第八十六回 劉曜は嶢関と藍田を取る

 翌日の辰の刻(午前八時)、姜飛きょうひは三千の軍勢を率いて嶢関ぎょうかんに攻めかかった。

 この時、劉曜りゅうようは自ら五千の精鋭を率いて攻め上る機に備え、黄臣こうしん黄命こうめいは一万の軍勢とともに山下の路に伏せて王因おういんが攻め下るのを待ち受ける。

 王因は姜飛が攻め寄せてくるのを見ると、方璧ほうへきに言う。

「軍勢を一斉に出して関を下り、敵を討ち退けるべきである」

「時機尚早というものです。将軍は半数の兵士を率いて攻め下られるのがよい。戦の最中に隙があれば、吾も残る兵を率いて攻め下って敵を破るのが上策です。出戦して隙を見せぬようであれば漢将は勇者であり、しばらく関を堅守して敵の撤退を待つよりありません」

「そうではない。吾らが出戦して敵の一陣を破れば、敵の強弱を測れよう。出戦して敵わぬようであれば、退いて関を閉ざし、堅守すればよいのだ」

 そう言うと、王因は全軍に出陣を命じた。方璧はその命に従わず、二千の軍勢とともに関に残る。

「王因が関を出たが、おそらく戻っては来るまい。吾らは妄りに動かず、ただこの関を堅守していればよい」

 方璧はそう言うと、道に鹿角を並べて関を閉ざした。


 ※


 関を下った王因は、平地に布陣した。姜飛は関上の者に見咎められるかと思い、陣頭に出ない。代わって靳文貴きんぶんきが陣頭に立つ。

 王因と靳文貴は悪戦すること三十合、靳文貴は破れたふりをして馬を返し、王因は戟を振るってそれを追う。漢兵たちも王因に追われて総崩れになった。

 行くこと二、三里ばかり、道の両側より砲声が挙がり、左右から数千の精鋭が現れる。その軍勢は王因に従う兵を追い散らすと、王因を擒とした。

 砲声を聞いた劉曜は、策があたったと関に攻め上る。対する関上からは木石を打ち落として応戦し、前には到底進めない。それより睨み合いとなり、たちまち時刻は午の刻(正午)になった。

 関の左右に伏せる関心かんしん関山かんざんが背後に回れば、晋兵たちは攻め寄せる劉曜に気を取られて守る者がない。二将は葛蔦を伝って断崖を下り、その後に百人ばかりの勇士がつづく。

 関内に入った漢兵たちは、密かに迫って攻めかかり、一刀の下に方璧を斬り殺す。主帥を喪った晋兵たちは戦意も挫け、長安を指して逃げ奔る。

 内側から関門を開くと、劉曜は嶢関に軍勢を入れた。


 ※


 嶢関から逃れた兵たちは、長安に入って敗報を報せた。南陽王なんようおう司馬模しばぼは愕いて言う。

「嶢関が抜かれたならば、漢賊は長安まで平野を抜けるだけではないか。どうして防いだものであろう」

 陳安ちんあんが言う。

「嶢関を抜かれたとはいえ、まだ藍田らんでんがございます。急ぎ、糜晃びこう振武しんぶ将軍の淳于定じゅんうてい鎮威ちんい将軍の呂毅りょきを副えて向かわせましょう。藍田ならば漢賊を防ぐに足ります」

▼「振武将軍」は『宋書そうじょ百官志ひゃっかんしには「振武將軍は前漢の末に王況おうきょうを之と為す」とあり、漢代に置かれたとする。

▼「鎮威将軍」の用例はなく、架空の軍号と見られる。

▼「藍田」は『晋書しんじょ地理志ちりしでは雍州ようしゅう京兆郡けいちょうぐんの條に含まれる。長安から南に向かうと、杜陵とりょうを経て藍田に到る。藍田からは山間をぬって荊州に到る道があり、関中の南の門戸にあたる。なお、藍田関と嶢関が同一のものと見られることは前述のとおり。

 南陽王はその言に従い、三将に五万の軍勢を与えて藍田に急行させる。糜晃たちが到着して布陣すると、ちょうど漢兵も姿を現した。

 晋の陣を見ると、漢軍も布陣して相対した。糜晃はすでに隊伍を整えて待ち構えている。


 ※


 漢の軍勢から劉曜が姿を現した。

 頭に金の䝟貐あつゆを飾った兜を戴き、金鎖の甲冑を着込んで青銅の鞭を手に紫騮しりゅうの馬に打ち跨る。その左には関山、右には姜飛があってさらに黄臣こうしん黄命こうめい関河かんか、関心が左右に並ぶ。

▼「䝟貐」は虎に似た獣で人を食らうとされる。出典は『山海経せんがいきょう』による。

 糜晃も淳于定、呂毅、王毗おうび李昕りきん閻升えんしょうとともに陣頭に進み、劉曜を指して言う。

「お前たちは三度までも洛陽を攻めて百姓を害した。それにも関わらず、お前たちが漢帝の末裔であるために征討しなかったのは、大晋の深い恩である。お前たち賊徒どもは厭くことを知らず、さらに長安までも侵そうというのか。吾らがお前たちを殲滅できぬとでも思っているのか。さっさと軍勢を返して誅殺の刃を免れるがよい。少しでも遅滞するならば、雍州ようしゅう梁州りょうしゅう幽州ゆうしゅう并州へいしゅうの大軍が救援に現れ、お前たちの骨も残すまい」

 関心はそれを聞くと、蚕のように太い眉をさかしまにし、大刀を振るって斬り込んだ。晋陣から抜け出た淳于定が大刀を抜いて架け止め、二人の馬は力を比べて一進一退、二本の大刀が上下を返して力を比べる。喰いしばった歯から煙が出るほど力を尽くし、四十合を過ぎたところで淳于定の刀捌きが乱れはじめる。

 呂毅と王毗が馬を飛ばして加勢に向かえば、関河も馬を出して呂毅を食い止める。王毗は関河を交わして関心に向かい、左右から挟んで攻め立てる。姜飛が馬を出して晋陣の前を駆け抜けると、閻昇も叉を振るって行く手を阻む。

 関山が陣の乱れを突いて斬り込もうとすれば、糜晃と李昕が軍列を締めて入るを許さない。


 ※


 晋漢の軍勢は藍田関の前で混戦となり、滾々と揚がる塵埃は四方に連なり、鬨の声が千里の果てまで響き渡る。二、三刻が過ぎた頃には彼我を分かたぬ乱戦がますます激しくなった。

 王毗の弟の王畋おうでんが姜飛を挟撃しようとすれば、姜飛は大喝とともに生きながら擒とする。呂毅はそれを見ると、関河との戦を捨てて救いに向かう。関河は逃がさず背後に迫り、一刀を振るって馬から斬り落とした。

 淳于定が戦を捨てて逃げ奔るも、関河は逃がさず追い迫る。慌てて大刀を振るったものの、背後に迫った関心の大刀により馬下に絶命した。

 野戦では敵わぬと観た糜晃は、藍田関に入って門を閉ざす。遅れた王毗と李昕が関下に到って声を挙げれば関門が僅かに開く。漢将の関河、呼延勝こえんしょう、姜飛の三将が追いつくと、僅かに開いた門に飛び込んだ。

 糜晃、王毗、李昕は無謀にも攻め込んできた三将の姿に愕き、関を捨てて長安に奔る。ちょうど日暮れにあたり、漢将たちはその後を追わず、藍田関を占領して一夜を明かすこととした。

 劉曜と姜發が率いる本軍が到着すると、祝宴を開いて将兵を労った。

 劉曜が酒盃を挙げて言う。

「吾らは一戦にして嶢関を陥れ、さらに進んで藍田関まで奪い取った。兵威は関中に轟き、晋人は胆を失ったであろう。明日早朝から糜晃を追って長安に入る前に打ち果たせば、晋兵たちは戦意を失い、落としやすくなろう」

 その言葉の通り、翌日早朝から関河、姜飛たちは軽騎を率いて糜晃たちの後を追った。


 ※


 糜晃は追いすがる漢兵たちを迎え撃たず、ただ一散に長安目指して馬を駆る。漢将たちも負けずに馬を責め、徐々にその間は詰まっていった。

 李昕が言う。

「漢賊どもはすぐ後ろまで迫っております。長安までの道程はまだ先があり、死戦して防がねば擒えられましょう」

 そう言うと、馬を返して陣を布く。関河たちが追いついた勢いのままに斬り込めば、晋の陣は一蹴されて形を崩し、たちまち劣勢に陥った。

 いよいよ総崩れとなる直前、北の空に塵埃が揚がると、涼州りょうしゅうの軍勢が攻め寄せてくる。先頭に立つ北宮純ほくきゅうじゅんは大斧を振るって漢兵を蹴散らし、横なぎに漢兵の陣を突き崩す。

 姜發はそれを見ると、鉦を鳴らして軍勢を退く。

 北宮純は漢兵との睨み合いつつも、徐々に軍勢を退けて糜晃たちとともに長安に退く。さすがの姜發もつけ入る隙がなく、北宮純と糜晃の軍勢は深夜の頃に長安に入城した。


 ※


 漢軍は北宮純の軍勢と戦った場所で一夜を明けると、翌日には軍勢を二つに分けて長安城下に攻め寄せた。

 長安に戻った糜晃は早朝から晋帝の司馬業しばぎょうに見え、上奏を受けた晋帝は言う。

「卿らは藍田関の防衛に向かったはずであるのに、何ゆえに長安にいるのか」

「臣らが藍田関に到着して守りを固めるに先んじ、漢賊どもが攻め寄せて参ったのです。その攻撃は甚だ厳しく、臣も陣頭に出て立ち向かいました。しかし、漢将どもの勇猛は凄まじく、王畋は擒とされて呂毅は討ち取られました。それでも漢賊の勢いを止めきれず、淳于定と閻昇も討ち取られるに至りました。吾と王毗は藍田関に籠もって死戦したものの、四方を囲まれてなす術もなく、ついに関から身を脱したのでございます。漢賊どもは厳しく追って参りましたが、幸いにも涼州兵が救援に現れ、北宮純の勇猛により命を救われて再び尊顔を拝し得たのでございます」

 糜晃がそう言って泣き崩れると、南陽王は愕いて言う。

「漢賊どもの勢いは凄まじい。どのようにして防いだものであろうか」

「北宮純を召し寄せて策を諮るのがよろしいでしょう。漢賊どもに長安を乱させてはなりません」

 南陽王はその言葉に従い、晋帝は詔を下して北宮純を殿上に召し出した。

 拝礼が終わると、晋帝が問う。

「遠路をよく救援に駆けつけてくれた。その忠誠を嬉しく思う。漢賊の強盛は知る通りであるが、退ける策はあるだろうか」

「漢賊の士気は高く、すぐに退けるのは難しうございます。まず、城を囲まれる前に近隣の郡縣に人を遣わし、詔を宣して外援とするのがよいでしょう。長安は臣らが力を尽くしてお守りいたします。城攻めが長引けば、漢賊も将兵の懈怠を避けられません。その隙を突くのが上策です。出戦して漢賊を打ち破るのは難しいでしょう」

 陳安が言う。

「北宮純の方策は優れております。すみやかに人を遣わさねばなりません。臣らは軍勢を整えて漢賊の到来に備えます。漢賊どもは遠路の行軍を経ており、必ずや糧秣が不足いたしましょう。つまり、日を送ればいずれは退かねばならぬのです」

 その言葉が終わらぬうちに、城外から砲声が聞こえた。劉曜の軍勢はいよいよ長安の包囲を始めようとしていたことであった。

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