応援コメント

第四十九回 錢廣は反して陳昶を斬殺す」への応援コメント

  • 「三国志後伝」を読み返してみたら、七十一回「顧秘起兵平石冰」という丸々、續後三國志演義で省かれた部分を読み飛ばしていることに気付きましたので紹介します。

    場所としては、「通俗續後三國志Ⅱ」第九回と第十回の間です。

    ここでは張昌と石氷の乱を平定した劉弘・陶侃・皮初・陳敏たちの活躍が描かれていますね。注釈だけではなかったのですな。

    まず、劉弘が大会戦の後、荊州に戻り、皮初・張興を従え、張昌・石冰と戦い、勝利します。敗走した張昌・石冰は新野王・司馬歆を討ち取ります。劉弘は、石冰と戦い、皮初はその将・牛升を討ち取りますが、費深は張昌と戦い戦死し、張興は負傷します。陶侃が広州から朱伺とともに援軍に来て、賊を招安し、その徳により、張昌・王坤は味方に殺されます。劉弘は荊州刺史を陶侃に譲ろうとしますが、広州で童鐵が叛乱を起こしたため引き返します。童鐵は逃げ、陶侃は交州刺史を兼ねます。劉弘は荊州でその徳を慕われます。

    石冰はその将、夏文・夏正とともに叛乱を続け、周玘(きちんと周處の子という説明がありました(汗))は、呉興太守・顧秘を盟主に賀循・華譚・葛洪(!)・甘卓と討伐の兵をあげます。さらに、周玘は夏文を攻撃し、賊将・黄仁を討ち取ります。夏文は廣陵に逃れます。

    石冰の別軍、夏正・汪可東は壽陽、豫章は攻撃し続け、(後伝では)揚州刺史である陳敏は夏文華・夏文盛を派遣して、夏正・汪可東を撃破します。また、陳敏は壽陽太守・劉準と合流し、夏正・汪可東を破り、さらに追撃して汪可東を捕らえます。陳敏は、周玘・顧秘・賀循・華譚・葛洪・夏文盛、夏文華・錢廣らと石冰・夏文と戦い、廣陵に押し込めます。

    陳敏は建康に転戦し、夏文盛の進言を聞き、夏正を降伏させます。葛洪もまた、瓜步にいた賊将・苗秀を討ち取りました。廣陵にいた夏文は兄の夏正の手紙により内応を行い、石冰を殺します。

    しかし、これを聞いた洛陽で政務をとっていた長沙王・司馬乂は、多事多難なことから彼らを全く賞しませんでした。

    この内容は、本筋とは離れますが、三国志後伝では「司馬乂を善玉としているが、先の大会戦での失策とあわせて、完全な人物としていない。やはり八王の一人に過ぎないこと」、「陶侃が人徳により、劉弘に比べても別格の将とされていること」「夏正・夏文の功績は裏切りによるものであり、陳敏の責任があまりないところで恨まれていたこと」、「陳敏もこの時点では注釈とあわせて優れた戦略眼・統率力の持ち主と描かれており、名将とされていること」、「陳敏配下では夏文華と夏文盛、特に後者が名将であること」があげられます。

    正直、陳敏がこの時に賞をもらえず、その不満と面子を潰されたことで叛乱を起こしたのなら理解できます。江南豪族との距離感は、少なくとも初期はもう少し史実よりでもよかったのではないかなと思いました。

    作者からの返信

    こんばんは。
    七十一回「顧秘起兵平石冰」ガッツリ抜けてますね。翻訳の際には「通俗の訳だから省く、以上」で見て見ぬフリをしてました。


    〉費深は張昌と戦い戦死し、張興は負傷します。

    羅尚の下で生き延びた費深と張興にはそんな結末が待っているのですね。劉弘の好意により荊州に迎えられた二人ですが、うまく行かないものです。


    〉周玘(きちんと周處の子という説明がありました(汗))

    その部分だけは翻訳に移植してもいいかも知れませんね。前作で周處にはお世話になりましたし。

    この部分を欠くことで陳敏の乱の描写は分かりにくくなっているようですね。『前編』を訳し終えてから、扱いを考えたいと思います。

    ご教示ありがとうございました。