応援コメント

第百八回 呼延顥は涇陽を奪い取る」への応援コメント


  • 編集済

    今まで、ただのモブかと思っていた呼延顥が唐突すぎるほどの活躍ですね。

    史実なら、魯徽との関係は趙染の役割なのですが、趙染は石勒の兄として、石勒軍に入っているので、呼延顥にその役割が振られたわけでしょうね。

    趙染といえば、私も知らなかったわけですが、wikipediaによると、『常山郡真定県』の出身で父は西晋の征西将軍で『趙統』と言ったそうです。

    ???????

    これ、本気で趙雲の子孫じゃないですか?

    正史でなんら活躍も残っていない人物が、征西将軍になる可能性は低いですし、羅憲が安南将軍を贈られているから、趙統が晋に降伏した後で最後に征西将軍を贈られたとしてもおかしくはないですね。三国志の編集中ではまだ生きていて、本籍を常山郡真定県に戻し、息子が晋を裏切ったため、記録が消されて、残らなかったとすれば辻褄はあいます。晋を裏切ったのも、どうあろうと漢を名乗る相手にシンパシーがあるからと思えば分かります。

    何にせよ、趙雲の縁戚の子孫である可能性はかなり高そうですね。ちょっとこれは願望では済まない可能性を秘めていると思われます。

    趙染の話で終わってしまいましたが、次回は呼延顥の話をしたいと思います(笑)


    【追記】そう思って調べたのですが、現行の十六国春秋でも新豊の人とされていますね。これは三国志後伝の記述が百度百科に間違って入り、そのまま日本のwikipediaに移ったようです。お騒がせしました。

    作者からの返信

    こんばんは。

    〉呼延顥

    便利使いされて可哀想ですね。明らかなスケープゴート。そこは趙染で突っ張る方がよかったかなあ。蜀漢補正だから仕方ないっちゃ仕方ないのですが。


    〉趙染

    まめさんが勇み足は珍しいですね。
    よくあるというか、これがあるから歴史を楽しめるわけで、勇み足は昔から数え切れません。。。

    「新しい説を立てられると思った時、興奮したんじゃないかね?それが知的興奮と呼ばれるものだ」と、かつて我が師は仰りました。
    ドキドキしますよね。
    もしもその先に本当に新説があるなら、たまりません。知る楽しみで一番大きいのはたぶんそこでしょう。みんな、そのために目を皿にして史料を読み込むのですよね。

    自分もまだ糸口を掴んだくらいで先は長く、修行中の身でありますから、早くその先に進みたいものです。最近は足が勇むほどの発見もありませんが(泣)

    こちらも是非お楽しみ下さい。