第八十一回 石勒は苟晞を襲って仇に報ゆ

 晋の諸侯の動きを聞くと、石勒せきろく張賓ちょうひんに諮った。

苟晞こうきは勝算がなくては動かない。洛陽失陥に乗じて晋の主権を握るつもりであろう。石虎せきこは勇猛であっても年若く、行いが粗暴に過ぎる。郭敬かくけいは新たに兵馬を委ねたものの、大軍と向かい合った経験を欠く。吾が襄國じょうこくに戻れば苟晞を抑えきれまい。此処に留まって備えるよりなかろう」

「先んじれば人を制す、と申します。晋の諸侯が軍勢を会すれば、必ずや許昌きょしょうとこの三台さんだいを狙って参ります。吾らから軍勢を動かして苟晞の虚を突けば打ち破れます。季龍きりゅう(石虎、季龍は字)に孔萇こうちょう桃豹とうひょうを副えて五千の鉄騎を与え、先駆とするのがよろしいでしょう。張實ちょうじつ張敬ちょうけいに一万の軍勢を与えて遊軍とし、まずは苟晞の脚を止めるべきです。その上で本軍を進めれば、苟晞は逃れようもありません」

▼「三台」は原文では「ぎょう」とするが、前段より誤りと見て改めた。

 張賓の策を聞いた石勒が言う。

「苟晞は奸計が多く、放っておいては後難を招きかねぬ。それに彼奴は汲桑きゅうそうの仇である。一日も忘れた日はない。吾が軍師とともに行かねば、苟晞の首級は挙げられぬ」

 そう言うと、石勒は軍勢を率いて密かに三台を発した。


 ※


 この時、苟晞はすでに衰運にあった。

 汲桑を討ち取って東平とうへいから瑯琊ろうやに侵攻した漢兵を防いだ後、上表して東海王とうかいおう司馬越しばえつを死に追いやり、自らの勲功を誇って振舞いは傍若無人、意に沿わぬ者は斬刑に処するまでに至る。

 その行いは苛烈を極めて斬刑を事々に行うため、人々は陰で屠伯とはく綽名あだなした。

 かつて遼西の太守を務めた閻亨えんきょうという者がある。致仕ちしして家に退いていたが、苟晞が晋室の再起を期していると聞き及び、輔佐にあたるべく身を投じた。苟晞が峻厳に法を用いて刑戮をしばしば行い、兵民問わずみな怖れていると知り、閻亨は諌めて言う。

▼「致仕」は官職を返上して無官の身となることを言う

明公めいこう(苟晞)は乱世にあって国土の恢復に尽力しておられる。それならば、法を酷虐に用いられてはなりません。さもなくば、天下の人々は帰するところを失ってしまいましょう」

 すでに面を冒して諫言する者は誰もいない。苟晞は己の咎を言い立てられたと怒り、閻亨をも斬刑に処した。


 ※


 参謀を務める明預めいよは病を得て床についていたが、そのことを知ると病を推して官衙に出向いて言った。

▼「参謀」は原文では「従事参謀」となっているが、晋代にそのような官はない。

「閻亨の諫言は天下の公論であり、明公の幸徳です。どうして斬刑に処する必要がありましょうか」

 苟晞は怒って言う。

「一夫を殺したところで大事に障りなどあるはずもない。お前は病の身でありながら、わざわざ出向いて吾を掣肘するつもりか」

「明公は礼をもって吾を迎えられました。そのため、吾も礼によって尽力して参りました。今、明公は吾を怒られましたが、遠近の兵民も同じように明公に怒っておりましょう。かつて、桀王は天子の身でありながら驕り高ぶって滅び去りました。明公は天子ならぬ臣下の身でありながら、桀王と同じく驕り高ぶっておられる。どうして永らえられましょうか。願わくば、怒りを治めて吾の言をお聞き入れ下さい」

 明預の言葉も聞き入れられず、苟晞は兵士に明預を駕籠かごで家に送り届けさせた。これより、兵民の多くは苟晞を怨んで異心を生じ、兵は脱走して賊徒となる者が多く出た。


 ※


 石勒の軍勢が行き会うと、苟晞の許を逃れた賊徒の多くが降り、その内情を告げ報せる。

「必ずや苟晞の賊めを破れよう」

 石勒はそう言うと、軍勢の進攻を速める。先発している石虎もそれを知ると、敵に戦意なしと観た。兵士の甲冑を脱がせてそれらを輜重に積み、ひたすらに駆けて先を急ぐ。いよいよ倉坦そうたんから百里(約56km)ほどに近づいた。

 苟晞も石勒の軍勢が迫っていると知って軍勢を点検したものの、手元には二万の弱兵があるばかり。多くの精兵は苟晞の残忍を怖れ、近隣諸縣を守ると託してその許を離れていたのである。

 やむなく苟晞は二万の弱兵を率いて石勒の軍勢を防ごうとしたが、兵たちは不安がって口々に言った。

「夏総督(夏赤かせき)は高齢で戦に出られず高督護(高俊こうしゅん、督護は官名)しかおられぬが、敵陣を破る力はない。石勒に敵することなどできようか。急ぎ近隣の郡縣に出払った軍勢を呼び戻してから戦うべきではないか」

 高俊こうしゅんはそれを知ると言う。

「すでに軍令は下った。今さら違うことなど許されぬぞ」

「それならば、せめて主帥(苟晞)が自ら出馬して頂けるようお願いいたします。そうでなくては敵を破れません」

 兵たちはそう言って動かず、高俊は苟晞がある官衙に向かった。

「賊はすでに境を侵しつつある。それゆえ、お前たちを防ぎに遣わすのだ。吾には石勒を破る計略があるにも関わらず、お前は将に任じられて遅疑し、事を誤るつもりか」

 苟晞が怒ると、高俊が言う。

「兵たちは洛陽を陥れた漢賊を畏れております。そのため、明公が自ら出戦されることを望んでいるのです。それでこそ、兵の士気は上がって漢賊を退けられましょう」

「兵たちが畏れているわけではあるまい。お前が吾を軽んじているのだ。それゆえ、軍令を違えて遅疑し、兵にほしいままにさせているのであろう。大事を誤る罪は許せぬ。引き出して斬れ」

 苟晞がそう言うと、老将の夏赤も駆けつけて言う。

「賊が城に迫れば敵を防ぐ方策を議するべきです。戦う前に将を斬るのは不祥であり、士気を失います。まして、高俊の兄の高潤こうじゅんは明公の麾下で勲功を重ねました。願わくば、出戦前の刑戮はお慎み下さい」

「お前は高俊の姻戚であるがゆえに庇いだてをしているだけであろう。これ以上に言うならば、お前も諸共に斬刑に処する。さっさと退け」

 夏赤は苟晞の怒りを受けてもなお言い募る。

「今こそ人を用いねばならぬ時であるにも関わらず、徒に威を張ろうとされるか。その上、故旧の者を退けて輿望を損なうとは、これで人を用いることなどできましょうや」

 苟晞は机を叩いて叫ぶ。

「お前たちは一族で党与を結んで吾を阻むつもりか。お前たちを放っておいては大事などならぬわ」

 ついに夏赤と高俊を捕らえさせると、引き出してともに斬刑に処した。


 ※


 夏赤と高俊の刑戮を知り、将兵は騒いで軍令にも従わない。苟晞はその首魁となっている者を捜して同じく刑戮した。将兵はなお怖れて逃げ散り、軍勢は解体したも同然の有様となった。

 苟晞は内から変事が生じぬかと懼れ、兵を慰諭すると城壁に上げて守りに就かせた。

 副将の明珠が進言する。

「漢賊どもは長躯して此処に到っております。明公と吾が出戦してその一陣を破れば、敵の士気は失われましょう。それより籠城に入るのが上策です」

「日はすでに暮れかかっている。今夜は城に留まって様子を観るよりあるまい」

 苟晞はそう言って策を容れなかった。

 黄昏の頃に石虎の軍勢が城下に現れた。その軍勢が五千に過ぎないと知ると、苟晞は悔いて言う。

「前駆がこれほどの寡兵であるならば、明珠の策を用いたものを。この一陣を破らねば自ら大計を失うようなものだ」

 そう言うと、出戦の準備を命じる。そこに、石虎の後につづく張實と張敬の軍勢も到着したため、苟晞は出戦を中止した。

 夜半には石勒が率いる本軍も到着し、倉坦の城門を前に陣を布いた。


 ※


 報告を受けた苟晞は城壁を巡って漢陣の様子を窺い、あわせて懈怠している兵を鞭で打ち殺した。その夜のうちに城上から下りて石勒に投じる者が多数出た。

 石勒は城門前の諸陣に命じ、降る兵は賞して民には食糧を与えるよう伝える。降った兵民は大いに喜び、城から逃れ出る者が続出し、親が子を呼び子が親を呼ぶ声が絶え間なく響いた。

 苟晞は明珠に言う。

「兵は軍令に従わず、民心はすでに変じた。どうすべきであろうか」

「まずは此処から他郡に逃れて再起を帰すべきかと考えます」

 明珠の言をれ、苟晞は親信や家眷を集めて府庫の銭穀を車に積ませた。官衙から城門に向かう道すがら、明預の姿を見て苟晞が言う。

「卿の言を聞かず、このような事態に陥ってしまった」

「吾だけが知っていたのではありません。人々は等しく、明公に今日の禍があると知っておりました」

「それならば、なぜ誰も言わなかったのか」

「閻亨は諫言して刑戮され、吾は御恩により罪を得たに過ぎませんが、夏赤もまた言を勧めて誅殺されました。それを知って諫言する者などおりますまい」

 その言葉を聞くと、苟晞はすすり泣くだけであった。

「吾は病の身、明公とともに漢賊とは戦えません。しかし、明公の恩は深い。甥の明珠を同行させましょう。まずは他郡に逃れて再起を図られよ」

 苟晞は城門に向かうまでに三度も振り返り、涙を流した。それより夜陰に乗じて南門から逃れ出た。


 ※


 苟晞の動きは民の知るところとなっており、一人の百姓が走って張賓に報せた。張賓は石勒に言う。

「苟晞は晋の驍将であり、智謀に優れて尋常の将ではありません。酷虐なるがゆえに兵民の心を失ったがため、吾らは労せずして此処まで軍勢を進められました。城を逃れた苟晞は必ずや復讐のために再起を期するでしょう。関中や江南に行かれては厄介なことになります。すみやかに追って討ち取り、後患を除くべきです」

 石勒はすぐさま石虎、刁膺ちょうよう、孔萇、桃豹を召し出すと、南北の二路を防ぐべく遣わした。さらに一軍を発してその後詰とする。

「昼夜を分かたず後を追い、苟晞を擒とするまで軍勢の脚を止めるな」

 命を受けた四将は飛ぶように軍営を発して一夜に百五十里(約84km)を駆け抜けた。


 ※


 翌日、孔萇と桃豹は平郷へいきょうで苟晞の軍勢に追いついた。漢兵の姿を見ると麾下の兵は慌てて逃げ散る。

 明珠は独り踏み止まって漢兵を支え、苟晞が逃げる時間を稼ぐ。その明珠も孔萇に討ち取られると、苟晞は大哭すると家眷や銭穀を捨てて逃げ奔った。

 桃豹が苟晞を追い求めてもその姿はなく、苟晞はその間に一里ほど先まで逃れていた。

 苟晞の乗る良馬であれば容易く逃げ去れるところであったにも関わらず、鞭を加えても手綱を牽いても遅々として進まない。馬が倒れたために下りて見てみれば、髪を振り乱した無数の冤鬼が馬の脚に取りついている。苟晞の姿を見るとその顔から血が噴出した。

 苟晞は馬を捨てて間道に逃れたものの、背後には孔萇が迫っている。追いつかれて戦うこと数合、周囲を十重二十重と漢兵に囲まれた。さすがの苟晞もなす術もなく擒とされる。

 孔萇は桃豹に苟晞の家眷と輜重を集めさせ、一同して倉坦の城に引き返す。後詰の呉豫ごよも追いつき、ともに城に入った。


 ※


 城内に入れば、苟晞は石勒の前に引き立てられた。

 石勒は苟晞を降らせようとしたものの、苟晞は一言も応じない。怒った石勒は鎖で戒めると一昼夜の間、飲食を与えなかった。翌日、再び降るか否かを問いかける。

 苟晞は豫章王よしょうおう司馬端しばたんが石勒の傍らにあるのを見ると、意を枉げて石勒に降った。

 石勒は苟晞を司馬に任じたものの、二十日ほどが過ぎた頃、苟晞は厩から馬を盗んで逃げ去った。兵たちはその跡を追い、捕らえて再び石勒の前に引き立てる。

「お前は兗州えんしゅうの刺史となり、また青州せいしゅうの刺史となり、公師藩を破って鄴に鎮守し、青徐兗豫六郡諸軍事の官を許されながら、洛陽の失陥に際して救援にも向かわなかった。また、臣下の身でありながら、東海王を死に追いやって擅いままに河南の地を奪い、君主を奉じずして大臣を誅殺し、兵民を虐殺して一日として人を殺さぬ日がなかった。これはどういう料簡であるか。国が破れても節を貫けず、家が滅びても義を守れず、それでもその才を惜しんで職を授ければ、馬を盗んで逃げ去ろうとする。どのように遇されたいというのか」

 石勒の問いに苟晞は答えない。

 石勒はついに兵士に命じてその首を斬らせ、首級を棹に懸けて屍は市に晒した。その一族十数名も合わせて誅殺し、残酷の報いを明かにしたことであった。

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