第八十四回 愍帝司馬業は長安城に即位す

 洛陽らくようから逃れた荀藩じゅんはんは、秦王しんおう司馬業しばぎょうを連れて密縣みつけんに逃れ、閻鼎えんていとともに糧秣を集めて遠近の諸侯に檄文を発した。

 その檄文は長安ちょうあんにも到り、南陽王なんようおう司馬模しばぼは大哭して嘆く。

懐帝かいてい司馬熾しばし)は太傅たいふ司馬越しばえつ)の専権を懸念され、関中かんちゅうで兵を募って不測の事態に備えるよう孤に命じられた。それにも関わらず、国家の大変事にあたって孤は何の役にも立たなかった。今すぐ命を奪われたところで何の申し開きもできぬ。どのような顔で地下の先帝や諸王にお会いできようか」

 麾下の大将の淳于定じゅんうていが傍らより言う。

「終わったことを悔いても意味はありません。国家とは、帝を欠いては一日として成り立たぬものです。密縣に人を遣って秦王を関中にお迎えし、帝位にいて頂くべきです。国土の恢復を図るにもまずはそこから始めねばなりません」

 司馬模はその言をれ、撫軍ぶぐん将軍の王毗おうび長史ちょうし劉疇りゅうちゅうを遣わした。二人は密縣に到って荀藩と閻鼎に見え、南陽王の意向を伝える。


 ※


 荀藩と閻鼎の二人はすぐさま李昕りきんに命じ、王毗たちとともに秦王を護衛して長安に向かわせる。その一方、人を荊州けいしゅうに遣わして周顗しゅうがいを呼び出した。ともに秦王の輔佐を務めるよう命じたのである。

 周顗は応じず、逆に書状を認めて江南にある瑯琊王ろうやおうの許に向かうよう勧めた。閻鼎は周顗の勧めに応じず、周顗はさらに荀組じゅんそにも書状を遣って関中に移る利害を論じた。

 荀藩と荀組は周顗の書状を見ると関中に向かう列を離れ、周顗と議論するべく荊州に向かった。閻鼎は二人を大いに罵ったものの、劉疇までもが輜重とともに荊州に向かおうとした。

 閻鼎は李昕とともに劉疇を追って討ち取り、南陽王を牛車に載せるとえんから武関ぶかんに向かった。武関に向かう山道には山賊が多く、休む間もなく戦が続く。ようよう関中の入口にあたる藍田関らんでんかんに着いた頃には、護衛の将兵はほぼ尽きようとしていた。

◆「宛」は『晋書しんじょ地理志ちりしによると荊州けいしゅう南陽国なんようこくの首邑とされる。

◆「武関」は長安の南にある藍田関を抜けると、上洛や商の山中を抜けて荊州に到る道があり、その途上に武関がある。

◆「藍田関」は『史記しき曹相國世家そうしょうこくせいかの注に引く『括地志かつちし』では「故の武關は商州の商洛縣の東九十里に在り。藍田關は雍州の藍田縣の東南九十里に在り、即ち秦の嶢關ぎょうかんなり」とある。長安から荊州に抜ける南の門戸と考えればよい。武関は藍田関を抜けて荊州に向かう途上の山中にある。


 ※


 藍田関に入った閻鼎は、糧秣が底を突いたために雍州ようしゅう太府たいふを勤める賈疋かひつの許に王毗を遣わした。南陽王の到着を知った賈疋は、大將の梁緯りょうい梁綜りょうそうを遣わして糧秣を送り、さらに護衛して長安に向かわせる。

◆「太府」は『漢書かんじょ食貨志しょっかしに引く顔師古がんしこの注に「周官の太府、玉府、內府、外府、泉府、天府、職內、職金、職幣は皆な財幣之官を掌り、故に九府と云う」とあり、財貨を司る官であるとする。

 この頃、灞水はすいから玉製の亀が見つかり、咸陽かんようには神馬が現れていなないた。

 南陽王は秦王を迎えると、長安郊外に土壇を設けて天地と社稷しゃしょくを祭り、帝位に即けて年号を建興けんこう元年(三一三)と改めた。

 秦王の司馬業は字を彦旗げんきといい、呉王ごおう司馬晏しばあんの子である。死後に愍帝びんていと諡される。愍は諡法しほうによると、国にあって難に遭う、禍乱がまさに起こる、民を折り傷なう、などの意とされる。


 ※


 司馬業が帝位に即くと、閻鼎を大司馬だいしばに任じて軍事を総攬させ、賈疋を征西せいせい将軍に任じて国事に参与させ、始平しへい太守の麴持きくじ雍州ようしゅう刺史を兼任させ、京兆けいちょう太守の索綝さくしん尚書しょうしょ左僕射さぼくやに任じ、梁綜を輔国ほこく大将軍、梁緯を鎮国ちんこく大将軍、河間王かかんおうの頃から長安に鎮守する老将の糜晃びこう保国ほこく大将軍、淳于定じゅんうてい護国ごこく大将軍、王毗を保駕ほうが前将軍ぜんしょうぐん、李昕を保駕ほうが後将軍こうしょうぐんとした。

◆「始平」は『晋書』地理志の雍州ようしゅう始平郡しへいぐんの條によると治所は槐里かいり武功ぶこうなどを含み、長安の西、渭水を遡った地にあたる。

 南陽王の司馬模は、大司徒だいしと左丞相さじょうしょう都督ととく関西かんさい諸軍事しょぐんじに任じられて国政を総攬する。また、瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえい侍中じちゅう右丞相ゆうじょうしょう都督ととく陝東せんとう諸軍事しょぐんじに任じた。

 司馬業は司馬睿に次のような詔を下した。

 

 朕は幼年ながら大晋の国統を継ぎ、異民族の禍を鎮められておらぬ。それがため、先帝の霊柩れいきゅうを奉じてほこを枕に懊悩し、五臓を裂かれる痛みを感じている。

 先に魏浚ぎしゅんの上表により、王の軍勢がすでに壽春じゅしゅんに拠って諸侯に檄文を発し、軍勢を会して洛陽に向かおうとしていると知った。

今、涼州りょうしゅう刺史しし張軌ちょうきも、晋室を思って軍勢を千里に連ねてすでに隴西ろうせいまで到っている。また、巴漢はかんの軍勢も駱谷らくこくに駐屯して驍勇の将兵は雲集し、国土を恢復せんとしておる。

 しかして、それらの諸軍を率いる元帥はおらず、元帥を欠いては驍勇の兵も戦勝を得られぬ。

 朕の思うに、元帥の任に堪える者は王を措いて他にあるまい。それゆえ、王を東路の元帥に任じて晋室の維持をその任とする。皇室の栄光を輝かせて中興の業を高からしめよ。


 瑯琊王の司馬睿は詔を拝すると大哭し、北に向き直ると滂沱と涙を流した。その日のうちに使者を選ぶと、上表文を認めて長安に遣わす。上表文は司馬業の即位を賀するものであった。

 その一方、北漢の南下に備えるよう祖逖そてきと周顗に命じ、長江ちょうこう淮水わいすいの間の警戒を厳にした。

 晋帝は上表を一読し、瑯琊王に中原恢復の志があると知った。檄文を各所に発し、将兵を練って糧秣を積み、来るべき日に備えるよう命じた。


 ※


 司馬業の檄文は漢の間諜の知るところとなり、報告が平陽へいように送られる。

 漢主の劉聰りゅうそうは司馬業の動きを知ると、百官を召して事を諮った。

「晋の遺臣どもは司馬業を帝に立てて中原を恢復するつもりであるらしい。劉曜りゅうよう石勒せきろくは洛陽を陥れた後も黄河の南北に留まっている。晋が出兵するに先んじて山西の備えを終えねばならぬが、関家と呼延家の兄弟はいずれも世を去って目ぼしい将を欠く。劉曜と石勒を召還せねばなるまい」

 姜發きょうはつが同じて言う。

「陛下の御覧になった通りでございます。晋もすぐさま軍勢を発することはありますまいが、劉曜と石勒を平陽に置いておけば、別の使い道もございましょう」

 劉聰は劉曜と石勒に詔を下し、平陽に帰還するよう命じた。


 ※


 平陽からの勅使を迎えた石勒は上奏文を認めた。壽春じゅしゅんに軍勢を置いた祖逖に備えねばならず、にわかに軍勢を返せぬと述べ、平陽に帰還しない。一方、劉曜に書状を遣り、山西に軍勢を返して関中の晋兵に備えるよう勧めた。

 劉曜は詔に加えて石勒からの勧めもあり、軍勢を返すと決心した。洛陽には趙固ちょうこと一万の軍勢を置いて鎮守させ、また、石勒には軍勢を許昌と洛陽の近郊に移して趙固の後援となるよう求める書状を送った。

 河南にあった五万の軍勢は劉曜に従って北に返し、日ならず平陽に到る。宮城に入ると劉聰に謁見し、遅まきながら即位を賀した。劉聰は鷹揚に慰労すると、劉曜に席を勧めて群臣に言う。

「朕の父子は故旧や大臣たちと心を合わせ、数十年の戦を経て洛陽を陥れた。思うに、これよりは北の并州へいしゅう幽州ゆうしゅうを平らげて晋の遺臣が残る関中を奪い、天下一統の大業を成さねばならぬ。長安では司馬業が即位して各地に檄文を発し、洛陽の奪還を企てているという。これを看過しては、半生の辛苦も水泡に帰する。諸卿にはこの情勢に応じる良策があろう。思うところを述べよ」

 促されて姜發が言う。

「司馬業が関中に即位したとはいえ、にわかには軍勢を動かせないでしょう。江東に司馬睿があるものの、その軍勢は水戦には慣れても弓馬の技では怖れるに足りません。河西かせいの張軌や幽州の王浚おうしゅんには自立の心があって晋に忠義を尽くすとは思えず、司馬業の笛に合わせて踊りはしますまい。ゆえに、しばらくは身動きできません。戦は相応の支度を要し、檄文を受けたところで即座に軍勢を発するなどできぬものです。しかし、雍州から西の漢中、秦隴しんろうには数十万の精兵があると観ねばなりません。これこそ最大の憂慮です。司馬業の即位の初めの混乱に乗じて良将を選び、長安の巣穴を覆して司馬模と司馬業を擒とすれば、西北の地はすべて大漢の有に帰するでしょう」

「石勒の軍勢は精鋭であるが、許昌や鄴の鎮守を続けねばならぬ。江東の動きを考えれば、軽々しく呼び返すわけにはいくまい。王彌おうびはすでに亡く、関家の兄弟も相継いで世を去った。かつてのように競い立つ英雄はおらぬ。誰が遠く長安に軍勢を向けて至難の業を成し遂げられようか」

 劉聰が嘆くと、一将が進み出て大言を吐いた。

「かつて数十人もあった名将が亡くなったとは言え、後進の英雄がおらぬわけではありません。大漢の軍勢は強盛、士気も盛んであります。憂えられるにも及びません。臣は不才とはいえ、一旅の軍勢を引っ提げて長安に向かい、必ずや晋の君臣を挙って擒とし、後患を断って御覧に入れましょう」

 百官が愕いて目を遣れば、平陽に帰還したばかりの劉曜が烈々たる気を吐いていたことであった。

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