二十四章 残火燃ゆ

第八十回 石勒は三台の城を奪い取る

 石勒せきろくは陥落した洛陽らくようから許昌きょしょうに移った。率いる軍勢は二十万を超えており、いつまでも許昌に留まってはいられない。すぐさま河北を目指し、軍勢はぎょうの近郊にある三台さんだいに向かう。

▼「許昌」は洛陽の南東にあたり、黄河から遠ざかることとなる。河北に向かうならば洛陽から北に黄河を渡るのが定石である。

 三台を守る劉演りゅうえんは先に洛陽の囲みを解いた劉曜りゅうようと石勒の軍勢に囲まれ、叔父の劉琨りゅうこんに救援を求めた。しかし、劉琨は石勒の精強を知って逡巡した。

 それより前に石勒が襄國じょうこくを攻めた折、遼西りょうせい鮮卑せんぴ段末杯だんまつかいが救援の軍勢を送り、石勒は不意を突かれて一敗を喫した。

 その混乱の中、石勒の養子の季童きどうと養母である石老夫人をはじめとする十数名が晋軍に擒えられた。季童は十一歳、石老夫人は八十九歳という高齢である。劉琨はそれらの者たちを并州へいしゅうに連れ帰って監視下に置いていた。

 劉曜と石勒に囲まれた三台からの使者を迎えると、劉琨の参謀を務める張儒ちょうじゅは石老夫人と季童を石勒に返して和議を結ぶ策を案じ、彼らとともに三台に向かった。

 三台に着いた頃、漢軍は洛陽に軍勢を返していたが、漢軍の再来を予期していた劉演は張儒の一行を留めた。このような経緯があり、石勒が再び三台に軍勢を進めていると聞くと、和議を結ぶべく劉演は張儒を石勒の許に遣わした。


 ※


 張儒は季童と石老夫人を伴って石勒に見え、劉琨の書状を呈する。その書状には次のように記されていた。


 将軍は河朔かさく(北方を言う)より軍勢を発して河南かなん兗州えんしゅう豫州よしゅう席捲せっけんし、長江ちょうこう淮水わいすいにまで到って軍馬に水を飲ませ、漢水かんすい沿岸の南陽なんよう襄陽じょうようを震わせられた。

 古の名将たちでも及ばぬ壮挙である。

 しかしながら、城を攻めても城内の人を得られず、郡縣を掠めてその地を維持できていない理由を将軍はご存知だろうか。

 思うに、栄光を得るか恥辱に沈むかは誰を主と仰ぐかにより、大事の成敗は義に付くか不義に付くかにより、それぞれ定まるものなのだろう。主に人を得れば義兵となり、不義に付けば叛兵となる。

 義兵は敗北を重ねても最後に大事を成し遂げ、叛兵は僥倖ぎょうこうを得てもついに殲滅されるものだ。

 かつて、赤眉せきび(前漢末の叛徒)や黄巾こうきん(後漢末の叛徒)は天下を覆うほどの勢いを得たが、一朝に覆った。それは、名分なくして兵を挙げて徒に世を乱しただけであったためであろう。

 将軍は天与の才を得てその威は遠近に知れ渡っておられる。

 さらに有徳者を主と仰いで世人の望みに従い、その勲功を人々に仰ぎ見られて永く富貴を保つのも、また歴史上の美名となるのではないか。

 愚見によれば、劉聰りゅうそうを捨てれば禍は除かれ、大晋に帰すれば福徳が得られると考えている。

 赤眉や黄巾の如き前例を見て翻然とその意を改められれば、天下さえ容易く平定できる。各地の賊徒は瞬く間に一掃され、偉業はすみやかに樹立されるだろう。

 今、朝廷の詔により侍中じちゅう持節じせつ大将軍だいしょうぐんの官を授け、匈奴の支配を委ねる。

 また、襄陽公じょうようこうの爵位を与えてその勲功を顕かにし、内外の任務を委ねて匈奴の支配を任せる。

 将軍はこの爵位を謹んで受けられよ。

 吾が誠意を表すために張儒を遣わして謁見を求めるものであり、任官封爵を嘉納して頂ければ幸甚である。

 

 書状を読み終わった石勒は短い返書を認めた。


 功業は時により為すべきことが違い、それは頑迷な儒者などでは計り知れぬものである。

 君は本朝のために堅く節を守られるがよい。

 吾は夷俗に親しんだ身であるため、晋の役には立たないであろう。


 その書状のほかに名馬や宝物を整えると、礼を尽くして張儒を并州に送り返す。書状は劉琨との絶交を意図したものではあったが、石勒は約を守って三台への侵攻を中止した。


 ※


 石勒の許に帰った時、石老夫人は九十二歳、季童は十四歳になっていた。季童は石虎せきこより二歳の年少であったが膂力りょりょくに優れ、組み打ちをすると勝負がつかない。

 石虎は匈奴の中で育ったためか、性格が凶暴で戦となれば殺戮に躊躇などせず、五石ごこく(約286kg)の弓を軽々と引く。狩猟が好きで毎日のように山野に出かけ、弾丸弓(木に革紐を張って石礫を飛ばす兵器)を遣って民や兵を撃ち殺すことがつづいた。

 その行いを知らされ、石勒は石虎を養育していた石老夫人言う。

「石虎は幼い頃から母上に愛されて育ち、厳しい教誨をしつけられませんでした。成長した今になってみれば、無辜の者を戯れに撃ち殺すような者に育ち、いずれは一族に害をなすでしょう。見過ごすわけにはいきません。これまでは母上のお気持ちを思って見逃して参りましたが、これより石虎を除きます」

「石虎は膂力が強く、さらに志も堅いようです。力の強い牛は子牛の頃によく車を壊して鋤を破るといいますが、農事に使えば他のものより役に立つものです。中原の平定を志すのであれば、石虎を留めて征討の任を任せるがよい」

 石老夫人はそう言って止め、石勒もそれに従うこととした。


 ※


 石勒は季童と石老夫人を取り戻し、三台への侵攻を取り止めた。それを知ると石虎がいぶかしんで言う。

「父上は天下を経略して中原を平定されようとお考えであるにも関わらず、小さな恩恵を重んじて大計を台無しにされるのですか。願わくは、吾が軍勢を率いて三台を陥れ、初陣の功績を顕したいと存じます」

「母と子が他人より恩恵を受け、その大恩に背くことなど許されようか」

 石勒はそう言って石虎の望みを一蹴したものの、季童もまた言う。

「劉琨は吾らの命を奪いませんでしたが、それは老幼の者であったがために過ぎません。また、鮮卑との戦では夫人を捕らえて囮とし、吾らを降らせたのです。恩徳など施されておりません。さらに、吾らが三台を攻めようとしていると知り、やむを得ず擒を返して軍勢を退けるよう求めたのですから、その本心は恩を施そうというものではありません。先に父上が三台から軍勢を返して洛陽を攻めたと知り、再び三台が攻められると考えて吾らを留めていたのですから、吾らを俘虜として扱ったに過ぎません。大兄が三台攻めを願われるのであれば、吾もそれに加わりたいと存じます」

 石勒は二人の子の意見を聞くと、張賓ちょうひんを召して言う。

「三台の攻略を中止しようと思っていたが、この者たちは中止すべきではないと言う。孟孫もうそん(張賓、孟孫は字)はどのように考えるか」

「小節に拘っては大事はなせません。二子の言われるとおり、仁心に思うところがあったとしても、大事をなす者は拘泥しません」

 石勒はそれを聞いて言う。

「たとえそうであっても、この二人は官職も軍号も許されておらず、軍勢を御せまい。軍号を許して三台を攻めさせてみるか。昔、吾と汲民徳きゅうみんとく汲桑きゅうそう、民徳は字)が上党じょとうの石家で働いていた頃、石公(石莧せきけん、石勒の養父)は夢に虎を見て吾らを養子に迎えられた。石虎は夢に虎を見た後に得たので名づけた。思うに、この子らの助力により吾も功業を建てられるということであろう。季童が帰ってくる前にも吾は虎の夢を見た。ぜん姓の季童にも石姓を継がせようかと思っておったが、この機に趙姓を許す。名も虎と改めるがいい。この二虎を左右の先鋒として三台を陥れよ」

 張賓が諌めて言う。

「趙姓を許してはなりません。明公は石姓を得て天下に名を知られました。また、一家の養子でありながら別の姓を与えた例はありません。今後、趙姓は秘して覇業を建てられた際の国号とされればよく、その時には国号に姓を合わせて趙姓に戻されればよいのです。決して本姓を失うことにはなりますまい」

 石勒は諫言を納れ、季童にも石姓を許した。季童は名をびんといい、これより石閔せきびんを名乗る。

 石虎は行軍こうぐん招討しょうとう振威しんい先鋒せんぽうに、石閔は行軍こうぐん都尉といに任じられ、李惲りうん呉豫ごよを副将とする五万の軍勢で三台に向かった。

▼「李惲」は原文では「李悍りかん」とするが、後段より誤りと見て改めた。


 ※


 劉演は石虎の軍勢が境を侵したと知り、軍勢を発して出戦する。

 両軍が平野に対陣すると、石虎は大刀を抜いて陣頭に出た。その容貌は魁偉で獰猛な気を放つ。それでも劉演はまだ年若いと知り、打って出た。石虎も大刀を振るって斬りとめ、十合ほども戦うとその力量の差が歴然と現れる。劉演は逃げ奔って城に引き籠った。

 この城はかつて成都王せいとおう司馬穎しばえいが十八路諸侯を会した地であり、城郭は堅固を極める。城を囲んだ石虎が五日にわたって攻めつづけても小揺るぎもしない。

 怒った石虎は将兵を罵って言う。

「如何に堅く守ろうとも、敵陣を微塵に打ち砕いてくれよう。城を陥れた暁には兵民を選ばず皆殺しにして寸草も残さぬ」

◆石勒の発言の前文は「軍坯を万段とせん、常の守りの堅きことを要すべし」が原文であるが、解しがたい。それらしい訳としておいた。

 それを聞いたある者が石勒に報せた。石勒は自ら来たって軍監となり、石虎が殺戮を恣にせぬよう禁じる。

 劉演は石勒も加わったと知り、三台を守り抜けぬと観ると、麾下の潘良はんりょう郎牧ろうぼくとともに府庫の銭穀を掻き集め、家眷とともに廩丘りんきゅうの城に逃れ去った。

 三台の副将を務める謝胥しゃしょは石虎の残酷を懼れ、石勒の軍勢に投降した。石勒がそのことを石虎に報せると、石虎は怒って叫ぶ。

「賊徒どもめが。城下にある吾らに降らず、後軍に降るとは吾らを欺くつもりか」

 石閔と呉豫に城内の兵民の安撫を命じると、自らは李惲とともに石勒の軍営に向かう。

「漢人は狡猾で詐略が多く、その心底は分かりません。軍中で変事を起こされては劣勢になりかねません。謝胥を斬ってその軍勢は穴埋めにし、始安王しあんおう(劉曜)が坦延たんえんに裏切られた轍を踏んではなりません」

「すでに謝胥の投降を受け入れた。食言して吾らに降る者を絶ってはならぬ」

 石勒がそう言っても石虎はなおも抗弁して言う。

「吾らが城を囲んで五日、謝胥は投降しませんでした。今は窮してやむなく降ったに過ぎません。本意ではなく、父上を謀ろうとしているのです。近づくためにわざわざその軍営を選んで降ったに違いありません。必ずや変事を起こしましょう。殺すのが上策です」

 石虎が己の意見に固執し、石勒は怒りを発して罪しようとした。傍らにある孔萇こうちょうが言う。

「公子は初陣で三台を陥れる軍功を挙げられました。その意見を容れて謝胥を斬り、将兵を許すのがよいでしょう」

 石勒はやむなくその意見に従い、謝胥が主に背いた不忠を責めて斬刑に処するよう命じる。それを見た石虎は投降した晋兵たちを連行して穴埋めにしようとした。


 ※


 石勒は石虎の蛮行を知ると、趙染ちょうせん、孔萇とともに馬を拍って馳せ向かい、止めようとする。ちょうど石虎は兵士に命じて穴を掘らせており、石勒の姿を見ると迎えに出た。

 捕虜となった晋軍の中に副将らしき将があり、趙染を見て叫んだ。

「趙将軍、吾らの命をお救い下さい」

 石勒はその者を見ると、趙染とともに近づく。よくよく見れば、かつて石勒と汲桑を逗留させた郭胡かくこの家人、郭季かくりの子の郭敬かくけいであった。

 趙染と石勒の二人は馬から下りるとその手を執って言う。

「吾らは人を遣わしてあなた方を捜したものの、ついに探しあてられませんでした。それからも捜しつづけて見つからず、今日この場でお会いできるとは夢にも思っておりませんでした。大恩人であるあなたの恩徳に従い、この数千の人命はすべて救われましょう」

 そう言うと、石勒は穴を掘る兵士たちを叱りつけて退けた。さらに石虎を呼んで言う。

「お前が大志を懐いているなら、小さい怒りに囚われるな。この方は吾ら兄弟にとっての大恩人、晋の兵士たちはすべて放免せよ」

 謝胥の僚属たちが斬られていることもあり、石虎は不承不承に晋兵たちを解放した。

「父上が自ら馬を下りて手を執られるとは。この方は何者ですか」

「お前たちは知るまいが、吾はもともと趙氏を名乗り、それは蜀漢の五虎将軍、趙子龍ちょうしりゅう趙雲ちょううん、子龍は字)の孫にあたる。かつて鄧艾とうがいが蜀に攻め入った折、お前の伯父たちと吾の十人は成都から逃れ出た。その道中は難儀を極めて食事にも事欠く有様、この方たちは吾らを数か月に渡って匿い、衣食を施すだけに留まらず、酒泉しゅせんに向かう吾らを晋人から庇ってくれたのだ。その後、吾と汲桑は黒莽坂こくもうはんで夔安と曹嶷に襲われて伯父たちと互いを失い、吾らは引き返してさらに半年に渡って世話になった。この頃、晋は各地に人を遣わして蜀漢の遺臣を厳しく取り締まった。吾らはそれより上党に向かって石大夫せきたいふと出遭い、大夫は吾の人相を観て養子に迎えられたのだ。この時、吾は姓を石と改めた。この人はまさに吾が恩人なのだ」

 石虎はそれを聞くと、郭敬とともに三台の城に入り、衣冠を改めて宴席で年少者としての礼を尽くした。

 石勒は郭敬を上将軍に任じて三台の軍勢を委ね、父の郭季を迎えてともに暮らすよう勧める。

「父母はすでに世を去りました。兵乱に遭って兄弟とも離れ、流離してこのような身になってしまいました。弟もどこにいるのか分かりません」

 石勒はそれを知り、故人たちを深く悼んだ。


 ※


 ついで、石勒は石虎たちとともに許昌に軍勢を返し、石虎に近隣の郡縣の攻略を命じた。石虎は向かうところ敵なく、瞬く間に平定していく。

 それを見た石勒は、石虎に許昌の鎮守を委ねて三台の郭敬と連繋するよう命じ、自らは軍勢を率いて襄國への引き上げにかかる。そこに斥候が駆け込んできた。

倉坦そうたんの守将である苟晞が許昌、洛陽、三台の失陥を知り、豫章王の司馬端を晋主に奉じました。長安にある南陽王なんようおう、江東の瑯琊王ろうやおうと軍勢を合わせんと図っている模様です。また、荀下じゅんか閻鼎えんてい王浚おうしゅん劉琨りゅうこん王敦おうとん李矩りく張軌ちょうきなど各地の刺史、郡守に檄文を発し、日ならず三台、許昌、洛陽に攻め込んで参りましょう」

 石勒は馬を下りると、軍議を開くべく許昌の官衙に入ったことであった。

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