このエピソードを読む
2018年10月31日 07:16
今回は、石勒と王浚ともに「ざまあみろ」と言われる回ですね。史実上の石勒らしい作戦と行動ですが、本人にとってみれば、リスクの割には余り報われていないような。結果的に生き残ったからいいですが、かなり危うい作戦でした。王浚の「奸臣」たちを殺したのはいいですが、府庫の米穀を開放しなかったために、大変なピンチになりましたね。キングダムなどにありそうな「敵の大将は討ったけど、こちらも討たれそうになる」という展開でした。孫緯・王甲始・王昌は祁弘の同僚として、ずっと強敵として善戦しており、かなり優遇されていますね。史実でも変わらない、游統の立場はよく分かりませんね。内通を持ち掛けて使者を殺されて、石勒が王浚に信用を得るために利用されています。その後、王浚にとがめられず、さらに弟まで殺されているのに、石勒防衛を拒絶してため、王浚が捕らえられ、さらに自分も捕まり、不忠の罪で石勒に殺されています。余りにも脈絡がなく、游統は石勒から全ての悪を押し付けられて殺されたか、とことんまで利用されたか、どちらかではないでしょうか。とにかく、石勒は生き残りましたが、幽州における強敵を除かれ、あまり石勒は勢力を伸ばせないという北漢には理想的な展開となりました。また、段部鮮卑の段匹殫が幽州に進出し、いよいよ鮮卑が大舞台に躍り出てきております。大会戦では全員生き残っており、八王の乱でもあまり欠員はでなかった十六傑でしたが、ついに九人目の死者が出ております。リストを良く見たら、上位と下位はきっちりと別れていますね。陳敏と祖逖の位置だけは交代した方が、先鞭コンビが並ぶため、より美しいとは思いますが。西晋十六傑(十四路諸侯+二)✕ 征西大元帥・陸機✕ 荊州刺史・劉弘西涼刺史・張軌✕ 幽州惣官・王浚✕ 揚州刺史・陳敏幷州刺史・劉琨廣州刺史・陶侃✕ 青州刺史・苟晞✕ 豫州刺史・劉喬樂陵太守・邵續滎陽太守・李矩✕ 雍州刺史・劉沈✕ 順陽太守・張光✕ 武威太守・馬隆南平太守・應詹南中郎将・祖逖
作者からの返信
こんばんは。宿敵の王浚を滅ぼしたものの、幽州は鮮卑段部の拠るところとなりました。トビに油揚げですね。後年、宋は燕雲の地を遼に奪われましたが、このあたりや陝西は地理的に中央から遠く、よく失われた地でもあります。北京は要するに、北からの侵入に備えるための城塞かつ国都であったわけです。〉府庫の米穀を開放しなかったために、大変なピンチになりました民を救わなかった報いのような感じでしたね。当時の軍勢にとって現地調達は当然の行いですが、代価をキッチリ支払わされたわけです。〉孫緯・王甲始・王昌王浚の部将はアッサリ討ち取られることが少ないですかね。幽州は突騎で知られた強兵の地ですから、それも加味されているかも知れません。〉游統正史を読んでも何があったのかよく分かりません。王浚には殺されず、石勒に殺されたのは確からしいですが、何か事績の脱落があるのかなあ。。。〉北漢には理想的な展開どうなんでしょうね。幽州は結局は段部が拠り、代の拓跋部と並んで北漢に好意的ではありません。石勒の勢力は増えもせず減りもせず、現状維持となりました。ここで石勒が幽州を合わせるとついに自立に走っただろうと考えると、たしかに北漢にはよかったのかも知れませんね。〉祖逖遅咲きの印象がありますから、仕方ないですね。張軌は遠く涼州にあって自らは動かず、應詹はチョイ役でしか出てきません。青州の王敦、并州の劉琨はまだしも、邵續と李矩は噛ませ犬の上に連携して北漢に対抗もできず、状況は極めてよくないですね。しかも、好転する見込みがありませんからね。。。
今回は、石勒と王浚ともに「ざまあみろ」と言われる回ですね。
史実上の石勒らしい作戦と行動ですが、本人にとってみれば、リスクの割には余り報われていないような。結果的に生き残ったからいいですが、かなり危うい作戦でした。
王浚の「奸臣」たちを殺したのはいいですが、府庫の米穀を開放しなかったために、大変なピンチになりましたね。キングダムなどにありそうな「敵の大将は討ったけど、こちらも討たれそうになる」という展開でした。孫緯・王甲始・王昌は祁弘の同僚として、ずっと強敵として善戦しており、かなり優遇されていますね。
史実でも変わらない、游統の立場はよく分かりませんね。内通を持ち掛けて使者を殺されて、石勒が王浚に信用を得るために利用されています。その後、王浚にとがめられず、さらに弟まで殺されているのに、石勒防衛を拒絶してため、王浚が捕らえられ、さらに自分も捕まり、不忠の罪で石勒に殺されています。
余りにも脈絡がなく、游統は石勒から全ての悪を押し付けられて殺されたか、とことんまで利用されたか、どちらかではないでしょうか。
とにかく、石勒は生き残りましたが、幽州における強敵を除かれ、あまり石勒は勢力を伸ばせないという北漢には理想的な展開となりました。また、段部鮮卑の段匹殫が幽州に進出し、いよいよ鮮卑が大舞台に躍り出てきております。
大会戦では全員生き残っており、八王の乱でもあまり欠員はでなかった十六傑でしたが、ついに九人目の死者が出ております。リストを良く見たら、上位と下位はきっちりと別れていますね。陳敏と祖逖の位置だけは交代した方が、先鞭コンビが並ぶため、より美しいとは思いますが。
西晋十六傑(十四路諸侯+二)
✕ 征西大元帥・陸機
✕ 荊州刺史・劉弘
西涼刺史・張軌
✕ 幽州惣官・王浚
✕ 揚州刺史・陳敏
幷州刺史・劉琨
廣州刺史・陶侃
✕ 青州刺史・苟晞
✕ 豫州刺史・劉喬
樂陵太守・邵續
滎陽太守・李矩
✕ 雍州刺史・劉沈
✕ 順陽太守・張光
✕ 武威太守・馬隆
南平太守・應詹
南中郎将・祖逖
作者からの返信
こんばんは。
宿敵の王浚を滅ぼしたものの、幽州は鮮卑段部の拠るところとなりました。トビに油揚げですね。
後年、宋は燕雲の地を遼に奪われましたが、このあたりや陝西は地理的に中央から遠く、よく失われた地でもあります。北京は要するに、北からの侵入に備えるための城塞かつ国都であったわけです。
〉府庫の米穀を開放しなかったために、大変なピンチになりました
民を救わなかった報いのような感じでしたね。当時の軍勢にとって現地調達は当然の行いですが、代価をキッチリ支払わされたわけです。
〉孫緯・王甲始・王昌
王浚の部将はアッサリ討ち取られることが少ないですかね。幽州は突騎で知られた強兵の地ですから、それも加味されているかも知れません。
〉游統
正史を読んでも何があったのかよく分かりません。王浚には殺されず、石勒に殺されたのは確からしいですが、何か事績の脱落があるのかなあ。。。
〉北漢には理想的な展開
どうなんでしょうね。
幽州は結局は段部が拠り、代の拓跋部と並んで北漢に好意的ではありません。石勒の勢力は増えもせず減りもせず、現状維持となりました。
ここで石勒が幽州を合わせるとついに自立に走っただろうと考えると、たしかに北漢にはよかったのかも知れませんね。
〉祖逖
遅咲きの印象がありますから、仕方ないですね。
張軌は遠く涼州にあって自らは動かず、應詹はチョイ役でしか出てきません。
青州の王敦、并州の劉琨はまだしも、邵續と李矩は噛ませ犬の上に連携して北漢に対抗もできず、状況は極めてよくないですね。
しかも、好転する見込みがありませんからね。。。