二十五章 瓜の如く分かたれ麻の如く乱る

第九十一回 漢主劉聰は劉殷の二女を聘す

 漢の嘉平四年(三一四)、漢主の劉聰りゅうそうは、劉曜りゅうようが長安を抜いて司馬模しばぼを斬刑に処したとの報を受けた。ただ、国都である平陽へいようと同じ并州へいしゅうにあっても、北の晋陽しんようを中心とする一帯のみは晋に与して下らない。

 皇太弟の劉義りゅうぎが劉聰に勧めて言う。

「山西の地はほぼ吾らの有に帰しました。長安を抜いた勝勢に乗じて晋陽を陥れねばなりません。肘腋ちゅうえきの患いを放置しては、後日に大患となりましょう」

 この時、劉聰は酒色に荒んで国事を怠り、劉義の意見を容れなかった。

 その後、劉聰は宦官に問うて言う。

「聞くところ、太保たいほ劉殷りゅういんには二人の娘があり、絶世の美女ながらもいまだ嫁いでいないと言う。お前は噂を聞いたことがあるか」

▼「太保」は三公の一つ。人臣の最高位と考えればよい。

「存じております。劉太保の娘御の容色は比類なく、この宮中にも及ぶ者は数えるほどでしょう」

「それならば、お前は先触れとなり、朕が聘して貴妃きひとするのを待て、と劉殷に伝えよ」

 劉聰の皇后がそれを知って皇太弟の劉義に報せると、劉義はすぐさま諫めて言う。

「太保の劉殷は吾らの同族ではないといえども、同じく劉姓を襲っております。礼によると、姓を同じくする者は通婚せぬものと定められております。堂々たる大漢の天子が自ら礼を破られてはなりませぬ」

 漢主はそれを聞くと、大鴻臚だいこうろ李弘りこうに問うた。

「朕は劉殷の娘を聘せんと思うが、皇太弟は同姓を娶ってはならぬと言う。卿は経典を知っていよう。理においてどうか」

 李弘は学問はあれど正直の臣ではない。劉聰の意向におもねって答える。

「太保の一族は漢の婁敬ろうけいより出ており、劉姓は下賜されたものです。よって、陛下とは姓を異にします。皇太弟は礼にもとると言われますが、これは古礼に固執しているだけのことです。先に、先に魏の司空しくうであった王基おうきは当世の大学者でありましたが、子と王澄おうちょうの娘を娶わせました。姓が同じであっても来源が異なれば、通婚して差し障りがない証拠でありましょう」

 劉義は李弘が強弁して礼を破ることを勧めていると知り、再び諫言した。

「陛下は至尊の座におられます。国内に美女がないことを憂えられるには及びますまい。礼を破って劉殷の娘を後宮に納れ、同姓不婚の定めを乱してはなりません」

 劉聰はそれでも諦めず、太宰たいさい趙延年ちょうえんねんに諮った。この期に及べば、劉聰が劉殷の娘を聘したく思っていることは衆人の目に明らかである。趙延年はその意を迎えて言う。

論語ろんごに呉の同姓を娶った事跡があり、孔子は司敗しはいが礼を知っていると答えました。どうして後人が同姓の通婚を非難できましょうか。劉殷は劉康りゅうこうの一族であり、源流を考えれば陛下の宗族とは別の一族であります。どうして礼に障りがありましょうか」

▼「論語」は原文では魯論、これは魯に伝えられた『論語』を言う。なお、同姓の通婚に関する内容は同書の述而じゅじつ第七に見え、昭公しょうこうが同じく姓のから夫人を娶ったことに関わる。ただし、孔子が「昭公は礼を知っている」と言ったため、ちんの刑法官である司敗は、「同姓の夫人を迎えた昭公が礼を知っているはずもない」と陰に非難し、それを知った孔子は「自らの誤りを指摘する人がいることは幸いだ」と嘆じたという筋であり、同姓の通婚が礼に則しているとは述べていない。

 劉聰はその答えを嘉して金五十両(約19kg)を下賜し、劉殷の娘を聘するよう命じて言う。

「卿はその義を皇太弟に知らしめ、誹謗などさせぬようにせよ」

 趙延年はその命を諾って退いた。


 ※


 劉聰は李弘に命じ、冊書さくしょを奉じて劉殷の二人の娘を聘し、左右の皇妃とした。劉殷の娘は四人の従姉妹も美女であると劉聰に吹き込み、四人も後宮に召されて貴妃とされた。これより、劉氏の六貴が後宮で最も寵愛されるようになる。

 その頃から劉聰は日夜後宮に籠もって宴会を楽しみ、朝廷に出て政事を執らなくなる。百官の上奏は、すべて宦官を通じて劉聰に伝えられ、決裁を受けることとなった。

 劉曜が長安を棄てたとの報告を受けた二人の丞相、陳元達ちんげんたつと諸葛宣于はやむなく後宮に入った。そこで宴楽に耽る劉聰に利害を説いて諌め、朝廷に出て政事を執らねば国体を護持できぬと恫喝までした。そのため、さすがの劉聰も翌日より朝廷に出て政事を執るようになり、百官は祝宴を開いて慶んだ。

 この時、晋の懐帝かいてい司馬熾しばしも宴席にあり、劉聰は問うて言う。

「卿が豫章王よしょうおうであった頃、朕は王武子おうぶしとともに洛陽にあり、同じ宴会に侍ったことがある。卿はそのことを憶えているか」

▼「王武子」は王渾おうこんの子の王濟おうさい、武子は字。王氏は太原たいげん晋陽しんようを本貫とする名門。

「どうして忘れられましょう。ただ、残念ながら当時の臣の眼では陛下の天運までは見抜けませんでした」

「卿の一族はいずれも俊才であった。それにも関わらず、骨肉は互いに殺しあって一言の諌めも及ばず国家を滅ぼした。これは何ゆえであろうか」

「大漢は天運に応じて命を承けられたのであり、晋は互いを損なって爪牙を失いました。これは天意というものです。また、臣の一族が武帝ぶていの遺勅を奉じて国家を支え、互いに睦まじくして八王が協力していれば、陛下が臣をこの宴に侍らせることもできなかったでしょう」

 劉聰はその聡明を喜び、小劉貴人を司馬熾の妻に与えて言う。

「これは名公の孫であり、善く遇するがよい」

 司馬熾は謙退して辞退すること四度に及んだが、劉聰に強いられてついに拝さざるを得なかった。それを潮に宴席はお開きとなり、百官はそれぞれ帰途に就いたことであった。

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