第百二回 石勒は偽り降って王浚を擒とす

 石勒せきろく張賓ちょうひんの計略に従い、徐光じょこうが認めた書状を劉琨りゅうこんに送った。その書状は辞を卑くして遜っており、あわせて多数の賂を添えた。使者の張慮ちょうりょ陽曲ようきょくにある劉琨に見え、書状と礼物を献上する。

 劉琨が書状を披いて見れば、その辞は懇切で己の罪過を述べていた。

「三台を奪ったことは刁膺ちょうようの誤ちであり、これにより貴君の徳に背くこととなりました。すでに刁膺は官爵を削って罪を待つ身です。僭上せんじょうに振舞う王浚おうしゅんの罪を正して勲功を挙げ、罪を贖わせて頂きたい

 石勒との書状の遣り取りを劉琨は好ましく思っていない。しかし、石勒の軍勢は盛んであり、いつ劉曜りゅうようが攻め寄せてくるか分からぬために事を構えられない。また、王浚が成都王せいとおう司馬穎しばえい)を滅ぼして麾下にあった祁弘きこうに長安を乱させたことを憎んでもいた。

 その上、王浚が擅いままに振舞って百官を置き、晋に叛こうとしているとは聞き及んでおり、石勒が王浚を討つというのであれば、それを阻む理由もない。

「石勒は吾の勧めに従い、罪を悔いて大晋に帰し、幽州を抜いて王浚の僭上の罪を正し、その勲功でもって積年の過ちを贖おうとしている。それゆえ、その乞いを容れる旨を通知した。近隣諸郡の軍勢はただ巡察にのみ務め、石勒が晋に帰そうとする心を阻まぬようにせよ」

 劉琨は書状を認めると、従うところの関津の守将に伝えさせた。また、石勒にもその旨の返書を送り遣る。


 ※


 石勒は劉琨の書状を得ると、再び董肇とうちょうを幽州に遣わして言う。

冀州牧きしゅうぼくの石勒が軽騎兵を率いて幽州に趣き、尊号を勧進いたします」

 王浚はその願いを信じて容れ、石勒は軽騎兵を率いて先発する。その一方、大将軍の張敬ちょうけいは三万の精鋭を整えると、夜陰に乗じて密かにその後を追った。

 石勒は柏人はくじんに着くと、縣を司っていた游綸ゆうりんを斬り殺した。これは、先に兄の游統ゆうとうの部下を殺したため、それを怨んで王浚に通報することを恐れたためである。

 さらに進んで易水えきすいの河畔に到れば、守将の孫緯そんいはその動静を窺い、勧進に来たのではないと見抜いた。王浚に報せるべく、まずはともに石勒の北上を阻むよう游統に使いを出した。しかし、游統は石勒が寡兵と知ると、孫緯には王浚に報せぬよう伝える。

 石勒はいよいよ薊郡に近づいた。


 ※


 王甲始おうこうしもこの機に石勒を討ち取るよう王浚に勧めた。しかし、信任されている棗嵩そうすうは石勒より厚く賂を受けており、石勒を迎えるように勧める。

 棗嵩に同じた王浚は怒って言う。

「石公が此処に来るのは、吾に尊号を勧進するためである。討ち取るなどと言う者は先に斬刑に処する」

 諸将はそれを聞くと、口をつぐんで退いた。王浚は席を設けて餞を備え、石勒の到着を待つ。

 翌日早朝、石勒が郡に到着すると、官吏に命じて門を開かせる。石勒は自ら進まず、先に供物とする千頭ばかりの牛羊を進ませた。門から官衙につづく道は牛羊に塞がれ、石勒の軍勢はその後につづく。これは、伏兵を疑って道を塞ぐためであった。

 官衙に着くと、門に兵を配して退路を確保する。

 それより先、王甲始は王浚が諫言を容れぬと見ると、一軍を率いて寧朔ねいさくまで巡察に出た。王昌おうしょうたちもこれに倣い、幽州の城内の兵は数えるほどしかいない。

◆「寧朔」は『金史きんし地理志ちりし北京路ほっけいろ興州こうしゅうの條に「興州、寧朔軍ねいさくぐん節度使せつどしなり。本はりょう北安州ほくあんしゅう興化軍こうがぐんなり」とある。その位置は現在の北京の北方にあり、おそらくはこの地を指すと見られる。

 石勒が到着したにも関わらず、文武の官より出御を請われぬため、王浚は懼れて立ったり座ったり、ついに自ら官衙から出た。この時、石勒は戎装して庁堂に坐し、王浚を連行するよう石虎せきこ石閔せきびんに命じていた。


 ※


 捕らえられた王浚は、石勒が坐する前に立たされ、徐光がその罪を責めて言う。

「貴公の官位は朝廷に冠たり、爵位は諸侯に列し、幽州という要地を委ねられて突騎で知られる地に拠られた。それにも関わらず、洛陽の失陥を座視して救わず、虜囚となった天子を見送り、奸佞の人を信任して自らは尊号を求め、忠良の人を殺害して情欲を恣にし、幽燕の地に毒を流した。自らが虜囚となるのも天命というものではないか」

「戎狄の狗めが。吾がわざわざお前を迎えてやったというのに、このように叛逆するとは」

 この時、王浚の麾下に胡矯こきょう王昊おうびんという者があり、王浚が石勒に捕らわれたと聞くと、五千の軍勢を率いて官衙に向かおうとした。そこに張敬が率いる三万の軍勢が到着する。

 二人は敵わぬと見ると、城を出て廣平こうへいと寧朔にある王昌と王甲始に報せた。


 ※


 石勒は牙将の王洛生おうらくせいに命じて王浚父子を襄國に送らせた。それを知った徐光が諌めて言う。

「幽州から襄國までは一日では行き着かず、さらに易水や柏人のような関津があります。身柄を奪い返されれば、必ずや後患となりましょう。すぐ斬刑に処するべきです」

 呼び返そうとしたものの、王洛生はすでに郡を発している。人を遣わしたものの、すでに時が過ぎていて追いつかない。

 石勒は深く悔いたものの、張敬が言う。

「吾が一万の軍勢を率いて急行し、護衛して易水と柏人を越えましょう。ご心配には及びますまい」

 張敬率いる一万の軍勢は郡門を抜けて南に向かった。


 ※


 薊城には王浚の軍勢が一万ほど残っていた。石勒はそれらの者たちを集め、降る者は受け入れて拒む者を殺す。さらに、棗嵩、田矯でんきょう田徽でんき朱碩しゅせき朱願しゅがんを召して言う。

「お前たちは賂を貪って政事を見出し、民を塗炭の苦しみに喘がせた」

 全員が斬刑に処せられ、薊城内にあった王浚の爪牙腹心はすべて除かれた。游統を捕らえると不忠の罪を数えて刑戮し、裴憲はいけん荀綽じゅんしゃくを登用して幽州の統治をゆだねる。尚書に任じられたこともある劉翰りゅうかん幽州ゆうしゅう刺史ししに任じた。

 その後、王浚が造営した宮殿を焼き払って府庫の銭穀を奪い、石勒は襄國に軍勢を返すことを考え始める。この時に府庫の米穀を開放しなかったことから、飢えた兵民は怨み怒って城から逃れ、胡矯と王昊の許に向かっていた。


 ※


 薊城を出た王昊は兄の王昌がある廣平に逃れ、胡矯は寧朔に向かう途上で王甲始に出遭い、王浚が捕らわれたと報せる。大哭すると、王甲始が言う。

「吾は以前より主公の驕慢により蹉跌を踏まぬかと懼れておった。心配でならぬゆえに寧朔に行かずに引き返したのだ。まさか主公が捕らわれるとは。お前は急ぎ易水に向かい、孫緯と相談せよ。吾は廣平に行って王昌と軍勢を合わせる」

 そう言うと、王甲始と胡矯はそれぞれに道を分かれた。

 胡矯が易水に到って事情を告げると、孫緯は嘆じて言う。

「昨日、張敬の軍勢が此処を南に過ぎた。先に通った時から日がないため、石勒の変事を覚れなんだのだ。先に主公が捕らえられたと知っておれば、迎え撃って主公を取り戻したであろうに。これでは身を百戦に晒してきた甲斐もない」

「過ぎたことを悔いても始まりません。王昌と王昊の軍勢は廣平にあります。すみやかに軍勢を発し、石勒を破って幽州を恢復せねばなりません」

「石勒は狡猾、必ずや備えを設けていよう。易々とは打ち破れぬ。王昌と王昊は吾らと足並みを揃えて動けるのか」

「問題ありません。石勒は三万七千の軍勢を率いておりましたが、張敬が一万を率いて先発しました。残るところは二万七千に過ぎません。さらに、燕兵で殺された者は多く、米粟を開放しなかったために兵民はともに怨んでおります。薊城には裴憲と荀綽がいるものの、石勒に与する者はおりますまい。打ち破れぬはずがありません」

 軍勢を発するよう命じると、孫緯は天を仰いで嘆く。

「游統めに騙されねば、すでに石勒を擒として襄國も吾らに属していたであろうに」

「石勒が薊城に到った時、張敬の軍勢はまだ到着しておりませんでした。王甲始と王昌が城内にいれば、石勒を擒とするなど塵を拾うようなものでした。主公の迷妄によりこのような事態になってしまったのです」

 胡矯はそう言って慰めると、二人は三万の軍勢を率いて薊城に向かった。


 ※


 石勒は薊城にあって襄國に還る準備を進めていた。そこに間諜が戻って報せる。

「王浚麾下の王昌や孫緯が南北より攻め寄せて参りました。その軍勢は合わせて十万に上ると観られます」

「内に民は吾らに付いておらず、外より敵が迫っているとは。これでは戦にもならぬ」

 石勒はそう叫ぶと、襄國に還るべく銭穀をまとめ、夜陰に乗じて薊城を抜け出たことであった。

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