応援コメント

第五十六回 王彌と劉曜は許昌を攻む」への応援コメント


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    あまり仲が良くないのはなんとなく伝わっていたとはいえ、王彌と石勒・張賓の間がいつの間にか、相当、不仲になっているようですな。北路の諸将のうち王彌一族と楊龍だけは王彌と同行したようです。

    元帥の地位のことも明確でなく、別の軍を進めることにしたことも、不仲のことも説明がなく、勝手に進められている感じはあります。

    これほどの不和や大軍を有しているはずの石勒・張賓の静観ぶりを劉淵・劉聰・諸葛宣于は問題にするべきでしょう。王彌が仕方なく元帥の職を譲ったにしても、少なくとも、王彌は勅命に反しておらず、命令は忠実に守ろうとしているのですから。

    これが、張・趙兄弟全体の総意というのなら、張飛・趙雲が草葉の陰で泣いてますな。

    作者からの返信

    こんにちは。


    > 王彌と石勒・張賓の間がいつの間にか、相当、不仲になっているようですな。

    個人的には、王彌と石勒の不仲というより、劉曜と石勒の不仲から石勒が自立を企図していたため、王彌が割を食ったというように考えております。石勒はあくまで劉曜を見ていた感じで。王彌、可哀そう。。。

    「第二十三回 石勒は計にて枋頭を取る」では、すでに張賓は次のように言っておりますね。

    観るところ、劉永明(劉曜)は都督(石勒)と並び立たず、いずれは覇を競うこととなりましょう。彼は勇猛にして漢の宗族、衆人は忌憚しております。まずは、その嫉妬を受けぬように意を払わねばなりますまい

    さらに自安の策を問われた張賓はつづけて、

    都督(石勒)におかれては漢主より征討の詔を授けられておられます。まずは勲功を挙げて漢主の心を獲り、その後に假節を下して
    山東の鎮守を委ねられるよう願い、麾下の諸将とともに朝命を
    待って兵を練るのです。一朝に詔を得れば、諸将に奇略を授けて各地を攻略し、能力ある者を登用して賢人に職を任せ、弱を兼ねて昧を攻めれば、群凶は自ずから滅んで天下は安寧となりましょう

    これらはいずれも漢からの自立を志向しておりますねえ。
    そのため、この回以降の石勒と張賓には勅命より自己都合を優先する傾向があるなあ、と思っておりました。

    石勒と劉曜が激烈に抗争する先々への布石の一つであるわけで、仕方ないところではあります。後傳はそこまで到達しなかったわけですが(泣


    > 勝手に進められている感じはあります。

    けっこう説明が不足していますよね。
    前段と後段の食い違いもちょろちょろ見られますし。
    まあ、長い話だから仕方ないかも知れませんが、
    こういうところが質を下げているんですよねえ。。。

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