第六十六回 曹嶷は際遇して青州に拠る

 漢の曹嶷そうぎょくは敗戦を喫して軍勢を返した。その心中は怏怏おうおうとして楽しまず、夔安きあんたちと先行きを憂えてばかりいた。

 道が臨朐りんくの境に到る頃、軍勢の背後で塵埃が天に上り、一軍が向かってくる。

▼「臨朐」は『晋書しんじょ地理志ちりし青州せいしゅう長廣郡ちょうこうぐん條に「惠帝けいてい司馬衷しばちゅう)の元康十年(三〇〇、ただし元康は九年で終わっている)又た平昌郡へいしょうぐんを置く。又た城陽じょうよう黔陬けんしゅ壯武そうぶ淳于じゅんう昌安しょうあん高密こうみつ平昌へいしょう營陵えいりょう安丘あんきゅうだいげき、臨朐の十一縣を分かちて高密國こうみつこくと為す」とあり、青州南部の諸縣とともに高密國に改組されたらしい。その位置は臨菑の南、徐州じょしゅう東安郡とうあんぐん東莞郡とうかんぐんに抜ける道の上に位置する。よって、曹嶷が東平とうへいから平陽へいように向かう際に臨朐を通ることはあり得ない。概念図は以下のとおり。

 ・襄國           ┏━━海

             ┏━┛

 ・易陽   清河・   黄 ●臨菑

             河 ◆廣固

 ・邯鄲    平原・ ┏┛ 臨朐◆

          ┏━┛   

 ・鄴(相州) ┏━┛◇ 泰山▲ ◆

      ┏━┛碻石敖城    東安

 頓丘・  Z委粟津       東莞

  ┏黄河━┛   ◆東平    ◆

 ┏┛・濮陽  ┌┐ 

━┛     ┌┘│ ・兗州 

 ・白馬   └─┘    ・南武陽

       巨野澤     

               瑯琊・

 陣形を披いて攻撃に備えると軍勢は馬を停めて進軍を止め、曹嶷は軍使を遣って何者であるかを質させた。

「お前たちは何者であればゆえなく吾らの後を追ってきたか」

 軍勢の士官らしき者が答えて言う。

「吾らは青州の裨將ひしょうを務める夏将軍(夏国相かこくしょう)の麾下である。苟晞こうきは不道にも母舅である高将軍(高淵こうえん)を殺し、さらに父君である夏大将軍(夏陽かよう)をも害した。夏将軍は自らにも害が及ぶかと懸念されて苟晞に背き、吾ら五百の家兵とともに青州に戻り、兄君(夏国卿かこくけい)と合流して北漢に逃れ、苟晞に復讐せんとするものである。観るところ、お前たちも官兵ではあるまい。吾らのために道を空けよ」

 報告を受けた曹嶷は単騎で夏国相との会見に向かって言う。

「俺らは漢の軍勢だぜ。その言に偽りがないってんなら、俺らと行を共にしろ。平陽に行って漢主に上奏し、軍勢を借りて苟晞に復讐すりゃあいいだけの話だろ」

 夏国相が言う。

「苟晞はまだ東平に軍勢を止めている。まずは青州に向かって苟晞の子の苟豹こうひょうを殺して仇に報い、あわせて家眷を保護せねばならぬ。これでその不意を突けよう。苟晞は必ずや軍勢を返して吾らを討とうとするだろう。その時こそ、青州を捨てて平陽に向かい、将軍とふたたび顔を合わせることとなろう」

 その言葉を聞くと、曹嶷が言う。

「それにしたって五百ばかりの兵しかいねえで仇に報いられるもんかね。そんなら、俺らも一丁噛ませろや。俺の軍勢は二万を超えて上将が十人ばかりいる。夜陰に乗じて青州の城下に入り込むこともできらあな。お前は俺らに追われているふりをして城兵に救いを求めろ。城門さえ開けばこっちのもんだ。一族を保護して親爺の仇を討てばいいだけだぜ」

「幸い、青州の軍勢は兄の夏国卿が握っている。義に従って助力を頂けるなら、その策の通りにしよう。青州の東は海に囲まれて西は険隘な地形が守り、吾らが拠れば苟晞であっても軽々しくは手を出せまい」

 曹嶷は夏国相の兵とともに夜陰に紛れて軍勢を進め、数日のうちに廣固の城にまで到った。


 ※


 廣固の城を臨んで曹嶷が言う。

「夜が更ければ城下に向かう。お前は城兵に助けを求めて城門を開かせな。俺らが城内に入りゃあ何も心配はいらねえ。親爺の仇とはともに天を戴けねえ。何があっても仇に報いて討ち漏らすんじゃねえぞ」

「承知しています。約を違えられませんように」

「心配すんな。夔安と黄彪こうひょうの二人がお前の後につづく。俺はその後だ」

 頷いて出発した夏国相は、一更(午後八時)頃には廣固の城下に到った。この時、城門はすでに閉ざされていたが、城を守る兵は篝火を焚いて警備にあたっていた。

 夏国相が城門上の兵に叫ぶ。

「吾は夏国相である。城門を開いて吾が軍勢を迎え入れよ」

「将軍は夏大将軍(夏陽)とともに漢賊どもを平定に向かわれた。何ゆえにこの夜半にお戻りになられたのか」

「大将軍は曹杯を救わんとして東平の城に入られ、その周囲は漢賊どもが包囲している。そのため、葉福を鄴城に、吾を廣固に遣わされたのである。二郡の兵糧を取りまとめて東平に向かい、城内の軍勢と表裏をなして漢賊を打ち破る計略の一環として帰還したのだ」

 城兵たちは東平の事情を知らず、夏国相の言葉を信じて門を開ける。後につづく夔安と黄彪が城兵に言う。

「吾ら五百は夏将軍とともに此処まで駆けとおしてきた。みな力尽きており、全軍が城内に入るには時間がかかろう。お前たちは先に退いておれ」

 城兵たちが退こうとしたところに曹嶷の軍勢が現れる。城兵たちはその多勢を見ると、慌てて城門を閉ざそうとする。それに先んじて夔安と黄彪が門を奪った。漢兵が城内に雪崩れこみ、城兵たちは夏国卿と苟豹に報せるべく逃げだした。

 騒ぎを知った苟豹は、夏国卿を召して軍勢を整えるように命じた。自らも鎧兜を着込んで府を出んとしたところ、夏国相に前を塞がれる。近臣たちが苟豹を庇って詰問すれば、夔安と黄彪が大斧を振るって斬り散らし、周囲の兵たちも命からがら逃げ奔る。ついで曹嶷の軍勢が到着し、ついに廣固の城は制圧された。

 夏国相は苟豹を擒えて首を斬り、夏陽の霊前に奉げて復仇を報じる。それより、兵士には掠奪暴行を禁じて城内の民を慰撫し、青州はついに曹嶷の手に落ちた。


 ※


 翌日、曹嶷は平陽に遣わした。これは、苟豹の首級とともに青州の図籍を平陽に献じて捷報を送るためである。夏国相は苟晞の親信を二十人ほど斬り、それ以外の者には害を加えず、民はこの処置に心を安んじる。

 漢主の劉淵りゅうえんは青州を平定したとの捷報を得ると大いに喜び、詔を下して曹嶷を青州刺史に、夔安を青州総督に、黄彪と鈄剛とうごうを左右の督護に、夏国卿を別駕に、夏国相を東莱とうらいの統制に任じた。

 曹嶷は詔を得て刺史に上ると、軍備を揃えて兵を練り、険要の地を固めて本拠地の平陽、石勒が拠る襄國とともに鼎足の勢をなしたことであった。

▼「鼎足の勢」と記すが、これは三つの拠点が相互に支援できることが前提となる。この場合、山西の平陽、山東の襄國じょうこく、山東半島の廣固では互いに支援するには遠く、かつ、ほぼ一列の上に存在するため、鼎足の勢と呼ぶには遠い。

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