第七十七回 張騏兄弟は漢将に殺さる
▼「汝潁」は洛陽から東南の方向にある
徐邈は漢主の
王邇たちは
▼「廣陽門」の位置は以下の概念図の通り。
┏━━□━━━○━━━□━━┓
┃ 大夏門 宣武観 穀門 ┃
□閶闔門 上東門□
┃ ┃
┃ ┃
□西明門 洛陽城 東陽門□
┃ ┃
┃ ┃
王邇■廣陽門 青陽門□
王如┃津城門 平昌門 開陽門┃
徐邈┗━□━━□━━━□━□━━┛
宣陽門
呼延攸は王彌の軍勢が到着したと知り、洛陽の城攻めにかかった。晋兵たちは城壁に拠って矢石を絶えず放ち、漢兵たちは怖れて近づけない。呼延攸は怒って自ら将兵を督戦し、大砲を城の垣に放つ。その砲撃により晋兵は多くの死傷者を出した。
晋主の
「臣らは国家の大恩に浴しております。必ずや漢賊どもを退けて御覧に入れましょう。今や漢賊どもの攻撃は厳しく、出戦せねばいずれは城門を打ち破られかねません。漢賊の軍勢が集る前に叩くのが上策です。明日、臣ら兄弟が城を出て賊の一陣を破れば、その士気を挫けます」
「将軍兄弟でなくては、漢賊どもを退けられますまい」
※
翌早朝、四万の軍勢が城を出た。張騏が前駆となって張驥はその後につづき、軍勢を二つに分けると漢の軍営に攻めかかる。
呼延攸は軍勢を点呼して城攻めにかかろうとしていたが、そこに鬨の声が響く。すぐさま馬に乗ると大刀を抜いて軍営を出た。殺到する晋兵に出遭って数人を打ち払ったところ、張驥が攻め寄せてきた。
呼延攸の子の
呼延攸は軍勢を退ける暇もなく死力を尽くして晋兵と戦い、青銅の大刀は刃毀れしていよいよ危うくなる。
その頃、城西の軍営には王彌が到着し、呼延攸の城攻めに加勢するよう王如、王邇、徐邈に命じていた。三将が軍営を出たところに斥候が駆け込んで言う。
「晋将の張騏が吾らの軍営に攻め寄せ、小将軍(呼延鐩)は討ち取られていよいよ総崩れに至りそうです。すみやかに加勢に向かって下さい」
王彌はそれを聞くと、王如と王邇を向かわせる。二将は飛ぶように馳せ向かうと、張騏と張驥に挟まれた呼延攸が危うい。二将が加勢に向かえば、張騏たちも馬を返して駆け去った。
遅れて徐邈が到着すると、呼延攸とともに晋将の後に追いすがる。
張騏が洛陽の城門に向かったところ、その前に大刀を抜いた一将が飛び出して叫ぶ。
「吾が軍営を冒した賊どもよ。
張騏は早朝から戦いつづけて疲労は深く、王彌を相手に勝算はない。馬頭を返すと城を巡って逃れ去る。そこに後を追った徐邈がすでに回り込み、前後に敵を迎えた張騏はやむなく王彌に斬りかかる。
わずか十合ばかりを過ごしたところ、王彌の一刀が張騏を両断して馬下に斬り落とした。
張驥は王如と王邇に追われるところ、王彌に斬り殺される兄の姿を目にした。この敗戦を覆せないと覚ると、馬を返して逃げ奔る。その前を呼延攸が阻んで言う。
「お前は吾が軍営を犯して吾が子を殺した。早く此処に来て命を差し出せ」
呼延攸も早朝から戦いつづけて力尽きていると考えた張驥は、その傍らを抜けて逃げんと図る。そこに王如と王邇が加勢に現れ、三面を囲まれた。呼延攸の一刀を背に受けて馬鞍から落ちたところ、王如に首を刎ねられて絶命する。
二将を喪った晋兵たちは大いに怖れて逃げ惑い、半ばほどの兵は洛陽の城に逃げ込んだ。余の者たちの多くは討ち取られ、漢に降る兵は三千人を数えた。
王彌たちは勝勢に乗じて洛陽の城門に攻めかかり、攻防が十日ほど続く。城内の糧秣はいよいよ底を突きつつあった。
※
晋帝は文武百官を集めて言う。
「諸親王の乱より洛陽の府庫は底を突き、先帝が長安に遷られた際には
「今や諸侯の外援は期待できず、おそらく洛陽を守り抜くことは難しいでしょう。人を遣って洛水の船を整え、
晋帝はその言を
その夜、
「漢賊の
それを聞いた晋帝は天を仰いで嘆いた。
「天は大晋を滅ぼそうというのか。祖宗の大業はついに覆されてしまうではないか」
郗性が進み出て言う。
「船を失っては已むを得ません。陸路で
「百官の多くは馬を伴っておらず、車も限られておる。漢賊が追ってくれば残らず擒とされよう。どうして長安までたどり着けようか。まずは宮城に引き返すよりない。諸卿は力を尽くして策を案じよ」
晋帝と大臣たちは宮城に戻っても眠られず、嘆息するばかりであった。王雋がまた言う。
「先に
▼「倉垣」は原文では「倉坦」、『晋書』孝愍帝紀永嘉五年五月條に「大將軍の苟晞は都を倉垣に遷すを表す」とある。倉垣は兗州陳留国の浚儀縣の東北、倉垣城と推測される。
晋帝はその言に従い、百官を召して苟晞がある
丘光が言う。
「百官を召し寄せてはなりません。臣の察するところ、百官の多くは洛陽を離れることを快く思っておりません。彼らは自らの妻子を保全せんと思うばかりです。妻子を捨てて陛下に従う者は限られましょう。さらに、鄴に逃れられるのであれば、人数が多くては危険です。吾と樓裒が護衛となり、密かに洛陽を出るのがよいでしょう。明日、陛下の不在を知った百官のうち、忠義の者だけが後を追ってくるはずです」
庾珉もその言に同じ、一行は
晋帝はついに洛陽を抜けられず、泣きながら宮城に帰ると、苟晞の許に人を遣わした。
洛陽から鄴に遣わされた使者は夜が明ける頃には
▼「硤石」は『晋書』魏浚傳に「
晋帝の使者を捕らえると、その身分や目的を問い質す。使者は晋帝により鄴に遣わされた旨と洛陽城内の様子をつぶさに語る。魏浚はそれを聞くと痛ましく思い、間道から三千斛(約176kℓ)の糧米を洛陽の城内に届け、晋帝の食に供した。
※
それより十日ほどが過ぎ、漢軍を率いる
「呼延攸が平陽より糧秣を牽いて到り、さらに下縣で掠奪して府庫の銭穀を奪うと、軍勢を進めて洛陽を囲みました」
そこに呼延攸と王彌の軍勢が到着して洛陽の様子を述べ、張騏と張驥の首級を呈した。劉曜は喜んで言う。
「吾はこの度の戦で此奴らを梟首すると誓っておったが、すでに将軍たちの手により討ち取られておるとは思わなんだ」
呼延攸が劉曜と石勒に漢主の言葉を告げると、二人は言う。
「この度は必ずや洛陽を陥れられよう」
傍らにある
「先に軍勢を返して三台を攻めたのは、糧秣が不足したに過ぎません。聖上はそのことをご存知なく、吾らを怯懦と観られたのでしょう。糧秣さえあれば、すみやかに洛陽に軍勢を返し、吾らが怯懦でない証を示せましょう」
そう言うところにふたたび斥候が駆け込んで言う。
「呼延晏は太子(劉聰)と軍勢を会し、
┏━━□━━━○━━━□━━┓
┃ 大夏門 宣武観 穀門 ┃
□閶闔門 上東門□
┃ ┃
┃ ┃
□西明門 東陽門□
┃ ┃
┃ ┃
□廣陽門 青陽門□
┃津城門 平昌門 開陽門┃
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宣陽門
劉聰・呼延晏
劉曜と石勒はそれを知ると、関、張、趙、姜、王、魏の諸将とともに劉聰の軍営に向かった。劉聰は諸将を前にして言う。
「洛陽を攻めて晋兵に吾が軍営を脅かされ、
「戦に身命を賭するは将家の本懐であります。臣らは軍事に奔走して太子に謁見する機会を得られませんでした。平にご容赦下さい」
諸将はそう言って劉聰の言葉に応じ、劉聰は諸将を慰労する宴席を設けた。酒宴の最中、劉聰は盃を挙げて言う。
「今や洛陽は困窮の極みにある。各城門を囲んで晋の君臣を逃がさず、禍根を残すな。城の陥落は旦夕にある」
諸将は応諾すると、席を立ってそれぞれの軍営に散っていったことであった。
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