第八十二回 石勒は人を遣りて趙彭を訪う

 石勒せきろく苟晞こうきを斬刑に処した後、許昌きょしょう倉坦そうたんぎょう三台さんだい襄國じょうこくの地を占め、さらに漢水かんすい沿岸と長江ちょうこう北岸を保ち、その軍勢は盛んであった。

 この時、漢の車騎しゃき将軍の王彌おうび洛陽らくよう始安王しあんおう劉曜りゅうように進言をれられず、東の汲郡きゅうぐんに軍勢を退いて自立の道を探っていた。

 その麾下にある徐邈じょばくは王彌に勧めて言う。

「先帝が崩じられたからには、平陽へいように赴いて弔問し、新帝を拝賀せねばなりません」

玄明げんめい劉聰りゅうそう、玄明は字)は同僚であって才は吾を超えぬ。さらに、勲功も吾に及ぶまい。和太子わたいし(劉和)を弑虐して帝位を盗んだに過ぎぬ。吾は石公せきこう(石勒、公は上党公じょうとうこうの意)とともに朝廷の外にある。お前如きに吾が大事を分かろうはずもない」

 徐邈は何も言い返すことなく、その夜のうちに姿を消した。


 ※


 王彌は徐邈を殺すべく追っ手を放とうとしたが、そこに斥候が駆け込んで告げる。

「石勒が倉坦を陥れて苟晞を斬ったとのことです。河北と河南の半ばは石勒の拠るところとなりました」

 それを知った王彌は石勒を憎んだものの、力攻めでは敵わず、逆に攻め寄せてくるかと懼れた。そのために書状を認めて戦勝を賀し、人を遣って倉坦に送り届けさせた。

 その書状は次のようなものであった。


 近頃、明公めいこう(石勒に呼びかける二人称)が苟晞を擒としたと知りましたが、その神速なることに一驚を喫しました。彌(王彌の自称)では遠く及びません。聞くところ、新主は荒淫残虐にして勳旧を誅殺しているといいます。明公はまさに中原を清めて大いに功業を振るわれるべきでありましょう。

 彌の願うところは、明公の翼について前駆となり、共に百姓を救うことであります。もし、彌を左軍として苟晞を右軍とされれば、天下など平らげるにも足りません。願わくば、明公におかれてはこのことに意を留めて頂き、妄言となされませぬよう。


 石勒は書状を一読すると張賓ちょうひんに呈し、一読した張賓が言う。

王飛豹おうひひょう(王彌、飛豹は綽名)は位が高いにも関わらず言辞をひくくしております。狙うところがあるのでしょう」

「謀ろうと考えているに違いあるまい。それゆえに謙退して吾を驕らせようとしている」

「王飛豹は自立を志しているものの力が足りません。それゆえ、本心を隠してへりくだって支援を得たいのです」

 石勒と張賓の傍らにあった程遐ていかも言う。

「吾の見るところ、王飛豹は外は親しく見せても、内には人を忌む心があります。おそらくは両端を持するつもりでしょう。留意して扱わねばなりません」

 そう話すところに友人が使命を帯びて平陽から到着した。


 ※


 その者は石勒の顔を見ると言う。

「即位したにも関わらず、明公と王車騎おうしゃき(王彌、車騎は官名)が朝賀に来られないため、新主は半ば怒り、半ば怪しんでおられます」

 石勒はそれには答えずに問うた。

「新主は先帝に比べてどのようか」

「比ぶべくもありません。新主は荒淫をほしいままにして驕奢の心が表れております。諫言する者の多くは誅殺され、大宗正だいそうせい呼延晏こえんあん呼延攸こえんゆう侍中じちゅう劉乗りゅうじょう西昌王せいしょうおう劉鋭りゅうえいはいずれもすでに世を去りました。酒に酔って殺された無辜の者は数え切れず、勳旧の大臣宿将でさえ命が危うい有様です」

◆「大宗正」は『隋書ずいしょ百官志ひゃっかんしによると、宗室の籍や王国の改廃を管理する官とある。

 それを聞くと、石勒は嘆じて言う。

「新主がそれほど残忍であるならば、吾など一朝に罪を得て高祖こうそ劉邦りゅうほう)に仕えた韓信かんしん彭越ほうえつの如く誅戮されよう。半生の労苦も水の泡になる。平陽に朝賀に出向けようはずもない」

「吾らと新主は旧い交誼があり、理によれば平陽に入って先帝を拝し、新主の即位を慶賀せねばなりません。しかし、姻戚の呼延氏さえも誅殺されるとあれば、明公に仮借する理などございますまい。しばらくは外にあって様子見に徹し、新主の意に沿って事を奉じるのみです。ただ臣節を守って付け入る隙を与えないのが上策です。平陽に向かって屠られる鶏になるよりは、外にあって追い使われる方がまだしもでしょう」

 張賓の言葉に石勒が言う。

「それならば、さっさと襄國に引き上げて拠点を固めるのがよかろう」

「そうではありません。新主に猜疑されている以上、妄りに動いてはならぬのです。それに、明公が北の襄國に帰られれば、王飛豹おうひひょうが許昌や鄴を占領するだけです。ここは鄴に留まってまず王飛豹の軍勢を奪い、それから大事を行うべきでしょう。鄴は曹魏の旧都です。しばらくの拠点とするにも適しております」

 石勒は張賓の献策に嘆じて言う。

「軍師の御示教は故旧の名に恥じぬ。かつて吾が祖父(趙雲ちょううん)の秩爵は軍師の先公(張飛ちょうひ)の下にあり、吾の年齢は軍師より若い。実に家格にそぐわぬことではある」

「福運には軽重があり、年齢の上下や父祖の尊卑には関わりません。明公の天稟てんぴんが吾より秀でておられる。それだけのことです」

 石勒は張賓に謝すると、諸将を集めて言った。

「この鄴を根拠とするにも賢才が足りず、百姓を治められぬ。このままでは東に軍勢を出せば西を失って大業など成し遂げられず、後世に哂われるだけに終わろう」

 郭敬かくけいが進み出て言う。

「この地に先の東莱とうらい太守たいしゅ趙彭ちょうほうという者があることをご存知でしょうか。この人は忠実にして智に秀で、経世の才があるものの、官を捨てて山中に暮らしております。人を遣わして招聘し、政事を委ねるのが上策です」

 それを聞いた張賓が言う。

「趙彭の名は吾も聞き及ぶところ、ただ招聘して応じるかは分からぬ」

「試みに人を遣わして招請してみるのがよかろう」

 石勒の言葉に従い、趙彭の許に使者が遣わされた。


 ※


 趙彭は使者に見えると、石勒が郡太守であると知って涙を落とした。

「臣は晋室に仕えてその禄を食み、御恩を蒙った身でありながら、遠からず晋の宗廟が荒廃すると予見しておりました。これらはまさに天命、東に流れる黄河を西に向かわせるなど、所詮は人の及ぶところではないのです。明公は天命を受けるときにあり、麾下にあれば龍の鱗にじ、鳳凰の翼についたように天に昇れましょう。しかし、臣は滅び去る晋の遺臣であり、節を屈して明公に従っては不忠となります。先朝に不忠であった者を用いることなどできますまい。むしろ誅戮を乞うて明公が不忠をよみせぬと示すことが、臣の唯一の務めとなりましょう。万一、臣に余年を賜って一介の生命を終えることを許されるならば、民は明公の心に報いることを知りましょう。明公の御恩は世が変わっても忘れられますまい」

 石勒はその復命を聞くと、忠節を守りつつも懇切な言葉に嘆じて言った。

「吾はまさに大事をなさんとしておる。どうして威をもってこの人を従わせ、悪名を得ることができようか」

 徐光じょこうが進み出て言う。

「これまでのところ、人民は将軍に服するものの、衣冠の士で節を改めて従う者はありません。これは大義を挙げて進退されていないことによります。大義を挙げれば賢臣義士は挙って到りましょう。そこを将軍が漢の高祖の如く師事してやればよいのです。これらの者たちは商山しょうざんを下った四皓しこうのように礼遇されることを求めており、その名を称揚してやるのです。それでこそ、君臣は相和あいわして将軍は不世の高名を得られるでしょう。必ずしも彼らを官吏に登用して臣とせねばならぬわけではありません。それでは礼を欠いたも同然です。士大夫とはただ名声を与えるだけで喜んで従うものなのです」

▼「四皓」は『漢書かんじょ張陳王周傳ちょうちんおうしゅうでん第十の張良傳ちょうりょうでんによると、園公えんこう綺里季きりき夏黃公かこうこう甪里ろくり先生せんせいの四人を指し、商山しょうざんの四皓とも呼ばれる。劉邦に愛された戚夫人せきふじんが実子の趙王ちょうおう如意にょいを皇太子に立てんと企てた際、呂后りょごうは張良の計略に従ってこの四人を礼によって招き、皇太子である劉盈りゅうえいの師とした。これにより、劉邦も廃嫡に踏み切れなかったとされる。

「先生の言は大事を成す議論と言えよう」

 石勒はそう言って笑うと、綿帛めんはく布粟ふぞくを贈り物とし、老人を載せる安車あんしゃで趙彭を宅まで送り返した。また、その子の趙明ちょうめい従事参軍じゅうじさんぐんに任じた。

 これより、石勒が趙彭の臣節を全うさせたと近隣の士大夫は称賛したことであった。

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