二十四章 残火燃ゆ
第八十回 石勒は三台の城を奪い取る
▼「許昌」は洛陽の南東にあたり、黄河から遠ざかることとなる。河北に向かうならば洛陽から北に黄河を渡るのが定石である。
三台を守る
それより前に石勒が
その混乱の中、石勒の養子の
劉曜と石勒に囲まれた三台からの使者を迎えると、劉琨の参謀を務める
三台に着いた頃、漢軍は洛陽に軍勢を返していたが、漢軍の再来を予期していた劉演は張儒の一行を留めた。このような経緯があり、石勒が再び三台に軍勢を進めていると聞くと、和議を結ぶべく劉演は張儒を石勒の許に遣わした。
※
張儒は季童と石老夫人を伴って石勒に見え、劉琨の書状を呈する。その書状には次のように記されていた。
将軍は
古の名将たちでも及ばぬ壮挙である。
しかしながら、城を攻めても城内の人を得られず、郡縣を掠めてその地を維持できていない理由を将軍はご存知だろうか。
思うに、栄光を得るか恥辱に沈むかは誰を主と仰ぐかにより、大事の成敗は義に付くか不義に付くかにより、それぞれ定まるものなのだろう。主に人を得れば義兵となり、不義に付けば叛兵となる。
義兵は敗北を重ねても最後に大事を成し遂げ、叛兵は
かつて、
将軍は天与の才を得てその威は遠近に知れ渡っておられる。
さらに有徳者を主と仰いで世人の望みに従い、その勲功を人々に仰ぎ見られて永く富貴を保つのも、また歴史上の美名となるのではないか。
愚見によれば、
赤眉や黄巾の如き前例を見て翻然とその意を改められれば、天下さえ容易く平定できる。各地の賊徒は瞬く間に一掃され、偉業はすみやかに樹立されるだろう。
今、朝廷の詔により
また、
将軍はこの爵位を謹んで受けられよ。
吾が誠意を表すために張儒を遣わして謁見を求めるものであり、任官封爵を嘉納して頂ければ幸甚である。
書状を読み終わった石勒は短い返書を認めた。
功業は時により為すべきことが違い、それは頑迷な儒者などでは計り知れぬものである。
君は本朝のために堅く節を守られるがよい。
吾は夷俗に親しんだ身であるため、晋の役には立たないであろう。
その書状のほかに名馬や宝物を整えると、礼を尽くして張儒を并州に送り返す。書状は劉琨との絶交を意図したものではあったが、石勒は約を守って三台への侵攻を中止した。
※
石勒の許に帰った時、石老夫人は九十二歳、季童は十四歳になっていた。季童は
石虎は匈奴の中で育ったためか、性格が凶暴で戦となれば殺戮に躊躇などせず、
その行いを知らされ、石勒は石虎を養育していた石老夫人言う。
「石虎は幼い頃から母上に愛されて育ち、厳しい教誨をしつけられませんでした。成長した今になってみれば、無辜の者を戯れに撃ち殺すような者に育ち、いずれは一族に害をなすでしょう。見過ごすわけにはいきません。これまでは母上のお気持ちを思って見逃して参りましたが、これより石虎を除きます」
「石虎は膂力が強く、さらに志も堅いようです。力の強い牛は子牛の頃によく車を壊して鋤を破るといいますが、農事に使えば他のものより役に立つものです。中原の平定を志すのであれば、石虎を留めて征討の任を任せるがよい」
石老夫人はそう言って止め、石勒もそれに従うこととした。
※
石勒は季童と石老夫人を取り戻し、三台への侵攻を取り止めた。それを知ると石虎が
「父上は天下を経略して中原を平定されようとお考えであるにも関わらず、小さな恩恵を重んじて大計を台無しにされるのですか。願わくは、吾が軍勢を率いて三台を陥れ、初陣の功績を顕したいと存じます」
「母と子が他人より恩恵を受け、その大恩に背くことなど許されようか」
石勒はそう言って石虎の望みを一蹴したものの、季童もまた言う。
「劉琨は吾らの命を奪いませんでしたが、それは老幼の者であったがために過ぎません。また、鮮卑との戦では夫人を捕らえて囮とし、吾らを降らせたのです。恩徳など施されておりません。さらに、吾らが三台を攻めようとしていると知り、やむを得ず擒を返して軍勢を退けるよう求めたのですから、その本心は恩を施そうというものではありません。先に父上が三台から軍勢を返して洛陽を攻めたと知り、再び三台が攻められると考えて吾らを留めていたのですから、吾らを俘虜として扱ったに過ぎません。大兄が三台攻めを願われるのであれば、吾もそれに加わりたいと存じます」
石勒は二人の子の意見を聞くと、
「三台の攻略を中止しようと思っていたが、この者たちは中止すべきではないと言う。
「小節に拘っては大事はなせません。二子の言われるとおり、仁心に思うところがあったとしても、大事をなす者は拘泥しません」
石勒はそれを聞いて言う。
「たとえそうであっても、この二人は官職も軍号も許されておらず、軍勢を御せまい。軍号を許して三台を攻めさせてみるか。昔、吾と
張賓が諌めて言う。
「趙姓を許してはなりません。明公は石姓を得て天下に名を知られました。また、一家の養子でありながら別の姓を与えた例はありません。今後、趙姓は秘して覇業を建てられた際の国号とされればよく、その時には国号に姓を合わせて趙姓に戻されればよいのです。決して本姓を失うことにはなりますまい」
石勒は諫言を納れ、季童にも石姓を許した。季童は名を
石虎は
▼「李惲」は原文では「
※
劉演は石虎の軍勢が境を侵したと知り、軍勢を発して出戦する。
両軍が平野に対陣すると、石虎は大刀を抜いて陣頭に出た。その容貌は魁偉で獰猛な気を放つ。それでも劉演はまだ年若いと知り、打って出た。石虎も大刀を振るって斬りとめ、十合ほども戦うとその力量の差が歴然と現れる。劉演は逃げ奔って城に引き籠った。
この城はかつて
怒った石虎は将兵を罵って言う。
「如何に堅く守ろうとも、敵陣を微塵に打ち砕いてくれよう。城を陥れた暁には兵民を選ばず皆殺しにして寸草も残さぬ」
◆石勒の発言の前文は「軍坯を万段とせん、常の守りの堅きことを要すべし」が原文であるが、解しがたい。それらしい訳としておいた。
それを聞いたある者が石勒に報せた。石勒は自ら来たって軍監となり、石虎が殺戮を恣にせぬよう禁じる。
劉演は石勒も加わったと知り、三台を守り抜けぬと観ると、麾下の
三台の副将を務める
「賊徒どもめが。城下にある吾らに降らず、後軍に降るとは吾らを欺くつもりか」
石閔と呉豫に城内の兵民の安撫を命じると、自らは李惲とともに石勒の軍営に向かう。
「漢人は狡猾で詐略が多く、その心底は分かりません。軍中で変事を起こされては劣勢になりかねません。謝胥を斬ってその軍勢は穴埋めにし、
「すでに謝胥の投降を受け入れた。食言して吾らに降る者を絶ってはならぬ」
石勒がそう言っても石虎はなおも抗弁して言う。
「吾らが城を囲んで五日、謝胥は投降しませんでした。今は窮してやむなく降ったに過ぎません。本意ではなく、父上を謀ろうとしているのです。近づくためにわざわざその軍営を選んで降ったに違いありません。必ずや変事を起こしましょう。殺すのが上策です」
石虎が己の意見に固執し、石勒は怒りを発して罪しようとした。傍らにある
「公子は初陣で三台を陥れる軍功を挙げられました。その意見を容れて謝胥を斬り、将兵を許すのがよいでしょう」
石勒はやむなくその意見に従い、謝胥が主に背いた不忠を責めて斬刑に処するよう命じる。それを見た石虎は投降した晋兵たちを連行して穴埋めにしようとした。
※
石勒は石虎の蛮行を知ると、
捕虜となった晋軍の中に副将らしき将があり、趙染を見て叫んだ。
「趙将軍、吾らの命をお救い下さい」
石勒はその者を見ると、趙染とともに近づく。よくよく見れば、かつて石勒と汲桑を逗留させた
趙染と石勒の二人は馬から下りるとその手を執って言う。
「吾らは人を遣わしてあなた方を捜したものの、ついに探しあてられませんでした。それからも捜しつづけて見つからず、今日この場でお会いできるとは夢にも思っておりませんでした。大恩人であるあなたの恩徳に従い、この数千の人命はすべて救われましょう」
そう言うと、石勒は穴を掘る兵士たちを叱りつけて退けた。さらに石虎を呼んで言う。
「お前が大志を懐いているなら、小さい怒りに囚われるな。この方は吾ら兄弟にとっての大恩人、晋の兵士たちはすべて放免せよ」
謝胥の僚属たちが斬られていることもあり、石虎は不承不承に晋兵たちを解放した。
「父上が自ら馬を下りて手を執られるとは。この方は何者ですか」
「お前たちは知るまいが、吾はもともと趙氏を名乗り、それは蜀漢の五虎将軍、
石虎はそれを聞くと、郭敬とともに三台の城に入り、衣冠を改めて宴席で年少者としての礼を尽くした。
石勒は郭敬を上将軍に任じて三台の軍勢を委ね、父の郭季を迎えてともに暮らすよう勧める。
「父母はすでに世を去りました。兵乱に遭って兄弟とも離れ、流離してこのような身になってしまいました。弟もどこにいるのか分かりません」
石勒はそれを知り、故人たちを深く悼んだ。
※
ついで、石勒は石虎たちとともに許昌に軍勢を返し、石虎に近隣の郡縣の攻略を命じた。石虎は向かうところ敵なく、瞬く間に平定していく。
それを見た石勒は、石虎に許昌の鎮守を委ねて三台の郭敬と連繋するよう命じ、自らは軍勢を率いて襄國への引き上げにかかる。そこに斥候が駆け込んできた。
「
石勒は馬を下りると、軍議を開くべく許昌の官衙に入ったことであった。
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