第九十二回 劉曜は并州の城を奪い取る
この時、
先に
◆「廩丘」は『
代の
▼「拓跋部」は原文では「段部」となっているが、段部は遼東にあって遠い。また、『晋書』劉琨傳によると、劉琨は先に
「漢は
「漢賊どもは
そう言うと、人を枋頭に遣わして甥の劉演を
▼「枋頭」は黄河の南岸にあり、
劉演が言う。
「石勒の軍勢は甚だ盛んです。軽々しくは戦えません。聞くところ、劉曜は長安の敗戦により残る軍勢は三万ほど、滎陽を破ったのも
「お前の言葉は吾が意とまったく同じだ。吾が麾下の軍勢は五万、劉曜を破るには十分であろう。拓跋部の軍勢を待てば、劉曜はその間に備えを固めかねぬ。すみやかに軍勢を発して不意を突くのがよい。兵は神速を貴ぶとは、この意であろう」
劉琨は
◆「黄葛坡」という地名は史書に記載がない。
并州の軍勢は滔々と滎陽に向かって進みはじめた。
※
漢の間諜は并州の軍勢の動きを知ると、劉曜に報せる。すぐさま、
姜發が言う。
「劉琨は吾らが一敗を喫したと知り、軍勢は少なく士気も低いと観ているのでしょう。それゆえに軍勢を発したのです。僥倖を望んだだけのことであり、怖れるに足りません。問題は劉琨と結んだ拓跋部の軍勢のみです。必ずや軍勢を出すでしょう。まずは五千の精鋭でその進路を阻み、その後に隙を見て一斉にかかれば、一戦にして退けられます。劉琨が敗れれば、拓跋部の軍勢も退くでしょう。無闇に攻め寄せるならば奇兵により迎え撃ち、擒とするか走らせることができます」
劉曜はその策を容れ、
劉曜が城を出て五十里ほど行くと、前方に劉琨の軍勢が姿を現す。両軍が布陣すると、并州軍からは郝詵が無言で馬を飛ばし、漢の陣に攻めかかる。漢陣からは姜飛が飛び出して前を阻み、十合もならぬうちに劉曜が陣頭に飛び出した。
姓名を問うても郝詵は応じず、劉曜は怒って言う。
「賊めが無礼な。吾が軍の手並みを確かめようとでもいうのか」
そう叫ぶと、晋の軍列に飛び込んで鞭を振るう。その勢いを止める者はなく、見る間に軍列が崩れていく。劉琨が兵を叱って督戦するところに、関河も斬り込んで大刀を振るう。これに晋兵たちは崩れたち、劉琨までも馬を返して逃げ奔る。
劉曜は怒りに任せて三十里(約16.8km)もその後を追い、日が暮れてようやく軍勢を引き上げようとした。姜發と関河が追いついて言う。
「劉琨は人傑と言うべきです。攻め手を緩めてはなりません。夜を徹してでもその後を追い、立ち上がれぬところまで打ち破るべきです。并州に帰って鋭気を養えば、次の戦の行方は分かりませんぞ」
関河が重ねて言う。
「すぐさま軍勢を進めて追いすがりましょう。劉琨に備える隙を与えねば、并州も吾らの手に落ちます」
姜發と呼延勝の二将が先行して進み、関河もその後に続く。姜飛と黄命もそれに従って先を急ぐ。夜を徹して馬を進めると、二日の後には黄葛坡に到りつく。
劉琨が率いる将兵も二日に渡る後退に疲れ果て、姫澹はまだ気力が残る兵を率いて迎え撃つ構えを見せた。関河と呼延勝が正面から攻めかかると、追いついた姜飛と黄命は左右から斬り込む。
さすがの姫澹も支えきれず、馬を返して退いた。漢の四将はその後を追って逃がさない。この時、劉琨はすでに城に入っており、姫澹を迎えると城門を閉ざす。関河と呼延勝は間髪置かず城門に攻めかかる。
漢兵の猛攻を知った劉琨は、城を守りきれぬと見切って北門から逃げ出した。一散に北の代を目指して馬を駆る。
※
姜發は晋陽の城下に到るとすでに晋兵が逃げ去ったと見て、関河と呼延勝を呼んで命じる。
「劉琨が陣頭にいない。すでに北門から逃れ去っていよう。すみやかに城を攻め落とせ」
二将は軍勢を差し招いて城門に向かう。攻めるより先に門は内から開き、城民たちが叫ぶ。
「并州はこれまで幾度も艱難を嘗め、ようやく落ち着きつつあります。劉刺史(劉琨)はすでに去られました。願わくば、城民の生命を奪われませんよう」
姜發は殺人はおろか掠奪まで厳に禁じ、城民を安心させると軍勢を城に入れる。威令が行き届いた漢兵たちは秋毫も犯さず、民は喜んで酒食を供する。晋陽に入った劉曜は百姓を安撫すると、祝宴を開いて姜發と関河に言う。
「存忠の知略と
人を平陽に遣わして漢主の
※
漢主の劉聰は、劉曜が長安を失ったと聞いて憮然としていたが、そこに使者があって報せる。
「
報告を受けた劉聰が言う。
「朕は長安より晋陽を得たことを嬉しく思う。山東のすべてを我が物にできず、さらに山西に晋の都城が残っておっては、大丈夫と言えようか。晋陽の陥落により山西はことごとく漢の有に帰した。大いに祝わねばならぬ」
食膳を司る
晋の
「昔、朕の父祖は蜀に拠って何の罪も犯さなかった。それにも関わらず、司馬氏は軍勢を遣わして国を奪い、漢の君臣はやむなく
百官が一斉に席を立って言う。
「
▼「九世の仇」は『
その声が大呼となって光極殿を震わせた。
※
この時、光極殿には
「主が憂えれば臣は辱められ、主が辱められれば臣はそのために死ぬ。吾らが漢賊を磔にして殺せねば、徒に生を盗んでいるに過ぎぬ。どうして忠義であると言えよう。この辱めをも忍び得るならば、木偶と何の選ぶところがあろうか」
そう言うと、王儁たちは席を蹴って上座に向かい、劉聰を罵った。
「かつて、吾が先帝は蜀を呑んで呉を併せた。その時、かつての帝に青衣を着せて酒の酌などさせてはおらぬ。道理を知らぬ狂い狗めが、仁心を何処に置き忘れてきたのか。吾らは晋の臣である。長安には新帝が立って南北に百万の軍勢も控えておる。日ならずお前たちの巣穴を覆してその肉を狗豚の餌とするであろうが、それでも罪は償いきれぬものと知れ」
劉聰は赫怒して叫んだ。
「亡国の虜囚に過ぎぬ者どもが、死を懼れぬというか」
ついで、刀や斧を手にした禁衛の兵が司馬熾をはじめとする晋の君臣を前庭に牽き出した。それぞれ向かい合って座らせると、一人また一人と頸を打ち落とされていく。王儁と行動をともにした全員が害されると、その首級が劉聰の前に献じられた。
※
この日、晋の臣である
勅使が漢主の意を伝えると、辛勉は固辞して言う。
「吾にとって死は懼れるべきものではなく、大恩ある晋に二心を懐くつもりもない」
勅使は宮城に還って復命し、言う。
「辛勉は死して晋の鬼となると言い、職も禄も固辞いたしました」
劉聰は黄門の
「印綬と
喬度はそれらを持って辛勉の私邸に向かった。
「職に就くならば高禄を与える。就かぬならばこの鴆酒を賜るとの主命です。いずれをとられるか」
その言葉を聞いた辛勉は天を仰いで言う。
「大丈夫たるものが数年の余生を貪るために節義を失うはずもない。節義を欠いては何の面目があって先帝や士大夫と地下で見えられよう」
辛勉は晋の官服に着替えると、東に向いて再拝する。それよりおもむろに喬度が持つ鴆酒に手を伸ばした。
喬度が慌てて止める。
「聖上がこの酒を吾に持たせられたのは、君の忠義を測ろうとされただけのこと、害されるおつもりなどございません。まずは吾が復命とその後の沙汰を待たれよ」
そう言うと、喬度は印綬と鴆酒を携えて宮城に帰っていく。復命に際して辛勉の振る舞いを報せれば、劉聰はその忠心に感嘆した。
辛勉はそれより平陽の西山に居を与えられ、毎月の俸禄に加えて官から四人の人夫を遣わして何くれとなく世話をさせた。
その後、辛勉は齢八十三まで生きて世を去ったことであった。
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