第九十七回 楊難敵は謀って梁州を奪う
「五万の軍勢があれば、再び長安を攻められよう。まして、七万もの軍勢が残っておる。明日には再び軍勢を発し、死ぬのであれば長安の城下に死ぬべきである。何の面目があって平陽に還れようか」
「勝敗は兵家の常、どうして敗戦を恥じる必要がありましょう。
◆「九里山」は『
劉曜はその諌めに従い、潼関から
◆「崤池」の原文は「淆池」とする。『
「
その上奏文を読んだ漢主の
※
晋の間諜はこの成り行きを長安にある晋帝の
「明公は
「そうは言っても、詔は違えられぬ」
張光が呻吟すると、長子の
「
張光はその言を
※
張光の檄文を一読すると、楊武は子弟を集めて進退を諮る。
「漢兵は勇猛で生半の敵ではありません。洛陽はすでに陥って晋帝は擒とされ、先には長安を覆して
衆人はそう言い募り、楊武も吾が身の安逸を求めて長安に行くつもりはない。ついに無視を決め込んだ。
腰を上げない楊武に苛立ち、張光はさらに人を遣わして催促する。
「長安は聖上のお膝元、その警護に加われば日々陛下の尊顔を拝することとなりましょう。これは主帥が自ら行かれるべきです。吾らのごとき山夷は主帥のために辺境を守るのみ、どうして国都の警備などという重任にあたれましょうか」
楊武は遁辞を弄して催促を交わし、張光は張邁に言う。
「楊武を長安に行かせる策は、梁州の不安を除く意味もある。吾に自ら長安に行けと勧めるのは、叛いて梁州を奪おうと企てているのであろう。まずは楊武を平らげてから長安に向かうのがよかろう」
「なりません。楊武の企ては表沙汰になっておらず、軍勢を送れば叛乱させるようなものです。また、夷狄の心に忠義はなく、信じられません。楊武の土地を与えると
張光はその策に従い、書状を認めると楊茂捜に送る。楊茂捜は楊武の土地が手に入ると聞いて喜び、子の
※
楊難敵の軍勢を見た楊武は、それが張光の差し金であろうと見破り、弟の楊式を遣わす。金銀布帛の賂を携えた楊式は、楊難敵を訪ねて言う。
「
楊式の賂を収めると、ついに楊難敵は軍勢を返して張光を攻めると意を決する。両軍が会すると、楊難敵は軍勢を返した。
楊氏の軍勢を迎え撃つ張光は、息援を遣わしたものの楊難敵と楊武に挟撃され、三千もの死傷者を出して逃げ帰る。敗戦を知った張光は思い悩み、ついに一斗ばかりも血を吐いて倒れた。
「明公の体調も思わしくなく、楊氏の軍勢は猖獗を極めております。ここは魏興に退いて隙を窺うのが上策です」
張光は剣を杖に立ち上がって言う。
「国恩を受けながら賊徒に妨げられて長安を救いに迎えぬでは、生きておったところで意味はない」
病を推して自ら軍勢を率い、城を出た。張光が陣頭に姿を現すと、楊難敵ですら面を伏せて目を合わせない。楊氏の軍勢は正面からの戦を避けて山谷に退いた。
張光は息援と晋邈に命じて追撃させる。山間の隘路に到れば伏兵が起って弓弩を射放ち、二将はいずれも矢を受けて落命した。張光はそれを知ると軍勢を返して城に籠もり、城下は楊氏の軍勢に包囲された。
※
それより一月、外に援軍なく内に将兵を欠き、城内の困窮を見て
「城は今にも陥ろうとしております。
「吾は晋朝の命を受けてこの城を守っておる。城が滅びればともに滅びるのみ、蜀の叛徒に援軍など求められぬ。吾にとって死は怖れるに足りぬ。どうして生き長らえる必要があろうか」
張光はその勧めを言下に拒む。
その夜、城民の哭声を聞いて長嘆すること一声、張光は世を去った。この時、六十五歳であった。
范曠と王喬はその死を知ると、地に倒れて嘆く。
「明公が世を去られては、この梁州は夷狄の地となり、長安は漢賊どもに蹂躙されるであろう」
翌日、城民たちは張光の死を知ると、孤軍で国家のために尽忠した末の死を哀しみ、父母にするように喪に服した。民の哭声は城に満ちて兵たちも戦意を失う。ついに西門が破られて楊氏の軍勢が入城した。
楊難敵は罪は張光の一身に止まると宣言してその一族への加害を許さず、また民物の掠奪を厳に禁じた。王喬、范曠、張邁たちはこれにより、一族を保護して魏興に逃れられた。
楊難敵はついに梁州に拠り、楊武の軍勢を白泥堡に還らせたことであった。
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