二十一章 晋漢争覇:天水訟

第五十六回 王彌と劉曜は許昌を攻む

▼章名の「天水訟てんすいしょう」とは六十四の卦辞の一つ。「まこと有るもふさがる。おそれてむれば吉、終えれば凶。大人たいじんまみえるにし。大川をわたるにからず」と解される。「正しい道も行き着かず、退いて時を待てば吉、進めば凶。大人に会って智慧を借りるのがよく、無闇に進めば利を失う」の意である。


 ※


 漢主かんしゅ劉淵りゅうえん劉曜りゅうよう石勒せきろくの二軍を発し、石勒は襄國じょうこくを陥れて劉曜は西河せいかを奪った。さらに、王彌おうび轘轅關かんえんかんに軍勢を留めて進む先を睨んでいる。

▼「轘轅關」は『通俗』『後傳』ともに「闤轅關」としているが、誤字と見て改めた。洛陽八関の一つ。『後漢書ごかんじょ郡國志ぐんこくし司隷しれい河南尹かなんいん條によると、緱氏縣こうしけんにあり、注では縣の東南にあるとする。洛陽を中心とする概念図は以下のとおり


━━━━━━━━黄河━━━━━━━━━

     ●洛陽     ●成臯

  ▲▲        ▲▲▲

   ▲▲  緱氏● ▲▲▲

      ▲▲▲▲◇▲▲▲

         轘轅關

            ●陽翟

            →許昌方面


 国都の平陽へいよう捷報しょうほうが入ると、劉淵は諸郡に賞賜を下して軍勢を進めるよう命じんと詔を認めた。そこに皇太子の劉聰りゅうそうの使者が到って上奏する。

司馬越しばえつ東海王とうかいおう)が司馬衷しばちゅう恵帝けいてい)を毒殺して司馬熾しばしを新に帝位に即かせ、実権を握ろうと図りました。しかし、司馬熾は賢良の人を選んで俊才を職に任じたため、政事は司馬炎があった泰始たいし(二六五~二七四)年間のように整えられ、付け入る隙を与えなかったようです。そのため、司馬越は上奏して許昌きょしょうに出鎮しました。にわかに南下して中原を侵すのは時機尚早かと存じます」

 劉淵は諸葛宣于しょかつせんうに言う。

「二軍を発した目的は、許昌と洛陽らくようを奪って中原を占めることにある。司馬熾が政事に務めて中正の人を事に任じるとは、これでは大業を果たすことも覚束おぼつかぬ。登極とうきょくして間がない時に攻め込めば、運良く事を成すこともあろう。遅滞して司馬熾の体制が固まれば、出兵しても動揺すまい。丞相じょうしょうはどのように観るか」

「晋室の命数はまだ尽きておりません。三年の後には歳は辛未かのとひつじにあたり、この時になれば西北の気が盛んとなって年内に洛陽を陥れられましょう」

「天道は深遠であり、推移に常なく変転して定まらぬ。将来を読むことは難しい。まずはこの機に乗じて軍勢を進め、晋室の虚実を測るべきであろう。晋室の命数に拘泥してはおられぬ」

 議論が定まらないうちに、晋に仕える繆播りょうはの甥の繆崇りょうすうという者が東海王の誅戮から逃れ、平陽に身を投じた。劉淵は繆崇を召し入れると具に晋室の内情を問うた。

「司馬越は威勢を恃んで妄りに忠良の臣を誅戮しております。吾が叔父の繆播のみならず、何綏かすい王延おうえん高堂冲こうどうちゅうをはじめとする賢人十数名がその害に遇い、さらに三族まで夷戮せんと図りました。それゆえに吾は逃れて身を投じたのです。さらに、王衍おうえんを太尉に任じましたが、この者は清談のみを好んで政事に務めず、国政は佞臣の潘滔はんとう何倫かりんが擅いままにしております。これにより阿諛追従の徒だけが官階を進められ、賢哲の人は官を捨てて江東こうとうに難を避けはじめました。洛陽の政事は乱れており、遠からず司馬越の身にも禍が及ぶでしょう」

 劉淵はそれを聞くと、諸葛宣于を劉聰の許に向かわせ、軍勢を先に進めるよう命じる。また、王彌と石勒には洛陽に向かうよう詔を下した。


 ※


 劉淵の詔を拝した石勒が張賓ちょうひんに言う。

「王彌とともに洛陽に向かえとの勅命を受けた。軍勢を南下させれば背後の王浚おうしゅんが襄國を襲って先の恨みを雪ごうとするであろう。軍師はどのようにこの事態を処するか」

「緩やかに軍勢を発するのがよいでしょう。まずは王彌に書状を遣って劉曜と軍勢を合わせるよう言い、その動きを観た後に進退を決するのです。これにより王浚を牽制するのみならず、王彌の心中も図れましょう。一挙両得というものです」

 この時、王彌は三万の軍勢を率いて轘轅關にある。周囲の賊徒を下してさらに一万を超える将兵を併せ、賊将の張杰ちょうけつ徐杲じょこうを麾下に加えていた。劉淵からの勅命を受けて石勒に連絡しようと考えていたところ、石勒からの使者があって先に軍勢を進めるように言う。王彌は石勒の言に従って四万の軍勢を発し、許昌に軍勢を進めることとした。

 許昌に向かう王彌の軍勢に抗う晋兵はなく、郡縣はいずれも降って攻囲を避けた。そのため、さらに降兵一万を加え、都合五万の軍勢を率いて道を進む。

 許昌には斥候からの報告が矢のように届き、関津の守りを委ねられていた将帥の丘光きゅうこう楼裒ろうほう楼哀は王彌の戦意が盛んであると知り、軍勢を返して許昌の城に入った。この時、東海王は洛陽にあったため、急報は洛陽にも伝えられた。

▼「楼裒」は原文では「楼哀」と記すが、後段で丘光と行動を共にする同輩が楼裒であるため、誤りと見て改めた。

 洛陽にある東海王は王彌の侵攻を知ると、何倫たちとともに洛陽から許昌に取って返し、城外に複数の軍営を置いて防備を固める。

 王彌も斥候から許昌の様子を聞き知り、急攻を控えて軍勢を留め、間道から劉曜の陣営に向かった。


 ※


 王彌を迎えた劉曜が問うて言う。

「将軍は許昌の強弱を観られたか」

「許昌を守る軍勢は多い。それゆえに軍勢を合わせる相談に来たのだ」

 王彌の言葉を聞くと、平陽から出張ってきた諸葛宣于が言う。

「軍勢が多くとも、司馬越は兵法を知りません。戦の場数を踏んではおりましょうが、いずれも敗戦を喫しており、この戦でも守りに徹して出戦しようとは思いますまい。将軍と呼延こえん兄弟は許昌を捨てて洛陽に向かわれればよいのです。姜存忠きょうそんちゅう姜發きょうはつ)と黄家、関家の諸将は許昌と洛陽の間に軍勢を置いて遊軍となり、劉王子(劉曜)と吾は許昌の司馬越を食い止めます。洛陽を陥れれば、許昌は攻めずして降りましょう。兵法では『将を得んと欲すればまず馬を射よ』と申します」

 諸葛宣于の画策により、王彌と呼延晏こえんあんは各々五万の軍勢を率い、遮る者もなく洛陽に向かった。

 漢兵が洛陽に向かったという報告が伝わり、晋帝は大いに懼れて各地に救援を命じる使者を遣わし、さらに諸大臣と防禦の策を講じた。

 王衍が進み出て言う。

「臣はすでに各城門に軍勢を置いており、万が一、漢兵が攻め寄せたところで憂えるには及びません。敵を退けるには、上官己じょうかんきに五万の軍勢を与え、張騏ちょうきを先鋒、王秉忠おうへいちゅうを後詰として当たらせるのが上策です。漢兵どもを境内に入れず、百姓を愕かせることもございません。陛下は心を安んじて捷報をお待ち下さい」

 それでも晋帝は漢兵を恐れて言う。

「漢の将兵は勇猛、侮ってはならぬ」

「張騏と張驥ちょうきは洛陽の防備にあたる猛将、張郃ちょうこうの次子の張汚ちょうおの子です。その勇猛は世に知られており、世人はみな畏れ憚っております。漢兵になど敗れるはずもございません」

 王衍が重ねて言い、晋帝はようやく安心したのか、漢兵を退けた暁には重賞を授ける旨の勅命が下された。あわせて上官己は元帥、張騏は先鋒に任じられ、張驥と王秉忠は護軍ごぐん兵馬へいば指揮使しきしに任じられる。軍勢は洛陽の城より発して許昌との境に向かった。


 ※


 翌日、漢兵の進軍路を知ると、晋軍は要害の地に軍営を置いて前を阻んだ。

 午の刻(正午頃)が近づくと、王彌と呼延晏の軍勢が境に至って晋の軍営に対する。すぐさま軍使が遣わされて両軍で戦が約され、陣を披いて向かい合う。晋将の張騏は軍袍をまとって長鎗を手に馬を進め、王彌を指して言う。

鼠輩そはいども。河北の数郡を盗んで満足しておればよいものを。吾が大晋の聖上は辺隅の地を盗んだお前たちの罪を問う軍勢を起こされなかった。お前たちにとってこれ以上の僥倖はなかろう。それにも関わらず、帝都を侵そうとするとは、自ら網に罹る兎と選ぶところがない。洛陽にはこの張騏があると知らぬのか」

 王彌が哂って言う。

「虎を描いて狗に似るとはお前のことだ。晋朝の者どもは口ばかり達者で大言するのみ、この王将軍は遺さず生きながら擒としてきた。わずかでも強弱を知る者であれば虎を起こすような真似をせず、さっさと投降するがよい。それならば洛陽が落ちても首が胴体と離れずに済む。後悔せぬようにするがいい」

「賊徒めが大言をほざくな。官将を愚弄するか」

 王彌の罵言を怒った張騏が、鎗を引っ提げ馬を駆る。王彌が馬を拍って進み出ようとしたところ、早くも呼延晏が鎗を振るって突きかかる。呼延晏は張騏の技量を知らず、張騏も呼延晏の武勇を測らず、鎗を合わせて一連の戦に砂塵は滾々と天に揚がり、四十合を過ぎて日が翳っても勝敗を決しない。

 王彌は張騏の勇猛がこれまでの晋将の比ではないと観ると、大刀を振るって馬を出す。対する晋陣からも張驥が同じく大刀を抜きつれて馬を馳せ、加勢に向かう王彌を阻む。

 四将が一団となって鎗は鎗に対して一突きも抜けるを許さず、刀は刀を迎えて半瞬の乱れも見せない。ただ両者の気合のみが戦場に響いて殺気は天を覆い、両陣の部将たちは兵に禁じて戦場を乱すことを許さない。兵士たちは喚声を挙げるのみで一歩も進み出ず成り行きを見守るばかり。

 四将が緊々として悪戦すること二刻(四時間)ばかり、ついに日も西山に没して暗闇となり、両軍は鉦を鳴らして兵を収めたことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る