第百三回 石勒は王浚父子を殺す

 翌日の辰の刻(午前八時)、胡矯こきょう孫緯そんい石勒せきろくの軍勢に遭遇し、布陣してその南下を阻んだ。石勒は将兵に隊伍を整えるよう命じると、進軍を止めずに突っ切ろうとする。

 その様を見た孫緯が叫んで言う。

「隊伍の乱れよりして石勒どもに戦意はない。この戦は勝てるぞ。力を尽くして奴等の脚を止め、逃げるを許すな」

 孔萇こうちょう張雄ちょうゆう邵攀しょうはん趙鹿ちょうろくが一斉に斬り込むと、幽州の将兵は力の限りに死戦して前を阻む。

廣平こうへい寧朔ねいさくの大軍がすぐに駆けつける。力を尽くして退くな。勲功を建てるのはまさにこの時にある」

 胡矯が声を嗄らして叫ぶ。

 石勒が騎兵と一丸となり、死を冒して突き抜けようとすると、幽州兵は弓弩を揃えて矢を射放った。矢が雨のように降り注ぎ、精強な石勒の将兵も怯んで退く。

 その背後から砲声が響き、寧朔から返した王甲始おうこうしと廣平を発した王昌おうしょうの軍勢が到着する。石勒の軍勢は背後を突かれ、兵は次々に骸となって地に伏せる。

 窮地と見た孔萇が自ら陣頭に飛び出すと、幽州兵が射かける矢に馬が倒れる。馬を捨てて歩戦で進もうとすると、胡矯が駆けつけて鎗を突く。孔萇は肩口に鎗先を受けて倒れ、胡矯は討ち取らんと馬頭を返す。そこに張雄が飛び込んで胡矯を阻み、孔萇はその隙に退いた。

 張雄と入れ替わりに石勒が陣頭に飛び出し、胡矯は前を阻んで鎗を突く。

 石勒が大喝する。

「お前は何様のつもりで吾の前に立つか。死に場所を探しているのか」

 胡矯が鎗を引く暇もなく、石勒の一刀が首級を刎ね飛ばした。胡矯を失った幽州兵は乱れたち、石勒の将兵はその隙に軍列を破ると易水えきすいを目指して駆け抜ける。


 ※


 王昌と孫緯はその後を追い、石勒に従う兵は次々に討ち取られていく。易水を目前にしたあたりで脇道から王甲始の軍勢が飛び出して攻めかける。張雄は一軍を率いて突入し、身に十を超える傷を負いつつ、幽州の将校二人を討ち取った。それを見た王甲始は怖れて軍勢を返す。

 背後より王昌と孫緯が鬨の声を挙げて攻め寄せる。石勒の軍勢は先を争って易水を渡ろうとするも、馬がない者たちは幽州兵に討ち取られる者あり、溺れる者あり、易水を渡った者は数えるほどもない。石勒と麾下の諸将は何とか易水を南に渡った。

 王昌と孫緯は整然と易水を渡り、さらに追撃をかけるべく隊伍を整える。

 張雄、孔萇、趙鹿の三将は身に重傷を負い、晋兵の追撃を支えられそうにない。

 そこに、南から一軍が姿を現す。これは、先に王洛生おうらくせいを送って柏人はくじんを過ぎ、それより返した張敬ちょうけいの軍勢であった。張敬は堅く布陣すると、石勒たちを迎えて晋兵に対する。

 勝勢に乗る王昌と孫緯の軍勢も長い追撃に疲弊している。そのため、敢えて進まず布陣して易々と南下を許さない構えを見せた。


 ※


 薊城けいじょうに残る裴憲はいけん荀綽じゅんしゃく劉翰りゅうかんに言う。

「石勒により刺史に任命されたからには、幽州の諸将は許しますまい」

 一計を案じると、一同して幽州から遼西に逃れ、鮮卑の段匹殫だんひつせんの許に投じた。王昌と孫緯が易水で石勒と対峙して薊城が空虚であると知り、段匹殫は幽州兵に加勢すると称して軍勢を発する。

 薊城に入ると、段匹殫は幽州ゆうしゅう刺史しし薊遼けいりょう大都督だいととくを自称し、後事を諮るべく易水に人を遣わして王浚麾下の諸将を召し返す。

 王昌と孫緯は薊城が段部の拠るところとなったと知ると大いに愕き、軍勢を返して薊城を恢復すべきかを諮る。

「段匹殫は吾らが薊城を空けている隙に乗じて城を奪い取った。必ずや吾らが攻め寄せた際の備えも設けていよう。さらに、吾らの軍勢はこれまでの戦で疲弊して糧秣も残り少ない。段部の軍勢と戦ったところで勝てるとは限らぬ。また、主公(王浚)父子は石勒に捕らえられている。薊城を恢復しても誰を盟主に立てるというのか。薊城を抜かれたにも関わらず、将兵は怒りを発してもおらぬ。おそらく薊城を恢復することは難しいであろう。吾の見るところ、代郡に逃れて雪辱を期するよりない。幽州では一斗の米が銀二両、一斤の肉は銀五銭に値する。兵民は飢えて久しく、このまま幽州に留まることもできぬ」

 王昌と孫緯もその言に同じ、軍勢をまとめると金城きんじょうを目指して発した。段匹殫は王浚麾下の諸将が北に逃れたと知ると、一意に幽燕の地を安撫して食糧を供給し、民はようやく一息吐くことができた。

◆「金城」は『晋書しんじょ』地理志では涼州にしか該当する地名がない。ただし、涼州は長安の遥か西にあり、幽州の北にない。『明史』地理志には大同府だいどうふの管下の応州おうしゅう金城縣きんじょうけんが存在する。その位置は代郡の南にあたり、おそらくこれを指すものと見られる。


 ※


 石勒も易水から襄國に軍勢を返し、城が近づくにつれて王浚の顔を見たくなくなる。薊城が段匹殫に奪われたと知れば、王浚が何を言うか知れたものではない。従事じゅうじ慶封けいほうに命じて言う。

「王浚父子は位は高く、爵位は重い。吾と見えた時に何を言うか分からぬ。それに、王浚と吾はこれまでに悪縁があったわけでもない。お前は先行して城に入り、王浚父子を斬刑せよ。決して遅滞してはならぬ」

 慶封は馬を飛ばして襄國に入り、張賓ちょうひんに石勒の言葉を伝えた。張賓は法官に命じて処刑を執行するよう命じる。王浚は罵って抵抗したが、ついに刑場の露と消えた。

 その後、石勒が襄國に入ると、張賓と王子春おうししゅんが出迎える。石勒が王浚父子の亡骸を埋葬するよう命じると、張賓が言う。

「王浚は劉霊りゅうれいを殺しました。漢主はそのことを忘れておらず、怨みを雪いでもおりません。王浚父子の首級は捷報とともに平陽に奉じるのがよいでしょう。それにより、吾らの勲功を明かにし、かつ、吾らが自立を図っているのではないかという疑いも晴らせましょう」

 石勒はその言に同じ、曹掾そうえん傅遭ふそうに命じて王浚の首級を平陽に届けさせた。

 漢主の劉聰りゅうそうは大いに喜んで言う。

「王浚めは吾が大将を殺し、その怨みは忘れておらぬ。今日、王浚父子の首級を得て、劉霊の仇はようやく雪がれた。これでまた一つの憂えが解けたというものだ」

 詔を下して石勒を平難へいなん大都督だいととくに任じ、さらに十二郡の食邑を加えた。張敬や趙染ちょうせんをはじめとする十二人に侯の爵位を許し、張賓は王浚を平らげた勲功を記念するべく燕国公に封じられたことであった。

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