第八十五回 姜飛は説いて王因と通ず
晋の
劉聰はその願いを容れて劉曜を
新たに
晋の斥候たちは漢軍の侵攻を知り、すみやかに長安に報せを送った。
※
長安にある
「朕は幼年にあれども諸卿の推戴を蒙り、帝位に即いて宗廟を司っている。長安の帝座がまだ落ち着かぬというのに、早くも漢賊どもは関中に兵を向けてきた。どのように処するべきであろうか」
南陽王が言う。
「臣は先帝の詔を受けて関西の兵を募っておりました。将には
「尚書僕射の
▼「治中」は正しくは
▼「嶢関」は『
南陽王はその言を
※
漢軍を率いる劉曜は、数十里もつづく大軍を率いて嶢關に到ろうとしていたところ、斥候が駆け戻って言う。
「関上に軍勢があって堅く守り、通過を許さぬ構えを見せております」
劉曜が姜發たちとともに検分に向かえば、山上の関に向かう道の左右には断崖が迫り、その崖は獣であっても越えられそうもない。間につづく隘路の先には軍旗が立ち並んでいる。
「この関は険しい上に守将は厳しく警戒している。飛ぶ鳥であっても抜けられるまい。まして軍勢であっては難儀しよう」
劉曜がそう嘆くと、姜發が言う。
「まずは一戦して守将の智勇を測るよりありますまい。それにより策を定めます。勇者であるなら挑発して戦を誘い、奇計によって破るのがよく、智者であるなら詭計を競って虚虚実実の騙しあいで陥れるよりありません。また、吾らはこの関の地形を知りません。まずはこの地の者を捕らえて尋問し、間道を知る者があるならば賞により郷導とすれば、不意を突くこともできます。五日のうちにこの関を抜ければ、長安を陥れることも容易いでしょう。しかし、それを越えれば救援の軍勢が守りを固め、易々とは敗れますまい」
それを聞いて劉曜が言う。
「敵はすでに関の守りを固めている。
言うところに、斥候が三、四人の住民を捕らえて戻った。劉曜はこれらの者たちに衣食を与えると、関の様子を問い質す。
「昨日、長安からの軍勢が現れてこの関に入りました。守将は王因といい、元は蜀の人であると聞きます。軍勢はおおよそ五千ほどもあり、隘路は木石で塞いで軍旗のみを連ねていますが、もとより険しい道なので到底通り抜けられません」
その言葉を聞くと、姜發が重ねて問う。
「この山を通り抜けられる間道はないか」
「西の山中に樵が通る道があります。樹木は少ないものの岩石が多く、道とも言えません。わずかに一人が通れるかどうかです。峻険なところでは藤蔦と岩を掴んで登らざるを得ませんが、およそ一日も行けば山上の関に到ると聞きます」
姜發は密かに劉曜に言う。
「大王はご存知ありますまいが、この王因という者は、
▼「王累」は『
「刃を血塗らずこの関を抜けたならば、軍師を
姜發は姜飛を召し出すと、庶人に扮して関に向かうよう命じる。それを聞いた関心が進み出て言う。
「人とは変わるものです。かつて義兄弟の仲であったとしても、王因の心底は分かりますまい。また、関の中には晋に忠義を尽くそうという者もあり、一人で潜入するには危険が大きすぎます。吾ら兄弟は夜半にこの軍営を発して関の脇に軍勢を伏せ、
劉曜は関心の策を聞くと懸念する。
「守将が軍勢を配して道を塞げば、狭い山道に取り籠められて進退に窮することもある。危険に過ぎよう」
関山は笑って応じる。
「聞くところ、関に詰める軍勢は五千ほどとのこと。吾が百人の精鋭を率いて向かえば、関を抜いて勲功を立てるだけです」
そう言うと、関心と関山は鶏鳴の頃には軍営を発した。
※
未明に姜飛は衣服を旅人のように改め、単騎で関に向かった。
「吾は関中の人、商いのために旅する途上、漢賊の乱を避けて故郷に帰ろうとしている。願わくば、この関内に
姜飛がそう名乗ると、関上の兵士たちは王因に報せた。
「言葉の通り、ただの旅人であるならば関に入れて吾に見えさせよ。何者であるかを見極めてやろう」
王因がそう命じると、兵は姜飛を関に入れて連れてきた。姜飛はただ地に伏して顔を上げない。姜飛の体躯は雄偉で容貌は堂々としており、とてもただの旅人には見えない。王因は兵士に関の警戒を命じると、座を下りて問う。
「お前はただの旅人ではあるまい。吾はよく似た者を知っている」
「ご立派になられ、故旧の顔をお忘れになったのでしょう」
姜飛の言葉を聞くと、王因は助け起こして言う。
「公子は何処から来られたのか。姓名を名乗られなかったため、誤って罪人のように扱ってしまったではないか」
「人払いを頂ければ、すべてお話いたしましょう」
「この数人は吾が腹心の者たち、何の心配も要らぬ」
そう言ったものの、王因は腹心の者たちも退けると、姜飛に再拝して言う。
「義兄上は成都を落ち延びて何処におられたのか。聞くところ、
王因の言葉に姜飛が言う。
「
「見損なわれるな。吾が主に叛いて富貴を求めるなど有り得ぬことです」
「鳥は恋々としてかつての飼い主への情を忘れぬと言う。吾は変わらず漢を輔け、旧徳を思って旧主に仕えている。賢弟は旧主の恩を忘れて晋に降り、仇敵に仕えている。大丈夫たるものは去就を明かにせねばならぬ。かつ、今や晋の命数は尽きんとしており、東西南北に分断されている。どうして再び復興することができようか」
王因は姜飛の言葉を聞くと、答えようもなくただ頭を垂れる。半時ばかりすると、顔を上げて問うた。
「義兄上は小弟に何を求められますか」
「賢弟が旧交を重んじるのであれば、共に旧主に帰してかつての如く交際し、骨肉同然の交わりを望むのみ。それを望まぬのであれば、吾を縛って長安に送り、その功により富貴を得るがよかろう。吾は逃げも隠れもせぬ」
「小弟が義兄上のお言葉に従わぬなどということがありましょうか。ただ懼れるのは、後世の人より卑怯者と罵られることだけです。願わくば、義兄上はこの関を下って軍営に帰り、自ら攻め寄せて来られよ。小弟は軍勢を率いて出戦しましょう。義兄上は敗れたように装って逃れ、小弟が追いかけるのを待たれよ。一将を伏せておけば擒とすることは容易いはずです。その隙に攻め上れば関は易々と陥れられましょう。それで小弟が敵に通じた罪は隠され、義兄上はこの関を通過できます」
姜飛はその言葉を聞くと、ついに関を出て山を下った。
※
姜飛が嶢関を下ると、守りに就いている兵が噂して言う。
「先にあの旅人は関に入って難を避けたいと言っておった。それにも関わらず、このように関を出て行くとは解せぬ。漢賊と王将軍は密かに通じているのではあるまいか。それならば、あの旅人は漢賊の間諜ということになる。吾らは
報告を聞いた
「先ほどの旅人は漢賊の難を懼れてこの関に入ったと聞く。将軍と見えたにも関わらず、再び関を出て山を下るとは、解し難いところである。将軍が漢賊と通じているのではないかと疑う者まで出ている。晋朝はこれまで漢賊に散々辱められてきた。まさか将軍ともあろうお方が漢賊と通じるなどということはありますまいな」
「疑うには及ばぬ。明日、漢賊が攻め寄せたならば、吾は陣頭に立って関を下り、漢賊を討って忠心を明かにして見せよう」
王因がそう言うと退いたものの、方璧は兵たちに言った。
「王因は必ずや漢賊に通じている。吾らはその企てを防がねばならぬ」
それを聞いた兵たちは、策を定めた後に散じたことであった。
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