第七十九回 大漢高宗皇帝劉淵は崩御す
◆「陽城」は『
司馬業は齢十二歳、
途中、食が乏しくなり、
「
◆「密縣」は司州の滎陽郡に含まれる。
荀藩と荀組はその勧めに従い、司馬業とともに密縣に向かう。二人を迎えた閻鼎はその志に同じ、荀藩とともに
◆「行臺」は国都にある
さらに、
この時、太子の
苟晞は司馬端を太子に奉じて自らも行臺を置き、同じく敗卒を集めて洛陽奪回を企てた。
※
漢の太子の
出征した
亡国の怨みに報いた劉淵は、それより酒食に荒んで荒淫をつづける。ついに病を得ると病勢は日に日に重くなるばかり、明日をも知れぬ重態に陥った。
太子の劉聰、
「朕と卿らは数え切れぬほどの艱難を経てきた。心を合わせて力を尽くし、大漢の旧業を復して亡国の怨みに報いたものの、卿らの大功に何も報いられておらぬ。朕の病はすでに重く、卿らとともに安逸を楽しめぬ。おそらくは二度と起ち上がれまい。卿らの齢は晩年にさしかかり、老成している。長年の好誼を思って太子を輔け、国家を安寧ならしめよ。晋はまだ滅んでおらぬ。必ずや恢復を図るであろう。油断してはならぬ。一度劣勢に追い込まれれば、一族は殲滅されるであろう」
さらに、劉聰を見て言う。
「朕の観るところ、
そう言うと、劉淵は息を引き取った。群臣は地に伏して哭すると、順次に退いていく。
※
翌日、陳元達たちは劉聰を大漢皇帝に即位させ、年号を
関防は老齢の上に艱難を共にした
「吾が祖父は
その夜、関防はかつての
※
新たに漢主となった劉聰は関防の死を知ると喪に服し、三日に渡って政事を執らなかった。関防は
漢主は関防の時と同じく自ら葬儀に臨んで哀を尽くした。関謹は忠順王と諡され、関防とともに劉淵の陵墓の傍らに葬られ、その子の
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