第五十五回 素喜連は慕容の陣に降る
▼「素服」は白装束と考えればよい。
「投降を迎える際は敵を迎えるように警戒すべきと言います。油断されてはなりません」
慕容廆はその言に従って慕容翰に厳戒を命じると、自らは軍門まで出迎えに行く。軍門が大きく開いても素喜連は進もうとせず、門前に伏して罪を請うた。本心から投降したと知った慕容廆が助け起こそうとすると、素喜連が言う。
「我々が山野の蛮人であって国法を承知しておらぬがため、明公に犬馬の労をおかけいたし、慙愧に堪えません。それにも関わらず、厚恩を蒙って死罪を赦されました。今、衆人とともに罪を請うべく参上いたしました。この身を戮して遼東の百姓への謝罪とする代わり、罪を部落にまで及ぼさぬようにお願いいたします」
「吾らは同じ鮮卑族、同族を害うことを望んではおらぬ。ただ、百姓が生業に安んじられぬ有様を見て已むに已まれず、軍勢を発したに過ぎぬ。罪を悔いて改めるのであれば一家に等しい。こちらに来て衣を改め、その後に礼を取り交わそう」
慕容廆がそう言うと、素喜連は拝して恩を謝した。
その後、素喜連は
これより封釋と袁賢の二人は事毎に慕容廆に諮った後に行うようになり、遼東の郡縣はすべてその下に就いて慕容廆の名声は遠近の知るところとなった。
※
「慕容部は遼地の人民に支持されて勢力を伸ばしておる。孤は帝室に連なる親王でありながら、異民族にも敵わぬのか。大丈夫たるものは四海に名を挙げずには満足などできぬものだ」
東海王の従う
「大王ともあろうお方が、何ゆえにそのようなことを言われますか」
「国内を見れば軍政の大権も握れず、漢賊の平定も
「天下の大権はすべて大王に帰しております。後世に名声を伝えたいとお思いであるならば、軍勢を率いて入洛し、与する者を賞して逆らう者を誅し、天子を擁して諸侯に号令し、幼い成王を輔佐した
「孤は朝廷に上奏して帰藩を請うたのだ。今さら擅いままに入朝するなど許されようか。それなりの名分を考えねばならぬ」
「朝廷は宿老を用いず、
「この四人は忠心を懐いて政事にあたり、
「大王に利があるならば、善人であっても誅殺せねばなりません。魏の
潘滔との問答を終えると、東海王は
「大丈夫たる者は行うべきを行うものです。余人に問うにも及びません」
「大事を行いたいとは思うが、後世に不徳であると非難されよう」
「非常の事は
「それでは、どのようにすべきか」
「不朽の名を残されるには、蓋世の功を立てるよりありません。蓋世の功を立てるには、
東海王はついに意を決して先触れの者を洛陽にある腹心の
※
東海王の入洛を知らせる駅馬が行き交い、騒然とした様子を見ると、
「東海王は威権を専らにして百官の任免を
王敦は宮中に向かうとその旨を上奏するも、晋帝は信じずに言う
「太傅(司馬越)は自ら望んで鎮所に還ったのだ。そのような行いをするはずもない。卿は疑心を懐かぬがよい」
日ならず東海王は洛陽に入り、繆播、高堂冲、王延、何綏をはじめとする十数名を晋帝の目前で捕縛した。
「これらの者たちは忠義を懐いて礼を尽くしている上、誰一人として罪を犯してはおらぬ。何ゆえに捕縛するのか」
晋帝が問うと東海王は言う。
「繆播は陳敏の平定を遅らせました。裏で通じておったのです。何綏はたびたび酒宴を開いて賓客を集め、陰謀を企てていたことは明白です。いずれは何綏を擁して叛乱を行う者が現れます。誅殺せねば後患を遺すこととなりましょう」
「偽りを申すな。そのようなはずはない。これらの忠臣を誣告するでない」
東海王は晋帝の制止を聞かず、捕らえた者たちを引き出すと斬刑に処し、しばらくすると首級が献じられた。それを見ると晋帝は涙を流して言う。
「太傅の横暴がこのようであるならば、お前たちは先に黄泉に行っておれ。朕も遠からず再会することとなろう」
東海王はふたたび宮中に戻ると、刑戮した者たちの三族を誅殺するよう願った。晋帝はそれを許さず、溜息を吐いて後宮に退く。東海王も強く求めることはなく、ついに宮中を退いた。
※
この時、
その族弟に
「この数日というもの、面に憂色が表れております。東海王が忠良の臣を殺したため、将来を憂えておられるのではありませんか」
劉寔が頷くと、劉坦は語を継ぐ。
「すみやかに辞職して政事から退き、安逸を求められるのがよろしいでしょう。身命より官職を重んじると言われるのですか」
「吾もそれはよくよく承知しておる。しかし、辞職を願っても許されぬのだ。そのために憂えが解けぬ」
翌日、劉寔はふたたび上奏して強く辞職を願い出た。しかし、晋帝は先に変わらずそれを認めない。劉坦も宮中に入ると上奏して言う。
「古より老年に達した者は官職に就かぬことを憂えず、また官職を重んじぬものです。願わくば、劉寔の辞職を御許し下さい。その生命を全うして終わりを善くすれば、一族の者たちは多くの俸禄を受けるよりも深く御恩に感じましょう。どうして官位を授けることだけが老人への餞となりましょうか」
晋帝はその上奏を受けても躊躇して決断しない。傍らにある
劉寔はその日のうちに恩を謝し、退く際には晋帝が自ら送り出すほどに礼が尽くされた。
※
後日、晋帝は東海王に問うた。
「
東海王はその下問に対して王衍を推挙した。晋帝はその意に違わず、ついに王衍を太尉に任じた。
この王衍は柔弱の人であって自ら率先して事を行わず、ただ清談を好むことで知られている。天下が乱れていることから、保身のために東海王に説いた。
「
▼「趙襄氏」の姓名は
▼「尹鐸」は『国語』晋語によると、趙氏のために晋陽の租税を引き下げて人心を収めた。それにより、智氏に包囲された晋陽は守り抜かれ、魏氏、韓氏と結んで智氏を滅ぼした。
「誰を遣わしてこの地に鎮守させるのがよいだろうか」
東海王が問うと、王衍は言う。
「臣は大王の愛顧を賜っております。弟の
東海王はその言を
「お前たちは任地に入れば、糧秣を積むとともに士民の心を獲り、根本の地として固めよ。吾は洛陽にあってお前たちが大郡にあれば、まさに
▼「狡兎の三窟」は故事成語、猟師に捕まらない賢い兎は三つの隠れ場所を持っていることから、常に有事に備えて逃げ場所を用意しておくことを言うようになった。
王澄と王敦が命を受けて退くと、王衍は二人にそう言ったことであった。
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