応援コメント

第七十九回 大漢高宗皇帝劉淵は崩御す」への応援コメント

  • ついに主人公である劉淵が死にましたな。史実では洛陽陥落前に死んでいますが、花道を飾らせた上で王朝が衰退する原因として、最後の老害を描きたかったのでしょうね。当初の三国志平話にある話しはここで終わりでもいいでしょう。これまでは色々と不穏なところはありましたが、一応は蜀漢の遺臣は漢の再興に向けて戦っていましたが、これからは、史実を元にした酉陽野史のオリジナルとなり、完全群像劇の中、それぞれの思惑で戦うことになりますね。

    劉淵の発言をみるに、劉淵は石勒と曹嶷は警戒しているが、張賓とおそらく王彌は信用しているようです。残念ながら、二人とも劉淵死後に向けて動いています。劉聰や劉曜とうまくやっていく気がない彼らは、漢を再興する気持ちとは別に、劉淵の思惑とは違うところにいます。ただ、漢を滅ぼす可能性があるのは、この石勒と曹嶷と見ていること自体は当たっているのかもしれません。

    関兄弟は王彌とともに、劉淵の仲間になるのは一番遅かったのですが、一番、忠臣らしく祖父が果たせなかった夢を果たしました。やはり、関羽の子孫、特に関防は優遇されていますね。ただ、関謹と関河は戦場で見せた武勇以外存在感が薄かったので、どちらか片方、あるいは両方とも必要なく、関防・関山・関心のエピソードに集中した方がよかったと感じます。字で呼ぶと、誰が誰か分からないし。

    作者からの返信

    こんばんは。

    〉劉淵

    263年の蜀漢滅亡から311年の洛陽失陥まで実に48年、漢を束ねてきた支柱が折れた感があります。

    実際には前年の8月に崩御、まあまあまあ。

    おっしゃる通り、この劉淵の死を契機に物語は晋漢の戦いから、それぞれが別の思惑を抱えつつ、晋と漢それぞれに緩やかに属する乱世に入ります。

    ちょっとワクワク感もありだったりします。不謹慎ではありますが。


    〉石勒と曹嶷

    外にあって大軍を率いる二人が警戒されるのは、当然のことではありますね。王彌は信用されていたというより、軍の独立性がイマイチだったように見えました。劉曜麾下の一軍、というイメージでして。

    漢からの離反も劉曜との感情的なもつれが原因なので、天下に大志を持っていたわけでもなさげですし。石勒のかませ犬にせざるを得ないわけなので、仕方なかったのかなあ。


    〉関兄弟

    多すぎましたよね。
    関防と関謹に関山、関河、関心ですから。しかも字はすべて継〜なんで、誰だか調べないと分からない仕様です。

    王彌や姜發、姜飛兄弟との逃避行は面白かったんですけどね。水滸伝チックで。たしかに、関謹と関河はいらなかったかも知れませんねー。

    話が散らばって印象が薄くなったのは確かです。残念。