第八十九回 索綝は兵を会して劉曜を破る

 漢に降った南陽王なんようおう司馬模しばぼに対し、嫡子の司馬保しばほは五万の軍勢とともに上邽じょうけいに逃れた。

 その後を追うように長安から司馬模が殺害されたとの報せがあり、司馬保は大司馬だいしばを自称した。隴西ろうせい氐族ていぞく羌族きょうぞくの酋長を郡縣の官吏に登用すると、多くの者がその麾下に従う。

 秦州しんしゅう一帯を掌握して軍勢が揃うと、雍州ようしゅうにある晋帝の司馬業しばぎょうに上表し、漢中かんちゅう梁州りょうしゅうや長安の東の馮翊郡ひょうよくぐん、北にある安定郡あんていぐんに檄文を送り遣る。

 安定にある護国ごこく将軍の鞠允きくいんは、華勍かけい韓豹かんひょうという将帥を得て二万の軍勢を整え終えた。雍州刺史には新たに魯充ろじゅうが充てられ、魯元とともに新旧の将兵四万を率いて閻鼎えんていが開いた行臺こうだいを輔佐する。

 尚書しょうしょ僕射ぼくや索綝さくしんも新たに二万の軍勢を募って焦嵩しょうすう宋始そうし竺恢じくかいを将帥に任じ、征西せいせい将軍の賈疋かひつ梁緯りょういに加えて宋哲そうてつ胡忠こちゅうという者を将帥とする二万の軍勢を整えた。


 ※


 索綝は詔を拝すると、雍州にある晋帝に謁見して司馬模の死に大哭し、それを終えると檄文を発して雍州各地の軍勢を召し寄せる。駆けつけた諸将は晋帝を前に盟約してその指揮に服すると誓った。

 その場で全軍の先鋒には鞠允に従う韓豹が任じられ、韓豹は命を拝受して晋帝のために死力を尽くことを誓う。司馬業はその言葉をよみし、索綝を大統制だいとうせいとし、鞠允を副都統ふくととうに任じた。

◆「大統制」という官名は記録にない。ここでは元帥と同じく全軍の指揮権を委ねられたと解するのがよいと思われる。

 また、閻鼎を監察使かんさつしとして麴持きくじ糧料使りょうりょうしに任じられ、魯充と梁緯は前部の左右副將に、華勍と胡忠は救應使きゅうおうしに、梁綜、宋哲、焦嵩、宋始は掠陣りゃくじんに、竺恢じくかい王毗おうび監運かんうんとされた。

◆「掠陣」という官名は見当たらない。意味は「敵陣を陥れる」と解され、実働部隊を委ねられたと考えるのがよい。

◆「監運」は『明史みんし職官志しょくかんし都察院とさついん總督そうとく巡撫じゅんぶの條に「洪武こうぶ元年(一三六八年)、漕運使そううんしを置く、正四品は知事ちじ、正八品は提控ていこう案牘あんはい、從九品は屬官ぞくかん監運かんうん、正九品は都綱とこう」とあり、物資の流通に関わる職と解される。この場合は輜重を扱う任であろう。

 大將軍の陳安ちんあんが軍務を統べ、胡崧こすうは後軍の都護に任じられる。これらの諸軍は総計十二万あり、日を定めて長安の奪回に向かい、南陽王の復讐を果たすと誓った。


 ※


 漢の間諜はそのことを探り出すと、司馬業の許に関中の軍勢が集っていると長安に報せる。それを知った劉曜りゅうようは諸将を集めて方策を諮り、姜發が言う。

「古より、大事は義によって興り、人心に応じる者が勝つと申します。洛陽はすでに破れて司馬熾しばしは擒となり、百官公卿は辱められました。今や長安もまた破れて司馬業は蒙塵もうじんして司馬模は刑戮の憂き目を見たのです。人心は晋室に同情して吾らに怒っておりましょう。将兵が憤った軍勢はこれを憤兵ふんへいといい、憤兵は命を捨てて戦うために一人で十人を支えるに足ります。一方、吾らが拠る長安は空城に過ぎず、白骨は地に満ちて百姓は逃げ去り、この地に拠る利はございません。さらに、本拠地の平陽へいようからは遠く、救援や糧秣を求めたところで即座には応じられますまい。まずは軍勢を平陽に返し、再挙の際に秦州をも席捲すれば、関中は永く漢の地となりましょう」

姜存忠きょうそんちゅう(姜發、存忠は字)の論が妥当であろう。しかし、敵の虚実も測らず長安を捨てては、他人に哂われよう。一つ策がある。大将軍の劉燦りゅうさんに五万の軍勢を与え、長安の東の新豊しんほうに駐屯させるのだ。これにより長安を援護するとともに、平陽への退路を確保できよう。吾と先鋒の姜存義きょうそんぎ姜飛きょうひ、存義は字)と関継忠かんけいちゅう関心かんしん、継忠は字)は三万の軍勢を率いて黄丘こうきゅうに拠って秦州の軍勢に備える。一戦して強弱を測った後に軍勢を返しても、遅くはなかろう」

◆「黄丘」という地名は見当たらない。秦州は長安に西にあるため、長安の西、秦州からの大道上にある地点と解するのがよい。

 長安の鎮守を姜發、劉景りゅうけい靳文貴きんぶんきに委ねると、劉曜は黄丘に軍勢を移した。


 ※


 それより三日の後、長安を目指す五万の晋軍は、黄丘で漢兵が道を阻んでいることを知ると、包囲するべく動きはじめた。先鋒を務めるのは韓豹、魯充、梁緯が率いる三万の軍勢、華勍と胡忠が率いる二萬の軍勢がその後につづく。

 劉曜は包囲を恐れ、自ら平野に布陣して迎え撃つ構えを見せた。陣頭にある姜飛は馬を飛ばして晋陣に向かうと叫ぶ。

「お前たちは何処の軍勢か。何ゆえに此処に来たのか」

 晋陣からは韓豹が馬を出して答える。

「吾は大晋の先鋒を預かる、韓徳威かんとくい(韓豹、徳威は字)である。詔を受けて雍州よりお前たちを擒として南陽王を害した罪を問うべく此処に来たのだ。すみやかに軍勢を退いて南陽王を送還し、長安を返還して晋の支配に服し、無用の戦を止めよ。いささかでも遅延するならば、まずはお前たちを殲滅して平陽に攻め上り、帝位を僭称する劉聰を討ち取る。宗廟が覆ってから後悔しても及ばぬぞ」

◆「雍州」の治所が長安である点は先に述べたとおり。雍州から来たという韓豹の発言は意味を解しがたい。

 大言を聞くと劉曜も馬を出して言う。

「吾は幼年より軍に従い、河朔かさくに横行して山西さんせいを取り、中原ちゅうげんに出入して河南かなんを奪い、許昌きょしょうと洛陽を陥れて長安を抜き、晋兵を木偶のように打ち砕いてきた。お前の如き無名の匹夫が大言するとは哂わせる」

 韓豹が怒って叫ぶ。

「妄言せず、馬を進めて腕を比べてみるがよい」

 劉曜は怒って馬を拍ち、鞭を振るって打ちかかる。韓豹も大刀を払って架け止め、二人は馬をぶつけて力を比べる。歴戦の劉曜に対する韓豹は新進の勇将、日頃の技量を発揮して刀鞭を交わすも、互いに毛ほどの傷も与えられない。

 戦はすでに六十合を過ぎて勝敗を決する気配もなく、両軍の将兵には喝采せぬ者がない。


 ※


 劉曜と韓豹の戦の最中、梁緯が魯充に言う。

「劉曜は強敵、韓徳威であってもにわかに打ち破れますまい。ここは吾らも馬を出して前後より襲い、劉曜めを擒とするべきです。劉陽を擒とすれば、洛陽までも恢復できましょう」

 魯充と梁緯は馬を拍って陣頭に飛び出し、一散に劉曜を目指す。それを見た関山かんざん関河かんかも馬を馳せて阻みに向かう。大刀を振るう二将は劉曜に向かう晋将の前に立ち、六将入り乱れての混戦となる。

 馬蹄が揚げる黄沙は滾々と宙に舞って視界を遮り、戦場からはただ刀鎗の声のみが響いて姿が見えない。

 魯充が関河と戦って劣勢となったところ、華勍と胡忠が加勢に到り、左右を挟んで攻め立てる。それを見た呼延勝こえんしょうと姜飛が馬を馳せて助けに向かう。魯元と宋始は軍勢を差し招いて攻めかけた。

 姜飛は軍勢を迎え撃って一鎗に魯元を突き殺し、呼延勝は大刀を振るって宋始を追い詰める。宋始と焦嵩は劣勢に陥ると、戦を捨てて逃げ奔る。

 姜飛と呼延勝は二人を追わず、ただちに関河を救いに向かう。華勍と胡忠は関河を捨てると馳せ到る漢将に向き直った。四将が激突して数合ばかり、賈疋、梁綜、宋哲、胡崧が大軍を率いて到着し、鬨の声が天を震わせる。

 漢将たちは敵を防いで死戦する最中に陳安に斬り込まれた。漢兵の軍列は陳安により寸断されて晋兵の圧を支えられず、ついに後退を始める。麴持と閻鼎の軍勢も到着するや漢兵の軍列を蹴散らした。

 ついに漢の将兵たちは黄丘を捨て、長安を指して逃げ奔ったことであった。

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