第九十回 劉曜は長安城より退去す

 漢兵は黄丘こうきゅうの戦に破れて長安ちょうあんに退いた。敗軍を迎えた姜發きょうはつが問う。

「晋兵の強弱は如何でしたか。大王がこれほど早く戻られたということは、一敗を喫されたのではありますまいか」

「驕った軍勢は破れるとはよく言ったものだ。二度の戦で長安を抜いて司馬業しばぎょうを西に走らせたものの、晋兵を侮ってしまった。晋の先鋒には韓豹かんひょうという者があり、吾と百合を仕合って一歩も譲らぬ。さらに、後軍の華勍かけい胡忠こちゅうめが攻めかけて関氏兄弟と姜飛きょうひが支えれば、梁綜りょうそう賈疋かひつ焦嵩しょうすう胡崧こすう陳安ちんあん宋哲そうてつらが総掛かりで吾が軍勢を断ち割ったのだ。黄丘を奪われたからには、日ならず此処まで攻め寄せて来よう。存忠そんちゅう(姜發の字)よ、どのように応じたものであろうか」

「調べるところ、晋兵は索綝さくしんが主帥に就いているようです。この者は知識に優れています。さらに、陳安は謀略を善くして韓豹、華勍、胡忠、胡崧は勇将として知られます。一勝した以上、周辺の郡縣からの兵も加わり、士気も盛んになっておりましょう。万一、幽州ゆうしゅう涼州りょうしゅう冀州きしゅう并州へいしゅうの軍勢が加勢に加われば、支えられません。さらに、晋は関中一帯の支配を維持しており、糧秣の供給も豊かに行われています。対する吾らは孤軍にして兵站を欠き、包囲されれば窮するのみです。ここは晋兵の到来までの間に長安を捨てて逃れるのが上策です」

 劉曜の話を聞くと、姜發は掌を指すように彼我の優劣を示してみせた。それを聞いた劉曜は躊躇して言う。

劉燦りゅうさん黄良卿こうりょうけい黄臣こうしん、良卿は字)は精兵を率いて長安の外にある。期日を定めて長安に向かわせ、表裏より晋の軍営を破れば、晋兵を退けられるやも知れぬ」

「晋兵が長安を包囲するにあたっては、これまでにない大軍となりましょう。軍営前後の警戒を怠るとは思えません。吉凶を占えば、長安を守り抜くことは難しいでしょう。晋兵は勝勢に乗じており、吾らはそれを迎える備えを欠きます。長安一城に拘泥してはなりません」

 姜發の言葉が終わらぬうちに、馳せ戻った斥候が報せる。

新豊しんほうに駐屯されていた劉王子りゅうおうじ(劉燦)が索綝と麴持きくじの計略に陥られたとのことです。晋将は間諜を遣わし、『総帥が黄丘にて晋兵に包囲されてすでに一夜が過ぎております。すみやかに援軍を遣わして下さい。黄丘に到れば、表裏より敵を攻めれば必ずや包囲を破れよう、との伝言を受けております』と謀ったのです。劉王子はそれが計略とは覚られず、自ら軍勢の半ばを率いて黄丘に向かわれる途上で伏兵に遭い、都護とご周深しゅうしんは王子を守って力戦し、討ち取られました。危急の際ではありましたが、黄臣、黄命こうめい靳文貴きんぶんきの三将軍が駆けつけて包囲を斬り破っております。それより、劉王子たちは晋兵との後退戦をつづけておられます。すみやかに救援に向かわれれば、無事に斬り抜けられましょう」

 それを聞くと、劉曜は天を仰いで嘆いた。

「天はまだ吾に長安を与えぬつもりであったか。そうと知っておれば、長安など捨てて顧みぬものを」

 姜飛、呼延勝こえんしょう関山かんざんの三将に劉燦の救援を命じる。三将は馬に跳び乗ると軍門を駆け抜け、その後には鬨の声を挙げて軍士がつづいた。

 三将は馬を責めて劉燦の許に向かい、加勢を知った晋将たちは追撃を手控える。劉燦はようやく晋将から解放され、長安の城に逃げ込んだ。


 ※


 劉曜は劉燦の敗戦を知ると、姜發に謝して言う。

「存忠の良策に従わず、重ねて将兵を損なってしまった。晋兵たちは勝勢に乗じて敵し難い。どうしたものであろうか」

「間諜によると、索綝と鞠允きくいんはすでに黄丘と新豊を恢復し、涼州の主簿しゅぼ馬魴ばほう刺史しし張軌ちょうきに、北宮純ほくきゅうじゅん宋配そうはいに五万の軍勢を与えて司馬業を奉じ、自ら軍勢を率いて長安を恢復するよう勧めているようです。吾が将兵はすでにその半ばを失い、手元の軍勢は五、六万を過ぎず、涼州の軍勢を支えられません。晋兵が城を包囲する前に離脱すれば、まだ軍勢を全うできましょう」

「撤退するよりないが、二度の敗戦の怨みに報いておらぬ。ただ長安の城に入っただけのことだ、と世人に哂われよう」

「勝てば進み、敗れれば退くのが兵家の常です。敗戦の怨みはいずれ雪げましょう。ここは隠忍するよりありますまい」

 姜發はそう言って撤退を勧めた。そこに晋の降将の王植おうしょくという者があり、劉曜に言う。

下官げかん裨將ひしょう葉権しょうけん李軫りしん趙本ちょうほん張鉄脚ちょうてつきゃく許蓬頭きょほうとうという者があり、この五人は司馬模しばぼに深い怨みがありました。大王が司馬模を誅殺されたため、この五人は大王のために命を捨てることも厭いません。五人は城を背に一戦して韓豹を退けたいと望んでおります。まずは一戦して勝敗を占い、撤退するにもそれからにされても遅くはございません」

 劉曜は王植の勧めに従い、五人に軍号を許した。


 ※


 翌日、韓豹、華勍、胡忠、魯充たちの軍勢が城下に到着し、軍営を置いた。

 王植は劉曜の許しを得ると、軍勢を率いて晋の軍営に攻めかかる。晋将の胡忠が大刀を振るって馬を出し、王植を迎え撃った。十合を過ぎぬうちに葉権たち五将が斬り込みをかけ、韓豹と華勍も陣頭に出て前を阻む。

 晋の軍営前で混戦となるも、張鉄脚は韓豹の大刀を受けて両断される。許蓬頭が仇討ちに向かえば、韓豹の大刀の前に手もなく張鉄脚の後を追う。

 王植が怖れて馬頭を返せば、胡忠に肩を斬られて落馬した。李軫、趙本、葉権の三将は戦を捨てて逃げ奔る。華勍と魯充が後を追い、葉権は逃げ切れず背に一刀を受けて馬下に斃れた。その隙に李軫と趙本だけは長安の城に逃げ戻り、戦の始末を劉曜に報告した。


 ※


 晋兵に敵し得ぬと知った劉曜は、ついに撤退の命を下した。

「黄昏時には長安を離れる準備を終え、二更(午後十時)を過ぎて月が中天に懸からぬうちに城を出る。誤って晋兵に覚らせるな」

 漢の将兵は長安の府庫から銭穀を収め、輜重に積んで準備する。二更を過ぎた頃、姜飛と関山の二先鋒は先に立って城門を抜け、関心と関河かんかが殿後を務める。それ以外の将は輜重を護り、劉曜と劉燦もそれに加わった。

 長安を離れた漢の将兵は一路山西を目指して軍勢を進める。

 晋の軍営にある胡忠と華勍は人馬の声を聞くと、漢兵が長安を捨てたと覚る。二将は軍令を待つことなく、一万の軍勢を率いて暗夜の中、逃げる漢兵の後を追う。

 世が明けて旗幟を見分けられるようになると、晋兵は鬨の声を挙げて漢兵を追った。三十里(約16.8km)も行かぬうちに先を行く輜重が見えてくる。さらに追い迫るべく馬を呷ると、砲声の響きとともに二人の漢将が大刀を手に前を阻み、胡忠と華勍を罵って言う。

「晋賊に与する馬鹿者どもよ、考えもなしに追って来おったか。吾は関義勇かんぎゆう関羽かんう、義勇は義勇ぎゆう武安王ぶあんおうという諡号によると思われる)の末裔、関河に関心である。吾が漢主は司馬模が各地に檄文を発して洛陽を襲わんとするを知り、その罪を問うべく吾らを関中に遣わされたのである。元凶の司馬模はすでに誅殺され、余の者の罪は問わぬ。それゆえ、吾らは軍勢を返して長安をお前たちに還してやるのだ。有難く思うがよい。それにも関わらず、お前たちは吾らの後を追ってさらに一戦しようと言うのか」

◆「関義勇」は追贈された諡号によると思われる。関羽には北宋の徽宗きそうより宣和せんわ五年(一一二三)に「義勇武安王」が追贈されている。なお、義勇武安王は『三遂平妖傳』にも登場する。

 言い終わると、関河と関心は大刀を振るって斬りかかる。胡忠と華勍が迎え撃つも、わずか五合のうちに関河の大刀が胡忠の頸を刎ね飛ばす。華勍は到底敵わぬと思い知り、ほうほうの態で軍勢を還した。

 関河と関心もその後を追わず、軍勢を整えると緩々と最後尾について進んだ。

 劉曜は長安を保つことができず、面目を失って平陽へいように還ることを気に病んでいた。滎陽えいように着いてみれば、太守たいしゅ李矩りくが漢兵を恐れて前途を阻んでいると言う。

「李矩は汝陰じょいんの賊徒を平定するために軍勢を出し、しばらくは其処に鎮守しているとのことです。滎陽には文官の郭誦かくしょうという者のみあるようです」

 劉曜は間諜の報告を聞くと、軍勢を四つに分けて一斉に滎陽城下に攻め込んだ。郭誦は愕き慌てて防ぎきれず、劉燦が東門から突入すると、城を捨てて逃げ出した。

 劉曜は滎陽の城に入ると、しばらく其処に腰を落ち着けると定めたことであった。

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