第百回 石勒は偽書を王浚に呈す

 石勒せきろくはすでに襄國じょうこくに帰還し、兵勢は再び盛り返した。それより諸将に命じて隣郡の攻略を進め、ついに幽州に拠る王浚おうしゅんの領域にまで踏み込んだ。

 王浚の長史ちょうし劉亮りゅうりょう、司馬の高柔こうじゅうが王浚に勧めて言う。

「石勒の兵は多く、その兵威は日ごとに盛んになっており、吾が領域を度々侵しています。すみやかに劉并州りゅうへいしゅう劉琨りゅうこん、并州は官名)と李滎陽りえいよう李矩りく、滎陽は官名)と軍勢を合わせ、さらに遼西りょうせい段部だんぶ代郡だいぐん拓跋部たくばつぶをも促して山東より退けねばなりません。その基盤が固まれば、動かし難くなります。そうなっては、逆に吾らが窮地に追いやられる虞さえございます」

「吾が兵は三十万を超え、しかも重ねて強敵を打ち破っておる。石勒は河南より還ったばかりで疲弊していよう。二倍の軍勢があったとしても負けはせぬ。天下の刺史ししで吾を凌ぐ者はおらぬ。吾が人を制しようとせぬことはあれど、誰がよく吾を制し得ようか」

 高柔の懸念を王浚が哂うと、劉亮も言う。

「遠慮を欠けば足元の憂えに煩わされるものです。今、石勒の侵攻を度々被っても意に介されねば、石勒が志を得た暁には抗おうにも抗えますまい。このまま放置しては、遠からずして石勒に制せられる日が参りましょう」

 王浚が怒って言う。

「腐れ儒者めが、吾を愚弄するつもりか。この者を牽き出して頸を刎ねよ」

 慌てて高柔が諌める。

「劉亮の言葉は忠直の良言です。明公を愛する心に発するものであり、実に有益です。罰してはなりません。許されねば、諫言する者の路を塞ぐこととなりましょう」

 高柔の諫言も王浚の怒りの火に油を注ぐばかり、さらに怒って言う。

「お前は劉亮の朋党、庇いあって法を乱すつもりか」

 そう叫ぶと、ついに劉亮と高柔の二人を斬首し、首級を晒した。

 二人の死はその日のうちに広く伝わり、衆人は涙を流して悲しんだ。それより、王浚に諫言する者は絶えてない。ついには離反して石勒に降る者まで現れ、それらの者たちは石勒に幽州の内情を報せた。


 ※


 石勒は永らく王浚を図ろうと窺っていた。しかし、幽州兵は精強にして糧秣は豊かに積まれ、さらに鮮卑の段部と拓跋部や烏桓と誼を通じている。加えて劉琨や邵続しょうぞくが同じく晋の諸侯としてあり、いざとなれば掎角の勢をなす。

 それらの事情から、いまだ軍勢を発していない。幽州からの投降者がつづき、石勒は間諜を放ってその動静を探らせた。

「幽州の士庶は紛々として王浚の酷薄を噂し、百姓は怨んで将兵も心を離している様子。その敗亡は遠くありません。特に、劉亮と高柔の二人を斬刑に処するより諫言する者を欠きます。その上、横暴を恣にしながらも自立すべく賢才を求めているようです。霍原かくげんは志節は清く国家の興廃を知り、幽州に難を避けて仕官を求めていませんでした。しかし、王浚は霍原に経世の才があると聞くと、再三に渡って招聘するもすべて拒まれ、ついに長子を遣わして覇王の道を問わせました。霍原は覇王の道については述べず、ただ忠義だけを述べたと言います。王浚は復命を聞くと怒り、霍原を害そうとしました。孫緯そんいが高名の士であるために妄りに殺すなとを諌めはしましたが、『お前たちは知らぬことだが、天子は豆田にいるという童謡が長安で流行したことがある。豆は藿に応じ、田は原に応じる。霍原のことを指しているのは明白であろう。殺しておかねば必ずや乱を引き起こそう』と言い張り、ついに霍原を刑戮したとのことです。それ以来、棗嵩そうすう朱願しゅがんに機密を委ねるようになりましたが、この二人の貪婪は飽くことがありません。民は朱願の高慢と棗嵩の貪婪を、『府に赫々たる朱丘伯しゅきゅうはく(朱願、丘伯は字)、十嚢のうちの五は棗郎そうろう(棗嵩、郎は若旦那くらいの意味)に入る』と言っております。主簿の田矯でんきょうも横暴を働き、王浚はそれらを禁じられず、兵士までも彼らの貪婪に倣う有様です。王浚に勧めて広く山沢に麦を撒き、水を引いて田地としたのはよいのですが、民を働かせた上に重い税を課して利益とし、水を引いて民の墓地を沈めても知らぬ顔、さらに灌漑のような造成に民を酷使しております。そのため、多くの民が鮮卑の土地に逃れました。承事郎しょうじろう韓咸かんかんが切に諌めたところ、王浚は上官を誹謗したと言って朱願に取調べを命じ、ついに杖で打ち殺してしまいました。もはや官民を問わず人々は王浚を怨んではおりますが、ただ刑戮を恐れて逃げるよりないのです。幽州に軍勢を進めれば、もはや瓦解するよりございますまい」

◆「承事郎」は『明史みんし職官志しょっかんし吏部りぶに「文の散階さんかい四十有二よんじゅうゆうに歷考れきこうを以て差を為す」とある後に、「正七品しょうななひん、初め承事郎を授け、のぼせて文林郎ぶんりんろうを授け、吏の材幹ざいかんあるには宣議郎せんぎろうを授く」とあり、駆け出しの官吏が就く官職にあたる。

 間諜からの報告を聞くと、石勒が言う。

「幽州がそのような有様であるなら、王浚を敗れよう。まずは軍勢を発してその境界を侵し、虚実を測るのがよい」

 劉膺りゅうよう桃虎とうこを幽州の境界に向かわせ、掠奪を恣にさせた。


 ※


 石勒の軍勢が境界を侵していると知り、王浚は自ら軍勢を発して防ぎに向かわず、遼西の段疾陸眷だんしつりくけんに石勒を攻めるよう命じた。

 その段疾陸眷は石勒の強盛を畏れて軍勢を出さず、王浚は事情を問うために呼び出したが、それにも応じない。王浚はついに怒って使いを送り、その不義を責めさせた。

 段疾陸眷は衆人を集めて方策を諮り、段末杯だんまつかいが言う。

「王浚は老いて耄碌し、徳を修めず刑罰を濫用しております。また、その下には忠良と呼べる者は数えるに足りません。謝罪に赴けば必ずや誅殺されましょう。石勒には恩義があり、吾は義兄弟の契りを結んでおります。どうして掌を反してそれを討つような真似ができましょうか。王浚を捨てて石勒と結べば、必ずや援軍を出して吾らを救ってくれましょう。王浚など怖れるに足りません」

 段疾陸眷は段末杯の言をれ、書状を認めると石勒の許に使者を遣わした。石勒は段部と結ぶべく厚く賂を贈り、段部はついに王浚を捨てて石勒についた。


 ※


 王浚は段疾陸眷が石勒と結んだと知って怒り、拓跋たくばつ猗盧いろの子の左賢王さけんおう日律孫じつりつそんに厚く賂して段部を攻めるよう持ちかけた。日律孫はその願いを容れて軍勢を発し、段部に攻め向かう。

 段疾陸眷は石勒に使いを発して援軍を求め、軍勢を合わせて日律孫を破り、七千余の首級を挙げて二百里(約112km)も追撃した。日律孫は敗走の中で落命した。

「拓跋部の軍勢を破った勝勢に乗じて攻めれば、幽州をも抜けましょう」

 諸将がそう言うと、石勒は

「吾は幽州を図ろうとして久しいが、急いては事を仕損じるとも言う。王浚は糧秣を貯えてその軍勢も精強であろう。拓跋猗盧もその子を殺されて復讐を誓っているはず。王浚と結ぶ劉琨と邵続はいずれも晋の臣であり、隙を見せれば噛みついて来よう。妄りに動けば、王浚、拓跋猗盧、劉琨、邵續のすべてを敵に回すこととなる。これでは必勝は期しがたい。正面から敵対するには時機尚早であろう。ここは、逆に王浚に書状を遣って推戴し、その心を驕らせて報復の心を失わせ、その後に計略を用いるのが上策と考えるが、みなの意見はどうか」

 徐普明じょふめい徐光じょこう、普明は字)が言う。

「良策です。しかし、書状は羊祜ようこ陸抗りくこうの書状のように挨拶に止めるのがよろしいでしょう」

 徐光の意見に張賓ちょうひんが駁した。

「それでは吾らが王浚にとって敵であることに変わりはなく、防備を緩めますまい。王浚には僭逆の心があり、烏桓、鮮卑の力を借りて皇帝のように振舞いたいと久しく望んでおります。しかし、今も晋の藩屏であることに変わりはありません。必ずや、天下の英雄を集めて大業をなすことを考えておりましょう。今や将軍の威名は天下を震わせており、その去就は存亡に直結いたします。王浚が将軍の協力を求める心は、楚が韓信かんしんを求めるのに等しいのです。使者を送ったところで誠意を示さなければ、王浚は疑うばかりでしょう。そうなれば、後日に奇策を用いようとしても、おそらく通じますまい。大事をなす者はまずへりくだるものです。それにより、敵を驕らせて詭計に陥れるのです。吾らが晋の藩屏となると称したところで、王浚は信じますまい。羊祜と陸抗のような交情を求めたところで、無益でありましょう。詭計を行うのであれば、王浚に臣と称するまで徹底せねばならぬのです」

 石勒は張賓の言をれ、王子春おうししゅん舎人しゃじん董肇とうちょうに命じ、金帛と書状を携えて王浚の許に向かわせた。


 ※


 石勒が王浚に送った書状は次のようなものであった。


 勒(石勒の自称)は辺境の胡人であり、夷狄いてきの出自であります。偶然にも晋朝の綱紀が緩んで海内の民は流離し、冀州きしゅうに逃れて命を永らえたに過ぎません。それらの民に推されて首領となったのも、流民たちを救わんがためです。

 今や晋の国運は絶えつつあり、中原は主を欠いて民は望みを失っております。明公(王浚に対する尊称)は名門より出て四海の仰ぐところ、この乱世にあって中原の主となるのは、明公を措いて誰がありましょうや。

 勒が身命を賭して義兵を興して賊徒を除く所以ゆえんは、実に有徳者を迎えんがために地を払っているのです。明公がすみやかに天命に応じて人心に従い、極位について海内を定められ、民の生命を救われればこれに過ぎる幸いはございません。

 臣勒の明公を慕う心は慈母を慕う赤子に等しく、明公が臣の微意を察して任を下されれば、その御恩は言うに及びません。

 以上、謹んで申し上げます。


 王浚はその書状を読むと心に喜び、王子春に席を与えて問う。

石公せきこう(石勒)は当世の英雄にして趙の旧都である鄴に拠り、晋漢とは鼎の如く鼎立している。何ゆえに孤に従おうとされるのか。これは偽りではあるまいな」

石将軍せきしょうぐん(石勒)の英才は人に優れ、兵馬は盛んであることはご承知のとおりです。ただ、明公は名門の出自にして輿望の仰ぐところ、幽州の如き要衝に鎮守して四方に威名を轟かせ、海内にその令名を知らぬ者はございません。ゆえに烏桓や鮮卑の如き夷狄でさえ喜んで従い、その徳を讃えております。どうして鄴の如き狭い地に拠って明公に抗い得ましょうか。昔、陳嬰ちんえいや韓信は王位が軽んじられたがゆえに王となるを望まず、義帝が蔑ろにされたがゆえに帝となることを願わなかったわけではございません。ただ、帝王には求められる資格があり、知力や武力では奪い得ぬと知るがゆえに漢の高祖に従ったのです。石将軍が明公を奉じることは、星々が太陽に従うに同じく、長江が海に注ぐに等しいものです。漢の高祖に抗った項羽こううや光武帝に楯突いた公孫述こうそんじゅつの覆轍は記憶に新しいところでございます。石将軍はそのことをお忘れになってはおりません。それゆえ、帝位に即く資格を備えられた明公に従おうとされているのです。疑われるには及びますまい。また、古より夷狄が朝廷に入って名臣となった例はあれども、帝王となった者はございません。石将軍は帝位を軽んじられているのではなく、夷狄が帝王となることは天人の許さざるところであると知っておられるのです。それゆえに、明公を推戴されんとしているのです」

 王浚はその言葉を聞いても、哂うだけで答えない。棗嵩は石勒から贈られた金銀布帛の賂を見ると、王子春に同じて言う。

「石公は忠良の人、王子春の言葉は信じるに値します。懇切な書状まで受けては疑うにも及びますまい。忠良の人を疑っては心を離すことにもなりかねません」

 棗嵩の甘言を喜んだ王浚は、王子春と董肇に爵位を与えるとともに、田矯を遣わして答礼させる。田矯を迎えた石勒は臣下であることを示す北面の座について返書を拝受し、勅使を迎える礼を尽くした。

 この時、王浚の右司馬ゆうしばを務める游統ゆうとう范陽はんようの鎮守に出ていた。王浚が親友の韓咸を害したと知ると、官を捨てて石勒に降った。石勒は游統の家臣を斬ってその首級を王浚に送った。

 王浚はそれを石勒の誠意であると考え、それより石勒を疑わなくなったことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る