第九十七回 楊難敵は謀って梁州を奪う

 劉曜りゅうよう長安ちょうあんから潼関どうかんに逃れて兵馬を点検してみれば、三万もの兵を喪っていた。このままでは平陽へいように帰還するにも面目がなく、軍勢を前に誓って言う。

「五万の軍勢があれば、再び長安を攻められよう。まして、七万もの軍勢が残っておる。明日には再び軍勢を発し、死ぬのであれば長安の城下に死ぬべきである。何の面目があって平陽に還れようか」

 関河かんかが諌めて言う。

「勝敗は兵家の常、どうして敗戦を恥じる必要がありましょう。曹操そうそうであっても赤壁せきへきで大敗を喫し、諸葛武侯しょかつぶこう諸葛亮しょかつりょう)でさえ街亭がいていで利を失いました。それより以前となれば、枚挙に暇もございません。このような小敗は数えるにも足りますまい。まずは平陽に還り、再起してこの怨みに報いても遅くはございません。漢の高祖(劉邦りゅうほう)は項羽こううに百敗した後、九里山きゅうりさんに一勝を得てそれまでの恥を雪ぎました。大王におかれても小恥を忍んで大功を図られるべきであり、自暴自棄になってはなりません」

◆「九里山」は『魏書ぎしょ地形志ちけいしでは徐州じょしゅう彭城郡ほうじょうぐんにあるとする。項羽が大敗を喫した地とされる。

 劉曜はその諌めに従い、潼関から崤池こうちに退いて平陽に人を遣わした。

◆「崤池」の原文は「淆池」とする。『史記しき封禅書ほうぜんしょに引く杜預どよの注では、「崤は弘農こうのう澠池縣めんちけんの西南に在り」とする。この崤は山名、澠池縣は潼関の東、洛陽の西にある。「崤池」の用例は史書に見当たらないが、崤山と澠池を併称して劉曜が洛陽の西に留まったことを意味すると考えるのがよい。

嶢関ぎょうかんを破って藍田らんでんを抜き、韓豹かんひょうを退けて長安に迫り、金章きんしょう華敕かちょく竺懷じくかい華膺かようを討ち取りましたが、喬智明きょうちめいが勝勢を恃んで軽々しく軍勢を進めたために敵の包囲に陥りました。そのために全軍が崩れて潰走するに至ったのです。今は軍勢を崤池に留めて晋兵の追撃を防いでおります。退けば敵の追撃を受け、進んだところで戦勝を挙げることは難しいかと存じます。数万の軍勢を発して援軍として頂ければ、再び長安を攻められましょう。自らは身を捨てて国家に報い、晋の残党を擒として後患を除きたいと願っております。さもなくば、索綝さくしんたちが南北の軍勢を会すべく関中より兵を出すことでしょう」

 その上奏文を読んだ漢主の劉聰りゅうそうは理があると認め、一万の軍勢に糧秣を運ばせて劉曜を安心させてやった。兵糧を得た劉曜は、軍営を固めて近隣の英勇を募り、民心を買いつつ援軍の到来を待ち望む。


 ※


 晋の間諜はこの成り行きを長安にある晋帝の司馬業しばぎょうに報せ、司馬業は索綝や鞠允きくいんたちを召して事を諮る。索綝は梁州りょうしゅう刺史の張光ちょうこうを長安の守りに加えるよう勧め、詔を得た張光は僚属を集めて従うべきか相談した。

 従事じゅうじ王喬おうきょうが言う。

「明公は劉沈りゅうちんとともに河間王かかんおう司馬顒しばぎょう)に破られて将兵を喪われました。張方ちょうほうが死んだ後、衆人の推挙を受けてこの梁州に鎮守されておりますが、将兵も糧秣も事欠く有様でした。先に陶公とうこう陶侃とうかん)とともに荊州の叛徒を平らげて二万の降卒を得たとはいえ、士気が高いとは申せません。この地を捨てて長安に向かわれれば、根本を失いかねません」

「そうは言っても、詔は違えられぬ」

 張光が呻吟すると、長子の張邁ちょうまいが勧めて言う。

白泥堡はくでいほを治める楊武ようぶは土民ではありますが、また吾らに従う部将でもあります。先には魏興ぎこうに鎮守して長安攻めに加わらなかったため、その軍勢は損なわれておりません。今や五万七千もの精兵を擁して兵威も振るっております。先の荊州攻めでは弟の楊式ようしきが軍勢とともに加わっておりました。長安に向かうよう詔を受けられたならば、楊武を先鋒に任じて一将をその督軍に遣わせば、父上は此処にありながら、詔を違えることもございますまい」

 張光はその言をれ、麾下の息援そくえんに一万の軍勢を与えて楊武とともに長安に向かわせることとした。その出発に合わせて張光は楊武に檄文を送り遣った。


 ※


 張光の檄文を一読すると、楊武は子弟を集めて進退を諮る。

「漢兵は勇猛で生半の敵ではありません。洛陽はすでに陥って晋帝は擒とされ、先には長安を覆して南陽王なんようおう司馬模しばぼ)は斬刑に処されました。長安に向かって漢に敵対しても百害あって一利なし、退けたところで張光の功績となるだけのこと。卑い官職を授かって薄い俸禄を得たところで、この白泥堡にあるほどの実入りもございません。檄文に応じぬのが上策というものです」

 衆人はそう言い募り、楊武も吾が身の安逸を求めて長安に行くつもりはない。ついに無視を決め込んだ。

 腰を上げない楊武に苛立ち、張光はさらに人を遣わして催促する。

「長安は聖上のお膝元、その警護に加われば日々陛下の尊顔を拝することとなりましょう。これは主帥が自ら行かれるべきです。吾らのごとき山夷は主帥のために辺境を守るのみ、どうして国都の警備などという重任にあたれましょうか」

 楊武は遁辞を弄して催促を交わし、張光は張邁に言う。

「楊武を長安に行かせる策は、梁州の不安を除く意味もある。吾に自ら長安に行けと勧めるのは、叛いて梁州を奪おうと企てているのであろう。まずは楊武を平らげてから長安に向かうのがよかろう」

「なりません。楊武の企ては表沙汰になっておらず、軍勢を送れば叛乱させるようなものです。また、夷狄の心に忠義はなく、信じられません。楊武の土地を与えると楊茂捜ようぼそうに約して襲わせるのがよいでしょう。楊武が討ち取られた後、吾らは長安に向かえば後顧の憂えはございません」

 張光はその策に従い、書状を認めると楊茂捜に送る。楊茂捜は楊武の土地が手に入ると聞いて喜び、子の楊難敵ようなんてきに二万の軍勢を与えて楊武を攻めるよう命じた。


 ※


 楊難敵の軍勢を見た楊武は、それが張光の差し金であろうと見破り、弟の楊式を遣わす。金銀布帛の賂を携えた楊式は、楊難敵を訪ねて言う。

張梁州ちょうりょうしゅう(張光、梁州は官名)は晋朝の臣としてこの地にあり、吾らの自立を許さず、税を取り立てるだけで吾らの意見に耳を貸さぬ。これまでも常に梁州の大患を除くと言い、吾が軍勢に命じてお前たちを攻めさせてきた。吾が常々懼れているのは、吾らが争って張光に漁夫の利を得られること。それゆえ、張光の命令に従わずにお前たちと結ぼうと考えておったのだ。張光はそれを畏れ、お前を誑かして吾らを攻めさせた。吾らが争って軍勢が損なわれれば、張光は自ら軍勢を発して諸共に攻め滅ぼすであろう。先にお前の父が楊忠ようちゅうを遣わして梁州で布帛を調達した折、張光は密かに晋邈しんばくに命じて楊忠を殺し、その布帛を奪い取った。これは、お前たちが梁州の虚実を測っているかと疑ったがゆえのことだ。お前の父が犯人を明かにするよう求めれば、張光は晋邈を捕らえたものの杖刑に処しただけであった。張光はそれほどにお前たちを警戒している。吾がお前たちと組んで張光を破らんと図ったがため、お前たちを誑かして吾らを攻めさせたことは明らかであろう。お前たちが張光を攻めるというならば、吾らは喜んで与して軍勢を発する。梁州を陥れた暁には、お前たちに従おう。それならば、同類が殺し合うこともないではないか」

 楊式の賂を収めると、ついに楊難敵は軍勢を返して張光を攻めると意を決する。両軍が会すると、楊難敵は軍勢を返した。

 楊氏の軍勢を迎え撃つ張光は、息援を遣わしたものの楊難敵と楊武に挟撃され、三千もの死傷者を出して逃げ帰る。敗戦を知った張光は思い悩み、ついに一斗ばかりも血を吐いて倒れた。

 王喬おうきょうが言う。

「明公の体調も思わしくなく、楊氏の軍勢は猖獗を極めております。ここは魏興に退いて隙を窺うのが上策です」

 張光は剣を杖に立ち上がって言う。

「国恩を受けながら賊徒に妨げられて長安を救いに迎えぬでは、生きておったところで意味はない」

 病を推して自ら軍勢を率い、城を出た。張光が陣頭に姿を現すと、楊難敵ですら面を伏せて目を合わせない。楊氏の軍勢は正面からの戦を避けて山谷に退いた。

 張光は息援と晋邈に命じて追撃させる。山間の隘路に到れば伏兵が起って弓弩を射放ち、二将はいずれも矢を受けて落命した。張光はそれを知ると軍勢を返して城に籠もり、城下は楊氏の軍勢に包囲された。


 ※


 それより一月、外に援軍なく内に将兵を欠き、城内の困窮を見て督護とくご范曠はんこうが言う。

「城は今にも陥ろうとしております。しょく李雄りゆうに援軍を求めるよりございますまい」

「吾は晋朝の命を受けてこの城を守っておる。城が滅びればともに滅びるのみ、蜀の叛徒に援軍など求められぬ。吾にとって死は怖れるに足りぬ。どうして生き長らえる必要があろうか」

 張光はその勧めを言下に拒む。

 その夜、城民の哭声を聞いて長嘆すること一声、張光は世を去った。この時、六十五歳であった。

 范曠と王喬はその死を知ると、地に倒れて嘆く。

「明公が世を去られては、この梁州は夷狄の地となり、長安は漢賊どもに蹂躙されるであろう」

 翌日、城民たちは張光の死を知ると、孤軍で国家のために尽忠した末の死を哀しみ、父母にするように喪に服した。民の哭声は城に満ちて兵たちも戦意を失う。ついに西門が破られて楊氏の軍勢が入城した。

 楊難敵は罪は張光の一身に止まると宣言してその一族への加害を許さず、また民物の掠奪を厳に禁じた。王喬、范曠、張邁たちはこれにより、一族を保護して魏興に逃れられた。

 楊難敵はついに梁州に拠り、楊武の軍勢を白泥堡に還らせたことであった。

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