第九十五回 劉曜は再び長安城を打つ

 晋の司馬業しばぎょう建興けんこう二年(三一四)、劉琨りゅうこんは并州を取り返して民の安撫を終えると、代公の拓跋たくばつ猗盧いろの軍営に赴いて拝謝した。

 さらに、勝勢に乗じて劉曜りゅうようを追撃すべく合力を願う。しかし、拓跋猗盧はそれを拒んで言った。

「吾が軍勢は代からの遠路を経ており、疲弊している。漢は軍勢を退いたとはいえ、これは弓弩に怯んだに過ぎぬ。それに、戦勝しても漢の上将を討ち取ってはおらぬ。侮って深追いすれば窮地に陥ろう」

「ここで劉曜を打ち果たしておかねば、明公が軍勢を返した後に再び攻め寄せて参りましょう」

「再び攻め寄せて来ようとも、吾は軍勢を発して加勢する。それはもう決めたことである」

 拓跋猗盧がそう言うと、劉琨も継ぐべき言葉がない。

 翌日、拓跋猗盧と劉琨は并州の端にある壽陽山じゅようさんで巻狩りを行った。無数の猪や鹿の皮肉を吊るして山を赤色に染め、黒い旗幟を延々と掲げて兵威を誇示する。

 それより数日、拓跋猗盧は衛雄えいゆうに五千の軍勢を与えて并州の鎮守に加わらせ、自らは代郡に向けて軍勢を返すこととなった。発するに臨んで劉琨に言う。

「危急の一報があれば、吾が自ら加勢に来よう。軽挙を慎んで事を誤られるな」

 拓跋猗盧の軍勢が去ると、劉琨は漢に損なわれた晋陽しんようの戸数を調べる。民戸は大幅に失われて軍勢を留められぬと知ると、郝詵と二千の軍勢を晋陽に残して衛雄とともに鎮守させる。自らは本軍を率いて陽曲ようきょくに駐屯して糧秣と兵を募ることとした。

◆「陽曲」は『晋書しんじょ』地理志の并州へいしゅう太原國たいげんこくの條に含まれる。晋陽は太原國の治所であり、その近隣にあったと考えればよい。

 劉琨に投じる者は後を絶たず、軍勢の士気は日に盛んとなる。そのため、人を長安に遣わして上奏した。

「劉曜を打ち破って并州を恢復いたしました。漢の将兵は大いに胆を冷やしたことでしょう。この機に軍勢を合わせて漢賊どもを掃討せねばなりません」

 この時、司馬業は長安に戻っていた。その左右には索綝さくしん鞠允きくいん閻鼎えんてい賈疋かひつ麴持きくじがあり、孜々として輔弼の任に勤しみ、長安の戸数も旧に復しつつあった。それに合わせて兵馬と糧秣も整いつつある。

 劉琨の上奏を受け、司馬業は百官を召して事を諮ると、梁芬りょうふんが言う。

「劉琨は代公の軍勢を借りて劉曜を破りました。南北に散った大晋の将兵を会すれば、漢賊など怖れるに足りません。すみやかに詔を発し、王敦おうとん周顗しゅうがい祖逖そてきの軍勢を北に向かわせ、王浚おうしゅん張軌ちょうき遼東りょうとうや代の軍勢を南に進め、張光ちょうこう李矩りく劉琨りゅうこん南陽王なんようおうの世子の司馬保しばほと長安の禁兵を合わせて関中より打って出れば、先帝の仇に奉じて中原を恢復できましょう」

 その献策が容れられ、司馬業は索綝たちを各地に向かわせた。


 ※


 長安で部掾ぶえんを務める張瓊ちょうけいは、かつて漢に降った王因おういんの友人であった。そのため、人を遣わして司馬業の企てを平陽にある王因に告げた。

 王因はそれを知ると、密かに漢主に上奏する。漢主の劉聰りゅうそうは百官を会して方策を諮った。左丞相さじょうしょう陳元達ちんげんたつが列より進み出て言う。

「古人は、先んじれば人を制すると申しました。晋の軍勢が動き出すに先んじ、青州せいしゅうにある曹嶷そうぎょくに命じて王敦の釘付けにし、洛陽らくようにある趙固ちょうこに命じて祖逖を封じ、河南かなんにある石勒せきろくに南下を命じて長江と淮水の間の連絡を絶たせれば、司馬睿も動けますまい」

 陳元達は言葉を切ったものの、さらに語を継ぐ。

「さらに、王伏都おうふくとに一軍を与えて罕城かんじょうに駐屯させ、襄國じょうこくにある呼延模こえんぼ王子春おうししゅんの軍勢を統べさせて王浚の南下に備えさせます。黄良卿こうりょうけい黄臣こうしん、良卿は字)に三万の軍勢を与えて邯鄲付近に駐屯させ、邯鄲にある諸葛武しょかつぶ(諸葛宣于の子)や張信ちょうしん廖全りょうぜんたちに命じて張軌の軍勢に備えさせるのです。その上で、劉曜に十万の軍勢を与えて長安に向かわせ、長安を陥れて司馬業を擒とすれば、晋兵たちは拠り所を失って瓦解いたしましょう」

▼「邯鄲」は山東にあり、張軌は河西かせい涼州りょうしゅうを本拠地とする。平陽から見れば、邯鄲は東にあり、涼州は西にある。よって、邯鄲に軍勢を置いたところで張軌への備えにはならない。

 劉聰は陳元達の献策に同じ、劉曜を召し出して言う。

「卿は并州から帰って矢傷もすでに癒えていよう。晋の司馬業が復仇のためにこの晋陽を攻めんと企てているという。そのため、朕は各地に人を遣って晋兵の動きを阻ませようとしておる。ただ、晋の本拠地である関中だけは誰を遣わすか決めておらぬ。朕はこの機に長安を覆そうと考えておるが、それには卿を煩わさざるを得ぬ。長安攻めを差配する意志があるか」

「将たる身は平生にあっても甲冑を解かず、馬の鞍を下ろさぬものです。攻めよと命じられて拒むことなどありましょうか。まして、臣は平陽に還るより武を振るう場を得ておりません。長安攻めとあれば、問われるにも及びますまい」

 劉聰はその言葉を聞くと、劉曜を関西かんさい大都督だいととくに任じて平晋へいしん元帥げんすいの印綬を授ける。その軍勢は大将軍の喬智明きょうちめいを先鋒として王騰おうとう馬冲ばちゅうに左右の軍勢を委ね、関心が後詰と定められた。

 その他に傅武ふぶ邢延けいえん劉豊りゅうほうたちは本軍に従うこととされた。老将の関山かんざんに軍馬の監督を委ね、十二万の大軍が平陽から長安を指して順次進発していく。


 ※


 進路にあたる晋の郡縣では備えもなく、先鋒にあたる喬智明は勇躍して軍勢を進める。軍勢が通る関津も郡縣も、抵抗にも及ばず半ばは自ら降った。抵抗する郡縣を踏み破って軍勢は嶢関ぎょうかんを破ると、本軍の到着を待つべく軍脚を停めた。

 晋の将兵のうち、漢兵から逃れた者たちは藍田関らんでんかんに駆け込み、漢兵の侵攻を告げ報せる。藍田関の守将は大いに愕き、長安に火急の使者を送った。

 まだ年若い司馬業は、漢兵の侵攻を知ると大いに畏れて百官に事を諮った。

「先に漢賊の劉曜に長安を襲われ、朕は西に逃れたものの、諸卿の忠勤と涼州からの援軍により長安を恢復できた。ようやく長安も落ち着いたかと思うところ、再び劉曜が攻め寄せて来るという。どうしたものであろうか」

 索綝が進み出て言う。

「水が溢れた際には土でもって塞ぐに同じく、敵が攻め寄せてきたのであれば、軍勢を発して防がねばなりません。何を怖れることがありましょうか。まずは人を遣わして鞠允きくいん麴持きくじに糧秣の手当てを進めさせ、その一方で大将軍の韓豹かんひょう華勍かけい魯充ろじゅう梁緯りょういを副えて五万の軍勢を編み、藍田の険要の地を塞がせれば、漢賊とて易々とは進めません」

 司馬業はその献策を容れ、韓豹をはじめとする四将に詔を下して藍田に差し向ける。軍勢はすみやかに藍田に入って軍営を置こうとするところ、斥候が駆け戻って漢兵の到来を告げた。


 ※


 韓豹は一報に接すると梁緯に軍営の設置を命じ、自らは魯充と華勍とともに布陣を始める。そこに劉曜が率いる軍勢が現れると、互いに布陣して睨みあいとなった。

 陣頭に馬を出すと、韓豹が叫ぶ。

「古より、足るを知れば辱められず、止まるを知れば恥なしと言う。お前たち漢賊どもはまさしく人面獣心、浅深と利害を知らず、千里の外に軍を出して険路を越え、他国を討とうと求めて敗れなかった者はないぞ」

「多言に及ばず、古より虎の尾を踏まねば虎は人を害さぬという。お前たちは各地の軍勢を会して吾が大漢を損なおうとしておる。それを防ぐために長安を覆さんとするだけのことよ。先に司馬模しばぼの軍勢はお前たちの三倍もあったが、一鼓にして崩れ去った。しかし、吾らの事情により軍勢を返したに過ぎぬ。もはやお前たちに関中を貸してやるつもりはない」

「先の敗戦で逃げ遅れたならば、お前はすでに長安の死灰となっていたであろう。虚言でもって人を誑かすのもほどほどにせよ」

 劉曜は怒って馬を飛ばし、鞭を振るって晋陣を切り抜ける。韓豹もそれに応じて大刀を振るい、指差して言う。

「そう慌てるにも及ぶまい。今日こそお前との決着をつけてくれよう。気力を使い果たしてすぐ逃げるような真似はするなよ」

「妄言を抜かすな。十合の間にお前を擒とできねば、男児と呼ばれるまい」

 晋漢の陣頭に二将が馬を飛ばして悪戦すること八十余合、いずれが勝つとも見通せぬ乱戦がつづく。劉曜の驍勇を知る華勍が加勢に馬を出せば、漢陣からは呼延勝こえんしょうが刀を振るって斬り止める。

 華勍が止められると、魯充と梁緯も馬を出して攻めかかった。漢の先鋒の喬智明はそれを見ると鎗を捻って架け支え、その間に王騰と馬冲が加勢に出る。

 陣頭に戦う晋漢の将たちは縦横に馬を駆け、鬨の声が響く中で塵埃が天を蔽って日を晦ませる。戦がまさに酣の頃合、砲声が天に響いて漢の後軍を率いる関河が邢延と傅武を率いて到着した。

 後軍は左右に分かれると塵埃の中を衝いて晋の軍列に攻めかかる。晋兵たちはその勢いを止められず、次々に崩れていく。関河は晋の軍列を破って中央の陣をも攻め破る。

 韓豹は陣頭で戦をつづけていたものの、関心が率いる一軍が乱入したのを潮に馬頭を返す。それまで踏み止まっていた晋兵たちも総崩れとなり、長安を指して逃げ奔る。

 関心、関河、喬智明の三将は厳しく追撃して龍尾坡りゅうびはに迫る。

▼「龍尾坡」は『旧唐書くとうじょ』黃巢傳に「中和元年(八八一)二月、尚讓しょうじょう鳳翔ほうしょうあだせり。鄭畋ていでんは出師して之を禦ぎ、大いに賊を龍尾坡に敗る。畋は乃ち檄を馳せて天下の藩鎮に告喻せり」とある。なお、鳳翔府は晋代の扶風郡ふふうぐんにあたり、長安の西にある。藍田からは長安の東に出ることから考えると、長安を通り過ぎており、位置関係には誤りがあると見るべきである。

 晋兵たちは城門に拠って抵抗するも、漢兵がすでに攻め入ったとの流言が広がる。城民たちはそれを聞くと城に逃げ込み、城門の下は漢兵と晋兵、それに城民が混じって見分けがつかない騒動になる。

 門を争って踏み殺される者が数え切れず、哭声が地を震わせた。長安の市も大混乱になり、司馬業もそれを知ると射雁樓しゃがんろうに逃げ込んで姿を隠した。百官にも行方を知る者がない。

 関河たちは城内の様子が分からず、伏兵があるかと疑って軍勢を城下に止めた。城下に設けられた砦を焼き払うと、逍遥園しょうようえんに軍営を追いて本軍の到着を待ちうけたことであった。

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