第百一回 王浚は自立して諸官を置く

 田矯でんきょう王浚おうしゅんへの供物を奉じて幽州ゆうしゅうに還り、石勒せきろくが天子に対する臣下の位置である北面について拝礼したと復命した。王浚おうしゅんはその偽りを信じ込み、玉製の塵尾じんび(鹿などの尾の毛を挟木に挟んで団扇形に切り揃え、柄を取り付けた仏具)、それに帯と袍を石勒に贈るべく、ふたたび田矯を遣わした。

 石勒が張賓ちょうひんに問う。

「王浚が田矯を遣わした目的をどのように観るべきか」

「吾らの強弱と虚実を測ろうとしているのでしょう。兵の精強な者は隠して弱卒のみを表に出し、府庫を空にしておき、田矯と会見した後に酔ったふりをして見せてやればよいのです。そうすれば、報告を聞いた王浚は油断することでしょう」

 石勒はその言に同じ、警備の兵に弱卒を揃えて府庫の銭穀を移して空にした。


 ※


 田矯が幽州から到着すると、その座は勅使が座る南向きに置かれていた。石勒は塵尾を授けられると壁に掛けてその上を袱紗ふくさで覆い、北面の座に着くと再拝する。

「吾らは王公(王浚)にお会いすることができません。この塵尾を見るたびに王公に見えるように思うことでしょう」

 石勒はそう言うと、書状を認めて答礼の使者を務める董肇とうちょうに授けた。その書状には次のように記されていた。

「二月には勒が自ら幽州に参り、諸将とともに尊号を称えられるよう勧進いたします」

 書状を書き終えると、石勒は棗嵩そうすうにも、自らを冀州牧きしゅうぼくに任じ、廣平公こうへいこうの爵を与えて外敵を防ぐ任を命じられるよう書状を認めた。

 その書状を受けた棗嵩が告げると、王浚はいよいよ石勒が己に与するものと信じ、自立を考えるようになった。しかし、并州へいしゅうには劉琨りゅうこんがあってにわかに皇帝位に即くわけにもいかない。

劉曜りゅうようが劉琨に破れ、劉聰りゅうそうもしばしば軍勢を発して戦が止まず、并州は騒然としております。目下のところ、代郡だいぐん鮮卑せんぴの加勢により、何とか支えられてはいるようです」

 并州に送った間諜より報告を受けると、劉琨に幽州を顧みる暇なしとし、王浚はついに宮殿と即位の令に用いる天壇の造営を始めて立太子の儀を定め、さらに百官を置くべく人をあてていく。

 棗嵩と裴憲はいけん尚書しょうしょ左右さゆう僕射ぼくやとし、太子を宮殿に住まわせて節を与え、匈奴きょうど中郎将ちゅうろうじょうに任じる。

 それより以下は、姻族の崔毖さいひつ東夷とうい校尉こういに任じ、朱願しゅがん冀并汲兗きへいきゅうえん諸軍事しょぐんじとし、朱碩しゅせきには幽燕遼薊ゆうえんりょうけい諸軍事しょぐんじ安北あんほく大將軍を兼任させ、田徽でんき河間かかん太守たいしゅに、李渾りこん薊城けいじょう太守たいしゅに、薄盛はくせい雲中うんちゅう太守たいしゅに、田矯を中山ちゅうざん太守たいしゅにそれぞれ任じた。

 それらを終えると、吉日を選んで皇帝位に即き、改元を行うべく準備を進める。そのことを知った荀綽じゅんしゃくが言う。

曹孟徳そうもうとく曹操そうそう、孟徳は字)と司馬仲達しばちゅうたつ司馬懿しばい、仲達は字)がその身は臣下に甘んじた例に倣い、後世の非難を避けられるべきではありませんか」

 王浚はその言をれず、荀綽を魏郡ぎぐんじょうに左遷する。范陽はんよう太守たいしゅ遊統ゆうとう魏郡ぎぐん太守たいしゅに任じ、空いた范陽太守には高紞こうちんを昇格させた。


 ※


 幽州府の属官を務める王悌おうていは忠実で才気があったが、王浚はそれほど評価していなかった。荀綽が斥けられて高紞が范陽太守に任じられたと知ると、諌めて言う。

「荀綽と遊暢ゆうちょうは幽州の重鎮、外郡に置いてはなりません。高紞や田矯は凡庸の材に過ぎず、大郡を委ねられるものではありません。また、大事をなすには天時に応じて人心に従わねばなりません。驕って自らを大としてはなりません」

 王浚は王悌の諫言を受け、心に思う。

「この者を放置しては、いずれ自立せんと図る吾に逆らうであろう」

 密かに命じて王悌を殺させた。これより、王浚に諫言する者はなくなり、鬱屈した不満から密かに童謡が作られ、幽州の子供に歌われた。

「幽州の城門は蔵の戸のよう、中には王彭祖おうほうそ(王浚、彭祖は字)の骸が転がっているだけ」

 この童謡が流行ると、王浚は自らを省みることもなく、歌った子供とその父母をまとめて刑戮した。人々は怖れて童謡を歌う者はなくなった。

 この童謡を知った者、また、荀綽は左遷されて王悌が殺されたと知る者の多くは、南に逃れて石勒に報せる。石勒は王子春おうししゅんに問うて言う。

「今や王浚は人望を失っているにも関わらず、自立を図ろうとしている。吾は王浚の隙を窺っている。卿は幽州に赴いて王浚を襲う時機が来たかを見極めよ」

「幽州は昨年に大水が出てから民は飢えております。その一方、幽州の府庫には米粟が積まれておりますが、供出して民を救おうとはいたしません。さらにその刑罰は厳しく課役は重く、官吏は税を責めたてて民に寧日はございません。加えて、賢良の士は害されて諫言を呈すれば誅されます。不吉な童謡が流行っても自らを省みず、百姓は土地を捨てて四方に逃れ、兵士は役務を捨てて隣郡に逃れ、それらのことをも知らぬ有様です。狐狸が府門に巣食い、野鶏が庁堂で鳴くが如き変事が生じても天の怒りを知りません。鮮卑と烏桓うかんは従わず、代公(拓跋たくばつ猗盧いろ)は力を尽くしたにも関わらずその子を喪って誼を捨て、王浚は自らの羽翼を捨て去ったようなものです。また、棗嵩、朱碩、田矯、朱願のような小人を任用して能吏であると思っています。これは、外は爪牙を失って内に臓腑が腐っているようなもの、人心は従わず時勢は与せず、それでも宮殿を建造して百官を置き、『魏の武帝(曹操)も晋の宣帝(司馬懿)も話にもならず、童謡や災異など怖れるに足りぬ』と放言しております。これはいずれも亡びる者の兆しであり、王彭祖はそれを知らず、それ以外の者であれば、誰の目にも明らかでありましょう」

 王子春の言を聞いた石勒が言う。

「今こそ王彭祖を図る時機である」


 ※


 王浚を図ると定めたものの、河北に散在する晋の遺臣たちが王浚を救わぬとも限らない。軍備を整えつつ、石勒は張賓に策を問う。

「敵国を破るにはその不意を突くのが肝要です。軍備を整えて一月を過ぎれば、近隣の者たちは誰もが知っております。それでは、戦に敗れるのは火を見るより明らかです」

 張賓の苦言を聞くと、石勒が弁解する。

「烏桓や鮮卑が王浚と結んでは勝敗を見通せぬ。それゆえに躊躇しておるのだ」

「烏桓に鮮卑の段部と拓跋部はいずれも王浚の羽翼となっておりました。しかし、段部は先に吾らと結び、烏桓の審廣しんこう郝襲かくしゅう靳市きんしたちは離反して王浚と兵を構えており、仇敵も同然です。つまり、王浚はすでに外援を失っており、それゆえに吾らを取り込もうとしたのです。また、幽州と燕州の一帯は飢饉に襲われて民は草を喰らい、王浚はそれを救わず民は逃れ、賢士は難を避けております。つまり、方策を諮ろうにも賢良の士を欠いております。その法令は厳酷であり、兵士は罪を怖れて萎縮しています。つまり、吾らを防ごうにも精強な士馬を欠くのです。王浚は三つの誤りを犯しており、大軍をもって幽州に望めば、その軍勢は自ずから崩れ去るでしょう。愚見によれば、軽騎での往来であれば三十日はかかりません。烏桓、段部、拓跋部の動きを封じれば、幽州を陥れるのは易きことです。間隙に乗じてすみやかに事を行い、時機を失ってはなりません」

「劉琨と王浚は同じく晋の臣、窮して結ぶ虞もあろう」

「二人は同じく晋の臣でありますが、内実は呉越と同じです。劉琨は忠誠によって事を行い、王浚は私欲によって策を弄します。その志行はまったく異なるのです。また、先に劉琨より救援の依頼を受けて王浚は出馬しませんでした。どうして王浚の危機に劉琨が動きましょうや。ご心配であるならば、書状を遣って劉琨と結ばれればよろしい。その書状には、王浚が妄りに尊号を称しており、これを討平して幽燕の地を献上し、三台さんだいの地を奪った罪を贖いたいとでも書けばよいでしょう。劉琨は必ず信じます。劉琨自ら王浚を攻めはしないでしょうが、吾らが王浚を滅ぼそうしたところで、劉琨は救いますまい」

「吾が考え尽くしておらぬところまで、張右侯ちょうゆうこう(張賓、右侯は官名)はよく見通している」

 石勒はそう言うと、書状を認めるよう徐光じょこうに命じたことであった。

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