょ地理志ちりしによると雍州の属郡、治所は臨涇りんけい、長安の北、渭水から分かれて北西に流れる涇水沿いにある。

◆「上郡」は『後漢書ごかんじょ』郡國志では并州へいしゅうの属郡、治所は膚施ふし。山西の黄河東岸にある離石りせきから黄河を渡った西岸側に位置する。

◆「南鄭」は『晋書』地理志によると梁州りょうしゅう漢中郡かんちゅうぐんの治所、長安からは南山を隔てた南西にあたる。以上より斥候の発言が地理的にあり得ないものであると分かる。安定よりさらに北にある上郡から長安よりさらに南の南鄭に逃れることは考えられない。

 索綝と鞠允が言う。

「劉曜は強兵を恃んで侵攻を繰り返しております。すみやかに討平せねば禍が止むことはございません。詔を下して東西の大都督に出兵を促し、さらに各地の軍勢をも合わせねば、兵威を示して劉曜を退けられません。さもなくば、劉曜は大晋を侮り、関中の民は生業に安んじられますまい」

 司馬業はその建義を認め、万事を二人に委ねることとした。索綝と鞠允は詔を認めて各地に発する。長安に近い并州へいしゅうには最も早く勅使が到った。詔を読み終えた劉琨は考える。

「劉曜は并州を呑む野望を捨てておらず、石勒は劉演が拠る廩丘を奪い取った。怨みは骨髄に徹している。この機に雪辱を図るべきであろう」

 決断すると、段末杯だんまつかい段匹殫だんひつせん段疾陸眷だんしつりくけんに檄文を発し、さらに韓據かんきょ邵續しょうぞくに加えて代郡の拓跋猗盧たくばついろにも人を遣わした。


 ※


 その使者の一人が漢の哨戒網に捕らえられ、平陽へいように連行された。檄文は漢主の劉聰に呈上される。

「長安に潜む索綝と鞠允はこの謀略により吾らを図ろうとしておる。并州の劉琨もそれに与してこの檄文を各地に送ったのであろうが、文より観るに、頼みとするのは鮮卑せんぴの段部と拓跋部ばかりだ。朕が自ら親征し、并州を覆して幽州を落とせば、この企ても水泡に帰するであろう」

 劉聰がそう言うと、左丞相さじょうしょう陳元達ちんげんたつが諌める。

「幽州に拠る段部と并州の劉琨、それに代郡の拓跋部は唇歯の関係にあり、一所が攻められれば互いに軍勢を発して加勢するでしょう。吾らからすれば、并州はともかくとして代や遼西は実質的に晋の領域ではなく、得たところで守りきれるものではありません。臣の見るところ、ただ長安を破って司馬業を擒とするのが肝要、晋主を欠けば劉琨が鮮卑を糾合せんと図ったところで、事を果たせますまい」

「長安はすでに二度に渡って攻め、いずれも晋兵に奪い返された。これはその軍勢がなお強く、司馬業を輔佐する臣下が揃っているためであろう。思うに、并州と幽州はその躯体をなしている。これを先に破れば何事もなせまい」

「顧みるに、先に始安王しあんおう(劉曜)は一戦にして長安を覆されましたが、軍勢が少なかったがために関中の晋兵を糾合した大軍に敗れました。二度目の戦では、老練の宿将の言を聞かず、喬智明きょうちめいのような後進を先鋒としたばかりに敗れたのです。良将を揃えて大軍を整えた後に長安を攻めれば、各地からの加勢の軍勢も打ち破り、始安王は必ずや長安を陥れましょう」

「丞相の高見は傾聴に値するものであった。実にその通りであろう。しかし、宿将の多くは外に出て鎮守の任に就いておる。関氏と黄氏の兄弟は劉曜に従って崤池にある。石勒の軍勢を呼び寄せれば長安を落とすのは容易いであろうが、石勒は劉演を破って劉琨と怨みを結んでいる。軍勢を関中に移せば、劉琨は必ずや報復を謀り、段部と拓跋部を糾合して襄國じょうこくを奪おうとするであろう。そうなっては、帰路を断たれたに等しい。そうなると、劉琨の押さえとなる石勒は動かせぬ。余の者たちは青州せいしゅうぎょう許昌きょしょう洛陽らくようにあって鎮守の任に就いておる。平陽の禁兵を率いる将は数十を過ぎず、かつ、長安攻めの大任を任せられる器量はない。ただ、姜存忠きょうそんちゅう姜發きょうはつ、存忠は字)と姜存義きょうそんぎ姜飛きょうひ、存義は字)の兄弟があるばかり、この二人は老練の将であり、長安攻めにも堪えられよう。この二人に驍勇の者を副えるだけでは、前轍を踏むだけであろう。丞相は賢人を挙げて才人を用い、国政を総攬するのがその任務、必ずや長安攻めに堪える人材を知っていよう。始安王とともに長安攻めに加わるべく者を推挙せよ」

 劉聰が見遣ると、陳元達は鬚をしごきつつ言う。

「臣を知る者は君に過ぎる者はないと申しますが、ご下問を受けたからには申し上げざるを得ますまい。まず、楊龍ようりゅうの子の楊継勲ようけいくんは齢二十ながら勇は千軍に冠たるものがあります。また、李祐りゆうの子の李華春りかしゅんは虎を打ち殺す勇で知られ、王伏都おうふくとの子の王震おうしんは千斤(約600kg)を持ち上げる剛力を誇り、黄良卿こうりょうけい黄臣こうしん、良卿は字)の子の黄龍瑞こうりゅうずいは智勇兼備と称されます。これらはいずれも将たるに足りましょう」

 挙げられた者たちはいずれも漢建国の功臣の子である。陳元達が居住まいを正して語を継ぐ。

「長安攻めにあたっては、始安王を関中かんちゅう都督ととく征西せいせい大元帥だいげんすいに任じて全権を委ね、姜存忠を征西せいせい大軍師だいぐんしに任じて軍事を委ね、姜存義を後軍の統制として楊継勳を後軍の先鋒とし、李華春と王震を左右の将に任じて黄龍瑞には前部の副將と遊軍を兼ねさせ、十五万の大軍を整えねばなりません。また、兵站は劉燦りゅうさん呼延顥こえんこうに監督を命じ、崤池にある始安王と会して関心かんしんを先鋒とする大軍を関中に向ければ、必ずや大功を成し遂げられましょう」

 劉聰はその献策に従い、諸将を召し出すと殿上に登らせてそれぞれの任を命じる。その日より諸将は人馬を整えると順次に平陽を発する。平陽を発する軍勢は一路崤池を目指した。崤池からは劉曜がある安定関に人が遣わされ、軍勢を進める期日を約する。

「長らく長安への再戦を望んでおったが、軍勢が足りず隙を窺うこともできず、時を過ごすばかりであった。軍師が軍勢とともに遣わされたからには、必ずや先の恥を雪がねばならぬ」

 劉曜はそう言うと、即日に軍勢を返して崤池に到り、姜發たちと会して進取の策を諮ったことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る