応援コメント

第五十一回 甘顧の諸賢は陳敏を誅す」への応援コメント

  • ついに陳敏の乱も終わりました。

    陳敏は三国志後伝では、注釈では夏文盛の功績が主体とされ、夏文・夏正に功績を奪ったと言われ、広陵の守りの善戦も銭端のおかげと言われ、顧栄・甘卓にはだまされまくりで、本人の扱いはあまりよくなかったですな。負けたとはいえ、武勇を見せつけた弟たちの方が見せ場があったと言えるかもしれません。一騎打ちぐらいは見せて欲しかったのです。

    陳敏のだまされやすさは、水滸伝の田虎、方臘を想起させます。

    顧栄らが陳敏を見捨てた理由としては、司馬越がこの時八王の乱を収めており、西晋の統治力が元に戻ると、顧栄たちが判断したことが理由にあるようです。司馬越と司馬熾との対立や、匈奴の存在を軽く見ているところといい、ここに江南豪族の限界を感じますね。後伝の世界の劉淵たちから見れば、江南をとってくれていれば、晋を滅ぼせたのに、また、呉に形を変えて裏切られたようなものですな(笑)

    しかし、あの孟観の先鋒であった紀瞻とはなつかしい名前の登場ですね。丹楊郡出身だったのですな。あれは周処の敵討ちだったのかな。また、銭広は呉興郡出身らしいので、色々と東晋と対立する呉興の銭氏にあたるようですね。

    陳敏は死にましたが、江南豪族は温存されました。十六傑は残り十名です。

    西晋十六傑(十四路諸侯+二)
    ✕ 征西大元帥・陸機
    ✕ 荊州刺史・劉弘
    西涼刺史・張軌
    幽州惣官・王浚
    ✕ 揚州刺史・陳敏
    幷州刺史・劉琨
    廣州刺史・陶侃
    青州刺史・苟晞
    ✕ 豫州刺史・劉喬
    樂陵太守・邵續
    滎陽太守・李矩
    ✕ 雍州刺史・劉沈
    順陽太守・張光
    ✕ 武威太守・馬隆
    南平太守・應詹
    南中郎将・祖逖

    作者からの返信

    こんばんは。
    このあたりは瑯琊王も苦労してるんだよ、という感じで全体としては後編に向けた伏線みたいに感じます。だから、他の話との接続が薄くて、ちょっと読みにくいかも知れません。

    〉陳敏のだまされやすさ

    陳敏さん可哀相。。。最後は寄ってたかってフルボッコにされた感じで。甘卓や顧榮あたりの裏切りを見るに、お人好しが過ぎましたね。


    〉司馬越がこの時八王の乱を収めており、西晋の統治力が元に戻ると、顧栄たちが判断したことが理由にある

    陳敏について自立を図るか、晋につくか、ですね。李雄に与した范長生も同じような立場でしたが、わりとアッサリ李雄につきました。
    江南と四川では地理的に淮水沿岸と繋がる江南の方が河南との連絡が密である、ということもあるかも知れませんね。


    〉孟観の先鋒であった紀瞻

    ポッと出のキャラが多い中では最古参。しかし目偏はどこに行ったのやら。
    作中では劉淵の挙兵から陳敏の敗死まで13年なんですよね。意外と短いなあ、と思います。
    随分と過ぎたように感じますが。。。